SSブログ

「朝日のあたる家」太田隆文監督インタビュー [「朝日」DVD発売ー再掲載]

 僕は2.jpg

 2013年の記事より

 「朝日のあたる家」太田隆文監督インタビュー記事。

 先輩たちから

 「原発の映画なんか撮ると、二度と商業映画を撮れなくなるぞ!」

 と言われました。

 でも、これが遺作だと思えば不安はありません。


(一部を記事から引用)

高橋
家族の『絆』は幸せな時は自覚できない、むしろ戦争のような不幸な時にはじめて自覚できる、と監督はおっしゃっています。それならば、普段の「幸せな時」というものは、いったいなんなのでしょうか。

太田監督
実は、今の『幸せ』は本当の幸せではないということです。戦争に負け、アメリカ人がモノに囲まれた豊かな生活をしているのを見て、モノにあこがれたというのが原点になっています。今の女子高生がケータイをもって、メールを一所懸命しているのは、無意識に『絆』を求めているのですが、その方法が分からないから機械、モノを通じてそれをおこなおうとします。モノを媒体としてしか、『絆』を確認できなくなっているのですね。昔は、小さな部屋で家族が寄り添っていた、しかし、お父さんは子どものために部屋を作ってやるが、今度は娘がケータイで援助交際をしていても分からない。よかれと思ってやったことが、ぜんぶ、あだとなっている。

高橋
いまモノから通信のお話になっています。そうした活動は電気で行われます。私たちの生活は電気が支えている。監督が戦争になったら降伏したら終わる、でも放射能との戦争は終わらない、と発言されています。偽りの『幸せの時』の基盤は電気で支えられている、しかも、そこには原発があった。これは、もっと深刻ではないですか。

太田監督
モノを支えているものが電気であった、その中に原発がある、それが崩壊した。このことは、モノの価値観に支配される社会の崩壊だと思います。原発事故そのものの問題ではなく、日本の戦後価値観の崩壊だと思うのです。もしかすると、日本人を気づかせるには、戦争では足りない、と神様が今回の事故で試されているのではないかと思うほどです。モノの反逆というか、自分たちが幸せになれると信じていたものに、自分たちがつぶされている。


 こちらから=>http://www.kaze-to-hikari.com/2013/07/post-49.html 






m_CaMRztZUEAA375D20(1).jpg
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。