続・なぜ、映画館で上映するべきなのか?(10) [【再掲載】]
というより、もともと僕は商業映画監督。
商業主義のハリウッドで映画を学んでいる。
教育映画を作ったことはない。
だから、原発事故を題材にしてもエンタテイメントになる。
で、思い出したのが、学生時代によく学校で見せられた教育映画。
「差別」「人権」についての映画。
本当に退屈。言ってることは正しいのだけど、「心から賛同!」と思えなかった。
何か説教されたような気分になった。
それに対して
学生時代に黒澤明監督の「生きる」を観たとき、
大感動して
主人公の志村喬のように、「明日から人のためになる生き方をしよう!」と
思ったものだ。
なぜ、商業映画で感動し、心洗われる思いをするのに
大切なことを伝える教育映画では、反発しか感じないのか?
それは作り手にある「思い」が前面に出過ぎるからではないか?
さらに、見せ方が上手くないので、伝わらない。
今回、原発事故を題材にすると決めたとき、
それを注意せねばならないと考えた。
「原発反対」を押し付けるような映画を作ったら、
観客は反発する。観てくれない。それこそ教育映画になってしまう。
メッセージが観客に届かなくなる。
(つづく)
2013-07-27 10:00
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