SSブログ
●「朝日のあたる家」序章 2012 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

原発事故を勉強して分かったこと(上) [●「朝日のあたる家」序章 2012]

IMG_0132.jpg

 2011年 秋


 原発を勉強して分かったこと(1)

 電力会社は総括原価方式という計算法を使い

 電力を作るのにかかった総経費に、あるパーセントを加えたものを電気料金としている。

 これは経費がかかれば、かかるほど儲かるというシステム。

 つまり、高額な建設費。設備費のかかる原発であれば

 作れば作るほど、電力会社が儲かるとう訳だ。

 それゆえ、原発をどんどん作りたいという思惑があった。

2、原発を作れば桶屋も儲かる?

 原発を作って儲かるのは電力会社だけではない。

 原発を作る製造メーカーも儲かる。

 日本の大手企業。三菱重工、東芝、日立という大手がそれを担当している。

 また、電力会社は、原発を監督する経済産業省から

 多くの天下りを受けて入れている。

 (何と、警察や裁判官まで!)

 これらの企業、関係者は大いなる恩恵を受けるので、

 原発を推進しようとする。

IMG_0115_2.jpg

 原発を勉強して分かったこと(3)

 電力会社は独占企業なのに、テレビや新聞で多量の広告を出していた。

 考えるとヘン!

 ソニーならパナソニック。トヨタならホンダ。ドコモならKDDIと

 ライバル会社からいるなら、負けないように広告は必要。

 しかし、東京に住めば東京電力。大阪なら関西電力。

 選ぶことはできない。なのに、なぜ、広告が必要なのか?

 それも年間800億と言われる広告費。

 トヨタやパナソニックの広告費さえも越えている。

 広告やCMを出してもらうには、億単位の費用が必要。

 宣伝費を払えば、スポンサーとなる。

 テレビも、新聞も、スポンサーはお客様。

 電力会社はお得意様になる。

 広告を出さない!と言われると巨額の損失

 マスコミは原発批判ができなくなる・・・。

 お得意様が困ることなんて、誰もしない。

(つづく)

 IMG_2482.jpg
 


nice!(0)  コメント(0) 

私は如何にして心配するのを止めて、原発事故に興味を持ったか?下  [●「朝日のあたる家」序章 2012]

IMG_0123.jpg

 2011年 秋


8)メルトダウンをしているのを知っていれば

 原発側は水素爆発のとき、放射能が各地に飛び散ることは予期したということ。

 なのに、「単なる水素爆発です」と発表。テレビもそう伝えた。

 でも、実際は放射能が空高く舞い上がり、各地に降り注いだのである。



9)つまり、放射能が降って来ることを原発側は隠したのだ。

 当然、テレビも報道しない。

 そのために、知らない人は屋外にいて、降り注ぐ放射能を浴び。被爆した。

 これって何? 発表すれば多くの人が被曝せずに済んだことじゃないか?




10)どこかの宗教団体がサリンを撒くという情報を得たとして、

 それを知らせずに黙っているだろうか? 

 放射能で被爆すれば5年10年後に癌を発症する可能性が高くなる。

 子供はより可能性が高い。

 奇形児が生まれる原因でもある。

 なのに原発側はその事実を伝えなかったのだ・・。



11)なぜ、原発側はそんな非人道的なことをするのか? 

 何がそうさせるのか? 彼らに子供たちの将来を奪う権利があるのか? 

 これはもうテレビ報道を見ているだけではいけない。

 まずは原発とは何か?

 を学ぶことからスタートした。

 その危険性。その背後関係。報道について。勉強を続けている。

(つづく)


 IMG_2482.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

私は如何にして心配するのを止めて、原発事故に興味を持ったか?中  [●「朝日のあたる家」序章 2012]

 IMG_0119.jpg

 2011年 秋

5)「実はメルトダウンしていた」との報道。

 5ヶ月も経ってから!えーーマジ?

 と言いながらも、その重大性が分からない。

 テレビではメルトダウンの状態は説明するが、どんな影響が出るのか言わない。

 ヤバいなあ!

 と感じても、具体的に何がヤバいのか分かっていなかった。


6)サラリーマンの友人に聞いた。

 なんで各地で放射能が検出されるの?

 「さあ、良く分からない」

 メルトダウンを隠した意味って何?「ヤバいと思っただろうなあ」

 なんでヤバいの?「さあ、良く分からない」

 僕と同じ認識。僕らが特別に疎いのか?

 いや、これが一般の認識ではないか?


 7)原発事故の勉強を始めた。

 そこで分かったのは、

 「メルトダウンした」=>だから、外部に放射能が漏れる=>水素爆発=>各地に拡散=>

 周辺も危機=>住民が退避=>福島以外でも放射能が確認。

 という流れがやった分かった。

 えーーー、何で、そんな大変なこと隠していたの?

 放射能が全国に拡散したら、大変なことになるだろう!

 そう、大変なことになっていること。

 政府も、東電も、隠していたのだ・・。

 (つづく)

 IMG_2482.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

私は如何にして心配するのを止めて、原発事故に興味を持ったか?上 [●「朝日のあたる家」序章 2012]

IMG_0284.jpg

 2011年 秋

 私はいかにして心配するのを止めて、

 原発事故に興味を持ったか? という”博士の異常な愛情”的なタイトルで

 この春から感じたことを書いてみる。

1)原発って安全な訳ないよなあ~

 と思ってはいたが、「原発反対!」と言えるだけの知識はなかった。

 ある日、震災後のニュースを見ていると

 「あれ?」「どうして?」

 ということが多かった。

 「格納容器は無事」といいながら、「原発敷地内で放射能が検出」

 どうして?

 そこから疑問がスタートした。

2)新聞は取っていないので、情報源はテレビのみ。

 当時は自宅入院状態。かなりの時間ニュースを見ていた。

 3月13日の水素爆発もオンタイムで知る。

 原発が爆発?!ヤバいじゃん。

 でも、テレビは「単なる水素爆発。放射能は含まれていません」

 そうなの?大丈夫なの? 何か引っかかるものがある・・。

3)福島原発周辺の住民が避難したというテレビ報道。

 理由は「念のため」それでなくても原発では放射能が検出されている。

 だからだろう。でも、遠くの地区は問題ないんだな・・当時はそんな認識だった。

 その後、時間が経っても家には戻れないとの報道。原発周辺大変だなあ。しかし。



4)「放射能は含まれていない」と報道では言ってたのに、

 その後、各地で放射能が検出された。

 えーなんで? 原発周辺ならどこかに亀裂があって漏れているかも?。

 けど、他府県でも検出!

 ということは、あの水素爆発で放射能が拡散したとしか思えない・・

 なぜ、テレビはそのことを伝えないんだ?

 なぜ、だろう??????

 (つづく)


 IMG_2482.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

2011年の春から夏の物語 [●「朝日のあたる家」序章 2012]

IMG_0121.jpg

 2011年 秋 

 映画”青い青い空”

 企画から完成、公開まで5年かかった。

 この春(2011年)に無事東京公開。

 ロサンゼルスでの上映会も終えて帰国。

 休みなしに走り続けたので、とうとうダウン。

 実はドクターストップもかかっていたのに、仕事を続けていた。

 寝込むこと3ヶ月。そしてリハビリ生活。

 その頃の話をお届けていている。

 IMG_0119.jpg

 春は寝たきり、テレビで原発事故の報道を見ていた。

 わーーー、ふーーん。あれ? 何で?

 いろんな疑問が浮かんできた。

 映画監督業。あれ?と思ったら、勉強することが大事。

 青い青い空”でも、ふと書道に興味を持ったところからスタートした。

 原発についても調べてみた。

 (つづく)

 IMG_2482.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

”いちご白書”をもう一度 [●「朝日のあたる家」序章 2012]

IMG_0210.jpg

 2011年 秋

 この夏から秋の出来事を報告している。

 が、今回だけはオンタイム。

 寒さを感じる初冬。11月の話を書く。

 今、東京では”いちご白書”という映画をリバイバル公開している。

 これは1970年のアメリカ映画。

 学生運動が盛んだった頃、ニューヨークのコロンビア大学でのスト活動を描いた

 アメリカン・ニューシネマの1本。

 劇中にかかる曲も、ニール・ヤング、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング等

 懐かしいアーティストのナンバー。

 何より、主題歌の”サークルゲーム”は心のに残る青春ソングの1曲。

 なんて、説明するだけで、行数が増えて行くけど、

 僕の青春映画ベスト3の1本でもある。

 (あとの2本は、アメリカン・グラフィティ。さらば青春の光)

 1989年にニューヨークに行ったとき、映画の舞台となったコロンビア大学に

 行ったほどだ。(少し前なら宇多田ヒカルが通った大学として有名になった)

 だが、僕は団塊の世代ではなく、学生運動に参加したこともない。

  当時まだ小学生。大学になったらデモに参加できる!と楽しみにしていたら

 中学になる前に、学生運動は終わってしまった。

 そんな世代なので、公開時に”いちご白書”は見ていない。

 IMG_0216.jpg 

 1975年 ”いちご白書をもう一度”という歌が日本で大ヒット。

 そのときに映画の存在を知った。

 が、当時、製作もとのMGMの日本支社が倒産していて、リバリバルできなかった。

 その数年後、テレビで初放映。初めて見たのだが、
 
 もの凄いショックを受けた。

 さらに、数年後、名画座で再見。レーザーディスクにはなったが

 DVDでは未発売。

 その”いちご白書”が何と、東京ではリバイバル公開!

 先日、新宿の武蔵野館で見て来た。もしかすると31年振りか?

 観客の年齢層は高いが、かなりの入り。

 クライマックス。大学生たちが体育館に立てこもり、円陣を組み

 ジョンレノンの”ギブ・ピース・ア・チャンス”を歌うシーンでは

 場内から鼻をすする音。

 そして警官隊の突入。見ているだけで、胸が締め付けられる!

 感動したとか、悲しいとか、そんなことを越えた思いが突き刺さり

 涙が溢れる。

 再び、流れる主題歌”サークルゲーム”。凄い映画だった。

 そして、僕の作品がとても、この映画に影響を受けていたことも感じる。

 青春映画の名作。

 新宿武蔵野館で、今週の金曜日まで上映中

 IMG_2482.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

矢沢永吉/アーユーハッピー? [●「朝日のあたる家」序章 2012]

IMG_0021.jpg

 2011年 秋

 秋になり、リハビリ生活に入っても

 まだ寝込むことがあった。そんなとき、1冊の本を読む。

 実は10年以上も前に読んだ本だったが、気になって手に取る。

 矢沢永吉の”アーユーハッピー?”

 10代の頃。彼の激論集”成り上がり”を読んで感動した。

 矢沢がいかにして、スーパースターに登り詰めたか?を語った本。

 ロック歌手を夢見て故郷・広島を捨て、横浜でアルバイト。

 バンドを作っては壊し

 やがて、キャロルでデビュー。

 人気爆発。そして矢沢永吉としてソロデビュー。

 映画監督を目指していた僕は、凄く励まされた。

 それに対して90年代初頭に出された”アーユーハッピー?”

 サクセスストーリーではなく、挫折やトラブルの連続を綴っている。

 アメリカから帰国した当時、読んだ。

 ”よし! これから日本でがんばるぞ!”というときだったので

 何だか感じるものなく。励まされることもなく。んーーーーと思った。

 IMG_0135.jpg

 2本の映画を完成させたあと、

 10数年振りに読んでみた。

 あのときとは違い。感じることが多かった。

 マスコミでも大々的に報道されたが、矢沢は信頼していた部下に裏切られ
 
 50億円の負債を抱えてしまう。億万長者の彼でも簡単に返せる額ではない。

 それ以前にもマネージャーがギャラのピンハネ。

 アメリカ進出も日本のレコード会社が誤摩化し。

 ロンドンのエルビス・プレスリー追悼ライブに呼ばれたときの屈辱。 

 あの矢沢永吉がこんな酷い目に遭い、惨めな思いをしている。

 ロック歌手として成功し、名誉も、金も、全てを手に入れた彼が、

 あまりにも哀れ。

 しかし、矢沢がトラブルに苦悩しながらも、前に向きに進んで行こうとする。

 その姿に励まされる。

 ”成り上がり”時代のように、強がっているのではなく、苦悩を受け入れている。

 感じるものが多い。

 映画を1本作るのも、

考えうる全てのトラブルが起こる、と言っても過言ではない

 裏切り、妨害、中傷、途中で投げ出す奴。

 金目当てで近づく輩。

 大きな組織からの圧力。

 高いところから批判する者。

 どんな映画でも同じ。

 だから、1本の映画を終えるとボロボロ。

 体だけでなく、心もボロボロ。

 スーパースター矢沢永吉も、同じなのだ。

 マスコミでは彼の華やかな部分だけを伝えるが、

 そんな苦悩を抱えて、彼も走り続けていたことを感じた。


 (つづく)


IMG_2482.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

過労で倒れると集中力も失う [●「朝日のあたる家」序章 2012]

 IMG_0324.jpg

 2011年 秋

 役所関係の手続きをしてまわったら

 また、体調を崩して数日間、寝たり起きたり。

 まだまだ、完治していない。

 過労というのは、なかなか直らない。

 三歩進んで二歩下がるーという感じで回復。

 良くなったと思うと、また部屋を出られない状態に戻ることもある。

 こんなふうになって感じたのは

 映画館へ行って、映画を見るというのは

 もの凄い集中力や体力がいるということ。

 健康なときは娯楽であり、息抜きであったりするのだが

 とても労力を使う行為であることを実感した。

 それが映画館なら暗い場内で、嫌が上にも集中するが

 P1040849.jpg

 自宅でDVDを見るのはもっと大変。
 
 一見、自宅の方が気楽に見れると思いがちだが

 気楽なだけに集中力を失い、真剣に見れない。気が散ることが多い。

 だから、映画館以上の集中力を使わうことになる。

 疲労度も上がる。途中で集中力が切れる。30分で中止。

 昨年、青い青い空”宣伝中はずっとそうだったのを思い出す。

 すでに体調が悪かったということ。

 年齢のせいか?と思っていたけど、それが予兆だったのだ。

 医者に何度も言われたけど、

 過労を侮ってはいけない。ということだ。


(つづく)

 IMG_2482.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

もし、LAを去るとき、予言者に会っていたら [●「朝日のあたる家」序章 2012]

 P1040029.jpg

 2011年 秋

 先に書いたが、こんなことを考えた。

 僕がLAを去るとき、

 ”日本に戻って映画監督になるぞ!昔からの夢を実現するぞ!”

 そう思って帰国の途に着こうとしたとき、もしも予言者が現れて

 「お前の夢は叶う。LAで自作を上映、評価される。

 でも、それは20年後だ・・」

 ”えーーーー、そんな先? 20年もかかるの?

 そう思い絶望したかもしれない。こう答える人もいるだろう。

 「だったら、もういいよ・・別の道を探すから・・」

 そんなことを知らないから、気づいたら20年経っていたというだけ。

 P1040328.jpg

 しかし、20年かけて夢を叶えるとはどういうことか?

 財産が築けた訳ではない。むしろ反対。

 映画監督なんて、儲かるどころか借金の山ができる仕事。

 さらに、前を向いても

 次回作が約束されているのか? NO

 食うに困らない生活ができるようになるのか? NO

 単に作品を作り上げ、評価されただけだ。

 でも、日本の映画監督の多くは、同じような思いをしながら

 生活に困窮しながらも、映画を作り続けている。

 僕もそんな1人になったというだけのこと。

 それにしても20年・・。

 ひとつだけ分かったこと。

 LAの街が教えてくれたこと。

 20年は僕が思うより、ずっとずっと長い時間であるということ

 (つづく)


 IMG_2482.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

大人になれないこと。大人にならないこと。 [●「朝日のあたる家」序章 2012]

 P1040282.jpg

 2011年 秋

 春に過労で倒れて、3ヶ月ほど寝込み。

 その後、秋頃からリハビリ生活を続けた。

 そんな中で、春に訪れた20年振りのロサンゼルスのこと思い出す。

 20年・・・本当に長い月日。

 やはり、LAの街が大きく変わり、想い出の場所がなくなるのも

 当然のことかもしれない。

 僕自身がLA留学時代から、何も変わっていないので

 余計に、街の移り変わりを感じたのかもしれない。

 P1040351.jpg

 未だに友人から言われる。

 「40を過ぎても気が若いなあ」

 年配の人からは

 「何子供みたいなことを言ってる。いい加減大人になれ!」
 
 おまけに自分自身でも、言うことがある。
 
 「だから大人は信用できない」

 自分こそがいい大人なのだ。

 未だに精神年齢は17歳なのかも。

 でも、だから、”青い青い空” の真子やみさとの気持ちが描ける。

 大人たちの理不尽な態度が許せないから、
 
 10代にも共感してもらえる物語が作れるのかも。

 だから、青春時代を送ったLA、あの頃のままであってほしい

 そう思ったのかもしれない。


 (つづく)

 
 IMG_2482.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | 次の10件 ●「朝日のあたる家」序章 2012 ブログトップ