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映画「無伴奏」ー1960年代がリアルに蘇る! [映画感想]

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 1960年代後半から70年代というのは、僕の子供時代だけど
あの頃の空気というのはよく覚えている。連日、テレビで放送される
日米安保反対のデモ。大学生になれば、デモに参加でき、火炎瓶投げたり
できると思い楽しみにしていたのに、小学生を上がる頃には日本は
平穏な国になっていた。非常に残念な思いをしたので、その思いを自分は
映画にぶつけているのではないか?と考えたりする。

 でも、あの時代。学生たちは燃えていたように見えるけど、同時にどこか
冷めているー空虚を感じていた時代でもあった。そんな頃の若者を描いたのが
「無伴奏」だと思える。実はあの時代。学生運動が盛んなのに、支持される
漫画やドラマはクールなものが多かったように思える。あるいは、皮肉を込めた
もの。

谷岡ヤスジの漫画「アサーー」の鳥も、「鼻血ぶー」もそうだし、大学生に
人気があった「ガロ」の「カムイ伝」も同じ。どこか巨大な権力や時代の動きに
翻弄され、個の力ではどうすることもできない無力感も漂っていた。「銭ゲバ」
もそう。演劇でも 状況劇場や天井桟敷の人気もそれが背景にあったような気がする。

 その時代感を「無伴奏」は実に見事に描いていた。70年代後半とも、80年代とも
違うあの時代。日本映画というより、アメリカ映画のイーストコースト作品を
見る感じがあった。「グリニッジビレッジの青春」「ラストショー」
ジャンルは違うが「ディアハンター」のカラーさえ感じた

 何よりも先に挙げた虚無感。あの時代を象徴している。同じ時代を描いた「いちご白書」
でもそうだが、学生運動に参加するが、どこか本気になれないところがあり、恋に落ちていく青春。
 そして、「無伴奏」では単なる男女の恋だけでない、それまでもが愛であり自身の
存在意味であるという部分はとても興味深い。人が存在するということ。自分の意味を
問いかけるとき、それを確認するのはどんな形であれ「愛」なのであり、時代がいつであれ
それから逃れられないことを描いているようにも思える。


 「向日葵の丘」に出演してくれた藤田朋子さんと、「朝日のあたる家」の斎藤とも子さん。Wともこで出演している。プロデュサーは「向日葵の丘」のアシスタント・プロデュサーだった登山さん! がんばっています。全国で公開中。







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