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境界性パーソナリティ障害 ⑭ ーどんなに頭に来ても反撃してはダメ!?その意外な理由。 [境界性パーソナリティ障害]

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 昨年より勉強している「境界性パーソナリティ障害」

  昨年より勉強している「境界性パーソナリティ障害」未だに病気とは思えない凄さを感じる。患者は「この人は私のために何でしてくれる」とか「私を理解してくれる」と思い込むと、「感動しました」「応援してます」と言って急速に接近してくる。その人をターゲットにして取り憑く。

 患者は女性であることが多く、被害者は男性になりがち(女性であることもある)「この人は私のために何でしてくれる」とか「私を理解してくれる」と患者が思い込むと「感動しました」「応援してます」と言って急速に接近。その人をターゲットにして取り憑く。

 例えば、毎日のようにFacebookにコメントを書き込んでくる。「お疲れ様」「がんばってください」「応援しています」最初は健気で可愛い子だと思うのだが、次第に深夜に長電話してきたり、仕事中に逢いたいと連絡してきたり、あれをしてほしい、これをしてほしいと、無理難題を押し付けて来る。最初は心良く応じていても、やがて付き合いきれなくなり、相手がいうことを聞かないと、批判や攻撃を始める。

 ネット上で相手を批判、中傷。ターゲットが務める会社の上司に苦情を伝え、さらに以前からアプローチして仲良くなっているターゲットの友達に「彼に酷いことをされた!」と言い触れまわり、被害者を演じ、そのことで、まわりからもターゲットを批判させる。

 患者は日常生活は問題なく送っていて、会話をしてもおかしくない。まず病気だとは思われない。まわりの人は気づかず、患者が被害者の振りをすれば簡単に騙されて「可哀想だ!」と一緒になってターゲットを攻撃。被害者の振りをする患者は女性。ターゲットにされるのは男性、それも一時は親しくしていた。様々な面で不利。仕事に支障が出て、友人関係も壊れる事態となる。専門家の意見を聞いたが、

「とにかく関わらないこと。反撃してはいけない」

と言われた。詳しいことは以前にこのブログでも書いたので省略するが、その種の人たちに関わると本当に大変なことになる。もちろん、悪意があり攻撃して来るのではなく、病気の症状。それを正常な人だと思って反撃しても意味がない。相手は二元化した考え方(敵か味方か)しかできないし、妄想を伴っているので、いくら理路整然と説明しても理解できない。


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 ここからは経験者に聞いた話だが、もう本当に、想像を絶する腹立たしい言動で批判、攻撃してくるという。「よくもまあ、そんなことが言えるな!」と激怒することを言う。でも、反論、反撃しては患者の思う壺。相手を怒らせて自分に関心を持ってもらうことが目的なのだ。

 患者の望みを適えているのと同じ。そして患者は「私こそが被害者。可哀想な存在」であることをさらにアピール。まわりの人の同情を誘い。更なる攻撃をしてくる。それに気付かなければ反撃によって患者は満足し続け、被害者は傷つくばかり。泥沼の戦いとなる。


子供時代に読んだ「グリム童話」とか「イソップ物語」

この病気を勉強していて思い出した話がある。道に倒れる哀れな老人。旅人が可哀想に思いおんぶして街まで連れて行って上げようとするが、我がままを言い出す。あれこれ無理難題を命令する。いうことを聞かないと首を絞める。背中から降りようとしない。それは人に取り憑き、苦しめることを喜びとする、その山に住む妖怪だった。いろいろあって、旅人は老人からどーにか逃げ出すが、妖怪はまた道に倒れて「助けてくれー」と次の旅人を待つという結末だったような気がする。

 これは童話だが、もしかしたら、その種の患者のことを書いた物語ではないか?と思える。当然だが、患者は妖怪ではない。悪意もない。全ては病気のせいだが、物語が書かれた時代はその種の病気の概念がなく、そんなふうに思えたことを作品にしたのではないか? そこには病気の特徴を指摘する鋭さも感じる。優しさが裏目に出て、酷い目に遭う。可哀想に思わせて近づく。自分の意のままに相手を動かそうとする。類似点が多い。童話を書いた作家はそんな怖さを物語にしたように思える。


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患者個人には責任能力がない。

問題なのは、病気であることを理解できない人たちが、常識的な対応をして、事態が悪化すること。患者の思惑通りのことをして泥沼化すること。また、当事者以外にはもっと分かり辛い。いくら精神病であることを伝えても「おかしいのは、お前じゃないか?」と言われたりする。また、人は精神病の話をすると、コメントを避ける。触れないようにする。知ろうとしない。だから、まわりからの理解や協力を得られない。

 本来、親しい誰かが、本人に病気であることを伝えるべきだが、それができない。いや、気づかない。こうして患者は同じ行動を繰り返し、まわりが迷惑するが、包丁を振り回して暴れる訳ではないので、第三から見ると、人間関係のトラブルにしか思われず、皆が傷ついて終わる。また、精神病の話をすると「差別だ。人格否定だ」と過剰に反応して、事実を知ることより、ふたをして忘れようとする人も多い。

 大切なのは、事実を把握することだ。

 なぜ、トラブルが起こるのか? 誰に原因があるのか? その人はなぜ、そんな行動や発言をするのか? そこで精神病の疑いを持つことで、背景が明確になることがある。病気のために暴走したり、他人を攻撃したりしていることがあるからだ。それを明確にすることが、本人のためでもあり、関係者のためでもある。

 現在、双極性障害を勉強中。症状を理解すると、患者は芸能界にも政界にもいることを痛感する。おかしな発言をするあの人もそうかな?と専門家に聞くと「そうですよ!」と言われた。でも、マスコミは指摘しない。できない。そこがむずかしい。

 続きはこちら=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-22-2


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「境界性パーソナリティ障害」⑬ ー現在、被害に遭っている方から質問。 [境界性パーソナリティ障害]

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 境界性パーソナリティ障害の記事。

 相変わらず好評で、新しい記事をアップすると数時間で100件アクセスを記録する。「記事を読み。あの人はこれだったのか~」と痛感したというコメントをたくさん頂いていることからも、被害に遭っている方が想像以上に多いということだろう。

 質問や相談も何人かから頂いているが、時間もなく、個別にお答えすることがなかなかできない。また、僕は専門家ではないので、安易にお答えすることが危険とも思える。だから、文献で読んだ知識と、僕の考えとは分けて書くようにしている。

 一番多い質問は「被害に遭ったらどーすればいいのですか?」というもの。これまで患者の行動や思考は説明して来たが、では対応すれば?ということは、あまり詳しく書いていない。そこで今回はその点について書いて行こうと思う。

 危険な対応法を綴ったコメントは先日紹介。

 それがなぜいけないか?は説明した。しかし、これまでも繰り返し書いて来たが患者がターゲットを取り込む方法論は見事としかいえない。これなら誰も引っかかるし、先日も紹介したように、自殺をほのめかされては逃げることもできない。

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 そこでまず、専門医に聞いた話を紹介する。

 「いきなり関係を切ってはいけない」と言われた。そうなると、二元的な考え方しかできない患者は「裏切られた!許せない」と思い、攻撃を始める。「だから、少しずつフェードアウト」が大切だと言われた。

 相手を激情させないようにしながら、少しずつ離れて行く。いきなり電話番号を変えたり、メールアドレスを変えると、「捨てられた!」となるらしい。かといって、あれこれ言ってる来る相手にいちいち対応するのも大変。だから、毎回、真剣に対応するのではなく、少しずつ距離を置くということが大事なのだろう。

 次に患者から攻撃(メール、Facebook等での批判、中傷、デマ)を受けたとき。頭に来るからと反撃するのはよくない。これは以前にも書いたが、患者は自分を注目してほしいという気持ちが非常に強い。だから、深夜に長年電をかけて来て延々と話を聞かせたりする。それに耐えて話を聞いてくれることが嬉しい。でも、相手は溜まらない。明日は朝から仕事がある。電話を切ろうとすると患者は激怒。「裏切られた!」と攻撃を始める。あちこちで悪口をいう。妄想で作ったウソをいい触れ回る。

 こちらの気持ちを逆撫でし、反撃したくなる批判、悪口を言って来る。大切にするものを踏みにじり、黙ってはいられないことを指摘してくる。変な表現だが、これは映画作家として聞くと見事としかいえない。シナリオ書きでも気持ちを逆撫でするセリフを考えるのは本当に大変。なのに患者は見事なくらい腹立たしい言葉をぶつけて来る。

しかし、反論してはいけない。反論し、批判することで相手は「私の存在を認知している」ことを確認し、ある意味で喜ぶからだ。その罠にかかり「許せねえ!」と反論、反撃することは患者の思うつぼである。

 ただ、患者も苦手なものがある。愛情を示すと、もっともっとと無理難題を要求し、離れて行くと、批判、悪口、攻撃をし、反撃させて認知されていると感じる。が、無視されるのは苦手らしい。なるほど!と思った。愛を注がれるのも、憎しみをぶつけられるのも、相手を認知する行為。だが、無視というのは究極のゼロ表現。相手を認知していないということ。

 だからこそ、更なる攻撃をし、痛いところを突き、相手を逆上させ、自分に関心を向けようとするのだ。子供でも親の愛を感じられないと、わざと悪戯したり、失敗して関心を惹こうとする。もっと言えば不良はほとんどそれ。非行をして注目してもらおうという思いがある。それと同じ発想なのだ。


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 これは友人の体験談だが、

 あれこれ患者が言って来ても構わず、特に拒否はしないまでも、放っておくといつの間にか近寄って来なくなったという。ま、実のところは、他でターゲットを見つけて、そちらに力を注いでいたのだけど。また、関心を惹こうとあれこれ批判的なことを言って来た患者を完全無視した人の話も聞く。こちらもやがて、アプローチして来なくなったという。

 逆に、あれこれ言って来られて逆上。反論した男性もいた。すると患者は「ごめんなさい。いろいろ辛いことがあったの。わがままを言える人もいなくて、ついついあなたに当たってしまって....」と意外なことを言われ「あー、この子は寂しかったんだ」と感じて、仲よくしたら、また元の木阿弥。深夜に長電話がかかってきて....ということを繰り返し、逃げられなくなってしまった。

 これらから考えられるのは、初期段階で気づけば少しずつ距離を置きフェードアウト。でも、攻撃が始まってからだと、それも難しいかもしれない。ただ、反論しても相手を喜ばせるだけということになる。その辺でどーすればいいか?は、専門書にも書かれていなかった。

 ネットでいろいろ探していて、興味深いブログを見つけた。

 境界性パーソナリティ障害の患者から被害を受けた方が書いたもの。その方がいうには「とにかく逃げろ」「何をおいても逃げろ」「取り巻きにされるのはもともと、大した好意がない人たち。その人たちを含めて切り捨てて逃げろ」というようなことが綴られている。

 このブログ。僕は過去に遡り全ての記事を読んだが、いろいろな考え方、対応法、解説が書かれており勉強になる。専門医ではないが、経験者の意見はとても参考になる。もし、現在、被害に遭われている方がいれば、一読をお勧めする。




 「ボダ被害に遭わない、逃げ切るためのブログ」
        境界性人格障害者から被害を受けている方のためのブログです。

 こちら=>http://victim-of-bpd.hatenablog.jp/entry/2015/11/01/130011

 (ボダ=ボーダーライン人格障害の略。境界性パーソナリティ障害の別名)



  このブログの続き「第14回」は=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-22



 あと、僕が読んだ専門書で一番、分かりやすく、勉強になったのは以下の書籍。お勧め。

 
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「境界性パーソナリティ障害」⑫ ー誰もが驚愕する、患者からの究極の攻撃? [境界性パーソナリティ障害]

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 「境界性パーソナリティ障害」について

何度も書いて来たが、大切なことを取り上げていなかった。それは患者は往々にして、相手の気を引くために、相手を思い通りに操るために、あることをする。これまで紹介した症状は馴染みがなく、「へーーーそうなんだ」と思った人。或いは「それって病気じゃなくて、性悪女ってことじゃない?」とか感じた人もいるだろう。

だからこそ、この病気は理解されずらく、問題や被害が拡大するのだが、これは聞いたことがある人が多いはずだ。患者は女性に多い。そして特定の相手をターゲットにして賞賛、応援して急速に近づく。親密な関係となると自身の辛い過去を告白する(妄想であることも多い)それで「明るい元気な子だと思っていたけど、辛い過去を抱えて行きているんだ」と感動、共感して、さらに深い関係に陥る。

 やがて、患者はあれこれ無理をいうようになる

深夜の長電話等に始まり、仕事中なのに「今すぐ逢いたい」と言いだしたり、それに応えないと、手のひらを返したように攻撃を始める。共通の友人(取り巻きを含め)にウソを交えた情報を流す。「彼に酷いことをされた」「信じていたのに裏切られた」等の自分が被害者であり、相手が加害者であるような騒ぎを起こし、まわりの人たちを味方につけて相手を追いつめる。その中で究極の手を使うことがある。

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 「今から死にます。さようなら」

という電話、或いはメールが来る。その頃、相手ははもう「こんな奴とは縁を切りたい!」と思っているが、自殺するとなると話は別だ。仕事中でも会社を抜け出して、深夜でも飛び出して患者の元へ行く。と、薬を出して飲もうとしているところだったりする。それは演技であることが多いが、中には本当に死んでしまうこともある。

 いくら鬱陶しいと思い、縁を切りたいと思っている人でも死なれると責任を感じる。だから、別れられない。別れたことで死なれると大変。結果、患者の要求を聞き続けなければならなくなる。死と引き換えに、自分の望みを叶えようとする究極の取引を迫る訳だ。これは映画やドラマなどでよく見る話だし、ワイドショー等の恋愛ネタではときどき聞く話だ。

 その全てが患者という訳ではないが、

境界性パーソナリティ障害患者の典型的な行動パターン。だから、別れられない。逃げられない。また、自殺未遂を共通の友人に伝え、「彼のことが忘れられなくて死のうとした」とかいうと、友人は「お前、愛されているんだから応えてやれ。彼女にはお前しかいないんだよ」と患者を応援する行動を取ってしまう。

 共通の友人は時間をかけて「取り巻き」に仕立てられており、その人たちに対して狂気の顔は見せない。健気で元気ないい子として認知されており、いつも被害者を演じる。加害者は当然、ターゲットとされた相手。でも、まわりからも追いつめられて、さらなる過酷な要求を突きつけられ堪え難いものになり、社会的地位や仕事も失うことに繋がる。

 細かな説明は以前に書いたので、初めて読む方はそちらを読んで頂きたいが、今回は「自殺」をちらつかす症状を紹介している。これも性悪女としか思えないが、多くの患者が見せる一面であり、この病気の特徴である。でも、まわりから見ると「愛」に思えてしまい、被害者(患者)を応援する。加害者である男性はまわりから「飽きたので捨てた。無責任」としか思われず、理解されない。


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 これをワイドショーで報じられたら、

国民のほとんどは「なんて酷い男だ!」と感じるだろう。だが、全て患者による計画。暴力も凶器も使わず、逃げられなくなってしまう。この記事を書いていても思うが完全にスリラー映画のシナリオだ。僕自身、これが病気?と思えてしまうが、これが症状なのである。だから、一般の人は理解できない。「あの子は病気」といっても分からない。むしろ、関係者は「取り巻き」にされて同情して、患者と一緒になり被害者を攻撃してしまう。

 このブログにも何通かのコメントが来たが、攻撃を受けた経験ある人は「あーーあの人は病気だったのか!」と気づいたというものも多いが、経験のない人は非常に無責任な発言をし、ちゃかしたり、きれいごとを並べたりする。僕もこの話を友人にしても、多くは理解できないようで、黙ってしまい、話題を変えようとする。「そんなことをいう監督自身が病気なんじゃないか?」と思っている友人も多いだろう。

 むずかしい病気であり、

まわりから理解され辛いものだ。患者も悪意で相手を苦しめている訳ではなく、結果、誰も救われない。罪のないまわりの人たちまで加害者となる。本当に悲しい。興味ある方。心当たりのある方はぜひ、バックナンバーを読んで頂きたい。

 つづきはこちら=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-21-2

 バックナンバー=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305834655-2




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境界性パーソナリティ障害⑪ ー問題あるコメントを紹介 [境界性パーソナリティ障害]

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 「境界性パーソナリティ障害」の記事にこんなコメントが来た。

 「患者は愛を求めています。だから、それには愛で応えるべきです。そうすれば安心して敵対心を持ちません。私のまわりにもその種の方がいますが、距離を置きながらうまく付き合っています。愛こそが大事だと思います」

  それに答えて別の方がこんなコメントを書き込む。

 「素晴らしい。それが最高の解決法です。傷つけ合っても何も得るものはありません。愛を持って接することが大切。私も見習いたいと思います」

 申し訳ないが、両方を削除させてもらった。非常に問題があり、誤解が広がるものだったからだ。コメント1の方。パーソナリティ障害を多少勉強されているようだ。が、拡大解釈して、きれいごとにしてしまっている。本当の大変さを知らない人が安易な解釈で無責任なことを言っているところがある。さらにコメント2の方が「素晴らしい」と思ったように、感銘を受けてしまい間違った考え方が広がってしまうのを懸念したのだ。


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 コメント1の方はそばにパーソナリティ障害の方がおり、うまく付き合っているように言うが、実はターゲットにされていないだけではないだろうか? 或いは「取り巻き」にされているのかもしれない。患者は誰に対してでも攻撃的という訳ではない。自分が取り憑き、コントロールしようとする相手にのみ攻撃的であり、周りの人や「取り巻き」に対しては好意的であり、健気な姿をアピールする。

 それをコメント1の方は「うまく付き合っている」と解釈してはいないか? そして、たいていの場合、一般の人はその人が「患者」だとは気づかない。問題が起きても「変な人」と解釈する。だが、コメント1の方は気づいた。病気の原因が「愛情の欠如」であることも知っていた。だから、距離を置いて付き合った。毛嫌いせずに交流をした。それを「愛」を持って接するといってはいないか?

 知識があるだけに「うまく付き合っている」と解釈。でも、「愛を持って」という言葉を使うが、コメントには「愛」を持って具体的にどう接しているか?は書かれていない。やはり、毛嫌いしていないことを「愛を持って」と表現しているように感じる。

 そういう表現をすれば美しいイメージが生まれる。だからコメント2の方は「素晴らしい」と書き込んだ。が、コメント1の方は患者だと認識しているので距離を置き、付き合っているだけかもしれない。それを賞賛する2の方。もし、それらコメントを読んだ人が、その種の人から攻撃を受けたときに、「愛を持つべきだ」と相手の要求を受け止めたり、優しさを見せれば大変なことになる。

 そんな誤解を生むコメントなのだ。だから、削除させてもらった。精神病について書くのはむずかしい。僕の記事にも「素人が分かったこと書くから、被害が広がるんだよ!」とコメントしてくる人もいる。(その人も専門家ではないことが多い)ある意味でその通りだ。

 そして僕も専門家ではない。だが、このブログで紹介することは、専門書を読み、そこから抜き出したことを出版社名と著者名を上げて紹介。その後は、僕が学んだことと断って、紹介している。そして、僕の意見の場合はそれらと混同しないようにして「意見」として書いている。何よりいけないのは精神病というと、避けて通るところがある風潮だ。先にような批判コメントが来ると、その種の記事を書くのを控えたりする。

 誰かに迷惑をかける。人権問題に抵触するとか考える。しかし、その考え方は「臭いものにはふたをする」的な対応にも感じる。僕自身、その種の方々と出会い、大変な目に遭ったことが何度もある。最初は悪意ある人たちだと思ったが、実は病気。悪意はない。ないからといって許せるものではないが、それを気づかずに争いを続けても不毛だ。

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 患者は間違ったことを信じ込んで行動、迷惑でしかないのに、どう説明しても理解しないことがある。でも、その人が病気だと分かれば、違った対応もできる。なのに、世の中、なかなか精神病とは何か?を知る機会はない。以前、みのもんたの番組ではいろんな「病気」について解説してくれたが、「精神病」はなかった。せいぜい「うつ病」。ゴールデンタイムの情報番組では「がん」「心臓病」「肥満」「冷え性」とありとあらゆる病気や症状を説明してくれるが、「パーソナリティ障害」の特集を見たことはない。

 それなら、僕が自身のブログで専門書を読んだ知識を紹介するという形で、説明するというのも意味ありか?と思えた。実際、凄い反響でいろんな方からコメント、相談を頂いた。が、僕は専門家ではない。診断はできない。ただ、知り得た知識や経験談を紹介することはできる。ただ、先のような問題あるコメントが来ることもある。それをコメント欄では紹介できない。なので、今回のように解説した上で紹介させてもらった。

 僕もまだまだ勉強したいが、聞きかじった知識で分かった気になり、間違った対応をすると大変なことになる。まして、それをネットで書き込みー特に僕のブログはその種の人たちの被害に遭っている方が多く読んでくれているー読者が誤解して、よりトラブルが大きくなるコメントは気をつけなければならない。「そうだ!やはり愛なんだ」と思って、患者からの攻撃を受け止め、愛情を注いでも事態は悪くなるだけなのだ。

 このブログを読み、感じるところがあった方は、ぜひ、以下の本を読んでほしい。いろいろ読んだ中で一番分かりやすく、具体的に書かれており参考になる。

つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-19-2


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「境界性パーソナリティ障害」⑩ 知能犯ともいえる行動?ー病気と思えないから大変 [境界性パーソナリティ障害]

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 「境界性パーソナリティ障害」の記事。

 10回近くに渡り連載してきたが、今だにアクセス数が高く、コメントも頂く。「まさか、あの人が! 考えてもみなかったけど、症状を知り納得です」というものが多かった。そう、多くの人が気付かないだけで、精神病の患者は身のまわりに存在する。統合失調症は100人に1人。パーソナリティ障害は50人に1人と言われる。

 だが、ほとんどの人は「私のまわりにはそんな人いないけどなあ」と言う。それは精神病とはどういうものか?知らないだけのこと。症状を理解すれば、「あーあの人。よく問題起こしたけど、そういうこか!」と分かってくるだろう。何度も書いたが、精神病というのは、頭がおかしくなり、理解不能なことを叫ぶものではない。日常生活も送り、常識的な発言をし、素人が見てもなかなか病気であることを見抜くのは難しい。

 以前、仕事でトラブルばかり起こす人がいて、

いろいろ調べると双極性障害の可能性が高いことが分かった。が、同僚たちからは「そんなことないよ。彼より監督の方がよほどヘンだよ」と言われた。そんな同僚たちは精神病について何も知らない。映画監督は僕を含めて非常識な人が多いが、それと精神病は別。計る尺度を間違っている。そして「自分のまわりに精神病患者などいるはずがない!」という強い思い込みを持つ人が多い。

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 精神病=見るからに変! 目つきがおかしい。

妙なことを口走る。そんな間違った印象を持っている。パーソナリティ障害も、大学出のサラリーマンにもいるし、有名人や芸能人にもいる。決して特別なものではない。特徴としては男性より女性の方が多い。そして、知能犯とも言える行動が多く。ウソもうまい。(正確にいうとウソを付いている意識はなく、妄想を信じているということらしい)だから、一般の人はコロッとダマされて、ターゲットにされたり、取り巻きにされたりする。

 最近もパーソナリティ障害の話を友人にしたが、理解し辛い面が多いようだ。やはり、病気というと、体調が悪い、頭が痛い。という思いがあり、精神病というと狂っている=日常生活を送れない。という先入観があるからだ。また、一言で説明できない。長々と説明しても、病気とは思えず。単なる嫌な奴。知能犯としか思われないことも理解し辛い点だ。

 ただ、この病気に関しては、ほとんどの患者が同じ行動パターンを示す。ターゲットを探して、急激に距離を縮め、相手の心に取り入り、取り憑く。逆らおうとすると、事前に取り込んでおいた「取り巻き」に攻撃させ、自分が犠牲者であるように振る舞う。ふとしたことで、あれほど親愛の情を示していた人が手のひらを返すように攻撃を始めるというのもこの病気の特徴。かと思うとまた親しげに寄って来る。僕も、その種の患者から被害を受けたことがあるが、同様の行動パターンだった。

 病気であることを認識して、

 対応しなければ、トラブルはどんどん拡大して行き、自身の社会的信用を失ったり、罪のないまわりの友人知人をも巻き込み、傷付けることになる。その意味で、僕が経験したケースも、早く気付いたことで最悪のケースを回避した。ただ、大事件にならなかっただけに、友人の中には「本当に病気だったのか?」と疑いを持つ奴もいる。精神科の先生にも確認したら「典型的な症状です」と言われたのに、それでも「とは限らないじゃん?」とか言っている。


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 ま、その友人こそ、患者により「取り巻き」に仕立てられていた1人なのだが、それにも気付いていない。やはり、自身が酷い目に遭わないと分からないのだろう。もし、あなたのまわりでも問題を起こす人がいたり、何か引っかかる人がいた場合は、精神病という方向でも考えてみてほしい。精神病にもいろいろあるが、そのどれかに該当すれば、それなりの対応ができるはずだ。

 患者には悪意はない。

 攻撃されて反撃しても日に油を注ぐだけ。全て病気による反応。そんなときはまずは、症状を把握して、該当するものがないか? 調べてみることをお勧めする。

 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-17

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もう一度、境界性パーソナリティ障害の行動パターンを紹介ー作家の想像力を超える驚愕の方法論 [境界性パーソナリティ障害]

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 境界性パーソナリティ障害。今も多くのアクセスがあり、

 コメントも頂く。こんなに反響があるとは思わず、驚いている。被害を受けた方からのコメントが多く、また被害を受けなければ、実感しにくい病気であることも改めて感じる。

 前にも書いたが、患者のアプローチは本当に見事である。僕は物語を作るのが仕事なので、いろいろと悪事の方法論も考える。悪役がどんなことをすれば、観客は「酷い!」と思うか? どんなふうに描けば「それは俺だって引っかかる!」と納得するか? そんな手法を考える。ミステリー作家が世にも奇妙な犯罪を考えるのと同じだ。

 が、患者の行動は映画作家の想像力を超えている。

 とても病気の症状とは思えないもの。以前にも書いたが、もう1度、そのことを書きたい。まず、患者の多くは女性である。そして患者は「誰かに取り付いて、思うように操り、自分の欲求を満たすことが目的」である。この段階でもう通常は病気ではなく、「強欲な人」「支配よくの強い人」というふうに思えるが、これが境界性パーソナリティ障害の症状である。その理由、原因については以前に詳しく書いた。今回は行動について書く。

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 患者はそのためのターゲットを探す。

 そこで「種まき」という行為をする。あちこちにアプローチして、取り付けそうな相手を探す。具体的にいうと、良さそうな相手がいると「感動しました」「あなたのように素晴らしい人は初めてです」「勉強になりました」と相手を賞賛し近づいて来る。ここも凄い。例えば詐欺であれば、相手が得をする「美味しい話」を持ちかけてくる。そうやって相手を罠にかける。

 が、今日では「おいしい話」が出ると「何が目的だろう?」と警戒する人が多い。それに対して「あなたのように素晴らしい人は初めて」とか賞賛して来たなら、警戒はしない。むしろ、嬉しい。自分を褒めることで相手は何も得をしない。ま、自身が金持ちとか大きな権力を持っているなら別だが、一般の人はなかなか褒められることはないし、女性からそう言われれば相手に好感を持つだろう。

 これが第一段階。そうやって患者はターゲットに近づき、こまめにアプローチを続ける。ネットというのも、それに一役買っている。特にFacebook。気軽にコメントができる。「いいね」が押せる。それによって、距離を縮めることができる。聞いた話だが、ある患者はFacebookを活用。狙いを定めた人たちに、頻繁にコメント。賞賛し、感謝し、応援。そうやって、自分は健気でいい子であることをアピール。会合や飲み会などに参加。狙ったターゲットと親しくなる。

 やがて、Facebookで「淋しい気持ち」や「孤独な立場」を語り出す。

 それを見た人は「可哀想だな。飯でも食わせてやるか?」と連絡する。いい子だし、健気なので、特に女性を意識せず、友達と思って誘う。でも、それは患者の「種まき行為」そうやってターゲットの気を引き、誘い出し、さらに親しくなる。ネットを使ったアプローチ。ここも見事。

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 患者は親しくなると、

自分の辛い過去や悩みを語る。相手も「健気で元気な子と思っていたけど、そんな辛い思いを抱えていたんだな」と同情、共感して、絆が深くなる。そして恋に発展することもある。こうして患者はターゲットの心を掴む...。電話で話をすると「私なんかの話を聞いてくれて、ありがとう!」と感謝を伝え「健気でいい子だ」とさらに好感が上がる。この辺までは言動も行動も全て常識の範囲内。そこからが本番なのだが、患者はターゲットに対するアプローチと並行して、別の行動 もしている。

 ターゲットのまわりの人たちにも、アプローチ。仲良くなる。これがあとで効いて来る。それは「取り巻き」と呼ばれるもので、その人たちに対しても「いい子」「健気な子」をアピール。信頼を得ようとする。決して、マイナスイメージなることはせず、「取り巻き」と信頼関係を作る。

 しかし、ターゲットに対して要求はエスカレート。

 例えば仕事の時間中に「今すぐ逢いたい!」と連絡が来る。夜中に長時間、電話で話を一方的に聞かされる。「明日、仕事があるから」と切ろうとすると「私のことはどうでもいいのね!」と激高。或いは些細なことで激怒して、相手に攻撃を始める。まさに手のひら返し。「あなたのように素晴らしい人はいない!」「いつも勉強になります!」と賞賛していた相手を批判。「裏切られた!」「利用された!」「今までの時間は全て無駄だった!」と怒りをぶつけてくる。

 そして、周りの人たち。そう「取り巻き」に対して「彼に酷い目に遭わされた(レイプされそうになったとか)信じていたのに悲しい。死にたくなる.......」というようなウソ(妄想)を交えて、いい触れ回り、ターゲットの信頼を貶める。患者の言う事を聞かないと、そんなふうに社会的な信用を奪おうとする。或は「今から死ぬ。薬を飲んだ....」とターゲットに電話。メールしてくる。部屋に駆けつけると、本当に薬を飲もうとしていたところであったり。

 「僕のせいで彼女が死んだ...」と思うと

罪悪感を感じる。だから、患者のいう無理難題でも受け入れるようになる。自殺未遂を演じるだけではなく、様々な形で「あなたのせいで私はこうなった」「あなたに言われたから***した」とか、罪悪感を植え付け、責任感を追求することで、相手を意のままに操ろうとする。

 本当に凄い知能犯だ。ナイフ1本を振り回さず、相手を逃げられなくして、意のままに操る。それも自分は被害者を演じている。言う事を聞かなければ、大変なことになる。それも患者が女性。ターゲットが男性なら、誰が見ても、男が加害者。悪いと思ってしまう。作家でも考えつかない、見事な方法論だが、どこで習うでなく患者はこれを実践する。


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 つまり、これが病気の症状なのである。

多くの患者はこれと同じ行動を取る。それを知っていれば「あーあの子は病気だったのか」と気付くが、知らなければ「嫌な奴。許せない!」と対応してしまい問題が続く。また「取り巻き」も自分たちが利用されているとは気付かず「可哀想な**子さんのため」と罪のないターゲットの男性を批判。攻撃する。当然、罪悪感はなく、むしろ正しいことをしていると思い込んでいる。が、患者に利用されているだけ。

 何だか、SF映画のようだ。宇宙人が取り憑いた女性が、超能力を使いまわりの人を洗脳。ターゲットを苦しめるという荒唐無稽な物語のようなのに、現実にそれが起こりえるとは驚くばかり。そして、患者には悪意がなく、妄想も絡んでいるので、本当に自分が被害者だと思い込み、酷い目に遭っていると信じ込んでいる。だから、まわりの人も見抜けず。その罠に嵌ってしまう。

 もう、かなり昔の話だが、僕のまわりにもその種の人がいた。「自分はカンがいい」と自負していたが全く気付かず、むしろ「いい子」だと思っていた。やがて問題を起こし「あれ?」と思い。もの凄くヤバい予感がして距離を置いた。その後、精神科医の先生と話す機会があったときに「典型的な境界性パーソナリティ障害ですよ」といわれビックリ! 「大事なのは無視すること。距離を置いたのは正解。そこで批判しても、擁護しても、結果、相手は喜び、事態は悪化したはず」と言われた。

 大きな事件になる前に気付いたのが幸いだが、

未だに友人たちは「いい子だったと思うよ。病気とは思えないな!」という。が、彼らに精神病の知識はなく、自分たちが「取り巻き」にされようとしていたことにも気付いていない。そして、無責任な奴は「だったら、病院に行けと言って上げるべきだ!」というが、専門家はこういう。「肉親とか、よほどの思いがある人でなければ、関わってはいけません。それが最善の対応です」

 それは経験がある。

 以前、親しい友人が別の病気でおかしくなったことがあった。そのときがまさにそうだった。病院に行くことを遠回りに勧めると、逆上して手が着けられなくなった。悲しいことだが、距離をおくことしかできないのだ。でも、もっと悲しいのが、病気だと知らずに、どんどん深みに嵌り、まわりの人を巻き込んでしまうこと。特に境界性パーソナリティ障害は人口の5%と言われている。50人の友達がいれば1人いる確率。正確な情報を知ることが、問題回避のために大事。その意味で、このブログ記事を多くの人が読んでくれたのは幸いだ。


 以前の記事はこちらから=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-01-11


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患者が病気に見えない。被害者が加害者に見える?ー記事が大きな反響があった理由? [境界性パーソナリティ障害]

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 境界性パーソナリティ障害についての記事

 その後もアクセス数がかなり高い。通常このブログは1日に1000件アクセスくらいだが、このところ3−5000アクセス。凄い反響だ。感想で多いのは「私のまわりにも全く同じタイプの人がいて、迷惑しています」「なるほど、そーだったのか!」というもの。多くの人のそばに患者がいたということだ。この病気は人口の2%と言われているので、日本人が1億人として、2%で200万人。つまり、

 「50人に1人。患者がいる確率だ」

 友達が50人いれば1人は患者ということになり、誰のそばにいてもおかしくない。が、何度も書いたように境界性パーソナリティ障害の患者は「病気」とは思われず、変な人。嫌なヤツ。というふうに思われる。或いは全く気づかずに付き合っていることが多い。これも何度も書いたが、一般の人は「精神病」というと、「錯乱状態で包丁を持って暴れる人」とか「私は神の使いだ!我を崇めよ」というような人だと思っているからだ。

 前者は覚醒剤中毒であることが多いし、

 後者は統合失調症の可能性が高い。そして精神病にもいろいろあって、おかしなことを口走るのはある種のものだけ。境界性パーソナリティ障害の患者は通常の生活を送り、コミニュケーションもできる。むしろ、まわりから「いい人。いい子」と思われることが多い。なので、まず、精神病だと思われることはない。

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 ただ、あるきっかけで親しい人に攻撃を始めるのだが、それも一般の発想の範囲内なので、「怒っている」とか「嫌なヤツ」という印象しか持たない。だから、相手も一般の人に対するのと同じ対応をしてしまいがち。反論したり、批判を返したりするが、次第に泥沼に嵌って行くことは、これまでに説明した通り。

 つまり、患者だということが分からない。

 「変だ」「許せない」「卑怯だ」「人間性の歪んだヤツ」という解釈をしてしまう。また、患者は取り巻きを作る。「明るいいい子」の顔を見せ、被害者であることをアピールすることで、周りの人たちは信頼、同情してしまい、知らない内に「取り巻き」にされるので、さらに病気であることに気づかない。

 が、「取り巻き」作りこそが、境界性パーソナリティ障害の患者がよく行う行為のひとつなのだ。病人の行動というより、知能犯としか思えず、ここでも病気であるとは思われない。でも、そんな患者が日本には50人に1人いるといわれている。

 病気というのは、基本的に本人が苦しむもの

だが、境界性パーソナリティ障害はまわりの人たちを巻き込むところが怖い。それも患者の思い込みで、何の罪もないまわりの人たちが、互いに傷つけ合う。批判、中傷をしあうという悲しい事態となってしまう。全ての元凶は患者なのだが、そこに問題があることを理解する人は少ない。

 たまたま僕の記事を読んだ方が「あーーー私のそばにもいる!」「あの人。ほんと許せない!と思っていたけど、病気だったのねー」と驚いたり、気づいたりすることが多かったようだ。

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 僕のまわりでもそうだが、精神病の話をすると...

 皆、沈黙してしまう。意見を言わない。質問もしない。とにかく触らないでおこうとする。中には精神病の話をすることで、「お前が病気じゃないか?」という視線を投げかける人もいる。興味を持って話題にしても、そんな冷ややかな反応で、話をしなくなる人もいるだろう。

 そんな環境が正しい情報や知識が広がるのを止めてしまい。事態を解決するきっかけをなくしている。また、よほどのことがないと、精神病に興味を持つこともない。僕はたまたま映画監督業という仕事で、いろんなことに関心を持つことこと。過去に友人がおかしくなった経験もあったので、そこから勉強を始め、いろいろ調べたが、通常は精神病を学ぼうとは思わないはず。

 だから、患者と揉めても病気と気づかないことが多い。

 それどころか、まんまと患者の思惑に嵌ってしまい、事態を悪くしてしまうことになるのだ。その意味で、多くの人が境界性パーソナリティ障害に関心を持ってくれたことは、嬉しいことである。最後に付け加えるが、患者には悪意はない。症状が騒動を起こすのだ。問題は病気。そこが大事なところである。

 詳しくはこちら=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-01-11


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境界性パーソナリティ障害 僕が映画作家として感じることー事実を見極める洞察力が大事? [境界性パーソナリティ障害]

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 あれほど応援していた相手、或いは親しくしていた人が

 手のひら返しで攻撃をしてくる。そして友人知人にもウソをいい触れ回り、信頼を落とされたりすると、例え相手が病気だとしても怒り心頭。何とか反撃して思い知らせてやりたい!と思うのが人の心理でもある。その種のコメントも頂いた。

 それらを読んでいて感じたことがある。ここまでは、自身で勉強した文献や専門家から聞いた言葉を紹介して来たが、今回は映画産業に関わるクリエーターとしての個人の意見を書かせてもらう。

 そのコメントを読み、思い出したのが、映画「セブン」

 キリスト教が禁じる7つの大罪を犯した市民を何の恨みもないのに殺してしまう事件を描いていた。最後に残された大罪は「怒」それを仕掛けられたのは主人公である刑事(ブラッド・ピッド)。つまり犯人はブラピを激怒させることで、犯罪を完結させようとしているのだ。

 さらに激怒して犯人を殺せば、それは犯人と同じレベル。職務として怒りを押さえて逮捕せねばならないのに、怒りに任せて殺してしまう。彼に犯人を断罪する資格はなくなる。

 結果、ブラビは犯人の思う壷に嵌るのだが......凄い物語だと思えた。これまでのアメリカ映画は市民を殺した無慈悲な犯人を追いつめ、ぶち殺すことで「めでたし、めでたし!」というものがほとんどだった。が、「セブン」の凄いところは、犯人を殺したら負けなのである。感情を爆発させ、職務を忘れ、人の命を奪う=殺人鬼と同じ。ということが証明されてしまうというテーマなのだ。


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 今回、境界性パーソナリティ障害を勉強して

 作家として感じたのは、患者が「セブン」の犯人と似た構図だということ。患者は自分に関心を持たせ、究極の形で愛されることを求める。だから、相手が仕事や生活に支障が来しても自分のために尽くすことを求めるのだ。それにより愛されていると感じ、無意識に心の傷を癒す。

 ただ、批判されても、困らない。自分の存在を認知しているから批判すると解釈。それによって絆が切れていないことを実感。だから、無視されると、批判し、攻撃して、自分の方に振り向かそうとする。

 ここが病気たる部分だと思うのだけど、批判、中傷されても喜びとなる。言い換えればアイデンティティの確認に繋がる。そして、相手を振り向かすために、想像もしない攻撃をしてくる。よくここまで腹立たしい批判やウソを触れ回るな!と思える。

 人が食べ物を食べないと生きて行けないように、患者は人から認知、愛されないと死にたくなる苦しみに襲われる。だから、考え抜いた究極の方法で振り向かそうとする。関係者は挑発され、さらなる批判をして、その応酬となる。喜ぶの患者だけ。関係者は傷つくばかりである。

 「セブン」と同じ構図ではないか? 

 犯人はブラピの刑事に究極の方法で「怒り」を呼び起こそうとする。それに挑発されて怒りを爆発。犯人を殺せば、犯人の思う壷であり、犯人の勝利だ。でも、人はなかなか怒りを押さえられず、感情に走り、事態を悪化させる。でも、耐え続ければ、ブラピの勝利なのである。これはもう、悪魔VS人間という構図。それがこの映画のテーマでもある。患者VS関係者も同じ構図だと思えるのだ。

 患者は悪魔のような、普通考えられない嫌がらせや誹謗中傷をしてくる。妄想が入っているので、ウソをいかにも真実であるように吹聴する。信じてしまう人も多く。特に「取り巻き」は月日をかけて洗脳されているので、患者の味方になり、攻撃してくる。患者は被害者を演じ、多くの人の同情を引こうとする。ターゲットとされた罪なき人が悪者にされ、批判される。でも、全ては患者の自作自演なのだ。「セブン」で嵌められたブラピを思い出す。


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 僕個人が考えていることだが、

 これまでのハリウッド映画のように悪いヤツがいる。やっつける。勝利! ハッピーという形はもはや成立しないのではないか? 現代を反映していないのでは?と思えていたところに、「セブン」という映画が登場。大いに納得したのだが、同じことが言える。患者に嵌められて、本当に屈辱的な思いをする。反撃したい。許せない。でも、その段階で患者の思う壷に嵌っているのだ。

 患者は怒らせて自分に関心を向けようとしている。激怒すればこちらが負けということ。これは人間性を試されているような気がする。「セブン」もそうだが、犯人の過去や背景。動機は何も描かれていない。というのは、たぶん人間ではなく、「悪魔」的存在として描いている。

 つまり、悪魔VS人間の物語であり。悪魔というのは人間の弱さや欲望につけ込んで来る存在。いかにして人間は打ち勝つことができるか?という、キリスト教的な物語なのだ。

 境界性パーソナリティ障害も同じ側面を感じる。

 言葉巧み近づいて来て、悲しい過去を告げられ、健気な行動に共感して、親しくなった「友人」。心ある人なら誰でも、そんな人を応援したくなる。だが、やがて「友人」は本性を現す。無理難題を要求。常識を超えたこよを求めてくる。或いは何気ない些細なことで激怒。想像を超える攻撃をしてくる。まわりを巻き込み、大きな騒動になり、多くの人が心傷つく。

真実を知る人は全ての元凶である「友人」=患者を憎むが、これは対人間の戦いではなく、対病気なのだ。患者は悪意でやっているのではなく、病気だから取ってしまう行動だ。それを理解し回避せねばならない。反撃すれば相手の思う壷。より多くの人が傷つくことになる。これは人としての知性や洞察力が問われているのだと思える。

 原発問題でも、安保法制でも、そうだが、筋の通らぬウソばかりの説明に納得して賛同する人が多い。戦争が始まれば被害に遭う国民同士が乗せられて批判しあう。

 戦争が始まるときも「ダマし撃ちをされた!」

 と騒ぎ立てて国民を怒らせ参戦する方法が繰り返し使われて来た。太平洋戦争も、ベトナム戦争も同じ手。話は大げさになっているかもしれないが、同じ構図だと思える。怒りにかり立てられて攻撃しても、報復の応酬となるだけ。

 ウソに踊らされて怒り、無実の人を攻撃しても結果、患者が喜ぶだけ。そして、戦争が始まり喜ぶのは、嘘で怒りを煽った人々。ウソの情報を信じて「許さない!」と怒った人たちは結局、戦火で被害者となるというのも同じ構図ではないだろうか?

 大切なことは何か? 真実を見極めること。ウソを見抜くこと。誰がシナリオを書いているのか? その目的な何か? 怒りで冷静さを失わず、自分はどうするべきか? それを考えることだと思える。境界性パーソナリティ障害の問題なら、その病状がいかなるものか?まず知ることが大事。怒りに震えて反撃することは報復の応酬となり、何も解決しない。今回は映画作家としての意見を綴ったが、この病気を勉強していて、そんなことを感じている。


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「境界性パーソナリティ障害」についてー いくつかコメントを頂きました。 [境界性パーソナリティ障害]

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 「境界性パーソナリティ障害」について勉強したことを

 何度か記事にしてきたが、驚くほどの反響があり、コメントもいくつか頂いた。これまで「嫌なヤツ」と「許せない人」と思っていたのが、記事を読んだことで「病気ではないか?」と気づいたという。

 僕自身、同じ経験をしている。「なぜ、この人はこんな酷い誹謗中傷をしてくるのか?」と思って、いろいろ調べていて、専門家に聞くと「あーそれは典型的な境界性パーソナリティ障害ですよ!」と言われた。

 さらに調べて行くと「あーーそれそれ!」

 という記述が次々に見つかり、「なるほどーそういうことななのかー!」と納得の連続。まさか、精神病とは思わなかった。こちらが何かした訳ではないのに、今までの好意的な態度から180度違う攻撃的なった理由が分かった。しかし、その症状はとても病気とは思えない知能犯ともいうべきもの。また、見事なくらいに、腹立たしい攻撃をしてくるので、やはり病気とは思えず、驚きを隠せなかった。

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 「どーすればいいですか? 本当に許せない。モンスターです」

 というコメントも頂いた。専門家に聞くとこういう。「賞賛も批判も相手は喜ぶだけ。自分に関心を持っていることを知り喜びます。唯一苦手なのが無視されること。相手は必死で怒らせようとしますが、とにかく無視すること。怒って反撃すれば相手の思う壺」

 とのことだった。この病気の症状は取り憑いた相手をサンドバックのように、感情をぶつけズタズタにするもの。原因の多くは幼少期の虐待や愛情の欠乏があるといわれる。そんな経験により子供時代に傷ついた心を癒すために、自分の思いを120%受け止めてくれるターゲットを求めてしまう。その相手を探し、取り憑くために、日頃から餌巻きをする。

 元気で健気ないい子をアピール。

 ターゲットを見つけると賞賛し、急激に近づいて行く。そして、自分の辛い体験なんかを告白して(妄想が伴う場合もある)相手の心を開き、懐に飛び込んで行く。最初は「私なんかの話を聞いてくれてうれしい」と健気だが、次第に相手の都合に構わなくなり、仕事中でも「今すぐ会いに来て!」などといいだす。気に入らないことがあると、手のひらを返したように激怒し、攻撃を始める。

 同時に、ターゲットのまわりにいる人にも取り入り、「取り巻き」というべき存在を育てる。その人々に対しては健気でいい子を演じ続け、礼儀正しい常識ある行動を取る。そんな人たちに「酷いことをされた。死にたい!」とターゲットから攻撃を受けたということをウソ(妄想)を交えて吹聴する。取り巻きはコロッとダマされて「それは許せない!」とターゲットを攻撃するのである。

 つまり、自分に逆らえないような構図を作り上げて、

 ターゲットを逃げられないようにして、思う存分、自分の思いをぶつける。無理難題を相手が応えることで「私は愛されている」と実感し、幼少期の心の傷を癒す。これは患者本人は意識しておらず、無意識下での反応。本人はそうとは知らずに、「この人は私を分かってくれる!」と思い込んだり、ほんの些細なことで「裏切られた!許せない」という怒りに刈られて行動しているだけなのだ。


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 この種の患者は二元性が強く。両極端。だから、ターゲットが「明日の朝は早いから」と電話を切ろうとするだけでも「嫌われた!」と思い込み、攻撃的になる。しかし、そんな状態を知ると「愛を求めているのだから、愛で応えてあげれば分かってくれる」と無理難題に応えようとする人もいるが、患者の要求は次第にエスカレート。生活や仕事に支障を来すことになる。単なるワガママ、寂しがり屋ではなく、常識を超えた要求や攻撃にさらされ人生をボロボロにされることにもなる。

 愛や恋の問題ではない。

 が、そんな患者を受け止めようとして多くを失った友人もいる。専門家に聞くと対処法はないので、とにかく関わらないこと。逃げること。無視することだという。愛がある肉親なら病院に連れて行くことが大事だという。そこまで出来ないなら(当然、患者は自覚していないので大変な騒ぎになる可能性が高い)関わらないことだ。

 しかし、あれほど応援していた相手、或いは親しくしていた人が手のひら返しで攻撃をしてくると、特にいろんな人、友人知人にもウソをいい触れ回り、信頼を落とされたりすると、こちらも怒り心頭。何とか反撃して思い知らせてやりたい!と思うのが人の心理でもある。その種のコメントも頂いた。

 それらを読んでいて感じたことがある。

 ここまでは、自身で勉強した文献や専門家から聞いた言葉を紹介して来たが、次回は映画産業に関わるクリエーターとしての個人の意見を書かせてもらう。


(つづく)

 続き⑨はこちら=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-01-27-2


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境界性パーソナリティ障害⑨ 僕が映画作家として感じることー事実を見極める洞察力が大事? [境界性パーソナリティ障害]

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 あれほど応援していた相手、或いは親しくしていた人が

 手のひら返しで攻撃をしてくる。メールやTwitter。Facebook等で批判や悪口を書き続ける。そして共通の友人知人にもウソをいい触れ回る。「酷い事をされた」「裏切られた」「許せない」「死にたい」「苦しい」そういって同情を集め、友人たちにも批判させる。そんな攻撃を受け信頼を落とされたりすると、例え相手が病気だと分かっても怒り心頭。反撃して思い知らせてやりたい!と思うのが人の心理でもある。

 それらコメントを読んでいて感じたことがある。ここまでは、境界性パーソナリティ障害について自身で勉強した文献や専門家から聞いた言葉を紹介して来たが、今回は映画産業に関わるクリエーターとしての個人の意見を書かせてもらう。

 そのコメントを読み、思い出したのが、映画「セブン」

 キリスト教が禁じる7つの大罪を犯した市民を何の恨みもないのに殺してしまう事件を描いていた。最後に残された大罪は「怒」それを仕掛けられたのは主人公である刑事(ブラッド・ピッド)。つまり犯人はブラピを激怒させることで、犯罪を完結させようとしているのだ。

 さらに激怒して犯人を殺せば、それは犯人と同じレベル。職務として怒りを押さえて逮捕せねばならないのに、怒りに任せて殺してしまう。彼に犯人を断罪する資格はなくなる。

 結果、ブラビは犯人の思う壷に嵌るのだが......凄い物語だと思えた。これまでのアメリカ映画は市民を殺した無慈悲な犯人を追いつめ、ぶち殺すことで「めでたし、めでたし!」というものがほとんどだった。が、「セブン」の凄いところは、犯人を殺したら負けなのである。感情を爆発させ、職務を忘れ、人の命を奪う=殺人鬼と同じ。ということが証明されてしまうというテーマなのだ。


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 今回、境界性パーソナリティ障害を勉強して

 作家として感じたのは、患者が「セブン」の犯人と似た構図だということ。患者は自分に関心を持たせ、究極の形で愛されることを求める。だから、相手が仕事や生活に支障が来しても自分のために尽くすことを求めるのだ。それにより愛されていると感じ、無意識に心の傷を癒す。

 ただ、批判されても、困らない。自分の存在を認知しているから批判すると解釈。それによって絆が切れていないことを実感。だから、無視されると、批判し、攻撃して、自分の方に振り向かそうとする。

 ここが病気たる部分だと思うのだけど、批判、中傷されても喜びとなる。言い換えればアイデンティティの確認に繋がる。そして、相手を振り向かすために、想像もしない攻撃をしてくる。よくここまで腹立たしい批判やウソを触れ回るな!と思える。

 人が食べ物を食べないと生きて行けないように、患者は人から認知、愛されないと死にたくなる苦しみに襲われる。だから、考え抜いた究極の方法で振り向かそうとする。関係者は挑発され、さらなる批判をして、その応酬となる。喜ぶの患者だけ。関係者は傷つくばかりである。

 「セブン」と同じ構図ではないか? 

 犯人はブラピの刑事に究極の方法で「怒り」を呼び起こそうとする。それに挑発されて怒りを爆発。犯人を殺せば、犯人の思う壷であり、犯人の勝利だ。でも、人はなかなか怒りを押さえられず、感情に走り、事態を悪化させる。でも、耐え続ければ、ブラピの勝利なのである。これはもう、悪魔VS人間という構図。それがこの映画のテーマでもある。患者VS関係者も同じ構図だと思えるのだ。

 患者は悪魔のような、普通考えられない嫌がらせや誹謗中傷をしてくる。妄想が入っているので、ウソをいかにも真実であるように吹聴する。信じてしまう人も多く。特に「取り巻き」は月日をかけて洗脳されているので、患者の味方になり、攻撃してくる。患者は被害者を演じ、多くの人の同情を引こうとする。ターゲットとされた罪なき人が悪者にされ、批判される。でも、全ては患者の自作自演なのだ。「セブン」で嵌められたブラピを思い出す。


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 僕個人が考えていることだが、

 これまでのハリウッド映画のように悪いヤツがいる。やっつける。勝利! ハッピーという形はもはや成立しないのではないか? 現代を反映していないのでは?と思えていたところに、「セブン」という映画が登場。大いに納得したのだが、同じことが言える。患者に嵌められて、本当に屈辱的な思いをする。反撃したい。許せない。でも、その段階で患者の思う壷に嵌っているのだ。

 患者は怒らせて自分に関心を向けようとしている。激怒すればこちらが負けということ。これは人間性を試されているような気がする。「セブン」もそうだが、犯人の過去や背景。動機は何も描かれていない。というのは、たぶん人間ではなく、「悪魔」的存在として描いている。

 つまり、悪魔VS人間の物語であり。悪魔というのは人間の弱さや欲望につけ込んで来る存在。いかにして人間は打ち勝つことができるか?という、キリスト教的な物語なのだ。

 境界性パーソナリティ障害も同じ側面を感じる。

 言葉巧み近づいて来て、悲しい過去を告げられ、健気な行動に共感して、親しくなった「友人」。心ある人なら誰でも、そんな人を応援したくなる。だが、やがて「友人」は本性を現す。無理難題を要求。常識を超えたこよを求めてくる。或いは何気ない些細なことで激怒。想像を超える攻撃をしてくる。まわりを巻き込み、大きな騒動になり、多くの人が心傷つく。

真実を知る人は全ての元凶である「友人」=患者を憎むが、これは対人間の戦いではなく、対病気なのだ。患者は悪意でやっているのではなく、病気だから取ってしまう行動だ。それを理解し回避せねばならない。反撃すれば相手の思う壷。より多くの人が傷つくことになる。これは人としての知性や洞察力が問われているのだと思える。

 原発問題でも、安保法制でも、そうだが、筋の通らぬウソばかりの説明に納得して賛同する人が多い。戦争が始まれば被害に遭う国民同士が乗せられて批判しあう。

 戦争が始まるときも「ダマし撃ちをされた!」

 と騒ぎ立てて国民を怒らせ参戦する方法が繰り返し使われて来た。太平洋戦争も、ベトナム戦争も同じ手。話は大げさになっているかもしれないが、同じ構図だと思える。怒りにかり立てられて攻撃しても、報復の応酬となるだけ。

 ウソに踊らされて怒り、無実の人を攻撃しても結果、患者が喜ぶだけ。そして、戦争が始まり喜ぶのは、嘘で怒りを煽った人々。ウソの情報を信じて「許さない!」と怒った人たちは結局、戦火で被害者となるというのも同じ構図ではないだろうか?

 大切なことは何か? 真実を見極めること。ウソを見抜くこと。誰がシナリオを書いているのか? その目的な何か? 怒りで冷静さを失わず、自分はどうするべきか? それを考えることだと思える。境界性パーソナリティ障害の問題なら、その病状がいかなるものか?まず知ることが大事。怒りに震えて反撃することは報復の応酬となり、何も解決しない。今回は映画作家としての意見を綴ったが、この病気を勉強していて、そんなことを感じている。


 つづき=>http://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2016-02-09-1


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