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⑤【「エヴァンゲリオン」と「酒鬼薔薇事件」そして境界性パーソナリティ障害。現代に通じる喪失感と日本人】 [精神病&精神障害]

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⑤【「エヴァンゲリオン」と「酒鬼薔薇事件」そしてボーダーライン。現代に通じる喪失感と日本人】

先にボーダーライン人格障害について書いた。やはり、本を読むだけでなく書いてみると、いろんなことがよく分かる。疑問点も明確になる。まず、不思議なのはボーダーの人たちは、なぜ、皆、同じ方法論で人にアプローチするのか? 最初は絶讃して近づき、暗い過去を打ち明け、相手の心を開き、懐に飛び込んだら、要求を出して行く。そして、相手をサンドバックのようにする。反撃、或いは逃げ出すと「死ぬ」といって引き止める。

まるで、虎の巻があるかのような見事な戦法。暴力や凶器を使わず、相手を逃がさず、意のままに操る。それを誰から教えられた訳ではないのに、誰もが実践する。どのようにして、その見事な手法を学ぶのだろう? いろんな文献を読んだが、多少の違いはあれ、皆、同じような方法論で相手を捕まえて放さない。

そこに昆虫のような本能的な知恵を感じる。クモは教えられもしないのにクモの糸を張り、獲物を捕える。動物に寄生して、栄養を得るものもいる。しかし、ボーダーの場合。自己確認をするために、相手をサンドバック状態にすれば、いずれ逃げられるか? 反撃を受けて自身が酷い目に遭うこともある。が、そんな結果を考えない。

インフルエンザ・ウイルスは、人間や動物の体内に入り込み、自身を増やして行く。それは人にとって健康を害するものであり、苦しみとなる。が、ウイルスが増え過ぎたとき、人は命を落とし、それは同時にウイルスの死をも意味する。自身が増殖するための個体を滅ぼすことは自滅することにもなるのに、それを続ける。そこがボーダーの状態と似ているように思える。


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つまり、そこにはビジョンがなく、ウイルスは増えることだけを目的とし、ボーダーは自分をより強く癒し続けることを目的とし、どちらもハッピーエンドは迎えられないのである。ただ、人が自己確認をするのは当然のこと。この10年以上、その種のことは大きな関心事になっている。「本当の私」というのが、そもそも自己確認である。

本来、親の愛を受けずに、或いは足りずに育った子供は自己確認しづらくなると言われる。分かりやすい例でいえば、不良。暴れたり、非行をして、目立とうとする。それは愛の要求の裏返しであり。両親や教師から注目を浴びたいという反作用行動なのだ。本人たちは意識していないが、人と違うことで、悪いことをすることで、自分たちの存在をアピールし、愛されようとするのだ。

が、そんなことで愛される訳はない。なのに、そんな行動を取ってしまう。そこはボーダーが無理難題を要求するのと似ている。どちらも、強い欲求に動かされた無意識な行動なのだろう。そんな不良たちも、20歳を過ぎれば落ち着く。その理由のひとつが両親以外の愛を得るからだ。だから、不良たちは早い時期に結婚する。配偶者が出来、子供が生まれることで、自分の存在を確認することができるようになり落ち着くのである。

それに対して、ボーダーは「もっと、もっと」と要求をエスカレート。満足することがないという。それはなぜか? もともと、発症の原因が幼児期の虐待という説がある。そのときに、付いたもの凄く大きな心の傷を埋めるには通常の愛や結婚では足りないのではないか?と想像する。たぶん、どんな大きな愛を持ってしても、満ち足りることなく、もっともっととなり。結果、相手が逃げ出すということになるのだろう。

昔、貧しかった人が金持ちになり、使い切れないほどの金を貯めているのに、もっともっとと稼ごうとする。或いは食べ物で困った人が、必要以上に食料を家に備蓄するという話を聞くが、それに近いものだと思える。話を戻すが、自己確認は本来、親から通常の愛を受けていれば、普通に育つものだろう。それが足りない子供たちが不良になる。同時に、もうひとつの展開がある。不良にはならないが、その足りない愛を両親以外の他者に求めるようになる。それが芸術家、クリエーターと呼ばれる人たちだ。


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俳優になる。歌手になる。漫画家になる。有名になり、金持ちになり、まわりを見返す。多くの人に支持され、愛されるようになる。スポーツ選手もそんな一面がある。もちろん、芸術が好きで、スポーツが好きで、ということもあるだろう。しかし、人一倍の努力。全てを捨てても、それに賭ける努力というのは、何なしに自己確認できる人たちにはできない部分がある。ボーダーが人生賭けたように、究極の愛(?)自己犠牲の愛を相手に求めるために、周到な方法論で近づき、嘘で固めて、逃げられないようにし、思い通りに相手を操るという面倒なことまでするのは、それなしには生きていけないという恐怖と渇望があるからといわれる。

同じことは、芸術家にもスポーツ選手にもいえる。子供の頃貧しく。馬鹿になれて、「いつか見ていろ!」と将来、大成功する人たちは多い。特に、歌手や俳優には多い。そんな彼らは単に努力という以上の凄まじい努力をして、第1線まで勝ち残って来るのだ。愛ある家庭で、理解ある環境で生きて来た人はそこまでして、がんばる理由はないだろう。もちろん、そんな環境でなく、出て来る人たちもいるが、人は渇望や屈辱があることで、人一倍努力をするということはあるようだ。

では、ボーダーの場合はどうか? 彼らは努力しているというのとは違う。理屈で考えてはいない。にも関わらず、見事な方法論で相手を取り込み、目的を遂げようとする。もの凄く細やかな気遣いで自身をアピール。相手の心の扉を開かせて飛び込んで行く。そして逃がさない。まるで獲物を捕まえる動物に近い。そうさせる方法論をどこで学ぶのだろう? 本能的な行動なのだろうか? 或いは脳による生存本能が始動するのか? 

その辺の理由は分からないが、人は食べること、寝ること。だけでなく、自己の確認を行わなければ生きて行けない動物。戦後の貧しいときは、「食う」ことで精一杯だったが、経済大国となり。余裕ができてきて、「自分は何なのか?」「自分の存在って何なのだろう?」と思うようになってきたのが、その現れである。毎日、会社に通い。自分が死んでも誰も困らない。代えはいくらでもいるという喪失感。それに悩み考える。

「エヴァンゲリオン」もまた、それを問う物語であり、だからこそ、あれだけの支持を得た。「神戸児童殺害事件」そう酒鬼薔薇事件でも、その種の問題を感じた。その意味で、ボーダーライン人格障害を単なる怖い病気として片付けられない気がしている。そこに現代人のテーマがあり、問題がある。それを見つめることで、何かの答えが見えてくるように思えるのだ。

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