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【詰まらぬ批判に心を痛める必要はない。声なき声があなたを応援している】 [my opinion]

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【詰まらぬ批判に心を痛める必要はない。声なき声があなたを応援している】

Facebookやブログをやっていると、いろんな人からコメントやメッセージが来る。前も書いたが、Facebookの場合。友達が2000人を超えたあたりから、おかしなコメントや意味不明の攻撃が出て来た。これは2000人いれば、何人かのおかしな人がいるということなのだろう。

 記事を読まずに、タイトルだけ見て、反論をしてくる人なんかもいる。以前「原発はすでに収束したというある女性」というタイトルで記事を書くと「男性だって、そう思っている人は大勢います。女性蔑視です!」というコメントが来た。

タイトルをよく読めば分かるが「ある女性」と書いてあるように、ある個人についての記事であり、女性の全体が、或いは多くの女性が「原発はすでに収束している」と思っている記事ではない。さらに記事を読めば、その女性についての詳しい記述もある。それを読まずに、タイトルの意味もしっかりと考えず、早とちり「男性でもそんな人は多い!」と批判してきたのだ。

記事を読んでも内容を把握せず、これまた勘違いして反論して来る人もいる。先日アップした記事「人の能力&思考を知る方法。映画の感想を聞いてみるとよく分かる?!」というタイトルで、映画の感想を聞けば、その人の洞察力や考え方が良く分かるという話を書いた。それによって、その人が問題を起こす人か? ものごとをちゃんと見てる人か?を判断できる。「突っ込みどころかが多い」とか「リアリティがない」というような映画評をする人は問題があるという内容だ。なのに、こんなコメントが来た。

「客が上から物言うは道理。観せてやってる訳ではない限り…興行は辛抱が要る生業…プロでも無い奴は論ずるな!は老婆心ながら尊大な印象」「自分は監督だ。文句をいうなという奢りを感じました。自重された方がいいですよ。それでは人を感動させる映画など作れませんよ!」

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はあ? 何でそうなるの? コメントをくれた人たち。あきらかに勘違いしている。記事で指摘したのは一般の映画に対する批評から、その人の洞察力を探るというものであり。映画を批判はいけないというものではない。まして、「文句をいうな」てな記述はしていないし、思ってもいない。僕が書いたことが全く伝わっていない。つまり、コメントをくれた人は「この監督は自分がプロであるので、一般の人が映画を批評することに否定的。客が上からものを言うのは当然のこと。それを批判するあなたは尊大であり、傲慢ですよ」と僕に注意を促しているのだ。

この記事です=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-11-18-11
(試しに読んでみてほしい。「プロでない者は論じなる」というのが趣旨ではないこと。すぐに分かる)

んーー全く、書いてもいない、思ってもいないことを「あなたのために、注意しておきます」てなニアンスでコメントしてきた訳だ。そもそも、僕は批評は自由だと思っている。誰が何をいおうと構わない。ただ、その映画の本当に意味やテーマを見抜けず、上っ面だけで判断している人が多い。さらには、深い部分を理解できていないのに、本質を分からないことに気づかず。当て外れな批判をして悦に浸る映画ファンというのも多い。結局、その種の人は洞察力や物事を把握する力が低いのだ。

なので、映画の感想を聞けば、その種の能力が分かるという記事。「批判するな」とか「プロでないものは論じるな」とは書いても、思ってもいない。いってもいないことをコメント主は「尊大だ。傲慢だ」と批判する。つまり、そのコメントをくれた人もまた、見た映画を勘違いな批判する洞察力のない人たちと同じで、文章を正確に把握できず、勘違いな批判コメントをしてきた訳である。

何とも分かりづらく面倒くさい説明をしたが、そんなふうに書いてもいないことを「親切心」を持って注意してくる方もいる。コメントを読むと決して悪意はない。とても真面目に僕のことを心配して「映画監督をやってる人なのに、これではいけない。注意して上げないと!」というニアンスを感じる。以前、その種の人に誤解があることを返信したことがあるのだが、いずれからも返事はなく。或いはさらなる誤解を呼び、より強い勘違いな批判が返って来た。

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それ以降は無視している。Facebookで繰り返し批判コメントしてくるようなら「友達」から削除する。が、この種の人たちは一体、どんな生活をし、どんな思考をしているのか?興味がある。あるとき、調べてみたのだが、決して頭のおかしい人たちではなく、通常の生活をしていた。決まった仕事を持ち、まじめに働いている。性格も温厚。

ただ、熱いところがあり、思い込んだらまっしぐら!な性格。言い出したら聞かない。「この監督は分かってない。俺が注意して上げないと!」とコメントをしてきたようだ。つまり、「自分は正しい」と信じ込んでいる。憎めないが厄介。関わると、時間も労力もかなり取られる。

僕が現在、勉強中の「ボーダーライン」とは違うし、病気ではない。そして、近い部分を持った人は多い。Facebook上でも人が書いた文章を読むと「何、偉そうに!」とか「そうとは限らないだろう?』と思う人も多いはずだ。が、その多くはわざわざ批判のコメントを書かない。それを書くという「労力」はいったいどこから来るのか? 正義感とかまじめさ。或いは「俺がいって上げないと!」という義務感や「思いやり」(?)だろう。

そんな人たちから頻繁にコメントやダイレクトメッセージが来るので、ときどきネットはもう止めようか?と思うこともある。当て外れの文句を言われるために記事を書くことに意味があるのか?と思う。が、実は、僕の記事を読み、感動したり、納得してくれたりする人も多いこと。あるとき知った。記事を楽しみにしてくれている人も数多くいるのだ。

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ただ、その人たちは賛同のコメントはくれない。「この意見は凄くよく分かる。賛同したい」「んーなるほどなー気付かなかった!」と思い「次回も楽しみだ!」と完結する。だから、コメントはしない。それに対して先のようなタイプの人は「一言いってやろう」「この人分かってないわ」と時間を費やし、労力をかけてコメントしてくる。

なので、僕の方は批判や中傷コメントばかりが目につく。けど、実はそうではない。サイレント・マジョリティがいて、多くの支持者がいること。以前に気づいたのだが、その話を最後にする。「もう、Facebookは止め!」と思ったとき、一通のコメントをもらった。

「いつも記事を楽しみにしています。監督の文章には気づかなかった指摘や情報があり。毎回、なるほどと思います。でも、今までコメントしたことはありません。が、Facebookをやめるかも?との記事を読み残念です。いろいろご事情もあり、心ない批判も多いことも聞いております。続けてくださいとは言えませんが、またFacebookを再開されること楽しみに、お待ちしています」

もう、何年か前になるが、そんなコメントをもらい、あーそういう人もいるのだと思った。人は見えるものに囚われ、悩んだり、傷ついたり、絶望したりするけど、実は多くの声なき声が応援、支持してくれていて、批判否定してくるのは極々一部の人たちでしかないこと。気づいた。それから「友達」はさらに1000人増えて3000人近くなる。これは僕だけの話ではないだろう。きっとあなたも同じ。多くの人があなたを見つめている。声は出さないがあなたを応援している。だから、詰まらぬ批判や中傷は受け流そう。そんなふうに思えている。


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