僕がFacebookをやめた理由④ 応援してくれる人を傷つけたくない。 [FB問題]
先に書いたFacebookの問題点。
これはFacebookが持つ機能が起こす問題と、人の心理とが微妙に関係している。親切で「教えて上げよう。注意して上げよう」という気持ち。これはいいこと。
しかし、知らない人にあれこれ注意したり、自分の考えを押し付けるのは大きなお世話。なので、人は基本、良く知る人。友達、親戚、同僚、近所の人等に注意や助言をする。それがネットというものが出来て、特にFacebookが登場してから知らない人同士が繋がる機会が増えた。一度も会ったことがないのに「友達」になれるが、それは
Facebook上での「友達」であり、現実社会の友達ではない。
にも関わらず、それを混同してしまう人が多い。「友達」承認したとたんに、十年来の友達が訊くようなプライベートな質問をしてくる。その人は「本当の友達になった!」と思っているFacebook「友達」はリアル社会の友達とは違う。それを錯覚して、あれこれ口出してしまう。ほとんどの人が好意なのだが、会ったこともない相手に対して、プライバートについて、あれこれ指摘するのはネット以前ではしなかったこと。
ただ、僕の場合。違った問題がある。「映画監督」という職業だ。Facebookでは「仕事」が分かる。僕自身、映画の宣伝のために始めたので、表示している。全然、有名監督ではなく、大ヒット作を撮ってはいないが、それでも一般の人は興味を持ってくれる。映画製作は苦労があり大変。そんな記事を書いていると、応援してくれる人が現れる。ありがたい。ただ、応援が行き過ぎることもある。
それが「野菜が足りません」事件になったのではないか?
Facebookによって人間関係が近くなる。そのことで身近に感じて、応援してくれる。おまけに映画監督。「がんばってるよなあ〜。声援を送りたい!」と思ってくれる。嬉しいことだ。だが、それが一線を超えてしまうこともある。例えば、あるFacebook友達がこんな記事を書く。
「太田監督の映画を見に行きました。感動しました。何度も泣けました。本当にいい映画です。
なのに映画館はガラガラ。お客は6人。いい映画なので多くの人に見てもらいたいです!」
これは応援のために書いてくれたのだが、大いに問題がある。その映画はヒットしていた。が、彼が映画館に行ったのは平日の昼間。さすがに客は少ない。公開してから1ヶ月以上経っている。客が減るのは当たり前。それでも会社が終わる夕方以降の回。土日は大入り。でも、上の記事を読むとこう思うだろう。
「ああ、あの映画ヒットしてないんだな? どーせ詰まらない作品なんだろう」
人は「あの映画はヒット」と聞いて映画館に行く。「ヒットしてない」と聞いて行く人はいない。映画の悪口というのは、こうだ。「あの映画は大コケらしいぞ」「ガラガラで全然、客いないって」客入らない=詰まらない映画。だから、先のFacebook友達が書いた記事は応援にはならず、むしろネガティキャンペーン。その「友達」が好意で記事を出したことは分かるが、館内がガラガラの写真まで添えていた。
致命的!
やってることは「嫌がらせ」「営業妨害」と同じになっている。ただ、彼が気づかないのも、ある種当然。映画界やマスコミで仕事をしていないと、その辺のことに気づきにくい....。
また、ブログ時代は来なかった質問。Facebookを始めてからはよく来た。
「俳優の***さんは本当に性格悪いんですか?」
「今回の撮影で一番大変なことは何ですか?」
映画ファンとして質問をしたくなるのは分かる。が、1番目は話せない。なぜ、同じ世界で仕事する人のプライベートを、会ったこともない「友達」に話す必要があるのか?と考える。2番目はマスコミから聞かれることはあるが、これも会ったこともない「友達」に伝えることか? と思える。映画について話すのは僕の仕事でもある。それをFacebook=日常で聞くのは、医者に病気について相談したり、弁護士に法律のことを教えてくれというのと同じ。
でも、それも気づきにくい。
ブログはコメント欄に書き込むのが面倒なせいか? その種の質問はあまり来ない。それがFacebookだと、バンバン寄せられた。気軽にコメントできる機能があるからだろう。そんな特性が、前回書いたように、人の距離を縮め交友関係を広げるが、会ったこともない人に、あれこれ気軽に質問&コメントする背景にもなっている。
それに加えて、映画監督業という仕事が興味を引き(これはありがたいことだが)応援してくれる。監督もピンからキリまでいるのだが、遠い世界の人が身近に感じられて「友達」申請してくれる。いろいろ話を聞きたいと思ってくれる。けど同時に「好意」「親切」が=>「大きなお世話」「ありがた迷惑」にもなる。指摘すると、
「親切で言ってるのに!」と怒られてしまう。
容認していると、先の「友達」のように悪意がないのにネガティブキャンペーンにも繋がる。映画館の客入りだけではない。「朝日のあたる家」のときも、23館の映画館公開が終わり、自主上映を募集すると、
「映画館公開ができなかったので、自主上映をするのですね。その悔しさはよく分かります」
とコメントが来たことがある。それを別の人が「朝日ー映画公開できず!」と記事にする。どこにも悪意がないのに、映画のイメージを落とす情報が拡散されていく。予想もしないそんな善意によるネガティブキャンペーンが頻繁に起こった。そうなると困るのは僕だけでなく、スポンサーやスタッフ&キャスト、配給会社にも迷惑をかける。関係者から言われる。
「監督、嫌がらせ記事を書いている人がいるんですよ...」
「それ、ネットで僕を応援してくれている人なんだ....悪気は...ないんだけど...」
とはいえない。全然知らない人なら、配給会社から注意してもらうが、僕のFacebook「友達」だと.....身内のようなもの。応援してくれている人が映画のイメージダウンをする情報をネットで発信する。こんな悲しいことはない。だから、ある時期は毎日、何度もFacebookを開き、善意のネガティブキャンペーンはないか? もし見つけたら削除をお願いせねば....と探していたことさえある。
もう、応援なのか? 攻撃なのか? 分からない。他にもいろんなことがあった。とても紹介しきれない。対応していると時間も労力も取られ、仕事に支障が出る....。そして辛いのは、指摘すると応援してくれている人たちが傷つくこと。「応援のつもりだったんです...」「分かりました。ご迷惑かけました」あるいは気分を害し、怒り出す。
「だったらもう、応援しないよ!」
彼ら彼女らを怒らせたり、失望させたり、傷つけることになる。良かれと思い、好意で、善意で応援してくれたのに....そんなことになる...。本当に辛い。そして悲しい。どーすればいいか? 僕はFacebookを続けるべきではないーということなのだろう。そんなことも一つの理由で休止してみた。
つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2015-12-29-8
2016-01-02 10:20
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