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「ジョジョー黄金の風」編、昔とは違う物語展開!アニメは進化している。 [YouTube]

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「ジョジョー黄金の風」編、昔とは違う物語展開!アニメは進化している。

最後まで見た。まあ、本当によく作っている!!僕も物語を作る仕事をしているので、余計に感心する。漫画やアニメの場合。正義の主人公VS悪の敵役というパターンが長い間続いて来た。簡単にいうと「マジンガーZ」のスタイル。やがて敵がパワーアップ。主人公が特訓、或いは新兵器を手にして勝利するという形。

それを崩したのはやはり「ガンダム」か?敵にも事情がある。悪や正義の概念はない。という方向を打ち出した。その後「エヴァンゲリオン」がさらなる進化を遂げるが、僕的には、その辺からアニメ作品を見る機会が減る。その頃からハリウッド映画の大きな成長が観られた。これまで「正義のアメリカ!」を誇り、日本アニメでいえば70代の価値観で物語を作っていたのに、90年代に入り、急激な展開を見せる。

一番は「ダークナイト」シリーズ。人を殺さないヒーロー。「スパイダーマン」も同様。さらに「ウォーキングデッド」でも悪役であるニーガンを処刑しないという展開。その彼が最終シーズンに向けて悩み、成長するという物語は、かつてアメリカではなかった。「悪い奴をぶっ殺せ」という野蛮な価値観がアメリカだった。

その後、日本のアニメはさらなる進化を遂げていた。「鬼滅の刃」だ。敵である鬼は元々、人間であり、可哀想な存在であったという設定。「ガンダム」の「敵にも事情がある」をさらに進めた発想だ。もちろん、70年代の「海のトリトン」の結末も同じ発想で作られていたが、当時の視聴者にはまだ理解しづらかったと思える。それを全編に渡り描いて、大人気となったのが「鬼滅」時代の進化を強く感じる。

その「鬼滅」の作家に大きな影響を与えたのが「ジョジョ」だ。それでアニメ版を見始めた。石仮面は「人が鬼になる」という「鬼滅」の設定のルーツだし、ディオは鬼舞辻無惨の原型だ。波紋は「呼吸」。さまざまな影響を感じる。が、一番は物語展開だ。「これでどうだ!」「いや、まだまだ」「では、これで止めだ!」「そうはいかんぜ」という大手!大手!の連続。

昔の「マジンガーZ」では戦いの間に主人公は1度、危機に陥る。が、その後、形勢逆転。勝利を得る。要はプロレスのスタイル。それがパターンだったが、「鬼滅」も「ジョジョ」も一つの戦いで何度も形勢逆転がある。視聴者は「えーーまだ終わらないの?」「あーこれはもう勝てないだろう〜」と絶対絶命の連続に何度もハラハラドキドキさせられる。

これは最終回のパターン。今まで無敵だった主人公が圧倒的不利に追い込まれる。死闘が続き、体がボロボロになる。「ウルトラセブン」なら「史上最大の侵略」。セブンの体が蝕まれ、戦う力が出ない。そこにゴース星人による世界規模の侵略。命をかけた最後の戦い。「マジンガーZ」なら暗黒大将軍率いる戦闘獣軍団の攻撃を受ける最終回。マジンガーが見るも無惨な姿になり、敗北する。

そんな最終回的な大盛り上がりの戦いを、通常エピソードでしているのが「鬼滅」であり「ジョジョ」なのだ。「鬼滅」は当初、順番に鬼と戦う展開だったが、後半戦と言える「無限城」編は完全に最終回の乗り!多分、昔ながらに次第に強い鬼と戦う展開では、読者が離れて行くと感じた編集者のアイデアとは思うが、後半戦全てが最終回の乗りには驚愕した。

だが、「遊郭編」もすでに最終回の乗りがあった。その後の「刀鍛冶の里」編。「柱稽古」編が従来の物語展開。そこで「最終回」スタイルを再び持ち込んだのだろう。対して「ジョジョ」も「第三部」から最終回の乗りを感じる。昨夜見た「黄金の風」編も、シリーズの途中からすでにそれだ。つまり通常、最終回は1回(せいぜい前後編)なのに、何話も(十数話も)最終回を続ける。これは面白くならない訳がない。

そんな展開のアニメショーンが主流になりつつあるように思える。まだ、分析が済んでないが「呪術廻戦」も似たような感があるし、「チェーンソーマン」は完全にそれ。従来の展開とはかなり違う。レギュラーと思えたヒメノ先輩が初期段階で、あんな形の結末を遂げるか?!と驚かされた。そして、マキマ暗殺計画。メンバーの大量死。これも最終回の乗りだ。

「ウルトラセブン」で秘密だったウルトラ警備隊基地が攻撃されたのも最終回。「仕事人」シリーズで仲間が死んで行くのも最終回。それをシリーズ初期でやってしまう。どの作品も過去から長く続いたスタイルではなく、斬新な展開をしている。それをメジャーにしたが「鬼滅」であり、そのルーツが「ジョジョ」ではないか?と思いつつ。昨夜の「黄金の風」編を見ていた。

ただ、あのシーズン。主人公はジョルノではなく、ブッチャラティではないか?と思えるほど、彼が中心に物語が進んだ。多分、作家が描いている内に、思いが彼の方に行ってしまったような気がする。その前のシリーズでも敵役のはずの岸辺露伴に作家の思いがかなり行っていた気がする。あるパートでは彼が完全に主人公だった。しかし、それを無理に主人公に話を戻すとおもしくなくなることがある。それは作家が乗って描いている証でもある。

そして、その物語スタイルはとても勉強になる。現在、僕はドキュメンタリー映画の編集をしているが、同時にドキュメンタリー番組を見まくっている。「Nスペ」などは昔からのスタイルが多い。オリバーストーンの「語られなかったアメリカ史」も期待して見たが、まるで大学の講義だ。教科書の朗読的な番組はやはり詰まらない。

アニメ(漫画)と同じように、今までとは違うスタイルで作品を作れないか?と考えている。「ドキュメンタリー沖縄戦」でも、それを少し実践した。退屈しないドキュメンタリー。観客に我慢を強いることのない作品。ドラマのようにドキドキして見れるスタイル。模索している。そのことはまた別の機会に書かせてもらう。

少し休んで「ストーン・オーシャン」編を見る。




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