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「567で映画界は壊滅状態ですよ」と言う業界の友人。 [映画業界物語]

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「567で映画界は壊滅状態ですよ」と言う業界の友人。

まさにその通りだ。彼が続ける「まず、撮影ができない。アクション映画も、恋愛映画も濃厚接触が必要。毎日、検温、感染予防。セット、ロケ地の消毒。そのために対策チームまで設置。その人員のギャラを払わねばならない。

大きなロケバスで移動ができない。小さな車に分かれて乗る。そのためにレンタカー代もかかる。地方ロケ。地元に嫌がられる。ー東京から何十人も来られたら感染が広がる!ー恐れられる。宿も拒否されがち。エキストラも集まらない。それでもテレビは無理してやっているが、宣言で撮影中止になったところも多い。

多くの映画が撮影延期、中止。スタッフ、キャストの仕事がなくなる。補償はなく、貯金を削って生活する人多数。映画館にも人が来ない。一度も感染が出ていないのに緊急事態宣言で、書き入れ時に休業要請。莫大な収入を失っている。多額の宣伝費が無駄になる。公開延期も同様。映画は*月公開と決まったら、そこに合わせて半年以上前から宣伝を開始。延期すればそれが無意味。そこからまた宣伝せねばならない。そのためにまた多額の経費がかかる。567で映画界は壊滅状態ですよ!」

全く彼の言う通りだ。そんなことがもう1年以上も続いている。やがて潰れる映画館も出てくるだろう。独立系のミニシアターは特に厳しい。それらが潰れると大手しか残らず、隠れた名画やマイナーな名作を見るチャンスがなくなる。公開もできなくなる。安易に作った大手の映画だけが上映される。ミニシアターこそが思いある人たちが奮闘。地域に芸術文化を伝える仕事をしている。そんな彼らが不必要な自粛を迫られ苦しんでいる。音楽や演劇も同じ。

収束時期が見えないのも辛い。今年で収束!とか分かれば、苦しくても、それまで撮影を延期すればいい。来年1月に撮影ができるように、今から準備できる。が、準備しても、1月にはまだ567が蔓延しているかもしれない。と、その準備がまた無意味。費用も無駄になる。そう考えると中止にした方が被害が少ないことにもなる。僕の予想だと、この秋にも収束が始まると踏んでいたが、逆に感染が増えている。

その理由の1番はオリンピックだ。「五輪やるなら、もう大丈夫だろ!」と緊急事態宣言にも慣れた国民が動き出した。「マスクしているから問題ない!」と街に繰り出す。こうして、過去最高の感染者が何日も続くことなった。小池や菅が利権を優先したため。「安全安心」なんかじゃないのに。結局、彼らがやっているのは、収束させるより感染拡大を願い。日本の経済をズタズタにすることなのだろう。

567禍で依頼もない。そのために多くの映画人が収入の道を閉されている。特に監督や脚本家はアルバイトもできない。同世代はもういい歳なので、居酒屋のバイトも出来ない。いや、その居酒屋が自粛要請で閉めている。飲食業はまだ協力金がもらえるが、映画人には何もない。物凄く手続きが面倒な芸術給付金もあったが、額も知れており1回切りだった。Netflixの支援金は申請殺到。開始数時間で終了。それも監督と脚本家は対象外。

先の友人はいう。「都知事の言うー自宅を病室として使うーは1人暮らしの映画人を死に追いやるかもしれない。567感染での死亡ではなく、餓死。俺も他人事ではない。そんな中でオリンピック。ー苦しかったけど、頑張ってよかったです〜ーと金メダルを見せる選手。拍手を送る気にならない。多くの日本人は今も苦しいのによー。金メダルを噛みちぎりたくなる」同感だった。ー


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映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事? [映画業界物語]

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僕はジャーナリストではない。映画監督だ。映画館で2時間の間、ドキドキ、ワクワクして、感動。泣ける作品を作る。文芸作品と言っても退屈なものは作りたくない。テーマは「親子に伝える大切なこと」「幸せって何だろう」というもの。題材はエンタテイメントでも、そのテーマを毎回語っている。

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」を作ってからは社会派作品も手がけるようになった。昨年公開の「ドキュメンタリー沖縄戦」もその路線。劇中で紹介したエピソードは新しく発掘したスクープではないが、多くの人が知らない衝撃の事実が多数あった。いかにマスコミが報道しないか?伝えないか?ということ。毎年、夏になると終戦記念日前後にいろんなドキュメンタリー番組が放送されるが、多くが上部だけ。政権に都合の悪いことには触れない。悲しい歴史の1ページ的なノリで、責任追及や原因解明はしない。

映画でも沖縄戦で有名な作品は「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」しかない。他にも少しばかりあるが、多くの人は知らない。「沖縄決戦」でさえ映画ファンでも知らないことが多い。広島、長崎の原爆。東京大空襲。真珠湾奇襲、ミッドウェイ海戦。多くが映画やドラマ、漫画になっているのに、沖縄戦が描かれないのはなぜか? だから現在も続く沖縄の苦悩に多くの人が無頓着なのだ。

その背景にあるのがマスコミも、映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦を伝えないということ。伝えると都合の悪い人たちがいるということでもある。当時、軍は沖縄で何をしたのか? その軍に命令した大本営は何を考えていたか? それを多くに知られたくない人たちがいる。封印しておきたい団体がある。再び戦争をしたい勢力にとっては、その辺を知られることを危惧する。歴史を書き換え、日本軍は素晴らしかった!としたい人たちもいる。

だから映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦に触れずらいのだろう。テレビや大手映画会社はしがらみがある。基地問題にも繋がる。だから慰霊の日も上部だけしか報じない。「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれを破る作品を目指した。実はかなり危険な作品。テレビでは絶対に作れないドキュメンタリーだ。それを映画館で全国公開すれば、嫌がる人たちも出てくるだろう。邪魔もされるはず。

ましてDVDにして全国でレンタル。地上波、ケーブルで放映されたら堪らない。映画館公開どころでない反響がある。多くの日本人が沖縄戦を知ってしまう。実際、見てくれた人のほとんどが「知らなかった。ここまで酷いことが行われていたなんて...」と驚愕したという。そして誰もが「多くの人が見るべきだ!」という。逆に「これを見せてはヤバイ」と思う人たちもいるだろう。「主戦場」も未だにDVDになっていない。あちらはあれこれ事件になり、話題になったが、内容的にはこちらも近いものがある。よく、特殊な団体が街宣車で来なかったなあ?と内心思っていた。

公開をほぼ終えたとき考えた。映画監督の仕事はエンタテイメントでお客を楽しませることだけではなく、封印された、多くが知らない現実を全国に伝えるという仕事もあるのだと。本来、それはジャーナリズムの仕事だが、テレビ、新聞はすでに、その使命を果たすことができない。巨大組織は管理され、政府の広報機関でしかない。が、フリーの映画監督がインデペンデントで作るなら、真実を伝える作品作りがまだ可能だ。

そんな仕事も、今の時代は映画監督の仕事の一つなのだろう。幸い、僕は失うものはない。妻も子もいない。コンクリート詰にされて東京湾?ーーでも、止める気はない。「朝日」のときから、その覚悟でやっている。だが、敵は様々な手で足を引っ張り、真実を伝えるのを止めようとする。心なき人たちがあれこれ、陰口を振りまいている。でも、心ある人たちの支援や応援があれば出来る! 戦いは続く。


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「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだ!」と批判する人たち?=映画作りというものが分からないと勘違いする。 [映画業界物語]

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「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだ!」と批判する人たち?=映画作りというものが分からないと勘違いする。

地方映画の場合。一般の人が実行委員となり、映画製作をする。最初は「監督、よく頑張るなあ」「凄いなあ」と評価してくれるが、完成後にギャラを請求すると「金を取るのか!」「結局、金のためか!街を愛してくれたので、頑張っていると思ったに失望した」と言われたことがる。考えれば分かるが、1年も映画に専念して、どうやって生活をするのか? 家賃、食費、交通費。物凄い金持ちで道楽に映画を撮っていて「ギャラなんていりませんよ」なんて奴。見たことない。けど、そう思い込む。ゲゲゲの鬼太郎か? 妖怪退治して金も貰わずに去っていく。それを期待したのか?

でも、地元の社長とか、それなりの街の名士でも、そんなことをいう人もいた。こちらは監督料をもらっても完全に赤字。残るのは借金の山だったりする。それを全く想像しないで、失望したと言われ、批判される。あるいはこう言われる。「監督は撮りたい映画を、俺たちを騙して撮ったんだ」と言われたこともある。これも誤解がある。映画監督は自分が撮りたい映画を撮ってこそ、いいものが出来る。嫌なものをいやいや撮ってもダメ。それを「自分が作りたいものを作っただけ」といわれる。もし、街の魅力を語る映画なのに、意味不明の実験映画やホラーものになっていたら、その指摘も分かる。が、映画館では皆、大感動していても、そう言われる。

その背景にあるのは「仕事は嫌だけど、やらなければならないもの」「趣味は楽しく好きでやるもの」という思いがある。多くの人は好きな仕事を選べず、いやだけど会社員になる。工場で働く。その代わりに固定給をもらう。映画監督は好きで選んだ仕事。その代わり生活は不安定。だけど、自分が信じるものを作る。根本的に違う。また、映画監督でも押しつけられたものを嫌々やる人がいる。が、僕は自分が「これ!」と思わないものは絶対にやらない。その代わりに最高のものを作る。そこが理解されない。だから「自分の撮りたい映画を撮っている」=「好きでやるのは趣味だ」「俺たちは利用されたんだ」という判断をする人が出てくるのだ。

映画の評判が悪ければまだ理解するが、ほとんどの人が「よかった」「感動した」と言ってくれる。そして、それこそが僕が目指したもの。感動し、泣けて、希望を感じる映画が作りたい。その意味でも自分のやりたいことをやっている。映画界でも僕のように「本当にやりたいものだけ作る」監督は少ない。だから業界でも「わがまま」「身勝手」と批判する人もいる。あるいは「物凄く恵まれている。悔しい」と思われる。が、そう思うなら「やりたい映画だけ監督すればいい」それができないなら他人を嫉妬するな。思いを突き通すのは大変。毎回、遺作のつもりでやらないと出来ない。その手の人に説明しても分からないので、相手にしない。理解される必要はない。批判されるということは、自分の思いを貫いているということ。そう考えている。


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「最近の映画監督は社会政治に興味ないのか?」と指摘されたこと。そうかもしれない? [映画業界物語]

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「最近の映画監督は社会政治に興味ないのか?」と指摘されたこと。そうかもしれない?

ある映画ライターさんに言われた。「最近の映画監督はどーなっているのか? 昔は大島渚監督が深夜の討論番組に出て鋭い意見をいい、時にはバカヤローと叫んだ。黒澤明監督は原子爆弾や原発に関心を持ち、多くの監督たちが反戦映画を作った。伊丹十三監督も社会に切り込んだ作品を作り、それを語った。

なのに、最近の監督たち。Twitterを見ていても映画のことしか語らない。芸能人じゃないんだから、政治発言だ!なんて批判されることはない。むしろ、政治発言をするのが文化人たる映画監督の使命の一つなのに発言しない。新作の***はどうだとか、名作***は何度見てもいいとか、そんなことばかり。それでは映画作家ではなく、映画ファン。

567とか、枠てんとか、ウイグル問題、寅とか、梅とか、安倍菅政治とか、今、世界はいろんな問題を抱えているのだから、それらについて切り込み、語るべきではないか? 韓国映画にパワーでも、技術でも、製作費でも近年は負けているけど、何より監督のレベルが下がっている。映画ファンがそのまま監督になるような状態だから、いいものが作れないのではないか?」

そんな指摘を受けた。確かにそれを感じることが多い。僕より上の世代。先輩たちは社会や政治について語っていたが、下の世代は映画の話しかしない。特に政治の話はしない。まるで大学のコンパみたいな会話であることが多い。ただ、考えてみると、上の世代は大学時代から酒を飲みながら政治について語ると聞いたが、僕らの学生時代は飲み会で政治の話なんて、皆無だった。むしろ「政治なんてダサいものに興味ないよ!」という感じ。普通の大学生たちはファッションや車の話。旅行、どんな料理が今旬か?てな、広告代理店の会議のようなことしか話さなかった。

僕ら映画ファンはもっぱら映画。スピルバーグの新作はどうだ?ILMの特撮はいつも凄いとか、日本映画は相変わらず詰まらないとか、そんな話を朝までしていた。そんな世代が映画界で仕事をするようになっても、いきなり安倍菅政治について語ったりは出来ないのだろう。だから、相変わらず映画の話。もともと、政治に興味がない人たちが業界で働いているのだ。ただ、近年、311からは政治や社会に関心なしにいられなくなった。原発事故によって様々な闇が明らかになった。安倍晋三の登場、暗黒の時代が始まる。戦争法の強行採決。原発再稼働。そしてアメリカ大統領選、567、枠てん、混迷の時代が続く。

一般の人の関心も、少し前までは旅行、グルメ、SEXだったが(テレビや雑誌はそれらさえ扱えば視聴率が取れ、売れた)今1番の関心は567だ。感染であり、枠てんのこと。そしてオリンピックの中止?強行開催? 10年前とはかなり様変わりしている。一般の関心が社会や政治に向かっているのに、相変わらず映画人たちは新作映画のことしか語らない。とライターさんは指摘するのだ。

理由は先に説明した通りだが、映画という狭い世界の中で生きて来た人たちが、いきなり政治を語れない。ただ、ライターさんのいう通り、一般の人たちでさえ、関心を持つ問題にほとんど触れないのはどういうことだ?というのも頷ける。先輩監督たちが世に問うて来たのに、今の世代は何も言えないでいるということなのだ。それで多くの観客を感動させる。あるいは感銘を与える作品が作れるのか?と問われた。

我が身を振り返る。僕も少し前までは指摘される通りだった。映画にしか興味がなかった。本棚に並ぶのはスピルバーグや黒澤明の本。後は映画のDVDだ。スポーツにも、車にも興味はなかった。それが311で原発事故。高校時代に見た映画「チャイナシンドローム」がダブり関心を持つ。昔から映画にしか興味はないが、事件は好きで、JFK暗殺、宮崎勉事件、オウム真理教事件、三浦和義事件、薬害エイズ事件と、その種の報道はテレビにかじりついて見ていた。その延長で「女子高生コンクリート事件」のVシネマの脚本も担当。徹底的に取材。そのノリで原発事故を調べた。

結果、マスコミが報じるどころではない大変なことになっていて、東京全滅の可能性すらあることを知る。何かしなければ!と強く感じた。震災や事故があるとボランティアで出かける気徳な人たちがいるが、僕はその種の思いはなく、無関心、無感動世代らしく、自分から何かをすることはなかった。なのに何かをせねば!と感じた。多分、山本太郎さんも同じような思いを感じて、政治家への道を進み始めたと思える。僕は原発事故の映画を作った。それまで爽やかな青春ものばかりだったのが、いきなり社会派! 

そこから関心を持ち、原子力ムラの存在、アメリカの支配、日米地位協定とか、日米原子力協定の存在を知り、政治家たちが国民に知って欲しくないことがあれこれあるのに気付く。そんな勉強を始めた。そうしたところに来た依頼が「ドキュメンタリー沖縄戦」だ。取材を進めると、沖縄戦と原発事故は同じ構図であることが分かる。沖縄戦を知るには太平洋戦争を把握せねばならないことが分かる。さらには日中戦争、日露戦争。第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線。ナチスドイツ。日本以外の戦争も知り、比較することの大切さを感じた。

そんなことで気付くと、Facebookでも、ブログでも政治や社会のことばかり書いていた。そんなだからこそ、ライターさんは僕にそんな話をしたのだろう。だが、偉そうなことは言えない。全ては311の原発事故からだ。あれでたまたま興味を持ったので勉強したが、そもそもは映画ファンのまま映画監督になっている。映画しか興味がなかった。

かつて漫画家の本宮ひろ志が言った。「今時の若手漫画家は社会の実体験がない。子供の頃から漫画ばかり読んでいて、自分でも漫画を書き出す。自分が好きな漫画の模倣。たまたま、面白いものが描けてデビューしても、社会経験がないから1発で終わる」その言葉は衝撃だった。まさに、若き日の僕そのものだった。それもあってアメリカ留学を考えた。映画を見ているだけではダメだ。それでは映画は作れない。そして311。作家業としてはラッキーだった。でなければ、僕も未だに映画のことしか言わない映画ファンの延長線に立っていたはずだ。もちろん、時代が今のようにならなければ、それでも問題はなかった。が、世間の人たちが社会に目を向けているのに、クリエーターが映画にしか興味がないようでは始まらない。

いつもFacebookで記事を拝見する先輩監督。あれこれ社会に対する思いを綴っている。恐怖をモチーフにした作品を作る方で、海外でも評価が高い。やはり、関心が映画だけでないからこそ、数多くの作品を作り続けられるのだと思える。果たして僕はどうなるか?分からないが、ライターさんの指摘は正解。映画にしか興味ない映画人は、やがて時代に淘汰されていくように思えてしまう。僕もしっかり勉強を続けよう。今は戦争について、もっともっと知りたい。


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クリエーターとはどんな人たちなのか?=才能あふれる立派な人ばかりでないことを知ってほしい。 [映画業界物語]

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小説、漫画、ドラマ、映画、音楽等の創造の仕事をするクリエーターというのは常識に縛られない人が多い。別の言い方をするなら変人であることが多い。ただ、あまりに非常識なことをすると仕事ができなくなるので、一般の人に対しては「常識がある振り」をする。

本来、常識に縛られるのをとても嫌い、最低限のことしか従わない。人が右と言えば、左に行きたくなる捻くれ者。でも、だからこそ多くの人が気づかないことに気づき、感銘を与える作品ができる。

業界を見回すと変人ばかり。そして、変人の方がいい仕事をしている。世間で言われているようなことを言ってる奴は、大した仕事をしていない。しかし、世間の人は「クリエーターである映画監督というのは立派な人だ」と勘違いすることが多い。そりゃ立派な人もいるが、そうでない人もいる。単なる変人も多い。

僕と接する人。最初は間違って「感動できる映画を何本も撮った立派な人」と思うことがある。僕も最初から非常識なことはしない。が、映画製作を始めるとつまらぬ常識に関わり合ってはいられない。すると一般の人は「裏切られた!」「あんな人とは思わなかった!」「許せない!」と怒り出すことがある。暴力を振るとか、金を騙し取るということではない。一般の人がよくやる「空気を読む」とか「周りの顔色を伺う」とかいうことはしない。

いい映画を作るより、街の実力者の顔を立てるとか、事前に根回しするとかを優先する人たちからすると「とんでもない!」ということなのだ。こちらは変人で常識がなので、その辺に気が回らない。作品を作ることしか考えない。だから、批判される。つまり、勝手に「立派な人」だと思い込み、同調圧力に従わないからと「裏切られた」と騒がれる。世間の人たちとはそんなことで時々、トラブルが起こる。映画制作時以外は一般の人と接することを避けるようにしている。

その辺の無意味な習慣や風習に従えるようなら、カタギの会社員になっている。理不尽や同調圧力に我慢できない。つまらないルールに縛られたくない、大人しくできないから、こんな仕事をしている側面が強い。そんな協調性のない人を世間では「変人」と呼ぶ。僕もそんな人たちがたくさんいる世界の片隅にいる。



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日本のテレビ局は完全に時代錯誤。生き残りは可能か? [映画業界物語]

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本当にテレビを見なくなった。ドラマはもう何年も前から見ていない。以前に仕事した俳優さんが出演。お世話になっているスタッフさんが参加したものは録画して拝見するが、それ以外は本当に見ない。90年代は放送しているドラマは勉強のため、ほとんどを見ていた。が、次第に時代からズレていることを感じ。見る価値がないと思えた。

何より毎週、同じ時間にテレビの前にいなければならない連ドラ。録画すればいいのだろうが、「そこまでして見たい!」と思えない内容。似たようなストーリー。人気俳優をシャッフルするだけのキャスティング。そもそも週1放送で1話完結。あるいは「続く」というスタイルは60年代から続いているもの。その枠で新しいものはできない。

そこから分かったこと。テレビ黄金期で有頂天になった。大きな力を得た。巨額の富を得た。が、時代は変わり、内部腐敗が極まり、時代に即した対応ができなくなっているのだ。恐竜と同じ。あとは消えゆくだけ。それに気づかず、未だに勘違いが続いているということなのだ。どこの業界も同じ。「驕れるものは久しからず」となる。

2000年代に入り、アメリカは「24」という映画を超えたドラマを作り出した。見出すと止まらない。日本ではそれをdvdレンタルして、休みの日の一気に見るスタイルが流行った。そう。続きを1週間待つのではなく、見たい時に続けて見る。それが「プリズンブレイク」「HEROES」と続き、今はプライムビデオに引き継がれている。「コブラ会」を一気に見る!

(その元祖を20年経ってからリメイクした日本のテレビ局。それだけで分かる。その評価からも)

つまり、テレビ局側の都合で週1回の放送。続きは1週間待たされて、同じ曜日の同じ時間。録画する努力を視聴者に求めるスタイル。それがもう通用しない時代になっているのだ。なぜ、商業主義のテレビが自らは60年代のスタイルを続けて、視聴者に様々な努力を強いるのか? だから、多くが離れて行き、視聴率2桁がなかなか取れなくなった。若い人たちがテレビを見なくなってしまったのだ。

僕もそんな1人。本来、テレビドラマを見るのは勉強なのだが、学ぶものがほとんどなくなった。ただ、時々、超面白いものが出てくることがある。後で知り、dvdやプライムで見ることになったのが「半沢直樹」「鬼滅の剣」しかし、それでフォローできる。毎週、録画せねばならないほどのドラマは頻繁にはない。

この数年。日本のプライム業界も配信だけでなく製作を始めた。「全裸監督」がその1本。テレビよりも製作費が豊富。見たい時に見れる。cmなし。面白い。パート2も製作決定。アメリカではすでに量産されている。スコッセッシ監督の大作も製作はNetflixだ。この展開はもうテレビはドラマを作らなくていい!ということになるだろう。

ドラマはプライムで見る。テレビは報道だけ?いや、その報道もすでに信頼を失っている。日米ともにフェイクニュースのオンパレード。嘘と誘導のための広報機関。だったらバラエティ? それもYouTubeに奪われているようだ。そんな時代なので、テレビを見る必要がない。でも、ほんの時々。5年に1回くらい気になるドラマがある。先日も1本あった。そのことは別の機会に紹介する。



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映画監督の仕事は演技指導ではない。嘘を見抜くこと?=何でやねん!説明する。 [映画業界物語]

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映画監督の仕事は演技指導ではない。嘘を見抜くこと?=何でやねん!説明する。

何度も書いたが、映画監督は俳優に演技指導をする仕事ではない。自身が芝居できないのに指導なんて出来る訳が無い。そこをよく誤解する人が多い。では、何をするのか?というと、本物と偽物を見分ける作業をする。俳優が芝居をする。それがいい芝居か?どうかではなく、リアリティはあるか? 嘘はないか?を見極めるのである。

友人が死んだ時に、そんな顔をするか? 嬉しい時にどんな笑顔をするのか? 辛い時はどんな風に泣くのか? 俳優はシナリオを読み、設定や流れを理解し、その場面を演じる。監督はそれを見ていて、正しい動きであるか?喋り方はそれでいいか? 演技に見えないか? 自然に見えるか?を確認。判断する。それが監督の本来の仕事。

つまり、監督は演技ができたり、演技を指導する必要はない。日常生活の中で、あるいは通常でない事態の中で、人がどのような振る舞いをし、話し、動くのか?ということを日頃から観察し把握する。

それを俳優が演じた時に、その嘘を見抜く、不自然さ、リアリティのなさを見つける仕事なのだ。いかに上手に人を騙すか?を俳優は努力し、それをいかに見抜いてより巧妙にするか?を監督が指摘する。それが撮影現場なのだ。

だから監督は映画技術や映画の歴史に詳しいより、人を見る目、物事の真理を見抜く目が求められる。それが映画監督がするべき仕事なのだ。オリバーストーン監督が映画化のためにロシアでスノーデンと会った時。いろいろ話した。ご存知の方も多いと思うが、彼はアメリカの情報組織NSAで働くエージェントで、国内の重要機密を持って亡命した実在の人物。アメリカの陰謀を世界に暴露した。

彼を描いた映画を作るために、ストーン監督はスノーデン本人に会ったのだ。が、本当に彼は機密情報を持ち、本当にNSAで働いていたのか? 嘘で注目を集めているだけかもしれない。だとしても、それが嘘だと証明する手段はない。機密情報なのだから。ストーン監督はこういった。

「もし、彼が言っていることが全て嘘ならスノーデンは世界1の俳優だ。数々の名優の演技を見てきた私をも騙せたのだから」

ここにも監督業の本質が見える。演技指導ではない。嘘を見破る。見抜くことこそが映画監督の仕事なのだ。

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考えること。調べること。把握すること。伝えること。ーそれがクリエーターの仕事。 [映画業界物語]

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考えること。調べること。把握すること。伝えること。ーそれがクリエーターの仕事。

映画監督業で大切なこと。いや、監督だけでなく、作家でも、漫画家でも、クリエーター、それらの仕事は皆、同じものが大切ー「考える時間」だ。もちろん、締め切りがあり、それまでに上げなければならず、十分に考えられずに終わることが多い。「このスピード時代に何、甘えたこと言ってんの?」「俺は短時間でもやれるぞ」とか言う人もいるが、必要な時間をかけた作品には絶対に敵わない。インスタントでは伝わらないのだ。おまけに時代は大きな曲がり角。今までのように時間に追われていては正しい方向には進めない。

映画は数ヶ月では出来ない。企画、取材、シナリオ、準備、撮影、編集、完成、宣伝、興行と長い戦いが続く。その最初の部分に年月が必要。1作目の「ストロベリーフィールズ」と2作目の「青い青い空」は製作費集めに4−5年かかった。が、その間にあれこれ考えることができた。その後は順調に2年に1本くらいのペースで監督。毎回7人分の仕事をするので、終わると毎回、過労で倒れて数ヶ月寝込む。そして、また次の作品。

監督デビューから15年。6作の監督作。が、幸運と言える。映画が撮りたくても撮れない監督たちがいっぱいいる。その意味で妬まれたりもする。が、仕事が続くと考える時間が削られる。1年も2年も物語を考え続けることはできない。題材の勉強が十分にできない。「青い青い空」の時は書道を4年勉強。「朝日のあたる家」では原発を2年取材。しかし「沖縄戦」は取材と撮影が同時進行。ドキュメンタリーで、3年の歳月があったので何とできた。ゼロから知ることで、同じく沖縄戦を知らない人たちに分かりやすい作品にできた。

ただ、劇映画はその方法は使えない。ハリウッド映画のように3年もかけてシナリオを書けるだけのギャラ、日本ではもらえない。取材ということにさえ理解がなく、Pによく言われた。「調べなくてもいいから、早くシナリオを上げてよ」そんな姿勢が作品をダメにする。それに従い、あるいは自ら取材を放棄、同じ題材の漫画を読んで「こういうことね〜」と映画を作ってしまう人たちもいる。それでは心に届く作品は作れない。

リアリティを追求するとか、嘘を描いてはいけないということだけではない。作家がしっかりと現実を見て、学び、知り、取材して、理解し、把握。その上で「何が大切か?」「どう生きるべきか?」を提案するのが映画だ。90分笑えるだけの作品であっても、「笑いとは何か?」を考えると2ー3日でシナリオは書けない。コメディでも現代の反映がある。観客は今の時代を生きている。その時代を作家が把握せず、撮影や編集に追われるばかりで映画を作っていてはいけない。

そんな疑問を感じている時にコロナ禍。多くの仲間や俳優たちが仕事を失い大変な思いをした。それは悲しいことだが、いい方にも考えよう。時間ができた。「沖縄戦」の宣伝で半年以上は走り回ったが、あとは自宅謹慎。いや、ステイホーム。その間に沖縄戦だけでなく、戦争の勉強を続けた。戦争は数ヶ月だけ勉強、数冊の本を読んだだけでは把握できない。そして過去の悲劇だけではなく、これからも起こる可能性がある。現代も把握せねばならない。

そんな時に大統領選。この背景にも戦争が大きく関わっている。戦争で大儲けしている人たちがいる。クリエイターがそれを「陰謀論だよ」で終わらせてはいけない。「バカが多いよなー」と笑ってはいけない。テレビニュースを疑わない者に作品は作れない。本当にフェイクなのか?を確かめるのがクリエイター。嘘か誠か?検証することで、さまざまなことが見えて来る。時代の流れを感じことができる。そこから作品が生まれてくる。

それを学び!考える!大切な機会に転用した。「朝日のあたる家」の時だって、過労でダウンして寝込んでいる時に原発事故。興味を持ち調べ始めた。映画にするつもりなんてなかった。ま、大統領選を映画化することはないがーハリウッドでやるべきーあれこれ考えること。過去を学ぶこと。現在を知るための時間が持てたことは重要。沖縄戦で終わらずに、「戦争とは何か?」を見つめ、考えて、「大切なことは何なのか?」を伝えねばならない。それが僕の仕事なのだと思えている。


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考えること。調べること。把握すること。伝えること。ーそれがクリエーターの仕事。 [映画業界物語]

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考えること。調べること。把握すること。伝えること。ーそれがクリエーターの仕事。(短縮版)

映画監督業で大切なこと。いや、監督だけでなく、作家でも、漫画家でも、クリエーター、それらの仕事は皆、同じものが大切ー「考える時間」だ。もちろん、締め切りがあり、それまでに上げなければならず、十分に考えられずに終わることが多い。

「このスピード時代に何、甘えたこと言ってんの?」「俺は短時間でもやれるぞ」とか言う人もいるが、必要な時間をかけた作品には絶対に敵わない。インスタントでは伝わらないのだ。おまけに時代は大きな曲がり角。今までのように時間に追われていては正しい方向には進めない。

そんな疑問を感じている時にコロナ禍。多くの仲間や俳優たちが仕事を失い大変な思いをした。それは悲しいことだが、時間ができた。その間に沖縄戦だけでなく、戦争の勉強を続けた。戦争は数ヶ月だけ勉強、数冊の本を読んだだけでは把握できない。そして過去の悲劇だけではなく、これからも起こる可能性がある。現代も把握せねばならない。

それを学び!考える!大切な機会に転用した。過去を学ぶこと。現在を知るための時間が持てたことは重要。沖縄戦で終わらずに「戦争とは何か?」を見つめ、考えて、「大切なことは何なのか?」を伝えねばならない。それが僕の仕事なのだと思えている。


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クリエーターと言う仕事。真偽ではなく人々が関心を示す事件を見つめることが大事。 [映画業界物語]

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クリエーターと言う仕事。真偽ではなく人々が関心を示す事件を見つめることが大事。(短縮版)

戦争で大儲けしている人たちがいる。大統領選でもその種の人たちが蠢いている。いろんな疑惑がある。それをクリエイターが「陰謀論だよ。くだらない」で終わらせてはいけない。「バカが多いよなー」と笑ってはいけない。本当にフェイクなのか? 真実なのか?を確かめる。人々はなぜ騙され、誘導されるのか?を見つめる。どちらが勝つか?だけではない、様々な時代の反映が分かって来る。それがクリエーターの力になる。

「安倍総理、桜を見る会に疑惑あり」と言わて「どうせデマだろ?」と馬鹿にしている人にジャーナリストは務まらない。事実かデマかを調べるのが仕事。「安倍が好きか?嫌いか?」は問題ではない。映画監督業も同じ。「トランプ好きか?嫌いか?」ではない。大きな事件に関心を持たず、調べもせず「どうせ、陰謀論だろ?」と興味ある人たちをバカにするならば、その仕事が向いていないと言うこと。

見つめることで真偽だけではなく、いろんなことが分かり時代が見えて来る。そこから作品は生まれて来る。


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