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【他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。自分のいいところを探せ!】 [my opinion]

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【他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。自分のいいところを探せ!】

もう、20年ほど前になるが、アメリカ留学から戻り、映画監督デビューを目指してシナリオを書いていた時期がある。自分で考えたオリジナル・ストーリーをシナリオに。まだ、パソコンもない時代なので、原稿用紙に手書き。

夜、アルバイトを終えて帰宅。朝まで執筆。昼前に起きてバイトへ。という生活をしていた。が、シナリオを読んでくれる業界の人は少なく、読んでもらっても全否定の批評が返って来た。

最初の頃はショックで「僕は脚本家に向いていないのか...」と落ち込んだ。でも、何度もシナリオを見てもらっていて、気づいたことがある。「才能ないんじゃない?」という人が結構いたことだ。

その話は以前に書いた。「才能」なんて存在しない。現在、映画監督として仕事をし、様々な業界で活躍する第一線のアーティストとお会いすると、まさにそのことを痛感する。「才能」ではなく「センス」や「素質」を持つ人が物凄い努力をして素晴らしい作品を作るのだ。

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なので当時から「才能」という言葉を使う人は胡散臭いと思えた。注意して聞いていると、自分で何かを作ったことのない人が多い。そして、僕が書いたシナリの「題材やジャンルに興味がない」人が言う事が多いと気付く。

また「おもしろくない」というのは分かるが、作家に対して「才能」がないというのは、クリエーターとして根本的な否定。アーティストを目指す人たちは大いに傷つくだろう。でも、そういうことではなく「趣味が合わないからダメ」ということなのだ。それを表現するために「才能がない」という言葉を無神経に使っているだけだと分かって来た。最初は「業界の人に全否定された....」と落ち込んだが、背景が分かってくると気が楽になる。

そして多くの人にシナリオを読んでもらうと、否定する人が共通して使う言葉があることも分かってきた。もちろん、僕のシナリオは大したものではない。否定、批判されて当然だ。が、批評を聞いていると「あれ?」「何で?」というものが多かったのだ。

一般の人が映画を見て「何か詰まらない!」「大したことない!」と批判するのは自由。だが、映画業界で仕事する人が同じレベルの批評をするなら問題だ。なぜ、詰まらないのか? 何がダメなのか? それを分析し、テーマを推察して、それに到達している、していないを判断。言葉にすることが、彼ら彼女らの仕事だ。

旅行に例えると「沖縄に行きたい!」と言っているのに「だったら、電車で行くのが早いわよ」とアドバイスしないし。「北海道に飛行機で行きたい!」というのに「それじゃ九州へは行けないよ」と批判しない。

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つまり目的地(テーマ)がどこか?を把握しないと、批判もアドバイスもできないのだ。映画も同じ。テーマを把握した上で、それが描けているか?を判断するのが本来の批評。それができない人が業界には多いこと分かって来た。

「才能ないと何度も言われたけど、実は見る目がない人が多いんじゃないか?」

次第にそう思えて来る....。そんな人たちの批判を真に受けて、落ち込んでいてはいけない。プロだろうが、ベテランだろうが、業界の大手で働く人だろうが、当て外れな批判をする人たちの言葉を受け入れても、何らプラスにならない。そのことが分かって来た....。そして彼らは特定のいくつかの言葉で批判するることが多いのに気付いた。3つある。

1つめは「リアリティがない」

2つ目が「ひねりが足りない」

3つめが「よくあるパターンだ」

これはどんなシナリオや映画に対しても言える。そんな言葉を使えば一見、プロの批評をしているように聞こえるが、見る目のない人が深く考えず、安易に批判し、上からものをいうのに便利な言葉でもある。それを別の意味で捉えると「私は想像力がありません」「僕は物語の本質は見抜けません」「俺は見る目がありません」ということだとさえ思える。

(それぞれの言葉がなぜ問題なのか?はブログで詳しく解説している)=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305128307-3

それで楽になった。シナリオを読んで否定されても、その種の言葉を使う人であれば「ああ、この人に読む力はない。批判されても問題ない」と判断できた。そう、シナリオでも、小説でも何でも、読んでもらうのは力量を判断されるので、緊張するし、批判されればショックを受ける。

が、読む方も試されているのだ。読む力、想像力がない人は正当な批評はできず。自らの力のなさを露呈してしまう。「映画界に読む力がある人が少ない」そう思えたので、映画以外の世界で働く人にもシナリオを読んでもらった。

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念のために補足するが「俺の素晴らしいシナリオを理解できる奴がいない!」というのではない。当時、僕が書いていた作品は未熟ものである。しかし、正当な批評をしてもらわないと、何が足りなくて、何が悪いか? どこがいいのか?を分からない。客観的に観て指摘してもらってこそ、実力は伸びるのだ。その意見を別の分野に求めることにした。

その後、出版、音楽、マスコミ、そして映画ファンの友人などにシナリオを読んでもらうようにした。その人たちの批評でなるほど!というものを取り入れて、シナリオを書き続けた。スタートから5年後に脚本家デビュー。その後、監督した映画4本全てのシナリオは僕のオリジナルである。「太田監督の映画は毎回泣ける!」と多くの方が褒めてくれるが、デビュー前は否定の連続だった。今思うと、業界のプロデュサーたちに全否定されたのだから「僕にシナリオは無理だ」と諦めていてもおかしくなかった。

ただ、彼らの言葉の全てを受け入れなかったこと。そして批評をよく考えると、読み手に想像力がない、新しいものを理解できない。自分の趣味と客観的判断をごちゃまぜにしている人たちが多いと気づいた。そんな人たちの言葉を信じる必要はないと考えたことが幸いした。

同じことは他の業界でも言えるだろう。「才能ないんじゃない?」「よくあるパターンだよ」「リアリティがないんだよね」そんな言葉で新人たちを否定する人は多い。いや、業界に限らず。想像力がない人、現実を知らない人ほど、安易に人を批判し、他人を否定しているところがある。人の言葉に振り回されてはいけない。自分のいい部分を探し、延ばすことで道は開けるだから。

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