Facebookを休止して2日目。禁断症状? [FB問題]
Facebookを休止して2日目。
今までは朝起きると寝たまま、まずiPadを手に取り、Facebookをチェックしていた。このサイトだけで、内外のニュース。仕事仲間の近況、「向日葵」情報、友人の動向必要な情報のほとんどが分かるからだ。
起きて朝飯を食べながら、今度はパソコンに向かいFacebook用の記事を書く。基本、「向日葵」宣伝のため。自分の行動も書く。それによって、関係者、応援してくれる皆さんに「向日葵」情報だけでなく、僕の近況も届く。一人一人にご報告する余裕がないので、とても便利。そんなFacebookを1日。何度も確認。外出しても時間があれば見る。
「あ、今朝の記事。評判いいな!」
「A監督は海外の映画祭に行ってるようだな」
そんな情報も分刻みで届く。しかし、以前に書いたような理由で、そして「向日葵」公開終了の機会に休止した。それから2日。朝、起きると習慣でiPadを手に取ってしまう。画面を見るがFacebookのアイコンがない!
「あれ? あっ、休止したんだ」
仕方ないから、メールチェック。受信なし。ということで、テレビを付ける。そう言えば、昔は起きるとテレビを付けていたようなあ。朝のワイドショーを見ながら、朝食。ついでに、このブログを書く。Facebookは休止したが、こちらは続けている。もともと、ほぼ同じ記事をアップしていたので、この辺は同じ。
外出する。電車内なんかではよくiPadで「Facebook」のタイムラインを見ていたが、それができない。久々に窓外を見て過ごす。いつも暇があればFacebookを見ていたので、それが見れないとヘンな感じ。でも、それはFacebook中毒になっていた気もする。休止した一番の理由はそこにある。
というのも、先に書いたように「友人の近況」等が分かるのは便利だが、3000人も「友達」がいると、流れて来る情報のほとんどが、会ったことのない人。その人たちの近況。そして動物の写真。ランチの写真。等がほとんどで、友人の近況はごくたまに流れてくるだけ。
情報も「おお!」というものは少なく、ほとんどが知らなくても大丈夫なもの。そうなると、Facebookに費やす時間のほとんどは、それほど重要でないことを見るためということになる。だったら、1日1回だけ見ればいいのに、なぜか、時間があると延々と見てしまう。これは中毒症状ではないか? そのことはいずれ書きたいが、パチンコと同じような症状になっているように思えた。そこでFacebook休止してみた。
果たして禁断症状は?
1日目は「あれ?」という感じ。iPadを手に取ってから思い出す。習慣になっていることを感じる。タバコを禁煙した直後のような感じか?2日目は少し自覚が出て来るが、***さんどーしてるのかな?****君は年末も仕事かな? とか考える。
彼ら、彼女らは毎日の行動をFacebookに上げているので、それが分かったが休止すると、それも分からない。なるほど、その辺は便利だったところだが、よく考えると、友人の行動を毎日把握する必要が、あるのか?ということもある。
昔は、仲のいい友人でも、何ヶ月も音信不通だったりしたものだ。でも、一度、Facebookを体験すると、それが分からないことで寂しさも感じる。1人だけ別の国に行って生活しているような気がする。逆にいうと、Facebookをやることで、友人の行動を知り、寂しさをまぎらわせるという効果もあったのだろう。いろいろと、見えて来る。
2015-12-28 22:17
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