文芸評論家Sさんから頂いた素敵な評論ー「乙女たちの沖縄戦」 [乙女たちの沖縄戦]
文芸評論家Sさんから頂いた素敵な評論ー「乙女たちの沖縄戦」
太田隆文監督の新作『乙女たちの沖縄戦』初日に観賞。これは白梅学徒に関するドキュメンタリーと再現ドラマの映画。太田隆文監督はドキュメンタリー部分の監督及びドラマ部分の脚本を担当。
この作品はドキュメンタリー部分とドラマ部分によって構成され、両者が関連している。ドキュメンタリー部分は、ドラマに出演する女優の1人が役作りのために白梅学徒について調べる形式になっている。
ドキュメンタリーはあまり知られていない物事を伝えるため、しばしば制作者が「教える」姿勢になりがち。しかし、この作品では主人公を通じて「学ぶ」姿勢で描かれている。制作者も観客同様に映画によって学んでいる。
最近のTVドキュメンタリーでは、若い女性のナレーションを使う場合、内気な感じを選びがち。それは繊細さや傷つきやすさの無理解でしかない。このドキュメンタリーは主人公の女優のモノローグがナレーションで、隠にこもるようなところがない。等身大であり、観客に近い。
その彼女が白梅学徒の生存者に話を聞く。このシーンでは彼女は一言も喋らない。体験者が話すカットの間にただ無言で曇った表情の彼女のカットが挟まれる。それは観客自身の姿。何も話さず、ただただ聞き、それに戸惑い、ショックを受け、どう言ったらいいのかわからない。
そうした探求が済むと、彼女が登場人物の1人となってドラマが始まる。内容はドキュメンタリーを要約した再現。それが終わると、再びドキュメンタリーに戻り、彼女が慰霊するなどをして幕が閉じる。
『乙女たちの沖縄戦』はドキュメンタリー部分が大半でドラマ部分は短い。事実上ドキュメンタリー作品と言える。白梅学徒という全国的には知られていない沖縄戦の悲劇を意欲的なドキュメンタリーのスタイルで描いた労作。
今日を含53日ありますし、また東京以外でも公開予定もありますので、機会がありましたら、是非
本当に過酷な状態で作り上げた「乙女たちの沖縄戦」 [乙女たちの沖縄戦]
本当に過酷な状態で作り上げた「乙女たちの沖縄戦」
本当に過酷な状態で作り上げた「乙女たちの沖縄戦」
あれこれ問い合わせが続くので、もう少し詳しく書いておく。8月に公開される僕の新作映画「乙女たちの沖縄戦」は沖縄シリーズ第2弾とでもいうべきもの。前作「ドキュメンタリー沖縄戦」の続編的な作品。今回は白梅学徒の話に絞って、ドキュメンタリーだけでなく再現ドラマでも描いている。
内容的にはかなり潤沢なものになっているが、製作経緯は本当に大変だった。まず、昨年12月に製作プロダクションから連絡。「白梅学徒のドキュメンタリー映画を作ってほしい」との依頼。これは嬉しい。前作で唯一取材できなかったのが白梅。関係者とお会いしていたがスケジュールの都合でインタビューできなかった。が、プロダクションの担当者は言う「来週から沖縄に行き、年内に再現ドラマ部分のシナリオを上げてほしい」何ーー!
そして製作費を聞いてさらに仰天。通常のドキュメンタリー映画を作る半分以下の額。それもほとんどがドラマ編に使われ、ドキュメンタリーパートは本当に僅か。ギャラも信じられない額。撮影中の食費も毎日牛丼食べろいうようなもの。さらに編集費が出ない。ドキュメンタリー編集は数ヶ月かかる。結局、3ヶ月無給で作業。「いい加減にしろ!」と言いたくなるが、それは言わない。
沖縄戦のドキュメンタリー映画。映画会社や企業は絶対に出資しない。僕の前作も業界ではないところからの依頼。そして様々なトラブルがあった。劇場公開もDVD発売も最初はなかった。会社や組織の多くは沖縄戦を多くに伝えようとは思っていない。むしろ隠したい。葬りたいという勢力さえ存在する。あまりにも酷い歴史の1p。戦争をしたい人たちには都合が悪い。映画でも「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」くらいしか知名度のある映画はない。
その意味で今回の依頼は奇跡。背景はいろいろあるが、一言でいうと文科省の支援プログラム。そんなことでもないと白梅学徒の映画を作ることなんて出来なかっただろう。だから、製作費がどんなに安くても、何ヶ月もタダ働きしても、やらねばならない仕事だ。
「ひめゆり」は知っていても、「白梅」を知る人は少ない。「白梅」を伝えることで「ひめゆり」が特別な存在ではなく、沖縄戦では多くの若者が動員され犠牲になっていたことを知ってもらえる。また、健在でお話を伺える元白梅学徒はもうお二人しかいない。10年後に予算が集まっても、お話は聞けないかもしれない。お元気だとしても、もう100歳。時間は今しかない。
だから、全力でかかった。いつも以上にきつい状態。その上、時間制約がある。みんな頑張った。どうにか完成。出来は良かった。が、問題はあった。宣伝費だ。ほとんどないと言っていい状態。僕がデザイン、構成、文章も担当。ノーギャラでチラシとポスターはどうにか作った。が、試写会ができない。前売り券も印刷する余裕がない。パンフも無理。舞台挨拶も関係者が自腹で交通費を払って集まることができる東京周辺だけとなる。
テレビCMや新聞広告は夢のまた夢。でも、マスコミ関係で興味を持ってくれた社もある。ただ、今回の関係者で沖縄戦について語れる者は少ない。だから、僕がほとんどを引き受ける。3ヶ月の無料奉仕の後で、取材に答える。もちろんギャラは出ない。1日1社の取材でも、その時間に指定された場所に行く。生活のための仕事が止まる。そんな取材がすでに7件。本当はありがたい。でも、そもそも今回のギャラも信じられない額。完成までに生活できない。皆、それでも全力でかかった。
文句を言っているのではない。例えボランティアだったとしても沖縄戦の、それも白梅学徒を映画で紹介できるのは奇跡。今回の機会がなければ「白梅」を紹介する映画はできなかったかもしれない。沖縄戦の悲劇の一面を多くに伝えることを不可能にしたかもしれない。スタッフ、キャスト皆、僅かな収入で本当に頑張った。みんなの情熱で完成した映画だ。完成しただけで奇跡。
「**市で舞台挨拶をしてください」などというコメントはご遠慮願いたい。言ってくれるのはありがたいが、これ以上、会社にも、関係者にも限界。もう一度、言う。完成できただけで奇跡。公開できるだけで驚きなのだ。その上に舞台挨拶を遠方で!は不可能。気持ちはありがたいが、そういう作品なのだ。
本来、こんなこと書くべきことではないが、そんな経緯があることをあえて伝える。でも、作品は10年、20年、30年、いや100年先まで残る。関係者の苦労は無駄にならない。本来、その種の事業は大手企業や映画会社が率先してやるべき。でも、やらない。だから僕らが身を削りやっている。ぜひ、見てほしい。これが戦争。これが沖縄戦。8月2日(火)東京公開。
日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校? [再掲載]
日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校?
スプリングスティーンの歌で「学校の授業ではなく、レコードから多くを学んだ」という歌詞がある。その曲を聴いたとき、その通りだ!思った。僕は今、映画の仕事をしている。監督するだけでなく、脚本を書き、編集をし、宣伝もする。が、学校の授業で学んだことで役に立ったことはほぼない。高校時代に見た映画、聴いた音楽が今、役立っている。
小学校時代のことはまだプラス。字を覚える。漢字を覚える。足し算、引き算ができる。掛け算もできる。都道府県を覚える。日本史の流れを覚える。それらは今も役に立っている。が、中学、高校と6年間で学んだことは役に立っていない。6年も英語を習ったのに英会話が出来ない。因数分解や連立方程式を使うことがない。古典や漢文も必要ない。そんな役に立たない勉強を6年もしていた。
僕は映画の仕事を選んだが、例えば会社員になった。実家の八百屋を継いだ。飲食店で働いている。そんな人たちは6年の授業が役立っているのだろうか? 多くがさらに4年。大学に行く。友人たちは勉強より、バイトをし、スキーに行き、コンパをして、遊んでいた。が、そんなことが思い出になり、自由に趣味を謳歌することが出来たことが良かったという。そのことで将来の仕事を選ぶ、卒業にその道を進み始めた友人もいる。ま、遊んだだけで4年を終えた友人も多いが。
僕だけでなく、友人たちの話を聞いても、10年間に学校で学んだことで社会に出てから役に立つことは、ほぼなかったようだ。なぜ、日本の教育はそんな無意味な教育をしているのか? 次第に分かって来たのは、政府や企業に都合のいい人材を育てることだったのだろう。数学でも、古典でも、化学でもいい。何ら役に立たない。興味を持てないことでも、与えられたことをする大人を育てるための訓練なのだ。
記憶する。教えた方法で理解する。好き嫌いさせない。行動の意味を考えない。言われたことに逆らわず、与えられたことを確実にする会社ロボットに育てるため、社会の部品になる教育だと思える。政府や会社が指示したことに逆らわない。無茶な命令をされても、その意味を考えず、従う。好きだ嫌いだと言わず、与えられたことを黙々とこなす労働力を育てるものだったのだろう。
その能力を測り、比較して、上から優秀なものを一流企業、次に政府が獲得。彼らが日本を運営していく。例えればアリの王国作りを目指したのだろう。女王アリと働きアリ。それがスタートしたのが戦後。働きアリたち真面目に文句を言わず、休みも取らず働き続けた。日本は経済大国となった。が、バブル崩壊。リーマンショックと、戦後と同じでは乗り切れない時代が到来する。
だが、与えられたことしか出来ない人材ばかりの国。当然、トップも同じ。価値観が変わっていく世界で、自分で考えることの出来ない人たちは、古い価値観にしがみつくしか出来ない。そんなトップたちの誤った判断に従い、崩壊の道を突き進んで来た。それが不況の20年となったのだろう。すべては教育から始まっている。今、必要とされるのは、新しい時代に、新しい判断をできる人。自分で考えることができる存在なのだ。
ただ、大きな問題がある。僕らの時代まではまだ管理教育が完結しておらず、はみ出しものがいた。が、それ以降は教育によって完全に型に嵌められてしまい。はみ出すこともできず、指示されなければできない大人が大量に育ってしまった。彼らでは無理。新しい時代を切り抜けられない。急いで教育を改革しても、今の子供が成人するのは20年かかる。それまで日本は混迷を続けるしかないのか? あれこれ考えてしまう。
日本をダメにしたもの。この2つに尽きる?=教育とムラ社会ルール? [再掲載]
日本をダメにしたもの。この2つに尽きる?=教育とムラ社会ルール?(再掲載)
なぜ、日本は不況から脱することができないか? なぜ、極悪な政権を止めることができないか? なぜ、経済大国から極貧国に落ちてしまったのか?それら問題の背景......。
①詰め込み教育。 ②ムラ社会ルール。
この2つがとても大きな足かせだと感じる。日本をダメにしている。まず、教育については何度も何度も書いたが、日本の教育は優秀なサラリーマンを育てるもの。上からの指示に逆らわず、疑問を持たず、従順に、理不尽を感じても、意味がなくても、言われたことをする。与えられたことを確実にこなす能力を計り、成績のいい順にキャリア官僚、一流企業から順に採用した。
優秀な製品を作る。そのことで貿易黒字を増やし日本は経済大国になった。が、バブル崩壊以降、不況街道まっしぐら。他の国々は経済成長を続けているのに日本だけがなぜ? それは新しい時代に即した展開ができないから。与えられたことしかできない人たちが国や企業の上にいるから、過去を踏襲するしかできないのだろう。
1970年代。フジテレビも一流大学を中心に新人採用をしていた。そんな中で大学はそこそこだが、ユニークな人材がいた場合。本社ではないが子会社で採用した。80年代になり、その時の個性的な面々が現場に出て大活躍。彼らが作ったのが「THE MANZAI」であり「ひょうきん族」「笑っていいとも!」だった。高視聴率を取りフジは業界のトップに躍り出る。流大学を出たからと業績を上げることはできない。むしろ、はみ出した型破りな人材が新しい時代を築くのだ。
ところが多くの日本企業はそれをしてこなかった。だから人材がいなり海外から呼んだり。業績回復!なのにムラ社会ルールでトップを追放。それがゴーン事件だ。ムラ社会は「仲良しクラブ」本来の目的を忘れて、仲良くすることを優先。組織を腐られせる。教育によって「考える力」が育ってない国民は、あの政権は何だかんだでで支持率が高いよな....すぐマスコミに誘導され諦めてしまう。
以前に書いた「議論」の授業がない教育も問題。自分の意見が持てない。伝えることができない。議論もできない。与えられたマスコミ情報を鵜呑みにするだけ。おまけにムラ社会ルールに縛られているので、意見をいうとトラブルになると考える。仲間が問題を起こしても見てむぬふり。加害者ではなく被害者を叩く。そんなムラ社会ルールに縛られている。日本が抱えるほとんどの問題は①教育 ②ムラ社会ルール。この2つを改善しないと日本人は変われない。
(2020年2月記事)
「文句を言うな」は「批判するな」?=支配者たちは言葉すり替え、国民をコントロールする [再掲載]
「文句を言うな!」とよくいう先輩がいる。その言葉を聞くと「グズグズ文句ばっかり言わずに、さっさと行動しろ」という意味だと思える。「文句」という言葉には「言う必要のないこと」「仕方のないことをいうこと」と「愚痴」に近いものと捉え、ダメな後輩を叱咤しているつもりなのだろう。
では、文句ではなく「反論」「批判」と言う言葉に置き換えるとどうなるのか? 先輩の言葉を借りよう。「反論するな!」「批判するな!」これを聞けば先の「文句を言うな」とは違い違和感を持つのではないか?
自分の意見を一方的に押し付けておき「反論するな」では理不尽だ。相手の意見も聞くのがフェア。「批判するな」も同様。自分の言葉や方針を批判されたくない。問題があるので批判されると説明できない。だから「批判するな」と言っているのだとも解釈できる。
「先輩」を「上司」や「政府」に置き換えるともっとよく分かる。部下に無理難題を押し付け、生活を脅かし、犠牲を強いるような指示や命令。「批判」や「反論」を受けた場合。「文句を言うな」はとても便利な言葉なのだ。それを聞いた第三者は上司(政府)は正しいことを指示しているのに、部下(国民)は努力せずに文句を言ってるのだ。と感じるからだ。
その究極が太平洋戦争時。国が戦争を続けることに対して国民は批判も、反論も許されなかった。反対意見や疑問を唱えると「文句を言うな。非国民め」と近所からも憲兵からも叩かれた。「文句を言うな」と言うのは、問題ある行動を無理やり進める時に便利な表現なのだ。
「我に従え」「お上に逆らうな」「言われたことをおとなしくすればいいだよ」「国民は黙っていろ」
支配者たちはそうやって、批判や反論を「文句」だと決めつけて言論を封じようとする。最近、一部の文化人たちがいう「今、政府を批判すべきではない」も同じ。「政府に文句を言うべきではない」「国民は黙ってお上に従え」と言いたいのだ。
つまり失敗続きで効果を上げられないコロナ対策を批判されたくない。多くが感染し死亡者を出しても責任を追及されたくないということ。騙されてはいけない。文句も、批評も、反論もすることが大切なのだ。
「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録」初日舞台挨拶。動画! [舞台挨拶動画]
東京写真美術館ホール 8/2(火) 「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録」初日舞台挨拶。
登壇 森田朋依、永井ゆみ、城之内正明、藤真由美、松村克弥監督、太田隆文監督
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劇場公開情報
東京 写真美術館ホール 8/2(火)~8/7(日) 初日舞台挨拶終了
横浜 シネマジャックアンドベティ 8/6(土)~ 初日舞台挨拶あり
名古屋 シネマテーク 8/13(土)~
長野 千石劇場 8/2(火)~8/11(木)
大阪 シアターセブン 8/6(土)~
京都 みなみ会館 8/5(金)~
沖縄 桜坂劇場 8/6(土)~8/12(金)
別府 ブルーバード劇場 8/12(金)~8/18(木)
ブログ〜>https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp
「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録」舞台挨拶ー動画 2022年8月6日(土)初日@ジャック&ベティ [2022]
「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録」舞台挨拶
2022年8月6日(土)初日@ジャック&ベティ
登壇
太田隆文監督(ドキュメンタリーパート監督、ドラマパート脚本)
森田朋依、藤真由美。
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(絶賛上映中)
東京写真美術館ホール~本日8/7(日)まで
長野千石劇場 上映中
京都みなみ会館 上映中
横浜ジャック&ベティ〜8/19(金)
大阪シアターセブン上映中
沖縄桜坂劇場~8/12(金)
(近日公開)
名古屋シネマテーク8/13(土)~
別府ブルーバード劇場 8/12(金)~
予告編=> https://youtu.be/9kyJ8VDG5yo
公式HP=> https://otometachinookinawasen.com
「乙女たちの沖縄戦」記事「10代の少女たちの想像を絶する体験と向き合う。沖縄戦の知られざる事実を語り継ぐ女子学徒と出会って [乙女たちの沖縄戦]
その沖縄戦の悲劇を伝える存在として広く知られる「ひめゆり学徒」。
しかし、ご存知の方もいると思うが、沖縄戦において看護学徒として動員された10代の女学生たちは、映画、テレビドラマ、舞台として幾度となくリメイクされている「ひめゆりの塔」のモデルとなっているひめゆり学徒隊だけではない。
映画「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~」は、ひめゆりらと同じ学徒のひとつ、沖縄県立第二高等女学校の4年生56名で編成された白梅学徒に焦点を当てる。
沖縄戦において看護学徒として野戦病院に配属され、負傷した兵士たちの看護に命懸けで当たった彼女たちの実話をドキュメンタリーと再現ドラマで描く。
再現ドラマに出演するとともにドキュメンタリーパートで、今も存命の白梅学徒だった二人にインタビューを試みた女優の森田朋依に訊く。(全三回)
こんな何も知らないわたしをお二人が受け入れてくれるのか
前回(第一回)は、出演とドキュメンタリーパートでのインタビュアーとなった経緯について主に訊いた。
今回は、実際の沖縄での取材を振り返ってもらう。
このドキュメンタリーパートのメインに据えられているのは、元白梅学徒である中山きくさんと武村豊さんの証言だ。
戦後70年以上が過ぎ、話をきくことができる白梅学徒はもう数人という現状がある中、本作はこのお二方の貴重な話を収録している。
そして、森田は中山きくさんと武村豊さんと向き合うことになった。
二人には正直に、自分があまり白梅学徒のことを知らないことをはじめに伝えたという。
「お会いするまでほんとうにどきどきが止まりませんでした。
なにか、失礼なこと言ってしまわないかと不安だったし、こんな何も知らないわたしをお二人が受け入れてくれるのかもわからなかった。
ほんとうに緊張しました。
その中で、まず自分自身が正直でいなければならないといいますか。嘘をついてしまってはいけないと思ったので、白梅学徒のことをほとんど知らないことを二人にはまずお伝えしました。『ほんとうに申し訳ございません。わたし、ほとんど知らないんです』と」
なにも知らなかったわたしに丁寧にいろいろなお話をしてくださいました
そこからインタビューが始まったという。
「お二人とも現在90代に入られているんですけど、お元気でお話をきくことができました。
途中で休憩を入れましたけど、だいたいお二人とも2時間ぐらいだったでしょうか。
ご高齢で大変だったと思うんですけど、なにも知らなかったわたしに丁寧にいろいろなお話をしてくださいました。
正直なことを言うと、もうそのお話にわたしは圧倒されて、言葉がうまく出なくて、ほとんどうなずくだけだった気がします」
わたしが緊張しているのをきくさんは察知してか、
手を握りながら答えてくれました
白梅学徒だった二人との対話で、印象に残ったことをこう明かす。
「(太田監督は)なるべくまっさらな状態でインタビューには臨んでほしいということだったんですけど、(中山)きくさんについては動画をいくつかみていたんです。
その動画からだと、きくさんはキリっとしていて厳しさと強さのあるイメージがあったんです。
だから、内心『話を聞くのが何も知らないわたしで大丈夫なのか?』と緊張しました。
でも、実際にお会いしたら、ものすごく優しくて。東京からやってきたわたしにもすごく丁寧にひとつひとつあったことを説明して語ってくださる。
最初に『看護学徒として病院壕にいくことは怖くなかったんですか?』ときいたんですけど、わたしもどういう顔をしてどういうトーンで話を切り出せばいいかよくわからなかった。
そのとき、わたしがすごく緊張しているのをきくさんは察知してか、『それが当たり前だったのよ。戦争だったからしょうがないの』といったことを、手を握りながら答えてくれたんです。
その瞬間、わたしは緊張がひとつ解けて、『きくさんたちがほんとは思い出したくもないことを話してくれる。そのことをきちんとうけとめないと』と覚悟が決まったところがあったんですよね。
それでずっとお話をうかがっていったのですが、そのひと言ひと言にひじょうに重みがある。ひとつひとつの言葉に、きくさんの『こんな経験はもう誰にもしてほしくない』といった強い思いが入っているようで、わたしのもとへとひしひしと伝わってくる。
戦時下、きくさんは、実際に白梅学徒として負傷した兵士たちの看護にあたっていた。それは溜まった糞尿を処理したり、負傷した兵士たちの体にわくウジ虫をとったり、腕や足を切断する手術に立ち会ったりと、もう想像を絶する体験だったわけです。
でも、きくさんがすごいのは『わたしはまだよかったほうなのよ』『自分は運がよかった』『武村さんのほうが大変だったの』と他人を思いやる気持ちがものすごく強いんです。
そのきくさんの思いやりの心にはひじょうに感銘を受けました」
続きは下のアドレスから
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizukamikenji/20220807-00309138
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