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「乙女たちの沖縄戦」へのコメント⑤ 戦争を知らない若者を批判する大人たち? その辺を解説⑤ [乙女たちの沖縄戦]


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「乙女たちの沖縄戦」へのコメント。戦争を知らない若者を批判する大人たち? その辺を解説⑤

好評なので、もう少し続ける。以下のような映画に対するコメントを見つけた。紹介する。

コメント「体験者を訪ねる女の子が被っている野球帽。Armyと書かれている。とても不謹慎です。沖縄の人たちは基地問題を抱えているのに、そんな帽子で訪れるなんて無神経。映画の作り手の姿勢を疑います」

この指摘を考える。まず、実際の事情から説明する。コメントで指摘された女の子は若手女優であり、ドキュメンタリーパートでは体験者から話を聞く役割。ドラマパートでは女子学徒の一人を演じている。ドキュメンタリーパートは実際に若手女優が体験者を訪ね、インタビューをしている。それを記録したものだ。

衣装も本人の自前。衣装スタッフがいた訳ではない。出発の段階で彼女はドラマパートの関係者から渡された本を数冊読んでいただけで、沖縄戦についてはほとんど知らない。ファッションや旅行、料理や映画等に関心のある、どこにでもいる若い女の子。以前から被っていた野球帽を沖縄での撮影に持参した。撮影は冬だったが、沖縄は暑いであろうと用意したのだろう。

さて、監督である私。その帽子には当初気づかなかった。小さな文字でArmyと書かれているだけ。映画館の大スクリーンで見ると気づく人はいるが、街で彼女に会っても帽子に書かれた文字に注意は行かない。その程度の小さなもの。私がそれに気づいたのはずっと後。考えた。映画を見た時に、先の批判コメントと同じことを言う人も出るだろう。しかし、帽子は彼女の私物であり、特にArmyを支持するためのデザインではない。それ以前に彼女は戦争についてほとんど知識がない。

また現代のファッションは英語文字の入ったものが多い。中には何で?というものもある。Tシャツだと「FBI」とか「CIA」あるいは「Navy」America」「Heaven」「Go to hell」と言うのも見たことがある。だからと言って、その人がFBIの捜査員でないことは分かるし、海軍の兵隊でもないし、それら英語での表現を支持するものでもない。単なるファッション。意味さえ分からずに着ている。

つまり、Armyと小さく書かれている帽子も同様。彼女はそんな言葉が書かれてることさえ意識していないかもしれない。現代を生きる普通の子なのだ。その象徴として捉えることにした。戦争を知らない。沖縄が基地の街であることを知っていても、詳しくは知らない東京に住む若者。そんな彼女が沖縄を訪ね、戦跡を巡り、戦争体験の話を聞くことで、どんな反応をするか? それを見つめてみようと考えた。

関係者から戦中の話を聞くたびに、彼女は変わって行った。物凄く感じるところがあるようだった。今時の20代。戦争の話を聞いても他人事と思うかも?とも想像したが、予想を超えるショックを受けていた。俳優は非常に感じる力が強い。会ったこともない他人になりきり、自分が経験していない悲しみを表現する仕事。その種の感性がなければ出来ない。演じる前にあれこれ調べて、その人物の気持ちに迫る努力もする。

そんな彼女が本当に戦争を経験した女性に会い話を聞いた。同じ女性同士。それもついこの間まで女子高生だった彼女が聞かされたのは、体験者の高校時代のこと。女子学徒として病院壕で働いた壮絶な体験。物凄い衝撃を受けたようだった。その思いを胸に帰京後にドラマパートで女子学徒を演じた。さらに、映画完成後は、体験者の思いを伝えたい!と各地の映画上映館に行き、見てくれたお客さんにお礼を言いたいとまで言い出した。

宣伝費が僅かしかない映画。その交通費を出すことも製作会社はできなかった。すると彼女は自腹で各地をまわり、沖縄の映画館も訪れた。その時にインタビューをした体験者とも再会。感謝の気持ちを伝えたという。「今まで戦争のこと。何も知りませんでした。けど、当時のお話を伺いショックを受けました。撮影の後にロシアのウクライナ侵攻。きっと沖縄と同じことが起きていると思い苦しくなりました。日本で同じことが起こるかもしれない。だから、私たちは沖縄戦のことを伝えたいと思います」そう話してきたという。

その気持ちの表れがドキュメンタリーパートのラストシーンだった。再び訪れた白梅の塔。そこで彼女はあの帽子を脱ぎ、深々と頭を下げる。帽子に書かれた文字は意識してなかったかもしれないが、最初に訪れた時とは違う彼女の思いが溢れるものとなった。体験者から話を聞き、戦争というものを知った若き女優。ドキュメンタリーパートはその成長を記録したものとなった。

その彼女がまだ戦争にも、沖縄にも関心がなかった時に撮影された映像。被っていた帽子に「Army」と書かれていることを「不謹慎だ」「無神経だ」と批判するのはどうだろか? その人たちは同じく戦争悲劇の舞台となった街を訪ねるときに、小さな文字や絵柄まで考えて衣服を決めるのか? 日本軍の被害を受けた国を訪れるとき、その種の注意をするのか? その悲劇を事前に勉強するのか?

「無知」を責めることに意味があるのか?と考えてしまう。大切なのは「知る」「伝える」ということではないか? 知らない人を批判し、努力を強いても結果、拒否感を生むだけだ。無知な若者を責めるなら、それを伝えて来なかった社会や学校をまず批判すべきだ。学校の歴史の時間。太平洋戦争は三学期になりバタバタと終わる。それを解消し、しっかりと戦争を教えるべきなのだ。NHKは毎年、6月23日に沖縄戦ドキュメンタリーを放送すべきだ。(昨年の夏は新作の戦争ドキュメンタリーを1本も放送していない)

そんな中、Armyと書かれた野球帽を被っていた若い女優が沖縄戦を知り、撮影が終わった後も勉強を続けている。沖縄での映画公開に合わせて訪れたときは、撮影で行けなかった戦跡も訪ねたという。そんな若者を文字ひとつで批判する大人たち。彼らは戦争を伝える努力をしているのか?反省すべきはまず大人たちの方ではないか?と思えてしまう。



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