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「友達」「野次馬」「ルールの違い」ネット世界は生きにくい? [FB問題]

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 映画公開時。情報発信のために時間が取られるのは仕事上、仕方ないことなのだが、Facebookは会ったこともない「友達」とのコミニュケーションにも時間を取られ、振り回されることが多いのが問題だった。いや、本来そこは、知らない人とも交流を持てる場であり、それを楽しむサイトなのだが、僕の場合はそうならなかった。Facebook問題。今もときどき、いろんな方向から見つめ直してしまう。

 何度も何度も何度も書いたが、

 いろんなコメントが書き込まれる。「悪意ある」コメントであれば、即削除するのだが「応援」のつもりが大いなる勘違いで結果的に批判や中傷になっている人もいて、それを削除するのは気が引ける。といって誤解の理由を伝えるのも時間と労力がかかる。

 そのコメントを削除しないと、それに賛同する人。或いは反対する人がコメント欄で議論を始める。そもそもが勘違いな意見。それを議論するのも無意味。で、最初の勘違いコメントを削除すると、本人が「ひどい!応援しているのに」と怒り出す。結果、誰も悪意がないのに、無意味なことであれこれ揉めたり、トラブったり、怒り出したり、それを気に病む。

 「気分の悪いコメント。同じ人から毎晩来るけど、どれも勘違い。その内、とんでもないこと書きそうだな......でも、今、友達削除したら、大騒ぎするだろう。といって、なぜ、あれこれ指示してくるのですか?と訊くのも角が立つなあ。文面からは僕を応援しているつもりだと分かるんだけど、プライベートや考え方をあれこれ言われてもなあ...」

 心配しなくてもいいことを心配せねばならなくなっていた。本来の映画情報を発信するというのとは違う問題が大きくなる。気に入らないことがあると、自身のタイムラインで僕に対する批判記事を書いたり、ダイレクトメールで「***の記事は書かないでください」とか「もう少し謙虚にならないと、映画監督として大成できませんよ!」とか伝えて来る「友達」もいた。

 「考え過ぎじゃない?」とコメントを書き込む人もいた。

 それ一言だけ。どういう人か? どういう立場で書き込んだのか? もちろん「友達」だが、会ったことのない人。年齢も、仕事も経歴もプロフィールにはない。ため息が出る。反論するなら、記事が気に入らないなら、もう少し伝わる文章を書くべきだ。

 それが「考え過ぎじゃない?」の一言。ま、以前のように延々、反論を書かれても適わないが....。でも、もう、これは誰が悪いではなく、もう個人が運営するネットサイトのキャパを超えていたのだと思える。


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 人気アイドルや有名俳優はFacebookはしない。

 なぜなら、多くのファンからのコメントや質問が直接本人に届いてしまうからだ。そうなると、僕のケースどころではなく、いろんなトラブルが起こってしまう。仕事やプライベートに関する質問が山ほど来る。答えるのに膨大な時間がかかる。答えられないこともある。

 一般の人は芸能ニュースに毒されていて、普通なら人に訊かないことを芸能人には平気で質問する。答えないと「冷たい!レポーターには答えるのに!」と批判する人も出て来る。あれこれアドバイスが来る。お礼をいうにも膨大な時間がかかる。応えないと「冷たい。応援しているのに!」と言う人もいるだろう。

 ブログなら掲示板感覚。読者もそれほど返事を期待しない。が、Facebookは掲示板ではなく、チャット感覚。距離の近さが魅力のサイト。だから、思いついたことをすぐにコメントできる。タイムラインが流れて行くので、残るという認識が薄い。

 深く考えずに思いつきでコメント。

 そうなると、応援が批判になったり、アドバイスが中傷にもなってしまうこともある。そんなことが多発するから、人気アイドルや俳優、そして著名人はFacebookをしない。距離が近いことが問題を起こすからだ。僕はもちろん、アイドルでも、有名人でもないが、構図としては近いものができてしまったのだ。

もちろん、応援してくれる人。映画情報を拡散してくれる方。記事を楽しみにしてくれる「友達」も多い。現実世界の友達もいて応援してくれている。でも、同時に、あれこれ文句を言いたい人。誤解や思い込みで批判して来る人。興味本意であれこれ言ってくる人たちも数多く集まってしまった。

 映画を応援してくれる訳でもないのに、あれこれコメント。批判や中傷にエスカレートしがち。つまり「野次馬」というべき存在。人が喧嘩しているのを見て「やれ!やれ!」と叫んだり、火事の現場で「燃えてる!燃えてる! ははは〜」と喜んだりするような人たちだ。

 だから、無責任なコメントができる。でも、悪意がない。ただ、他人事として、おもしろおかしく見つめているのだろう。2000人を超えたあたりから、その種の人も増えて行ったのだ。つまり、そんな「友達」ともFacebook上で対応せねばならなくなったのだ。

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 さらにフォーカスすると見えて来るのは、

 映画界のルールと一般世界のルールの違い。カルチャーギャツプというか、価値観の違いがあり、距離感が近いことで軋轢が生まれてしまう。例えば、一般の人にとって芸能人のゴシップは日常会話だろう。でも、僕らにとってそれは仕事をする仲間のプライベートであり、おもしろがることはできない。それを訊かれても答えることはできない。

 他にも様々なことがある。それを同じ土俵で語り合うことはむずかしい。映画界では絶対に許せないことでも、一般社会では問題がないこともある。その種のことが関わる問題を「友達」から指摘や忠告をもらっても、イチから業界のルールや価値を説明することはできない。

 その「友達」も一般論としては間違っていない。そう考えると、Facebookという場での交流そのものが問題なのだと思えて来た。そんなこともあり現在、休止しているのだけど、

 これはFacebook問題だけではない。

 同じ状況は現実の中でも存在する。様々な側面があり、そのひとつひとつの面を考えているのだけど、「在り方」を再考せねばならない時期だということなのだろう。では、どこへ向かえばいいのか? どう在るべきなのか? 考えねばならない.....。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-01-22

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