昨年の昨日の出来事。「朝日のあたる家」小倉公開から1年! [自主上映]
そう、あれから1年しか経っていないんだ。いや、あれからもう1年も経つんだ。複雑な思い。今も地元で応援してくれた方々のこと思い出す。彼ら彼女らの応援なくしてヒットはありえなかった。
小倉のコロナシネマワールドで公開された「朝日のあたる家」1年経つが、今月も「朝日」は全国何カ所かで上映される。新潟県、長岡アジア映画祭、東京シネマート新宿、熊本、そしてニュージーランド。映画公開から1年経っても上映されているのは本当に稀。凄いことだ。
それだけ多くの人が支持。応援してくれているということ。感謝。全国27館の映画館公開は終了しているが、各地で自主上映が続いている。来年は兵庫県丹波篠山、静岡県島田市、そしてカナダで上映会が予定されている。まだまだ、自主上映の募集は続いているので、関心のある方は公式HPhttp://www.asahinoataruie.jpをご覧ください。
各地の映画館でヒットしたにも関わらず、やはりビデオメーカーからDVD発売の話は来なかった。当然、テレビでは放送されない。お近くの上映会でご覧頂きたい。一番早く観れるのはシネマート新宿、11/23(日) 19:00~。ぜひ!
映画 「朝日のあたる家」今後の上映予定 10/17現在 [自主上映]
映画 「朝日のあたる家」今後の上映予定 [自主上映]
「朝日のあたる家」の自主上映を成功させる方法? [自主上映]
「朝日のあたる家」上映会in神戸 大盛況。大入り! [自主上映]
(お知らせ)「朝日のあたる家」浜松上映会、中止。 [自主上映]
「朝日のあたる家で描かれたことは全部知っていたよ!」と 観ただけで完結する反原発グループの人たち? [自主上映]
「朝日のあたる家」をある地方で見てくれた方から、こんなメールを頂いた。要約して紹介する。
「監督。神戸上映会の大成功。おめでとうございます。私はまだ映画館に上映拒否されていたころに、自主上映をさせてほしいとお願いした***です。あれから、随分かかって地元でも『朝日』が映画館で上映されました。あのとき、自主上映をお願いしたグループで見に行き、感動して涙をボロボロと流しました。でも、帰りに皆で話をしたとき、メンバーの何人かは『映画に出て来たことはみんな知っていた!』『初心者向けの映画ね!」というのです。
『これを自主上映しても反原発の人は満足しない!』ともいってました。それは違うと思います。この映画は原発事故や福島のことを知らない人に見せることが大切と思うのです。監督もインタビューで言ってましたが、反原発の人がみんなで反原発映画を見て『そうだ。原発はいけない!』といっても意味がないと思うのです。
だから『朝日』のようにドキュメンタリーではなく、ドラマで分かりやすく初心者でも原発事故が分かる映画を上映して一般の人に来てもらうことが大事なのですが、皆、映画を見ただけで満足してしまい、『みんな知ってることだ』といって、それを多くの人に見せようと思わないのです。次は署名活動をしよう。と皆、言っていますが、その署名活動をするにも、原発事故の怖さを知らなければ署名もしてもらえません。
私の身の回りでも『原発事故は収束した』『被害は少なかった』『原発より景気が大事だ!』という人がたくさんいます。そんな人にこそ『朝日』を見てほしいので、とても残念です。もっと、多くの人に見てもらい現実を知るきっかけにしてほしいのですが、上映会は誰も賛同してくれず。残念です」(以上、頂いたメールを要約)
そんな話はよく聞く。まさに、この方がいうように多くの人に、それも福島や原発事故をよく知らない人に見てもらうことを意図して作った映画だ。逆にいえば反原発の人が見て「勉強になった!」というのではマニアックになり、一般の人は見てくれない。
そして不思議なのはなぜ「全部知っていることだった」という感想が出るのか? その人たちは新しい知識を求めて映画を見るのか? 例え「知っていることばかり」だとしても、なぜ「何も知らない人たちにこれを見せよう!」という発想になぜ繋がらないのか? 原発に反対しているといいながら、それでは原発研究グループだ。
愛知県の団体からも、最初、同じ意見を聞いた。「この映画では弱い」「この程度のことは知っている。今さら何?と言う気がする」でも、その団体は違った。「最初はそう思った。弱いと思った。でも、だから、一般の人には見やすい。とっ着きやすい。ドキュメンタリーと違ってドラマは見やすい。有名俳優も出ているし、上映会にも誘いやすい。私ら、どぎついドキュメンタリーばかり見ているから物足りないけど。一般の人はこの方がいいんだ。と気づいたんです」そういってくれた。
そして上映会。いつものドキュメンタリー以上に多くの人が見てくれたという。そう。「朝日」は専門家に満足してもらうために作った映画ではない。もともと、テーマは「原発反対」ですらないのだ。テーマは「家族の幸せとは何か?」であり、同時に「福島の現実を知ってもらうこと」だ。
映画を見ることで「考える」きっかけにしてほしいと考えて作った。愛知のグループはその意図を理解。上映会をしてくれたこと嬉しかった。ただ、先に紹介した方のグループのように、「反原発」を訴えているのに、見るだけで完結してしまう人たちも多い。
「全部知っていることだった」=「私たちは勉強しているのよ!」という意味だろう。でも、それがグループの目的ではないはずだ。そこで終わってしまうのが残念だ。別に「朝日」を上映してくれなくてもいいが、同じ意思を持つ者ばかりが集まって「そうだ!これではいけない」という上映会を続けているだけでいいのだろうか? そんなことを感じる。