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「朝日のあたる家」への道 第2章(前編) =「この映画に山本太郎さんに出てもらいましょうよ!」と言われた日。 [れいわ新選組応援]

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「朝日のあたる家」への道 第2章(前編)
=「この映画に山本太郎さんに出てもらいましょうよ!」と言われた日。

2011年。311で原発事故に興味を持った僕は、反原発デモや集会を取材した。参加するというのではない。どのような人たちが何人集まり、どのような主張をするのか?を知りたかった。

そんな一つ、代々木の公園で数万人が集まる大集会があり、行ってみた。超満員で入れず入口あたりでたむろしていると、1人の澄んだ目をした青年とすれ違った。遠くから見ても他とは完全に違う存在感。それが山本太郎だった。集会でスピーチするためにやって来たのだ。

何だか映画の一場面のような出会い。その後、彼と「朝日のあたる家」という原発事故の映画を撮ることになろうとは、その時は想像すらしなかった。集会やデモだけでなく、311当時の新聞記事、雑誌を遡って読み。原発関連の資料を漁った。次第にとんでもない事態であることが分かった。この辺りは何度も書いたが、そんな中で自分ができることを考えて映画を作ろうと思った。周りには大反対された。「原発映画を撮ると2度と商業映画は撮れない」と言われている、でも、撮ると決めた。

当時はまだテレビでも原発事故報道が盛んだったが、伝えられない事実もあった。また、報道は「情報」であり、被災者に同情はしても、本当の苦しみが伝わらない。物語にしかできないことがあるはず。そう考えて原発事故のシナリオを書き始める。執筆のとき、すでに俳優をイメージして書く。ある人からこう言われる。

「山本太郎さんにも、出てもらいましょうよ!」

実は考えていた。何より原発問題に真剣な人に出てもらえることで説得力が出る。それ以前に彼は「とてもいい役者」だ。ある映画で出演依頼をしようと考えたが、当時はもうNHKの朝ドラにもレギュラーで出演、国民的俳優で、ギャラの高い売れっ子。

僕の作る低予算には無理?と諦めた。その後、太郎さんの当時のマネージャーと会うことがあり、低予算をバカにせず「次、機会があったら言ってくださいよね」と笑顔で言われ感激。「あの時、頼めばよかったかなあ〜」と思ったりした。彼が事務所を辞め、反原発活動を始めてからも「朝まで生テレビ」ややしきたかじんの番組等に出ると知ると必ず見た。

いろんな意味で出て欲しい。その後、不思議なことが起こる。取材で行った場所で何度も太郎さんを見かけることになる。行く先々で出会うのだ。まるで神様がこう囁いているようだった。

「山本太郎に出演依頼をしろ...映画に出てもらうんだ...」

(つづく)


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