映画祭の主役が監督である理由(6) [ロサンゼルスの映画祭]
そんなふうに映画祭に監督が行くのは、もはや日常化され
お仕事のひとつとなった。
一般的に見れば、「海外に行けていいなあ!」と思われるかもしれないが、
むしろ、ノーギャラで海外出張というのが正解。
それでも、映画祭には監督が行くことが一番、効果的なのだ。
実際、僕も海外の映画祭に参加したことがあるが、
やはり、注目されるのは監督たちだった。
マスコミも、観客も、映画を見終わったら、監督に感想を伝えに来るし
前夜祭等のパーティでも、
監督と分かると、いろんな人が声をかけてきて質問攻めになる。
これも「ちやほやされて、いいなあ!」と思うかもしれないが
とんでもない。
いい映画であれば、皆、感動を伝えに来てくれるが
駄目な映画だと、もう完全無視。針むしろだ。
それでも映画の最高責任者として、監督はその場にいなければならない。
マスコミからの厳しい質問に対しても、答えなければならない。
「製作費が少なかったから・・」
「スポンサーから押し付けられた俳優が下手だったから・・」
なんてことは、事実でも言い訳にならない。
俳優がうまいと、俳優の功績
俳優が下手だと、監督の責任
それが映画の世界の考え方なのだ。
何があっても、全ての責任は監督が取らねばならない・・。
だからこそ、映画祭の主役は監督になる
それは、映画作りの責任者ということなのである。
(つづく)
2013-04-25 23:00
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