「みんなで考えよう!」では、よい映画はできない? [編集作業]
かなり昔に関わった作品だが、
撮影を終えて、いざ!編集というときになって
プロデュサーがこう言い出した。
「じゃあ、会議を開いて編集方針を決めよう!」
はあ・・・・・・・・・!?
編集の方向性は撮影をスタートする前に決まるもの
撮影をしたあとに編集をどうしようか? 相談するなんて!
何考えているの??????
そんな感じだった。
あとあと、考えてみると、そのPは古い人。
撮影所時代のやり方を引きずっていたのだろう。
あの時代。撮影した素材を映画会社の重役たちが見て、あれこれ意見を出す。
これは重い話だから、アップテンポで編集しよう、とか
長回しで撮っているが、間が持たないので短めに使うようにしよう、とか
方針を決めて、編集スタッフに指示する。
そんな気分だったのではないか?
しかし。プログラム・ピクチャーならいざ知らず。
現代の映画というのは、シナリオ、撮影、編集、MAと全て考えた上で
スタートする。撮影が終わってから編集方針を考えるなんてありえない。
撮影方針も、編集方針も、音楽の方向性も考えた上で
スタートさせるのが現在の映画作り。
というか、そうでないものもあるので、とりあず、太田式のやり方はそうだ。
撮影所時代の発想では、今の時代に感動を伝える作品はできない。
(つづく)
2013-03-28 00:00
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