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小出先生や山本太郎さんに頼る前に、まず自分たちの力でやるべきではないか? [自主上映]

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「朝日のあたる家」日本各地で上映したとき。応援してくれる方々と接する機会があった。また、反原発活動をする方々(といっても、多くは主婦の方々だ)も応援してくれ、お話することもあった。そこで、たまに聞いた話。

「小出先生に講演会をお願いしたんですけど、忙しくて駄目で」「山本太郎さんに連絡したんですけど、スケジュールがいっぱいで」「だから、何もできないんです」というのだ。????

何で小出先生と太郎さんなんですか? と訊くと「他の人を呼んでも人が集まらないんですよ」という。それって違うんじゃないの?と思う。そりゃ、あのお2人なら人気も信頼もあるから、人が集まる。でも、コンサートをしようというんじゃない。原発問題を伝えるのが目的。それなら、他にもいろんな先生方がいる。

それに人が集まらないというが、人を集めるのが、その団体の仕事ではないか?小出先生人気、太郎さん人気で人を集めたいというのは分かるが、それが駄目なら何もしない=は違うだろう。講演会に来てくれる方を選び、宣伝し、会で原発問題を伝えるのが、その団体の目的ではないか?何か自分らは楽して、原発問題を多くの人に伝えたいという姿勢に見えてしまう。

「朝日のあたる家」自主上映でもときどき、そんな依頼がある、「上映会をしたら監督はノーギャラで来てくれますか?」「儲かったら、レンタル料を払うという形でいいですか?」「タダでレンタルできませんか?」自分たちはリスクを負わずに、上映をしようとしている。もちろん「朝日」を上映してくれるのは嬉しい。

依頼人も「この映画で福島の問題を伝えたい」と真剣に思ってくれている。が、一部の人たちは自分たちはなるべくリスクを負わず。赤字は抱えたくない、安くしてくれ、監督にタダで来てほしい。という要望を出してくる。その前にもっと自分たちが出来ることがあるはずだ!


「朝日」を作るときだって、多くの人がボランティアで働いてくれた。でも、スタッフ、キャストにタダで出ろとは言わない。機材のレンタル料もいる。弁当だって金を払う。多くの人が時間と費用と労力をつぎ込んでくれて完成できた。全てタダで出来た訳ではない。多くの人の努力と知恵で完成させたのだ。その映画を管理して、宣伝する。映画祭への出品も続く。それら費用は払わなければならない。レンタル料はそれに使う。決して、儲かってはいない。

なのに、タダにしてくれ、安くしてくれ、でないと上映会はできないという。先の「小出先生や太郎さんが来てくれないので何もできない」という人たちと同じ。もっと考えよう。みんなで話をしよう。アイディアを出し合おう。必ず方法はある。

まず、分かってほしいのはどんなことでも、どんなイベントでも、自分たちがリスクを背負わずには何もできない。相手に努力を要求する前に、自分たちが行動しよう。でなければ、前には進めない。原発問題だけではない。町おこしでも、地域活動でも、何でも同じだ。人を動かすにはまず、自分たちが汗を流すことだ。そんなことを感じる。


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