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地方映画 [完成披露上映会に向かって]

 映画公開前になると、いつも思い出す話がある。

 友人の監督。僕の映画作りを参考にして古里で映画を作った。

 古里への愛と、古里への応援歌となる映画だ。

 地元の方々の支援とボランティアスタッフに助けられ完成した。

 映画の公開数週前に地元入り。

 だが、町のどこにもポスターは貼られていなかった。

 地元の実行委員会に連絡したが、

 誰もが「忙しい。時間がない」という返事。

 「監督。がんばってくださいね!」

 という人もいた。が、それは違うだろ。自分たちの町の映画だ。

 なぜ、何もしない。なぜ、「監督がんばって」になるのか?

 彼は古里の人たちの励ましのために映画を作った。

 それに賛同して、地元は応援した。なのに「忙しい」「がんばって」

 人ごとのように言う。

 東京の製作会社に連絡すると、「宣伝は地元に任せています」としか言わない。

 低予算作品なので、宣伝会社はつかない。

 地元で宣伝活動をするという話になっていた。

 なのに映画公開直前に街角にポスターも貼られていないなんて、どういうことか? 

 友人の監督。1人でポスターを持って、商店街に行き交渉貼らせてもらう。

 東京から高速バスで何度も地元まで行き、

 ビジネスホテルに泊まりポスターを貼ってまわった。

 地元、実行委員たちは「監督がんばってるねえ」と言っていたが

 誰も手伝いには来てくれなかった。

 ときどき、店の人に言われた

 「え? 監督さん! ポスター貼りに来たの?」

 驚かれた。

 「何で、監督さんがやってるの?」

 そうと訊かれる。実行委員たちは何をやってる!ということになるので

 「実行委員のお手伝いの者ですけど」

 といって訪ねるようにした。

 それを聞きつけて、地元のある人から連絡が来た。
 
 「明日は時間があるので、ご一緒します! どこへ行きますか?」
 
 支援者の一人だった。

 年配の60歳を超えたその人が土日。仕事が休みのとき。

 一緒にポスターを貼ってまわってくれた。

 友人はその夜。ホテルの部屋で泣いた。

 そこから、少しずつ応援団が増えて来て、やがて街宣車まで使い宣伝。

 映画公開の日を迎える。

 公開初日には実行委員たちが集まった。

 皆、映画を見てこういった。

 「あ~感動した! お客もたくさん入ってよかったね」

  喜んでいたという。

  でも、友人がポスターを貼ったりして宣伝していたことを知る委員は少なかった。

 よく分かる話だ。

 地方に限らず、一般の方は膨大な宣伝という渦の中に生きているのに

 宣伝という概念がほとんどない。

 映画を作れば映画館でかかると思い込んでいる。

 信じて疑わない。

 宣伝費がないことを知っているのに、

 宣伝会社なんて雇えないのに誰かが宣伝してくれると思い込んでいる。

 誰がするのだ?

 映画が公開されれば、放っておいてもDVDになると思う。

 お店に並ぶと思い込んでいる。

 友人はそのことを何度も説明したそうだが、何度説明したのに、

 結果は誰も宣伝活動はせず。お客になってしまったそうだ。




 もっと酷い話もある。
 

 友人は町興し映画を監督。地元の協力でいいものが出来た。
 が、実行委員は撮影が終わると「終わった終わった」といって去って行き。
映画公開前になると何もしなくなった。何もというと語弊がある。
 チケットを作り。売って。チラシとポスターも作り貼り出した。そして試写会も
行った。

 が、試写会が終わったとたんに町に貼られたポスターは全て外され
チケットも数ヶ月前に売られたていたので、公開の日を知るものはいなかった。
 多くの人は試写会ではなく映画上映会だと思って、映画は終了したと思い
ポスターを外した。実行委員もそれに気づく者はなく。チケットは売ったから
仕事は終わった。放って置いても映画館に行くと考えた。

 でも、数ヶ月前に買ったチケット。公開日も書かれていないチケットで誰が
映画館に行けるのか? 何の告知もされず。映画は公開。初日はガラガラだった。
俳優の舞台挨拶が悲しく見えた。
 監督である友人は「映画を見てください!」とあちこちでチラシを配ってまわる。

 すると委員の1人が地元関係者に「監督が越権行為をしている。許しては
いけない!」と書いたものをFAXしてまわった。
 中には「余計なことをするな」と彼に連絡してくるもの。「お前の行為は恩人を踏みつけ
にしているものだ!」と意味不明の怒りをぶつける者もいた。友人は宣伝を禁止された。

 こういう人もいた。
 「監督はよほど自信がないんだなあ。いい映画なら宣伝なんかしなくて
客は来る者だ。黙ってそれを待つの男というものだ」
 呆れてものが言えなかった。この時代。宣伝もせずに客は来ない。宣伝して多くの客が
来て初めて口コミも広がるのだ。さらに、現在のシネコン方式は客入りが悪いと2週間で
上映終了。口コミが広がる前に上映は終わる。そのときも映画館側は2週間で上映終了を
決めようとしていた。

 不入りの話は実行委員会の人たちの耳にも入った。友人は「彼等もさすがに宣伝を
始めるだろう」と思ったら、こう言われた。「客が来ないのは映画が詰まらないからだ。
だから、客は来ない。オレたちはチケット売った。おもしろい映画なら客は来る。来ない
のはお前が監督として駄目だからだ」まるで分かっていない。先にも説明したが、原因は
簡単。映画が上映されていることをチケットを買ったほとんどの人が知らないのだ。
 チケット売った=客が来るにはならないこと。彼等に理解できないということ。
そんなとき。

 「こんないい映画をこのままにしたら駄目だ!」

 と立ち上がった若者たちのグループがいた。彼等は映画館前でキャンペーン。
街宣車も繰り出して大宣伝。ラジオにも売り込み。チラシを学校に大量配布。
 そこから客足が上がり、口コミで「感動する映画」と伝わり、日に日に客が増えて
大ヒット。1ヶ月上映延長となった。支配人が「初日に客が入っていれば3ヶ月以上の
ロングランができたのに」と言われたそうだ。

 以上の2つの話。地方で映画を撮る監督。町興し映画を作る友人から似たような
話をよく聞く。僕も似たような経験がある。
 地元で作った映画を地元の人が見れないというほど悲しいことはない。
また、町を盛り上げよう、PRしようと作った映画をなぜ宣伝しないのか? 
 つまりは、「宣伝」という概念がなく。作れば映画館でやってくれる。誰かが
宣伝してくれる。口コミで広がる。ほとんど他力本願で片付けてしまうのだ。

 そんな背景は想像が着く。しかし、分からないのは市民で作ったの映画だ。
古里をアピールする映画だ。そんな古里愛があれば、自分たちが参加して作った
作品を「見てほしい」という思いがあるはずだ。
 なのに「おかしいな。なぜ、客が来ないんだろう」とか「映画がよくないから
来ない」などと責任逃れをするのか? 「それより宣伝をしよう!」という発想に
なぜならないのか? 完成しただけで「よかった!よかった」でなぜ、終われるのか?

 僕もその種の人をたくさん見て来た。あれほど撮影中は応援してくれたのに、終わると
多くが去って行き。他人事になる。映画館へはお客さんとしてやって来る。
 誰のための映画か? 何のために参加したのか? なぜ、あれほど厳しい思いをして
応援したのか? 答えはひとつ。町の人たちが映画を見て喜んでほしいからではないか?
古里を見つめてほしいからではないか?

 そんことを考える。今回、湖西市の支援者の方々。撮影が終わったあと、今度は上映会
のために、がんばってくれている。本当にありがたい。全ては映画を観客に見せてこそ完結
する。みなさん。本当にありがとうございます。上映会は間もなくだ。


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