昨日、「ドキュメンタリー沖縄戦」最後の上映。 [沖縄戦]
昨日、「ドキュメンタリー沖縄戦」最後の上映。
ねりま沖縄映画祭にて上映。場内は観客でいっぱい。大盛況。ラストには拍手も起こる。多くが涙ぐみならがら席を立たずにいた。ただ、この作品が他で上映される予定はもうない。今年夏のアンコール公開。昨年に続いて全国の映画館で1週間以上も上映された。そして、イオンのネット配信。そして昨日。これで全て終了。
残念ながらDVD発売、テレビ、ケーブルでの放送はない。見るとすると、イベント上映のためにレンタルするしかない。あとは製作元のお寺にお願いして見せてもらうか?まだまだ「見たい!」という声はあるが、そこが残念なところだ。そして「この作品は多くに見て欲しくない」という団体や人たちもいる。戦争の悲劇を伝えたくないということ。その目的が何なのかは、すぐにお分かりになるだろう。
だからこそ、沖縄戦だけでなく、戦争を伝えることは大切。最近作られる戦争映画は悲しみを伝えるより「日本人はいかに勇敢に戦ったか?」を描くものが増えている。それは危険。戦争を知らない世代は、兵士たちは勇敢であり、優しかったと誤解する。「日本を守った行為だったのだ」と思い込む。
しかし、そもそもは日本が始めた戦争。その目的が何であったか?を考えれば、印象操作があることが分かる。「守る」行為は戦争の終盤であり、そのために沖縄を捨て石にした。沖縄県民の犠牲の上に本土決戦の準備をしたのだ。それを描いたのが「ドキュメンタリー沖縄戦」沖縄を見捨て犠牲にして「日本を守る戦い」にはならない。
だからこそ、悲しすぎる沖縄の悲劇を描き伝えることが必要なのだ。ドキュメンタリーだけではなく、劇映画「沖縄戦」を作ることが大切なのだ。が、戦争ものは費用もかかる。戦争をしたい政治家たちが多い中で、それを支援する企業はない。原発映画と同じ構図だ。そこが悔しくてならない。
「ドキュメンタリー沖縄戦」ネット配信10月7日で終了。「学校では教えない歴史。日本軍が沖縄でしたこととは?」 [沖縄戦]
「ドキュメンタリー沖縄戦」」ネット配信10月7日(木)で終了。
日本全国どこでも見られます。お早めにご覧ください。
DVD発売はありません。学校では教えない真実の沖縄戦!
詳しくはこちらのサイトで=>
バーチャルシネマ https://www.aevc.aeoncinema.com
「ドキュメンタリー沖縄戦」」ネット配信10月7日(木)で終了。 [沖縄戦]
「ドキュメンタリー沖縄戦」」ネット配信10月7日(木)で終了。
日本全国どこでも見られます。お早めにご覧ください。
DVD発売はありません。
学校では教えない真実の沖縄戦!
詳しくはこちらのサイトで=>
バーチャルシネマ https://www.aevc.aeoncinema.com
沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由=政府が怖いだけでない別の問題。 [沖縄戦]
沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由=政府が怖いだけでない別の問題。
戦争映画が今、日本で作りづらい状況という話を前回した。安倍政権以降。戦争できる国にしたい人たちは「戦争の悲惨さを伝える映画」を作ってほしくないからだ。だから、最近の戦争映画は「日本兵は素晴らしかった」とか「大和は悲劇のヒーローだ」みたいな作品。反戦映画と謳っていても、ただ、死んでいく人を描いただけで、「なぜ、戦争は始まったのか?」「誰に責任があるのか』ということはスルー。「いっぱい日本人が死んだよー」「悲しいよー」で終わりだ。
そんな時代。沖縄戦を劇映画で描くのはもっと難しい。「ひめゆりの塔」は何度もリメイクされているが、あれは沖縄戦の一部にしか過ぎない。他にも様々な悲劇があるのに、それらが映画化ドラマ化されない。というのは沖縄戦を描くと日本軍の蛮行。非人道主義に触れなければならないからだ。日本政府は沖縄を捨て石にして、県民がいくら犠牲になろうと、本土決戦を準備する時間を稼ごうとした。そのために県民の4分の1が死んだ。
もう一度戦争をしたい勢力にとって封印したい歴史。そのせいか、この数年は終戦記念日前後のスペシャルドラマで戦争ものの数が減っている。まして映画で沖縄戦に出資しよう。企画を通そうという映画会社は皆無。「政権に、団体に睨まれないようにしよう」という意識が働いている。また、沖縄戦を劇映画にするには金がかかる。他の戦闘なら御殿場あたりで撮影できるが、沖縄ロケハ大変だ。車では行けない。飛行機代。宿泊費がかなり必要。また、沖縄には火薬を持ち込めない規則がある。戦争につきものの爆破シーンが撮れない。そうなると、その種の場面だけ関東で。あとは沖縄。となると、さらに製作費がかかる。
さらに「沖縄戦を見たい!」という観客も少ない。「永遠の」何とかみたいに嘘ばかりでも泣ける映画が見たいと考える。そもそも、沖縄戦に関心がある人が少ない。映画界にもほぼいない。学校でも沖縄戦は教えない。ニュースでも触れない。NHKの上部だけのドキュメンタリー。それも過去に放送したっきり。だから、映画会社も沖縄戦では儲からないと判断。企画しない。でも、だからこそ、沖縄戦を映画化するべきなのだ。
今の時代。567対応、オリンピック。沖縄戦と同じ構図だ。国民を捨て石にして、政府が自分たちちを守ることしか考えていない。国民がどれだけ犠牲になろうと平気。全く同じ。76年前と変わってないことを痛感する。何が原因か?何がいけなかったのか?歴史から学ぶことができる。沖縄戦は今の時代に見つめ直すべき歴史なのだ。
だが、どこの企業も金を出さない。どの作家も興味を持たない。中にはドキュメンタリー映画を撮り、描いてはいけないところまで描いて、スポンサーに嫌われた監督もいるようだ。結局、DVDもテレビ放送も止められたと聞く。沖縄戦の真実を描くと、そうなるのだろう。しかし、今こそ振り返るべき歴史。「人々が見たい映画」を作るのではなく、「人々が見なければならない映画」を作る。それこそが映画作家の仕事のはず。なのに、それができない現実を見つめるしかない。
感想「念願かなって「ドキュメンタリー沖縄戦」を観る事ができました!」Sさん。女性(ネット配信中) [沖縄戦]
念願かなって、太田監督の「ドキュメンタリー沖縄戦」を観る事ができました!
(Sさん、女性)
バーチャルシアターで観られるなんてすごいですよね。30分前からパソコンの前でドキドキしながら上映開始を待ちました。沖縄の上空を飛ぶ戦闘機や輸送機。沖縄はもしかしたらまだ戦争が終わっていないのかも……と思う光景を目の当たりにしました。
沖縄戦を描いた絵は、本当に悲惨でした。でも私はまだこの時この絵を「沖縄戦を描いた絵」の中で沖縄戦の悲惨さを誇張してるのかな?と見事な平和ボケっぷりで見ていました。後であんな思いをするなんて、思っていませんでした。
沖縄戦を知っている島民の方々の証言が語られていきます。日本軍が発表する情報を皆さん信じておられました。受けてきた教育は見事に思想をコントロールしていました。(皆さんの証言について、いっぱい書きたいのですがそうすると感想がなかなか終わらないと思うので割愛します。)アメリカの兵隊に捕まったら男は戦車で轢かれて殺される、女はレイプされて殺されると皆さんは信じていらっしゃいました。
鬼畜米英の思想が植え付けられていたのです。メディアの情報を疑いもしない皆さん。今の日本のメディアや教育と重なり怖くなりました。そして沖縄戦を当時撮られた悲惨な映像がリアルに当時の様子を写していました。
銃撃戦で砲弾を受けても、死なずに死んだ兵隊さんや島民の皆さんが苦痛に晒されて苦悶する様(こんな軽い表現では伝わらないです)あちらこちらに死体があって、撃ち殺された人々は荼毘にふされることも無くそこら中に痛々しい姿で倒れていました。
ハエがたかり、そこで死んだのが当たり前のようにたくさん放置されていました。目を覆いたくなる映像に悲しみか怒りかわからない感情が湧きました。でも沖縄の方々が受けた地獄はそれ以上だったのです。
沖縄は本土決戦のための捨て石にされたのです。日本軍が島民を兵隊や従軍看護婦として14歳の子供から70歳の老人まで戦争に引きずり出します。フィルムの中の少年達は誇らしげな表情をしているように見えました。お国のためになるんだと言わんばかりに。
ガマと呼ばれた防空壕ではもっと悲惨な地獄絵図が繰り広げられていました。母親に「殺してほしい」と言った年頃の少女。レイプされて殺されるなら母の手で殺してほしい…そんな思いだったのでしょう。
少女の母親は持ってきた包丁で少女の首を刺しました。「血が首から吹き出した」証言をした方は繰り返しその様子を語っておられました。今更ながら本当に悲しく辛く悲惨だったと思い知らされました。
赤ちゃんが泣くと米兵に見つかるから「殺せ!」と言う日本の兵隊。母親はその子の口を手で塞ぎますが泣き止む事はありません。赤ちゃんでさえ、自分の保身のために殺せと日本軍は「命令」したのです。
命令に背いたら「逆賊」になる、自分の大切な子供を殺すことはできない…。悲しい葛藤があったのだと現実を突きつけられる思いがしました。日本軍を沖縄の人々は「友軍」と呼んでいましたがこれは「友」では無かったのです。
日本軍は保身のため島民のガマを占拠し、ガマに隠れていた人々を追い出しました。そして「自決」を強要したのです。私が最初に見た沖縄戦の絵は本当にあった事だったのです。
自分の子供を殺す母親、絞め殺し刺殺し……死にきれずに苦しむ人達、目を覆いたくなる光景が繰り広げられた事でしょう。「教育」という「洗脳」の怖さを改めて知りました。
今まで感じていた以上に怖くて異常な事だと思いました。米兵に捕まったら殺されると洗脳されてきた島民が、ガマから出てきた事で日本軍より米軍の兵隊の方が助けてくれる事を初めて知った時は、どんな思いだったでしょうか?
その時の思いを考えると本当に辛いし、死ななくて良かったのに自決した人々の事を思ったらやりきれない思いと怒りか込み上げてきました。今、私は泣くことしかできない…歴史を変える事はできないし、戦時中の沖縄に行く事もできない。悔しかったです。
でも、最後に子供たちの笑顔に出会えました。戦争は子供たちの笑顔までは、殺すことが出来なかったんだ…そう思いました。そして現代の日本は、戦争の後をなぞっているように思えて怖くなりました。
もう既にメディアによる洗脳が始まっていると思います。例えば、「みんなでコロナワクチンを打ちましょう、打たないとコロナはこんなに辛くて悲惨な結果になりますよ」と、洗脳しコロナワクチンの悪い面は全く放送しません。
ワクチンの説明書の小さな文字を見ないで国の「命令」に従う現代人が、戦時中に「日本は強い国、兵隊さんはお国を守っているからかっこいい、将来は兵隊になって日本のために戦うぞ!」と憧れる戦時中の人々に似ているように思えてやみません。
この映画は戦時中の沖縄を書いたものであるだけでなく、未来の警鐘を描いていると思いました。たくさんの人がこの映画を観られるといいなと、心から思わずにはいられません。
「ドキュメンタリー沖縄戦」この映画に出会えて良かったです。国のやる事を鵜呑みにしないことができるようになりました。太田監督には、感謝しています。「ドキュメンタリー沖縄戦」を作って下さって出会わせて下さって本当にありがとうございます。
DVD発売はありません。学校では教えない真実の沖縄戦!
詳しくはこちらのサイトで=>
バーチャルシネマ https://www.aevc.aeoncinema.com
10月7日まで。
「ドキュメンタリー沖縄戦」リバイバル公開@京都みなみ会館 8/13(金)~26日(木)まで。 [沖縄戦]
沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由=政府が怖いだけでない別の問題。 [沖縄戦]
沖縄戦を題材とした劇映画が作れない理由=政府が怖いだけでない別の問題。
戦争映画が今、日本で作りづらい状況という話を前回した。安倍政権以降。戦争できる国にしたい人たちは「戦争の悲惨さを伝える映画」を作ってほしくないからだ。だから、最近の戦争映画は「日本兵は素晴らしかった」とか「大和は悲劇のヒーローだ」みたいな作品。反戦映画と謳っていても、ただ、死んでいく人を描いただけで、「なぜ、戦争は始まったのか?」「誰に責任があるのか』ということはスルー。「いっぱい日本人が死んだよー」「悲しいよー」で終わりだ。
そんな時代。沖縄戦を劇映画で描くのはもっと難しい。「ひめゆりの塔」は何度もリメイクされているが、あれは沖縄戦の一部にしか過ぎない。他にも様々な悲劇があるのに、それらが映画化ドラマ化されない。というのは沖縄戦を描くと日本軍の蛮行。非人道主義に触れなければならないからだ。日本政府は沖縄を捨て石にして、県民がいくら犠牲になろうと、本土決戦を準備する時間を稼ごうとした。そのために県民の4分の1が死んだ。
軍は県民の14歳から70歳までを動員。戦争準備等に駆り出した。賃金も払わず、軍の食事、準備、弾薬の運搬、飛行場作り等をさせた。中学生は鉄血勤皇隊として戦場に出された。県民の避難計画はなく、軍が県民を防空壕から追い出す。食料を取り上げる。最終的に邪魔になった県民に自決命令まで出されている。人を人とも思わぬ日本軍の蛮行。沖縄戦を描くとそこを避けて通れない。ももう一度戦争をしたい勢力にとって封印したい歴史なのだ。
実際、彼らが作る教科書からは沖縄戦の記述は5行。集団自決等の事実は全て消しされれ「日本軍はよく戦い。県民もよく協力した」という戦争を肯定するかのような記述。その教科書で高校生に教えようというのだ。そんな彼らが支持する安倍政権。総理が辞めても閣僚の多くはあの団体に所属している。政権だけでなく、企業も、そんな勢力に逆らい、沖縄戦を伝えよう!とは思わない。実際、この数年は終戦記念日前後のスペシャルドラマで戦争ものの数が減っている。
まして映画で沖縄戦に出資しよう。企画を通そうという映画会社は皆無。「政権に、団体に睨まれないようにしよう」という意識が働いている。また、沖縄戦を劇映画にするには金がかかる。他の戦闘なら御殿場あたりで撮影できるが、沖縄ロケハ大変だ。車では行けない。飛行機代。宿泊費がかなり必要。また、沖縄には火薬を持ち込めない規則がある。戦争につきものの爆破シーンが撮れない。そうなると、その種の場面だけ関東で。あとは沖縄。となると、さらに製作費がかかる。
さらに「沖縄戦を見たい!」という観客も少ない。「永遠の」何とかみたいに嘘ばかりでも泣ける映画が見たいと考える。そもそも、沖縄戦に関心がある人が少ない。映画界にもほぼいない。学校でも沖縄戦は教えない。ニュースでも触れない。NHKの上部だけのドキュメンタリー。それも過去に放送したっきり。だから、映画会社も沖縄戦では儲からないと判断。企画しない。でも、だからこそ、沖縄戦を映画化するべきなのだ。
今の時代。567対応、オリンピック。沖縄戦と同じ構図だ。国民を捨て石にして、政府が自分たちちを守ることしか考えていない。国民がどれだけ犠牲になろうと平気。全く同じ。76年前と変わってないことを痛感する。何が原因か?何がいけなかったのか?歴史から学ぶことができる。沖縄戦は今の時代に見つめ直すべき歴史なのだ。
だが、どこの企業も金を出さない。どの作家も興味を持たない。中にはドキュメンタリー映画を撮り、描いてはいけないところまで描いて、スポンサーに嫌われた人もいるようだ。結局、DVDもテレビ放送も止められたと聞く。沖縄戦の真実を描くと、そうなるのだろう。しかし、今こそ振り返るべき歴史。「人々が見たい映画」を作るのではなく、「人々が見なければならない映画」を作る。それこそが映画作家の仕事のはず。なのに、それができない現実を見つめるしかない。
今、沖縄戦の劇映画が作れない理由=再び戦争を始めたい人たちがいる? [沖縄戦]
今、沖縄戦の劇映画が作れない理由=再び戦争を始めたい人たちがいる?
今、沖縄戦の劇映画が作れない理由=再び戦争を始めたい人たちがいる?
先に紹介した日本史の教科書。昨年は文科省検定で不合格。一転、今年は合格。何ら修正はしていない。沖縄戦の記述は5行。信じられないものだ。「(戦争を)よく戦った」と褒めるような記述。驚愕する。これで子供たちに歴史を教えるというのだから信じられない。「作る会」と呼ばれる団体の教科書である。
以前にも「集団自決は軍の関与があった」と記述する教科書を文科省は指摘。その表現を変更させた事件がある。ある団体が裁判を起こし、文科省に圧力をかけたのだ。「大江、岩波裁判」弁護士の1人は稲田朋美。後援は「作る会」メンバー。しかし、裁判では「軍の関与がなかったとはいえない」との判断。だが、その決着が着く前に文科省は教科書から「軍の関与」を消させた。
なぜ、歴史を変えようとするのか?改竄しようとするのか?改竄と言えば、あの政権。森友事件への夫人の介入を公文書から消し去ったりしている。何をしても、あとでなかったことにするのは、あの方の得意技。同じことを歴史教科書でもしているのだ。
では、どうして歴史を改竄したいのか? つまり、沖縄戦で日本軍が行った非人道的な行動。住民をタダでこき使い(オリンピックでもやっている)避難計画も立てずに戦闘に巻き込んだ。14歳から70歳までの住民を徴用。軍に協力させたり。中学生を鉄血勤皇隊として戦闘に参加。挙句は住民に自決を強制している(集団自決ー今は、集団強制死と呼ばれる)県民の4分の1が死亡。そんな信じられないことを日本軍がした事実を封印したいのだ。
先の教科書に書かれているように「日本軍はよく戦い」「住民はよく協力した」ということにしたい。「日本軍は素晴らしかった。あの戦争はアジアを守る戦いだった」と歴史に刻みたいのだ。なぜか?もう一度、戦争したい人たちがいるからだ。だから、沖縄県民は捨て石にされて、軍隊に見捨てられて死んだのではなく、本土を守るために犠牲になったことにしたい。それを教科書を改竄することから始めたのだ。
教科書だけではない。今の日本映画界で沖縄戦の真実を描く作品は作れない。テレビドラマでも終戦記念日によく放送される戦争ドラマも減っている。戦争ものを作るなら「日本軍は素晴らしかった!」「勇敢だった!」「彼らが日本を守った!」という方向でないと、どこの企業も金を出さない。あるいは「戦争はいけませんよ?」という上っ面だけの作品でないと制作することはできない。原発事故の映画と同じ。大企業が出資するのは「東電職員は命がけで日本を守った!」という嘘800の「Fukushima」なんとかという映画だけだ。
なのに、どこかの映画監督は事実を抉る戦争ドキュメンタリーを作ったらしい。そこまでする必要はないーと関係者が大慌てという話も聞く。政府が「右!」というのを「左!」というマスコミや大企業や団体は存在しない。NHKだけではないのだ。塚本晋也監督が作った「野火」。父の遺産を注ぎ込んで製作。彼でさえ戦争ものを作るのに、どの企業も費用を出そうとはしなかったのだ。インタビューでこう答えている。「次第に戦争映画が作れない空気が広がっているのを感じた。早く作らないと作れなくなってしまう」その空気がもう日本に溢れている。
オリンピックがまさにそれ。緊急事態宣言下。感染者がどんどん増えているのに強行。国民の半分以上が反対しているのに政府は止めようとしない。これが戦争ならどうか? その戦争を進めるためには教科書を書き換え、戦争映画を作らせず、国民には「日本軍は素晴らしかった」「国を守った」と刷り込む。やがて始める戦争のための準備なのである。