全てはLAから始まった(上) [ロサンゼルスの映画祭]
全てはここLAの映画祭から始まった、
といっても過言ではない。
2年前、東北大震災直後に、
このジャパン・フィルム・フェスティバル・LAに
「青い青い空」を持って参加。(写真上)
大絶賛を浴びた。
大学時代を過ごしたLA。20年振りに訪れた。
それも僕自身が監督した映画を上映するために。
ひとつの長い長い時代が完結したような気がした。
しかし、映画会社の力を借りず4年がかりで製作費を集め準備、
1人で何役もこなして映画を製作したことが祟り。
過労で倒れ、半年間寝たきりとなった。
そして、あとに残ったのは莫大な借金・・.
体も、心も、経済もボロボロになった。
医者からは何度も言われた。
「休まないと死ぬよ。過労死するよ!」
それでも休むことはせず。・・・帰国後に倒れた。
過労死は免れたが、半年間に渡る寝たきり生活。
もう映画監督を続けることは無理だと思えた。
こんな生活を繰り返すことはできない。
天井を見ながら過ごす日々。
後悔の連続。
映画はどこでも大絶賛されたが、心はボロボロ。
裏切り、失望、騙し、ごまかし、ウソ、隠蔽。中傷、批判。
そんなことが映画作りには、ついてまわる。
「死を宣告されたら道連れにするリスト」
そんなものがあったなら、すぐいっぱいになる。
もう、本当に疲れ切り、何もかも嫌になっていた・・。
希望はもう見えない。
「映画を撮るしか能のないオレだ・・・このまま過労死してもいいか?」
そんなとき、付けっぱなしのテレビから流れていたのは
原発報道だ・・。
戦いの呼び声が聞こえて来た・・.
(つづく)
2013-05-21 14:00
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0