上映拒否から映画館17館公開まで!(2) [映画館公開に向けて]
大手映画チェーンはもちろん拒否。
無理だと思っていたが、それとなくアプローチはしてみたら
「原発映画なので上映できません」とはいわず、
いろんな理由を上げて断って来た。
それは想定内。だが、ショックだったのは
これまでに原発ドキュメンタリーを上映して来た映画館の多くが
上映拒否だったこと。
先に書いた2館もその手の映画館として高く評価され
多くの方から「***劇場は必ず上映してくれます」とメールをもらったが
実際は駄目だった。
「もし、僕が次の映画を撮れたとしても
お前ところには二度と上映を頼まないからな!」
と、思った映画館もいくつかある。
興行収入が大事なことは分かる。商売であることも分かる
慈善事業ではないことも分かる。しかし。
福島の人の気持ちを平気で踏みにじる映画館
何か圧力がかかるのが怖くて逃げ腰の映画館で
上映してもらわなくていい。
一時は映画館に絶望していていた
が、それは間違いであることに気づく。
(つづく)
上映拒否から映画館公開まで!(1) [映画館公開に向けて]
「朝日のあたる家」が完成してからも
本当にいろんなことがあった。
まず映画館からの上映拒否。以前にも紹介したように、
「原発映画は客が来ない」
という金儲けしか考えないところから
「福島で起こったことと、同じことが描かれている。想像力がない!」
意味不明の批判をするところ。
でも、一番多かったのはこれ
「スケジュールが半年先までいっぱいなので出来ない」
だったら、半年後に上映とはいわず「だから出来ない」と断る。
この手の映画館。
本当は「原発事故」が題材の映画を上映したくなかったのだろう。
中には「素晴らしい映画だから、本当は上映したい。
でも、スケジュールがいっぱいで
今から変更が効かない。より早く上映するにはうち以外でやった方がいい」
というところもあった。
これもいろんな風に解釈できる。
映画として素晴らしいからいち早く上映してほしい
でも、やはり原発映画はうちでは上映できない
という意味にも取れる。
(つづく)
FM岡崎に出演! [映画館公開に向けて]
FM岡崎に出演!
生放送。
ありがとうございました。
岡崎市からは豊川コロナが近いので、
ぜひ!
豊川コロナ9月14日(土)公開、大阪9月21日(土)公開、9月28日(土)東京公開
「朝日のあたる家」公式HP=> http://www.asahinoataruie.jp
本日より愛知=豊川公開ツアー! [映画館公開に向けて]
本日は午前中に岡崎FMの生出演。
午前11時からの「ブレイクNOW」の「ゲストコーナー」に出させて頂く。
11:40頃から。
サイマルなのでネットで聞くことができるはず。
よろしく!
ということで、本日より愛知入りです。
愛知、湖西、浜松の皆様。最後の応援。よろしくお願いします!
「朝日のあたる家」日本初公開の豊川コロナ。
成功させて、全国の映画館を盛り上げたい。
ガラガラなら今後公開の映画館が全てやる気なくすので、
死にものぐるいでがんばります!
午前3時。
ようやく、豊川公開ツアーの荷造りが終わる。
戦友にもらった食料も入れて、いざ、岡崎へ!
睡眠不足?
(つづく)
2013-09-10 05:00
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「69の会」で「朝日のあたる家」宣伝させてもらう! [映画館公開に向けて]
「想像力がないんですか?」という支配人(7ー終) [映画館公開に向けて]
友人が解説してくれた。
「その人はオタクなんだと思うよ。
だから、人の気持ちを察することのできない。
自分が興味あることしか反応しない。ネットやテレビの情報だけで分かった気になる。
当て外れな批評を上から目線でする。よくいるタイプのオタクだよ。
でも、彼はある意味で正解なんだよ。
その映画館で上映される映画。
普通の人が観ないマニアな映画ばかりだろ?
その劇場を経営するには、その支配人の「オタクの目」は必要なんだよ。
客もオタクやマニアばかりだからね〜」
なるほど、そうかもしれない。
オタクとかマニアとか言う人は自分なりの特殊な価値観で
全ての物事を観ることが多い。友人は無視した方がいいというが、
これまで「朝日」を見て、多くの人が
「福島の悲劇を痛感した....」といってくれているのだが
「テレビで見たのと同じ」
としか思わない日本人もいる。
「酷い」とも「悲しい」とも感じない人がいる。
いや、きっとたくさんいるのだと思うが、
そんな人たちにはどうすれば「福島の悲しみ」を伝えられるのか?
考えてしまう。
「想像力がないんですか?」という映画館主(6) [映画館公開に向けて]
友人に指摘された答えが出るのだが、
その後も真剣に支配人の反応を考えた。
映画で描かれた「福島の苦しみ悲しみ」を
「テレビで見たものばかり」
としか感じないその人。どういう感覚をしているのか?
「テレビでも見たけど、やはり酷いですよね」
と思うのが人ではないか? 或いは
「ニュースで見たほどの悲惨が出てない」
と批判するならまだ分かる。
が、「テレビで見たものばかり」=>「だから詰まらない」といいたいようだ。
そんな展開になることが分からない、というより彼の思考回路が分からない。
例えば、新聞報道を読んだ人が「テレビですでに見たものばかり!」
というのなら。意味は分かる。すでに知っている情報ばかりだからだ。
しかし、
報道されたものが映画化されたとき「テレビで見たものばかり」という言い方をするか?
「沈まぬ太陽」を見たときに「テレビで見たものばかり」という批評は聞かいない。
僕もあの日本航空の墜落事故のことは新聞等で読み知っていたが
それを改めて映像で、物語で見せられることで胸打たれ、涙が止まらなかった。
福一の事故も同じではないか?
その館主の意見はズレているしか思えない。挙げ句の果てに、
「想像力を使うってことがあるでしょう?」
上から目線で、指摘する。だが、
SF映画を作ろうというのではない。
想像力を使って別の原発事故を描くことに
どんな意味があるのか?
友人が謎解きをしてくれた。
(つづく)
「想像力がないんですか?」という映画館主(5) [映画館公開に向けて]
映画というのはテーマや意図がある。
プロであれば、それが何であるかを見抜き。
そこに到達しているかどうか?を見極める。
例えれば東京から大阪に行きたいのか? 北海道に行きたいのか?
それが無事に到着しているのか?を見つめる。
到着してなければ、映画として完結していないということ。
批判の対象となる。
だが、大阪が目的なのに「それでは沖縄に行けない」という批判は間違い。
目的地でないところに「行っていない」というのは批判にはなりえない。
その館主がいうのは、まさにそれ。
黒澤明監督がよくいった台詞だが、
「僕は赤い絵の具を使って絵を描いたのに、緑がないと批判する評論家がよくいるんだよ。
ほんとバカだね?」
その館主はそのタイプなのかもしれない。
映画スタッフは命がけで映画を作る。
映画館はその映画を観客に届ける。
大手映画館チェーンなら上から言われる映画を上映するだけだが、
単館は館主が自分の目で見て映画を選び
気に入った映画を上映する
その人のセンスや好みが反映される。
ほとんどの館主は「観客が喜ぶ、素晴らしい映画」を上映しようとする。
「映画を観る力」が必要だ。
もちろん、好き嫌いはあるだろう。
しかし、映画のテーマや本質を理解せず。
当て外れな批判しかできないのでは、「映画を観る力」があるとは言えない。
駄目というなら駄目で、ないものねだりではなく。
映画の方向性を見抜いた上で足りないものを指摘するのが「見る目」だ。
と真面目に考えていたら
後日。友人が、笑いながらこういった。
「その館主は****なんだよ!」
(つづく)
2013-09-09 19:00
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「想像力がないんですか?」という映画館主(4) [映画館公開に向けて]
パニック映画を作るなら、それでもいいが、
目的は原発事故の悲劇を伝えること
支配人の言うように想像力を使って別の原発事故を描いても
それは想像でしかなく、
パニック映画どころかSF映画になってしまう。
科学的な裏付けをしても、それは空想の域。
それではテレビでよくあるシュミレーションドラマである。
津波を想定したシュミレーション映像があるが
あれを見ても「へーーーー東京は水浸しか?」と思うが、ほとんど恐怖を感じず
やはり他人事で終わる。それは想像して作ったものだから。
一番伝わるのは事実。
だからこそ、福島の事故をそのまま物語にした。
なのに、館主は言う。
「想像力を使うってことがあるでしょう?」
しかし、そこで想像力を使うことに何の意味があるのか?
その館主は何を求めているのか?
理解できない。
パニック映画? シュミレーションドラマ?
そんなものを作る必要もないし、意味もない。
福島の事故を体感してもらうのが、この映画の目的。
支配人はそれが全く分かっていないので、そんな発言をするのだろう。
(つづく)
「想像力がないんですか?」という映画館主(3) [映画館公開に向けて]
呆れて何も言えなかった。
映画館の経営者。プロなのに、まるで映画の本質を理解していない。
褒めてくれなくてもいい。本質を理解した上で批判するのは受け止める
が、単なるないものねだりなのだ。
まず、この映画は福島で起こったことをベースにしている。
それによって原発事故の悲しみを伝えている。
舞台を湖西に移したのは、他人事にならないためだ。
その支配人さん。そのヘンが理解できておらず、
「福島ではない別の場所で原発事故が起きたのに、同じ展開ではおかしい」
というのである。
さらに「新聞やテレビ」で報道されて知っていることばかりと言う。
しかし、それは「情報」でしかない。それを俳優が演じることで
「情報」では伝わらない当事者の「悲しみ」や「苦しみ」までもが伝わる。
そこが映画の強みであり、ニュースでは伝えられないところ。
そして、もし、彼の指摘するように
「違う場所で描くのなら、もっと別の展開がある」
というのなら、福一の事故よりもっと酷い事故が描かれたり、
より大きな爆発が起こったりすればいいのか?
しかし、そんな架空の映画を作って何になるのか?
(つづく)