原発事故を勉強して分かったこと(上) [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
原発を勉強して分かったこと(1)
電力会社は総括原価方式という計算法を使い
電力を作るのにかかった総経費に、あるパーセントを加えたものを電気料金としている。
これは経費がかかれば、かかるほど儲かるというシステム。
つまり、高額な建設費。設備費のかかる原発であれば
作れば作るほど、電力会社が儲かるとう訳だ。
それゆえ、原発をどんどん作りたいという思惑があった。
2、原発を作れば桶屋も儲かる?
原発を作って儲かるのは電力会社だけではない。
原発を作る製造メーカーも儲かる。
日本の大手企業。三菱重工、東芝、日立という大手がそれを担当している。
また、電力会社は、原発を監督する経済産業省から
多くの天下りを受けて入れている。
(何と、警察や裁判官まで!)
これらの企業、関係者は大いなる恩恵を受けるので、
原発を推進しようとする。
原発を勉強して分かったこと(3)
電力会社は独占企業なのに、テレビや新聞で多量の広告を出していた。
考えるとヘン!
ソニーならパナソニック。トヨタならホンダ。ドコモならKDDIと
ライバル会社からいるなら、負けないように広告は必要。
しかし、東京に住めば東京電力。大阪なら関西電力。
選ぶことはできない。なのに、なぜ、広告が必要なのか?
それも年間800億と言われる広告費。
トヨタやパナソニックの広告費さえも越えている。
広告やCMを出してもらうには、億単位の費用が必要。
宣伝費を払えば、スポンサーとなる。
テレビも、新聞も、スポンサーはお客様。
電力会社はお得意様になる。
広告を出さない!と言われると巨額の損失
マスコミは原発批判ができなくなる・・・。
お得意様が困ることなんて、誰もしない。
(つづく)
私は如何にして心配するのを止めて、原発事故に興味を持ったか?下 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
8)メルトダウンをしているのを知っていれば
原発側は水素爆発のとき、放射能が各地に飛び散ることは予期したということ。
なのに、「単なる水素爆発です」と発表。テレビもそう伝えた。
でも、実際は放射能が空高く舞い上がり、各地に降り注いだのである。
9)つまり、放射能が降って来ることを原発側は隠したのだ。
当然、テレビも報道しない。
そのために、知らない人は屋外にいて、降り注ぐ放射能を浴び。被爆した。
これって何? 発表すれば多くの人が被曝せずに済んだことじゃないか?
10)どこかの宗教団体がサリンを撒くという情報を得たとして、
それを知らせずに黙っているだろうか?
放射能で被爆すれば5年10年後に癌を発症する可能性が高くなる。
子供はより可能性が高い。
奇形児が生まれる原因でもある。
なのに原発側はその事実を伝えなかったのだ・・。
11)なぜ、原発側はそんな非人道的なことをするのか?
何がそうさせるのか? 彼らに子供たちの将来を奪う権利があるのか?
これはもうテレビ報道を見ているだけではいけない。
まずは原発とは何か?
を学ぶことからスタートした。
その危険性。その背後関係。報道について。勉強を続けている。
(つづく)
私は如何にして心配するのを止めて、原発事故に興味を持ったか?中 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
5)「実はメルトダウンしていた」との報道。
5ヶ月も経ってから!えーーマジ?
と言いながらも、その重大性が分からない。
テレビではメルトダウンの状態は説明するが、どんな影響が出るのか言わない。
ヤバいなあ!
と感じても、具体的に何がヤバいのか分かっていなかった。
6)サラリーマンの友人に聞いた。
なんで各地で放射能が検出されるの?
「さあ、良く分からない」
メルトダウンを隠した意味って何?「ヤバいと思っただろうなあ」
なんでヤバいの?「さあ、良く分からない」
僕と同じ認識。僕らが特別に疎いのか?
いや、これが一般の認識ではないか?
7)原発事故の勉強を始めた。
そこで分かったのは、
「メルトダウンした」=>だから、外部に放射能が漏れる=>水素爆発=>各地に拡散=>
周辺も危機=>住民が退避=>福島以外でも放射能が確認。
という流れがやった分かった。
えーーー、何で、そんな大変なこと隠していたの?
放射能が全国に拡散したら、大変なことになるだろう!
そう、大変なことになっていること。
政府も、東電も、隠していたのだ・・。
(つづく)
私は如何にして心配するのを止めて、原発事故に興味を持ったか?上 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
私はいかにして心配するのを止めて、
原発事故に興味を持ったか? という”博士の異常な愛情”的なタイトルで
この春から感じたことを書いてみる。
1)原発って安全な訳ないよなあ~
と思ってはいたが、「原発反対!」と言えるだけの知識はなかった。
ある日、震災後のニュースを見ていると
「あれ?」「どうして?」
ということが多かった。
「格納容器は無事」といいながら、「原発敷地内で放射能が検出」
どうして?
そこから疑問がスタートした。
2)新聞は取っていないので、情報源はテレビのみ。
当時は自宅入院状態。かなりの時間ニュースを見ていた。
3月13日の水素爆発もオンタイムで知る。
原発が爆発?!ヤバいじゃん。
でも、テレビは「単なる水素爆発。放射能は含まれていません」
そうなの?大丈夫なの? 何か引っかかるものがある・・。
3)福島原発周辺の住民が避難したというテレビ報道。
理由は「念のため」それでなくても原発では放射能が検出されている。
だからだろう。でも、遠くの地区は問題ないんだな・・当時はそんな認識だった。
その後、時間が経っても家には戻れないとの報道。原発周辺大変だなあ。しかし。
4)「放射能は含まれていない」と報道では言ってたのに、
その後、各地で放射能が検出された。
えーなんで? 原発周辺ならどこかに亀裂があって漏れているかも?。
けど、他府県でも検出!
ということは、あの水素爆発で放射能が拡散したとしか思えない・・
なぜ、テレビはそのことを伝えないんだ?
なぜ、だろう??????
(つづく)
2011年の春から夏の物語 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
”いちご白書”をもう一度 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
この夏から秋の出来事を報告している。
が、今回だけはオンタイム。
寒さを感じる初冬。11月の話を書く。
今、東京では”いちご白書”という映画をリバイバル公開している。
これは1970年のアメリカ映画。
学生運動が盛んだった頃、ニューヨークのコロンビア大学でのスト活動を描いた
アメリカン・ニューシネマの1本。
劇中にかかる曲も、ニール・ヤング、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング等
懐かしいアーティストのナンバー。
何より、主題歌の”サークルゲーム”は心のに残る青春ソングの1曲。
なんて、説明するだけで、行数が増えて行くけど、
僕の青春映画ベスト3の1本でもある。
(あとの2本は、アメリカン・グラフィティ。さらば青春の光)
1989年にニューヨークに行ったとき、映画の舞台となったコロンビア大学に
行ったほどだ。(少し前なら宇多田ヒカルが通った大学として有名になった)
だが、僕は団塊の世代ではなく、学生運動に参加したこともない。
当時まだ小学生。大学になったらデモに参加できる!と楽しみにしていたら
中学になる前に、学生運動は終わってしまった。
そんな世代なので、公開時に”いちご白書”は見ていない。
1975年 ”いちご白書をもう一度”という歌が日本で大ヒット。
そのときに映画の存在を知った。
が、当時、製作もとのMGMの日本支社が倒産していて、リバリバルできなかった。
その数年後、テレビで初放映。初めて見たのだが、
もの凄いショックを受けた。
さらに、数年後、名画座で再見。レーザーディスクにはなったが
DVDでは未発売。
その”いちご白書”が何と、東京ではリバイバル公開!
先日、新宿の武蔵野館で見て来た。もしかすると31年振りか?
観客の年齢層は高いが、かなりの入り。
クライマックス。大学生たちが体育館に立てこもり、円陣を組み
ジョンレノンの”ギブ・ピース・ア・チャンス”を歌うシーンでは
場内から鼻をすする音。
そして警官隊の突入。見ているだけで、胸が締め付けられる!
感動したとか、悲しいとか、そんなことを越えた思いが突き刺さり
涙が溢れる。
再び、流れる主題歌”サークルゲーム”。凄い映画だった。
そして、僕の作品がとても、この映画に影響を受けていたことも感じる。
青春映画の名作。
新宿武蔵野館で、今週の金曜日まで上映中
矢沢永吉/アーユーハッピー? [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
秋になり、リハビリ生活に入っても
まだ寝込むことがあった。そんなとき、1冊の本を読む。
実は10年以上も前に読んだ本だったが、気になって手に取る。
矢沢永吉の”アーユーハッピー?”
10代の頃。彼の激論集”成り上がり”を読んで感動した。
矢沢がいかにして、スーパースターに登り詰めたか?を語った本。
ロック歌手を夢見て故郷・広島を捨て、横浜でアルバイト。
バンドを作っては壊し
やがて、キャロルでデビュー。
人気爆発。そして矢沢永吉としてソロデビュー。
映画監督を目指していた僕は、凄く励まされた。
それに対して90年代初頭に出された”アーユーハッピー?”
サクセスストーリーではなく、挫折やトラブルの連続を綴っている。
アメリカから帰国した当時、読んだ。
”よし! これから日本でがんばるぞ!”というときだったので
何だか感じるものなく。励まされることもなく。んーーーーと思った。
2本の映画を完成させたあと、
10数年振りに読んでみた。
あのときとは違い。感じることが多かった。
マスコミでも大々的に報道されたが、矢沢は信頼していた部下に裏切られ
50億円の負債を抱えてしまう。億万長者の彼でも簡単に返せる額ではない。
それ以前にもマネージャーがギャラのピンハネ。
アメリカ進出も日本のレコード会社が誤摩化し。
ロンドンのエルビス・プレスリー追悼ライブに呼ばれたときの屈辱。
あの矢沢永吉がこんな酷い目に遭い、惨めな思いをしている。
ロック歌手として成功し、名誉も、金も、全てを手に入れた彼が、
あまりにも哀れ。
しかし、矢沢がトラブルに苦悩しながらも、前に向きに進んで行こうとする。
その姿に励まされる。
”成り上がり”時代のように、強がっているのではなく、苦悩を受け入れている。
感じるものが多い。
映画を1本作るのも、
考えうる全てのトラブルが起こる、と言っても過言ではない
裏切り、妨害、中傷、途中で投げ出す奴。
金目当てで近づく輩。
大きな組織からの圧力。
高いところから批判する者。
どんな映画でも同じ。
だから、1本の映画を終えるとボロボロ。
体だけでなく、心もボロボロ。
スーパースター矢沢永吉も、同じなのだ。
マスコミでは彼の華やかな部分だけを伝えるが、
そんな苦悩を抱えて、彼も走り続けていたことを感じた。
(つづく)
過労で倒れると集中力も失う [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
役所関係の手続きをしてまわったら
また、体調を崩して数日間、寝たり起きたり。
まだまだ、完治していない。
過労というのは、なかなか直らない。
三歩進んで二歩下がるーという感じで回復。
良くなったと思うと、また部屋を出られない状態に戻ることもある。
こんなふうになって感じたのは
映画館へ行って、映画を見るというのは
もの凄い集中力や体力がいるということ。
健康なときは娯楽であり、息抜きであったりするのだが
とても労力を使う行為であることを実感した。
それが映画館なら暗い場内で、嫌が上にも集中するが
自宅でDVDを見るのはもっと大変。
一見、自宅の方が気楽に見れると思いがちだが
気楽なだけに集中力を失い、真剣に見れない。気が散ることが多い。
だから、映画館以上の集中力を使わうことになる。
疲労度も上がる。途中で集中力が切れる。30分で中止。
昨年、青い青い空”宣伝中はずっとそうだったのを思い出す。
すでに体調が悪かったということ。
年齢のせいか?と思っていたけど、それが予兆だったのだ。
医者に何度も言われたけど、
過労を侮ってはいけない。ということだ。
(つづく)
もし、LAを去るとき、予言者に会っていたら [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
先に書いたが、こんなことを考えた。
僕がLAを去るとき、
”日本に戻って映画監督になるぞ!昔からの夢を実現するぞ!”
そう思って帰国の途に着こうとしたとき、もしも予言者が現れて
「お前の夢は叶う。LAで自作を上映、評価される。
でも、それは20年後だ・・」
”えーーーー、そんな先? 20年もかかるの?
そう思い絶望したかもしれない。こう答える人もいるだろう。
「だったら、もういいよ・・別の道を探すから・・」
そんなことを知らないから、気づいたら20年経っていたというだけ。
しかし、20年かけて夢を叶えるとはどういうことか?
財産が築けた訳ではない。むしろ反対。
映画監督なんて、儲かるどころか借金の山ができる仕事。
さらに、前を向いても
次回作が約束されているのか? NO
食うに困らない生活ができるようになるのか? NO
単に作品を作り上げ、評価されただけだ。
でも、日本の映画監督の多くは、同じような思いをしながら
生活に困窮しながらも、映画を作り続けている。
僕もそんな1人になったというだけのこと。
それにしても20年・・。
ひとつだけ分かったこと。
LAの街が教えてくれたこと。
20年は僕が思うより、ずっとずっと長い時間であるということ
(つづく)
大人になれないこと。大人にならないこと。 [●「朝日のあたる家」序章 2012]
2011年 秋
春に過労で倒れて、3ヶ月ほど寝込み。
その後、秋頃からリハビリ生活を続けた。
そんな中で、春に訪れた20年振りのロサンゼルスのこと思い出す。
20年・・・本当に長い月日。
やはり、LAの街が大きく変わり、想い出の場所がなくなるのも
当然のことかもしれない。
僕自身がLA留学時代から、何も変わっていないので
余計に、街の移り変わりを感じたのかもしれない。
未だに友人から言われる。
「40を過ぎても気が若いなあ」
年配の人からは
「何子供みたいなことを言ってる。いい加減大人になれ!」
おまけに自分自身でも、言うことがある。
「だから大人は信用できない」
自分こそがいい大人なのだ。
未だに精神年齢は17歳なのかも。
でも、だから、”青い青い空” の真子やみさとの気持ちが描ける。
大人たちの理不尽な態度が許せないから、
10代にも共感してもらえる物語が作れるのかも。
だから、青春時代を送ったLA、あの頃のままであってほしい
そう思ったのかもしれない。
(つづく)