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「私は原発反対でも推進でもない。中立です」という人たち [【再掲載】]

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 「私は原発反対でも推進でもない。中立です」

という人がいる。僕の友人にも多い。それなりに賢い奴がそういう。だが、「中立」って何?「原発を反対しません。といって推進もしません」てこと? つまり現状維持? 「増やすのは反対だけど、現存の50基の原発は認めます」ということか? ヘンだ。そもそも「中立」なんておかしい。

 例えば戦争でアメリカ軍に着くか? ドイツ軍に着くか? 「でも、私は中立」というのはある。が、原発に反対か?賛成か?の間に中立は存在しない。実はその種の発言をする人は、原発にさほど興味はないことが多い。原発反対の人と対面したとき「お前は推進派か?」と批判されたくない。といって「原発反対」と声高らかに叫ぶ人たちに良い印象を持っていないので「中立」といい、議論に巻き込まれないようにしようとしているのだ。原発に関心がないのが本音。

 しかし、中立ということは無党派層と同じ。

何もしないということ。先の参議院選挙と同じように、推進派に力を持たせるという結果にしかならない。何も言わないということは、彼らの意思とは別に推進派を認めるということになる。

 ただ、気になるがなぜ、彼等は「中立」と平然と言えるのか? 「私は原発反対でも推進でもない。中立です」という人たち。それなりに出来る人の場合が多い。単なる無知ではない。理由は原発事故がここまで深刻なことになっていると知らないから。原発問題は自ら進んで情報を仕入れないと、本質が分からない。

 テレビや多くの新聞を見ているだけだと

「福島はもう大丈夫。事故は収束した」と思ってしまう。「電気が足りない。原発は必要」と考えてしまう。中立の彼等は福島の事故は踏まえているが、興味を持つ機会がなかったので、どれだけ酷い事故か分かっていない。同じことがまた起きるとは考えてない。他人事。だから、涼しい顔をして「中立」と言える。

 この種の人たちにも、やはり「福島の悲劇」を見つめてもらうこと。大事だと思える。賢い彼等が現実を知れば、自らがどうすべきか?答えはすぐに出るはずだ。


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