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不可能実行指令〜12月から9ヶ月間。怒涛の記録?! [乙女たちの沖縄戦]

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不可能実行指令〜12月から9ヶ月間。怒涛の記録?!

9月になった。怒涛のような9ヶ月。全ては昨年の12月からスタートした。「来週から沖縄取材に行ってもらえますか?」という連絡。「はあ!?来週〜」1週間で取材。帰京して5日でシナリオ執筆。さらに取材したドキュメンタリーパートを1ヶ月で編集。最後の編集だけは1ヶ月では無理。ノーギャラで3ヶ月かけて作業した。

制作会社がピンハネしているのではない。文化庁から降りた支援金があまりにも少ないのだ。まともな作品が作れる額ではない。が、文句を言うのではない。例え僅かでも本格的な沖縄戦映画を支援してくれることはありがたい。企業や映画会社はこの手の作品には決して出資しないからだ。

2、3、4月と編集。完成したのは初夏。ここから配給。スタート遅すぎ、東京の夏興行。映画館は完全に埋まっていた。配給が頑張り、1館だけ見つけてくれた。だが、6日間興行。通常は最低でも2週間だ。それがたったの6日。これは内容がイマイチだが、ご好意で上映してもらうと言う場合の数字。そのためか?マスコミ取材数は前作より少なかった。そんな誤解も受け、東京で観たい!と言う人も多かったが、6日間では行けない!との不満も聞いた。全ては時間がなかっただけ。

もう一つの問題は戦争ものは終戦記念日前に上映すると入る!と言われる。8月15日。それ以降なら映画館上映も可能だが、戦争ものは急に客が入らなくなる。もし、記念日前に上映できなければ来年まで待たねばならない。しかし、文化庁のルールでは今年中に上映せねば支援金は取り消しということ。承認まで散々時間をかけておきながら、昨年末のゴーサインが出ると*日までに撮影しろ!とか、*ヶ月以内に上映しろとか、とにかく理不尽の連続。

それでも映画はヒットした。コロナ禍、猛暑日が続く夏に東京では連日大入り。でも、どんなにヒットしても6日以上の上映はできない。期間が決まっているからだ。が、横浜でもヒット。3週間のロングランとなった。前作ほどの拡大公開にはならなかったが、大阪、京都、長野、大分、沖縄でも公開。中には前作「ドキュメンタリー沖縄戦」も上映してくれる劇場もあった。

さて僕の方だが、初夏に映画が完成。それで終了ではない。ポスター、チラシ、予告編のデザイン、制作がある。これらの作業も毎回、ノーギャラ。どのようなデザインで行くか? ビジュアルはどうするか? 最終的にはデザイナーを呼んで仕上げるが、そこまでは僕が考える。何より宣伝費がない。本来なら配給会社があれこれ見本を作って監督がOKを出すだけでいいのだが、見本を作る人を雇えない。

さらにマスコミ取材。ドラマパートの監督は今回初めて沖縄戦題材で作品を作り、あまり詳しくない。Pも同様。結局、取材を受けてあれこれ話せるのは沖縄戦の勉強を続けている僕しかいない。1日に1社の取材を受けるだけでも他の仕事ができない。取材場所まで電車で1時間。1時間前には到着。取材が1時間。満員電車で帰宅。3時間。真夏の東京。それだけでヘトヘトだ。それが1日3社、4社ということもある。

当然、取材もノーギャラ。こうして公開まで何度も取材を受けた。「このネット番組。誰が観てるの?」というものにもzoom出演。ま、視聴者の1人でも映画館へ行ってくれればと願い、笑顔で出演する。毎回、こんなふうにして宣伝活動はするが収入がなくなる。それはそれで厳しいが今回は今までと違う問題があった。初夏から別の仕事がスタートしたのだ。収入がないのも困るが、時間がなくなる苦しさを痛感する。

宣伝があるが、次の仕事の準備もある。そしてプロジェクトスタート。2本立てだ!さらに公開が始まると、舞台挨拶。僕は司会進行を担当。そのイベントを撮影したものを自身で編集。ネットにアップ。これも宣伝。さらに、昨年から始めたYouTubeも使い宣伝。1本編集するのに3時間かかる。が、れいわ新選組特集以来、人気が出て再生数も高い。利用しない手はない。そんなこんなで取材、宣伝、次の仕事。と3本立てで突き進む。

8月末でほとんどの劇場で上映終了。どこも非常に評判は良かった。昨年12月に突然スタートした「不可能実行指令」の幕が降りた。完成しただけでもめっけもの。それがかなり高い評価を頂いた。同時期に前作「ドキュメンタリー沖縄戦」のプライム配信とDVD発売もスタート。怒涛の8ヶ月だった。そこでメロリンQ。いや、バタンQ。過労で倒れた。

次のプロジェクトはまだスタートしたばかり。こちらは来年夏に向かって進行中。だが、これでようやく専念できる。こちらはまだ詳しく書くことはできないが、リハビリしながら、次なるステップを準備中。また、小出しに報告して行く。あと、「乙女たちの沖縄戦」沖縄でムーブオーバー。沖縄市で9月12日から公開となる。こちらも宣伝して行かねばならない。

もう怒涛の不可能実行指令ではあったが、映画が公開されたことで多くが「ひめゆり」だけではなく「白梅学徒」の存在を知ったはず。そのことが大事。沖縄戦でひめゆりだけが悲劇に見舞われたのではなく、多くの乙女たちが犠牲となったこと。伝えたかった。そして歴史を見つめることで現代の問題も見えてくるはずだ。



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ひとつの映画が完成。公開が終わるとダウン。近況報告 [乙女たちの沖縄戦]

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ひとつの映画が完成。公開が終わるとダウン。近況報告

今回は最新作「乙女たちの沖縄戦」の関東最後の横浜公開が終わる2日前にダウンしてしまった。ここしばらく自宅入院状態が続いた。これはもう歳のせいで持久力がなくなったのか?と思える。

FBで4年前の記事が出てきたので読むと、地元公開がスタートする前にダウンしていた。なんと今回が初ではなく、すでに4年前に同じことが起きていた!

当時を思い出し共通点を探すと、トラブルを起こす関係者がいて、その対処に時間も労力も取られたことがある。本来やらねばならない仕事が山積みなのに、その尻拭いに何週間も取られた。毎日がイライラ!「あのバカのせいで!!」と血圧上昇。「血圧が上がるくらいで〜」と侮ってはいけない。歳を取ると血管が細くなり脆くなる。怒り爆発で血圧が上がれば、血管が切れて脳梗塞ということもあり得るのだ。

今回も「明日から大事な作業!」なので準備をせねばならない日に、問題を起こした本人に長い説教メールを書かねばならなかった。流石に反省したようだったが、数日後にまた同じようなトラブルを起こした。もう、呆れ果てて連絡はしていないが、迷惑をかけた方々には謝罪して回った。

困ったちゃんは他にもいてイライラ。血圧は危険値?! 本来の仕事に費やす時間と労力を取られること自体、大きなストレスとなる。結果、終わった時にホッとして疲労困憊がドバー。こうして過労で毎度、長期間寝込むこととなる。

ただ、今回は何年もかけたプロジェクトではなかったこともあり、疲労度マックスではなかった。また、すでに次の仕事がスタートしており、心の底から「終わったーー」と思えなかったので、ストッパーが効いたのかも。そのため短い期間のダウンで回復に向かっている。が、これは同時に時限爆弾を抱えたまま、走り出すということでもある。注意せねば。

ハリウッドのキングと言われたクラークゲーブル。彼が亡くなった原因は共演者にあると聞く。撮影が始まっても現場に来ない。スタジオを探すと控室にいた。「演じる自信がない・・・」と落ち込んでいる。説得してスタジオへ。でも、翌日も同じ。そんなことの繰り返し、ゲーブルは毎日イライラ。イライラ。そのストレスで体調を崩し、心臓麻痺で死んだと言われる。59歳。ストレスを舐めてはいけない。無邪気な困ったちゃんに殺されないようにせねば。



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「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」たちの沖縄戦」感想by 東ちづるさん [乙女たちの沖縄戦]

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東ちづるさんから頂いた感想

子どもの頃から聞かされていた戦争体験者の語りや証言を思い出しました。

体験者や被爆者の生の声を聞くことも難しくなってきた戦後。

戦前にならないよう、できることは悔いのないようアクションしたいです。


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「乙女たちの沖縄戦」への批判コメント⑥ 「ドキュメンタリーがドラマ臭いんだよ」ー映画制作の方法論を知らない人たち。解説 [乙女たちの沖縄戦]

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「乙女たちの沖縄戦」への批判コメント⑥ 映画制作の方法論を知らない人たち。解説ー終

このシリーズ好評なので、どこかに上から目線でおかしな批判しているコメントはないか?さらに探してみた。「つまらない!」というのも一つの感想であり、それは認める。そもそも沖縄戦に興味がない。戦争は映像で見るのも嫌という人もいる。

ただ、沖縄戦を知らず事実無根なことを信じて「違うぞ〜」というコメント。映画表現を理解せずに「***にした方がいい!」というのは明らかな間違い。知らないことを思い込みで批判してるだけ。その手のおかしなコメントを読み「いいね」している人もいる。それでは沖縄戦について誤った認識を持ってしまう。だから解説。最終回は映画表現について。批判コメントはこうだ。

「ドキュメンタリーパートとドラマパートに分かれいたけど、ドキュメンタリーパートがドラマ臭いんだよな〜。もっと普通に撮ればいいのによ〜」

日頃、ドキュメンタリー映画をあまり見ない方か?ドキュメンタリーと言ってもいろんなスタイルがある。「プロジェクトX」だってドキュメンタリー。「ゆきゆきて進軍」「はりぼて」「香川一区」も同様。皆、スタイルが違う。ドラマだってドキュメンタリータッチのドラマがある。その意味で今回の「乙女」はドラマタッチのドキュメンタリーにした。

「ドラマ臭い」のではなく「ドラマ仕立て」なのである。コメント主は週末の昼や深夜に放送されるドキュメンタリー番組あたりを「ドキュメンタリー」と思い込んでいるのだろう。あの種の番組は予算が低く、カメラマンを呼ぶ費用がなく、ディレクター自身がカメラを回していることも多い。当然、撮影は上手くない。ブレる画面。ピンボケ。被写体がフレームから外れる。だが、ドキュメンタリーなので視聴者は受け入れる。また、その手の不安定な撮影こそが「ドキュメンタリーだ」と思い込む人もいる。(コメント主もそんな1人だろう)

米国ドラマ「24」はまさにそんな手法を取り入れて、わざと不安定なカメラ、ピントが外れる。画面がブレるという方法論で撮影されている。そのことでドラマではなくドキュメンタリーを見ている気持ちにさせてリアリティを強く感じるのである。僕はその手法の逆をドキュメンタリーに取り入れた。

三脚でフィックスしたカメラ。ドラマのような美しいフレーム。ピンボケなんて作らない。もし、案内人が素人さんなら難しいが、女優さんだったので、何も言わなくてもフレームからはみ出したり、急に動き出したりせず、カメラレンズも見ないので可能だった。日曜昼のテレビドキュメンタリーと違い、映画撮影ができるカメラマンさん。ディレクターが撮影した訳ではない。彼女に密着しながらドラマと同じ丁寧な撮影をしたのである。

その意味は何か? 後半がドラマパートだからだ。前半で日曜午後のドキュメンタリー番組のような手ブレ、ピンボケ、暗い画面。といかにもドキュメンタリーという映像を見せられて、後半でいきなりカチッとした画面で、照明まで当てられた映像だどう思うか?前半と後半は完全な別物に思えてしまうだろう? いかにも作られたドラマを見ている気分にならないか?

そこでドキュメンタリーパートからドラマ仕立ての映像を見せることで、そのギャップをなくし、スムーズに橋渡しする。ドラマ部分がいかにもドラマと感じないように持って行く働きをしているのだ。そのためにもドキュメンタリーパートの撮影をドラマのように丁寧にし、見づらい画面を極力避けて、まるでドラマを見るような美しい画面で撮影したのである。

さらに解説すると、見づらい画面こそがドキュメンタリーということではない。先にも説明したが予算が少ない。時間がない。だから、あのようなブレブレの画面。ピント外れるような映像が多発するだけ。もちろん、決定的瞬間を取るためには画面の美しさにこだわれないこともあるが、金と時間をかければドキュメンタリーだって美しい画面で撮ることはできる。

それを知らずに「見づらい画面こそがドキュメンタリーであり、ドラマ臭い。もっと普通に撮ればいい」と指摘するコメント主さん。それは手抜きして撮影しろ!というのに等しい。そしてドラマ仕立てのドキュメンタリーパートだからこそ、再現ドラマにも違和感なく入れる。

それはカップラーメンしか食べたことない人が、手打ち麺を専門店で食べて「カップの味がしない」と批判するのに近い。あるいはカレーラーメンを食べて「カレー臭いんだよな」と不満を漏らすようなもの。「これ変」と思った時、自分が正しいと思わずに、自身をまず疑ってみることが大事。自分の知識は間違っていないか?自分は映画表現をどこまで知っているのか?なぜ、通常と違う表現を使ったのか? 考えることで視野も広くなるはずだ。


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「乙女たちの沖縄戦」へのコメント⑥ 「ドキュメンタリーパートに女優が出る意味ない!」と批判する男性。ふふふ、そこを解説。 [乙女たちの沖縄戦]

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「乙女たちの沖縄戦」へのコメント⑥ 「ドキュメンタリーパートに女優が出る意味ない!」と批判する男性。ふふふ、そこを解説。

こんなコメントを見つけた。「この映画はドキュメンタリーパートとドラマパートに分かれているが、ドラマパートで女子学徒を演じる女優がドキュメンタリーパートで戦争体験者にインタビューしている。何で若い女性なの? 質問者はいなくていいんじゃないかなあ?意味ないし、何のプラスにもなっていない!」

これも解説する。映画というのは多くの人が見る。ただ、ドキュメンタリーは劇映画より観たいと思う層が限定される。「トップガン」であれば娯楽を求める多くの人が見に行くが「沖縄戦」となると関心がある人が中心となる。

作り手も往々にして題材をマニアックに描き、より深く掘り下げようとしがち。観る方も作る方もマニアックになることが多い。ドキュメンタリーものを見るとき、特に僕が感じるのは作り手にこんな思いがあること。

「退屈でもこれは大切なことだから、我慢して最後まで見なければなりません!」

まるで学校の先生!だから「あードキュメンタリーは退屈。もう見ない〜!」と思ってしまう。もちろん、近年はハラハラドキドキする面白いドキュメンタリー映画が増えたが、退屈なものも数多く存在する。そこで考えた。

僕はもともと劇映画、それも青春映画が得意な監督。劇映画で観客に我慢を強いる発想はない。観客が退屈した段階で作り手の負け! と言って真面目な題材を笑いにしたり、歪めてはいけない。

白梅学徒は当時17歳だった少女たち。ならばその作品の案内人もこの間まで高校生だった女の子にしよう!現代を生きる若い女性x戦中を生きた女性という構図で描くことで、単に戦争体験を紹介するだけでない何かが生まれてくるはず。質問する20代の若い女の子。答える92歳の女性。合わせ鏡になっている。それを観客が見るだけでもいろんなことを思うだろう。

また、この種のドキュメンタリーは高齢の男性が観ることが多い。特に戦争ものは顕著。女性にも見てもらうにはどうすればいいか? そこで女性視点で制作。20代の女性の視点で沖縄に行き、体験者を探し、話を聞く。そのまま過去の戦時中の物語に入って行く。女性が観やすくなる。映画を見るときに人は、自分に近い年齢、同じ性別の登場人物に感情移入する。

その意味でこの映画を若い女性。そして高齢の女性は、よくある三人称で描かれるドキュメンタリー(NHKスペシャル等がそのスタイル)より観やすくなり、より内容を身近に感じるはず。

一方、男性は若い女性に対して好感を持つ。案内人が女性でも問題がない。もし、その役割をジャニーズ系のカッコいい男の子が担っていたら、内容以前に拒否感を持つだろう。その意味でも女性なら大丈夫。

この映画と同じようなスタイルで番組作りをしているのが、NEWS23のあれ。終戦記念日近くになると、綾瀬はるかが広島の被爆者を訪ねるコーナーが放送される。これも怖い顔をしたキャスターや男性記者より、有名な女優が案内をすることで、主婦層や若い女性も観やすくなるという効果を考えている。

また、90代の体験者に中年の強面男性がインタビューするよりも、若い女性が質問する方が優しく答えてくれるというのもある。男性キャスターや女性アナウンサーであった場合。何も知らないと体験者側も「取材に来たのに不勉強ね〜」と不安になる。あるいは不満を感じる。

が、何も知らない若い女優であれば、1から丁寧に教えてあげようと思ってくれる。実際、映画を見ると先生が生徒に教えるように分かりやすく体験を話してくれている。

あるいはイカツイ男性や文句の多そうな記者が質問すると、体験者が萎縮して答えがぎこちなくなることもある。政治家相手や犯罪者ならその種の人が必要だかが、高齢の女性に不安感を持たすようなインタビューは相応しくない。その意味で20代の女優というのは大きな意味がある。ここでもう一度、コメントを思い出してみよう。

「何で若い女性なの? 質問者はいなくていいんじゃないかなあ? 意味ないし、何のプラスにもなっていない!」

ーさあ、どうだろう。この指摘が全く当たっていないことが分かってもらえたと思う。一般のお客さんなので映画の作り方、見せ方まではご存じないというのもある。ただ、体験者の丁寧な分かりやすい語りは若き女優が質問したからこそであり、コメント主が気づかないプラスになっている。

他にも三人称で描くと、作品自体が重くなるというマイナスもあるので、その点でも女性視点はプラス。「乙女たち」は女性にとても評判がいい。前作以上に女性からのコメントが評価が高い。それも女性視点で描かれたことで、より分かりやすく女性体験者の思いが伝わったからだと感じている。

映画というのは観客が気づかない方法論であれこれ考えて作られている。ドキュメンタリーとはいえ、退屈なものを観客に我慢を強いるのは僕としては許せない。そんな思いで作っている。


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文芸評論家Sさんから頂いた素敵な評論ー「乙女たちの沖縄戦」 [乙女たちの沖縄戦]

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文芸評論家Sさんから頂いた素敵な評論ー「乙女たちの沖縄戦」

太田隆文監督の新作『乙女たちの沖縄戦』初日に観賞。これは白梅学徒に関するドキュメンタリーと再現ドラマの映画。太田隆文監督はドキュメンタリー部分の監督及びドラマ部分の脚本を担当。

この作品はドキュメンタリー部分とドラマ部分によって構成され、両者が関連している。ドキュメンタリー部分は、ドラマに出演する女優の1人が役作りのために白梅学徒について調べる形式になっている。

ドキュメンタリーはあまり知られていない物事を伝えるため、しばしば制作者が「教える」姿勢になりがち。しかし、この作品では主人公を通じて「学ぶ」姿勢で描かれている。制作者も観客同様に映画によって学んでいる。

最近のTVドキュメンタリーでは、若い女性のナレーションを使う場合、内気な感じを選びがち。それは繊細さや傷つきやすさの無理解でしかない。このドキュメンタリーは主人公の女優のモノローグがナレーションで、隠にこもるようなところがない。等身大であり、観客に近い。

その彼女が白梅学徒の生存者に話を聞く。このシーンでは彼女は一言も喋らない。体験者が話すカットの間にただ無言で曇った表情の彼女のカットが挟まれる。それは観客自身の姿。何も話さず、ただただ聞き、それに戸惑い、ショックを受け、どう言ったらいいのかわからない。

そうした探求が済むと、彼女が登場人物の1人となってドラマが始まる。内容はドキュメンタリーを要約した再現。それが終わると、再びドキュメンタリーに戻り、彼女が慰霊するなどをして幕が閉じる。

『乙女たちの沖縄戦』はドキュメンタリー部分が大半でドラマ部分は短い。事実上ドキュメンタリー作品と言える。白梅学徒という全国的には知られていない沖縄戦の悲劇を意欲的なドキュメンタリーのスタイルで描いた労作。

今日を含53日ありますし、また東京以外でも公開予定もありますので、機会がありましたら、是非



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本当に過酷な状態で作り上げた「乙女たちの沖縄戦」 [乙女たちの沖縄戦]

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本当に過酷な状態で作り上げた「乙女たちの沖縄戦」

[新月]本当に過酷な状態で作り上げた「乙女たちの沖縄戦」

あれこれ問い合わせが続くので、もう少し詳しく書いておく。8月に公開される僕の新作映画「乙女たちの沖縄戦」は沖縄シリーズ第2弾とでもいうべきもの。前作「ドキュメンタリー沖縄戦」の続編的な作品。今回は白梅学徒の話に絞って、ドキュメンタリーだけでなく再現ドラマでも描いている。

内容的にはかなり潤沢なものになっているが、製作経緯は本当に大変だった。まず、昨年12月に製作プロダクションから連絡。「白梅学徒のドキュメンタリー映画を作ってほしい」との依頼。これは嬉しい。前作で唯一取材できなかったのが白梅。関係者とお会いしていたがスケジュールの都合でインタビューできなかった。が、プロダクションの担当者は言う「来週から沖縄に行き、年内に再現ドラマ部分のシナリオを上げてほしい」何ーー!

そして製作費を聞いてさらに仰天。通常のドキュメンタリー映画を作る半分以下の額。それもほとんどがドラマ編に使われ、ドキュメンタリーパートは本当に僅か。ギャラも信じられない額。撮影中の食費も毎日牛丼食べろいうようなもの。さらに編集費が出ない。ドキュメンタリー編集は数ヶ月かかる。結局、3ヶ月無給で作業。「いい加減にしろ!」と言いたくなるが、それは言わない。

沖縄戦のドキュメンタリー映画。映画会社や企業は絶対に出資しない。僕の前作も業界ではないところからの依頼。そして様々なトラブルがあった。劇場公開もDVD発売も最初はなかった。会社や組織の多くは沖縄戦を多くに伝えようとは思っていない。むしろ隠したい。葬りたいという勢力さえ存在する。あまりにも酷い歴史の1p。戦争をしたい人たちには都合が悪い。映画でも「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」くらいしか知名度のある映画はない。

その意味で今回の依頼は奇跡。背景はいろいろあるが、一言でいうと文科省の支援プログラム。そんなことでもないと白梅学徒の映画を作ることなんて出来なかっただろう。だから、製作費がどんなに安くても、何ヶ月もタダ働きしても、やらねばならない仕事だ。

「ひめゆり」は知っていても、「白梅」を知る人は少ない。「白梅」を伝えることで「ひめゆり」が特別な存在ではなく、沖縄戦では多くの若者が動員され犠牲になっていたことを知ってもらえる。また、健在でお話を伺える元白梅学徒はもうお二人しかいない。10年後に予算が集まっても、お話は聞けないかもしれない。お元気だとしても、もう100歳。時間は今しかない。

だから、全力でかかった。いつも以上にきつい状態。その上、時間制約がある。みんな頑張った。どうにか完成。出来は良かった。が、問題はあった。宣伝費だ。ほとんどないと言っていい状態。僕がデザイン、構成、文章も担当。ノーギャラでチラシとポスターはどうにか作った。が、試写会ができない。前売り券も印刷する余裕がない。パンフも無理。舞台挨拶も関係者が自腹で交通費を払って集まることができる東京周辺だけとなる。

テレビCMや新聞広告は夢のまた夢。でも、マスコミ関係で興味を持ってくれた社もある。ただ、今回の関係者で沖縄戦について語れる者は少ない。だから、僕がほとんどを引き受ける。3ヶ月の無料奉仕の後で、取材に答える。もちろんギャラは出ない。1日1社の取材でも、その時間に指定された場所に行く。生活のための仕事が止まる。そんな取材がすでに7件。本当はありがたい。でも、そもそも今回のギャラも信じられない額。完成までに生活できない。皆、それでも全力でかかった。

文句を言っているのではない。例えボランティアだったとしても沖縄戦の、それも白梅学徒を映画で紹介できるのは奇跡。今回の機会がなければ「白梅」を紹介する映画はできなかったかもしれない。沖縄戦の悲劇の一面を多くに伝えることを不可能にしたかもしれない。スタッフ、キャスト皆、僅かな収入で本当に頑張った。みんなの情熱で完成した映画だ。完成しただけで奇跡。

「**市で舞台挨拶をしてください」などというコメントはご遠慮願いたい。言ってくれるのはありがたいが、これ以上、会社にも、関係者にも限界。もう一度、言う。完成できただけで奇跡。公開できるだけで驚きなのだ。その上に舞台挨拶を遠方で!は不可能。気持ちはありがたいが、そういう作品なのだ。

本来、こんなこと書くべきことではないが、そんな経緯があることをあえて伝える。でも、作品は10年、20年、30年、いや100年先まで残る。関係者の苦労は無駄にならない。本来、その種の事業は大手企業や映画会社が率先してやるべき。でも、やらない。だから僕らが身を削りやっている。ぜひ、見てほしい。これが戦争。これが沖縄戦。8月2日(火)東京公開。


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「乙女たちの沖縄戦」記事「10代の少女たちの想像を絶する体験と向き合う。沖縄戦の知られざる事実を語り継ぐ女子学徒と出会って [乙女たちの沖縄戦]

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その沖縄戦の悲劇を伝える存在として広く知られる「ひめゆり学徒」。

しかし、ご存知の方もいると思うが、沖縄戦において看護学徒として動員された10代の女学生たちは、映画、テレビドラマ、舞台として幾度となくリメイクされている「ひめゆりの塔」のモデルとなっているひめゆり学徒隊だけではない。

 映画「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」は、ひめゆりらと同じ学徒のひとつ、沖縄県立第二高等女学校の4年生56名で編成された白梅学徒に焦点を当てる。
 沖縄戦において看護学徒として野戦病院に配属され、負傷した兵士たちの看護に命懸けで当たった彼女たちの実話をドキュメンタリーと再現ドラマで描く。

 再現ドラマに出演するとともにドキュメンタリーパートで、今も存命の白梅学徒だった二人にインタビューを試みた女優の森田朋依に訊く。(全三回)

こんな何も知らないわたしをお二人が受け入れてくれるのか
 前回(第一回)は、出演とドキュメンタリーパートでのインタビュアーとなった経緯について主に訊いた。
 今回は、実際の沖縄での取材を振り返ってもらう。
 このドキュメンタリーパートのメインに据えられているのは、元白梅学徒である中山きくさんと武村豊さんの証言だ。

 戦後70年以上が過ぎ、話をきくことができる白梅学徒はもう数人という現状がある中、本作はこのお二方の貴重な話を収録している。
 そして、森田は中山きくさんと武村豊さんと向き合うことになった。
 二人には正直に、自分があまり白梅学徒のことを知らないことをはじめに伝えたという。

「お会いするまでほんとうにどきどきが止まりませんでした。
 なにか、失礼なこと言ってしまわないかと不安だったし、こんな何も知らないわたしをお二人が受け入れてくれるのかもわからなかった。

 ほんとうに緊張しました。
 その中で、まず自分自身が正直でいなければならないといいますか。嘘をついてしまってはいけないと思ったので、白梅学徒のことをほとんど知らないことを二人にはまずお伝えしました。『ほんとうに申し訳ございません。わたし、ほとんど知らないんです』と」

なにも知らなかったわたしに丁寧にいろいろなお話をしてくださいました
 そこからインタビューが始まったという。

「お二人とも現在90代に入られているんですけど、お元気でお話をきくことができました。
 途中で休憩を入れましたけど、だいたいお二人とも2時間ぐらいだったでしょうか。
 ご高齢で大変だったと思うんですけど、なにも知らなかったわたしに丁寧にいろいろなお話をしてくださいました。

 正直なことを言うと、もうそのお話にわたしは圧倒されて、言葉がうまく出なくて、ほとんどうなずくだけだった気がします」
わたしが緊張しているのをきくさんは察知してか、
手を握りながら答えてくれました

 白梅学徒だった二人との対話で、印象に残ったことをこう明かす。
「(太田監督は)なるべくまっさらな状態でインタビューには臨んでほしいということだったんですけど、(中山)きくさんについては動画をいくつかみていたんです。

 その動画からだと、きくさんはキリっとしていて厳しさと強さのあるイメージがあったんです。
 だから、内心『話を聞くのが何も知らないわたしで大丈夫なのか?』と緊張しました。
 でも、実際にお会いしたら、ものすごく優しくて。東京からやってきたわたしにもすごく丁寧にひとつひとつあったことを説明して語ってくださる。

 最初に『看護学徒として病院壕にいくことは怖くなかったんですか?』ときいたんですけど、わたしもどういう顔をしてどういうトーンで話を切り出せばいいかよくわからなかった。
 そのとき、わたしがすごく緊張しているのをきくさんは察知してか、『それが当たり前だったのよ。戦争だったからしょうがないの』といったことを、手を握りながら答えてくれたんです。

 その瞬間、わたしは緊張がひとつ解けて、『きくさんたちがほんとは思い出したくもないことを話してくれる。そのことをきちんとうけとめないと』と覚悟が決まったところがあったんですよね。
 それでずっとお話をうかがっていったのですが、そのひと言ひと言にひじょうに重みがある。ひとつひとつの言葉に、きくさんの『こんな経験はもう誰にもしてほしくない』といった強い思いが入っているようで、わたしのもとへとひしひしと伝わってくる。

 戦時下、きくさんは、実際に白梅学徒として負傷した兵士たちの看護にあたっていた。それは溜まった糞尿を処理したり、負傷した兵士たちの体にわくウジ虫をとったり、腕や足を切断する手術に立ち会ったりと、もう想像を絶する体験だったわけです。

 でも、きくさんがすごいのは『わたしはまだよかったほうなのよ』『自分は運がよかった』『武村さんのほうが大変だったの』と他人を思いやる気持ちがものすごく強いんです。
 そのきくさんの思いやりの心にはひじょうに感銘を受けました」


続きは下のアドレスから

https://news.yahoo.co.jp/byline/mizukamikenji/20220807-00309138




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(385)初日挨拶ー舞台裏?=噂の女優・森田朋依さんインタビュー!(改訂版) [乙女たちの沖縄戦]




(385)初日挨拶ー舞台裏?=噂の女優・森田朋依さんインタビュー!(改訂版)



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映画『乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜』についての記事 [乙女たちの沖縄戦]

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Vol.1104 映画監督 太田隆文(映画『乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜』について)

https://okstars.okwave.jp/vol1104/

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