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れいわ・盆ダンスパーティ③=蓮池透が登場! [れいわ新選組応援]



れいわ・盆ダンスパーティ③=蓮池透が登場!


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「結局、自民が圧勝だよ...」と言う多くの日本人。印象操作にかかっている!=そのカラクリを解説。 [再掲載]

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多くの日本人が印象操作にかかっている!=そのカラクリを解説。2021-10-21

この数日、衆議院選挙について数人の友達に聞いてみた。「今回もいつもと同じ結末なんじゃない・・・」という人が複数いた。「いつもと同じって?」と聞くと、自公が過半数で政権を取るということらしい。ならば、その理由は?と聞くと誰も答えられず「何となく・・」と答える。

完全に与党による印象操作にかかっている。「どうせ投票しても無駄だ」「だから棄権する」「投票しない」という思っている。友人たちは気骨のある連中だが、そんな彼らが与党の誘導にかかるのだから、多くの人が同じように思ってもおかしくないだろう。解説する。

まず、安倍=>菅政権に以降。何ら日本はよくならなかった。支持率は安倍時代よりも悪くなり、これでは勝てないと先の総裁選に菅は出なかった。つまり、衆議院選で大敗して政権を失うかも知れないという恐れがあったのだ。それほどに国民は菅政権を支持していなかった。その勢いで行けば次の衆議院選では与野党逆転という可能性もあるはず。

にも関わらず、友人たちはなぜ、「いつもと同じ結果」などというのか? まず、岸田が総理になったこと。すでに馬脚を現し、3Aの傀儡であることは暴露されている。が、総理が交代したことで菅、安倍は過去にことになり、あの時代の怒り忘れた人たちが増えた。思い出すのは毎回、自民が圧勝した記憶。だから「いつもと同じ結果」という。その意味で菅を下ろした自民の戦略は正解なのだ。

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が、大きい印象操作がまだある。「毎回、自民が圧勝」というが、そうなのか? これはマスコミによる誘導がある。先に参議院選。その前の衆議院選。確かにマスコミは「自民圧勝」という見出しで大手新聞も報じた。が、よく数字を見てみると、衆議院選挙でも参議院選挙でも自民の議員は前回より減っている。公明も同様。

つまり、回を追うごとに自公を支持する人たちは減っているのだ。それを把握されては困る。マスコミの出番。細かい数字を上げず「自民圧勝」とヘッドラインに大きく出す。ニュースも同じだ。そのことで、自公共に議員数が減っているのに、国民は「結局、与党が勝つんだな。。」と印象付けられ落胆する。馬鹿らしくなり、次からは投票に行かなくなる。印象操作に見事に掛かるという訳だ。

マスコミは公正中立だと思うから誘導される。彼らは権力者の広報であり大本営発表。そのフェイクニュースを信じているから、政府が都合のいいように考えてしまう。僕も昔は朝日新聞だけは反自民だと思っていたが、この数年、そう見せかけておいて実は政権の瓦版屋であることを痛感している。

思い出すこと。朝日でさえ、選挙前に「自民圧勝の予測」などとデカデカと見出しを出していた。あれも印象操作。「選挙に行っても無駄だ」「どうせ自民が勝つんだ」という誘導だったのだ。当時からなぜ、こんな見出しを出す必要があるのか?と思っていたが、あちら側だと思えば納得する。

そして朝日といえば、8区問題。嘘を報道して山本太郎をバッシング。与党の影の用心棒とも言えるエダノは暗躍しているが、太郎はヤバイ。彼は真剣に政権交代を考えている。だから、イメージダウンさせるために批判記事。それも嘘を交えたもの。朝日の正体が見えてしまった。彼らも与党の用心棒なのだ。

そんなマスコミは自公が勝つように、誘導するのが昔からのお仕事。それにはまってしまった国民が数多くいる。僕の友人たちも同様だ。今回の選挙は大きい。いつものようにはならない。エダノがいるので政権交代は無理だろうが、自公はさらに議席を減らすだろう。そして、れいわ、共産は躍進すると予想する。立憲は枝野のためにイメージダウン。議席を減らすかもしれない。その責任でエダノが党首を辞めれば日本は少し良くなるだろう。

そんな展開も可能なのに「いつもと同じ結末」という人たちが多い。完全に洗脳され、戦う気力をなくしている。政府の思う壺だ。それが今の日本人。目を覚ませ、時代は変わろうとしている。日本が変わるチャンスが目の前にある。マスコミを信じるな。そして投票に行こう。

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れいわ盆ダンスパーティ②=大島九州男登場 ! [れいわ新選組応援]




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人と違うことをする。新しいことを始めると、止めに来る大人たち。それがムラ社会ルール。日本がダメになった背景!? [再掲載]

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「将来、映画監督になる!」


高校時代。そう言ったら多くの大人たちに反対された。親、教師、親戚、先輩たちが「子供みたいなことを言うな!」「現実を見ろ!」と意見し、止めようとした。何ら迷惑がかかる訳でもないのに? 大人たちはあれこれ言って邪魔をした。

背景にはまず「優しさ」がある。「この子は現実を知らない。世の中をなめている。将来、後悔し嫌な思いをしないように止めねば」との思い。同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとする心理も感じる。それこそが「村社会」ルール。人と違うことをする。新しいことを始めると排除。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのだ。アメリカ留学中にも、同じ発言をした。

「将来は映画監督になりたい!」

反応は日本とは180度違った。アメリカ人たちは「凄い!」「いいぞ!」「がんばれ!」「応援する!」「ハリウッドの友人を紹介するよ!」誰もが前向き。忠告したり、説教する人は1人もいなかった。

なのに日本はなぜ? 考えた。日本の多くは狭い村。その中で誰かが勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。秩序が乱れ、安定が壊れる。だから始める前に止める。真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。子供たちにも悪影響がある。だから潰しておく。長い年月で出来上がった田舎特有のメカニズムではないか? だが、奇妙なのは個人としては「村の調和のため」とは思わず「本人のためだ!」と思い説教し、止めようとする。

江戸時代頃から続く村社会。その習慣。それが今も日本人の中で生きているだろう。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいことをしてはいけないという意識が育つ。

結果、彼らは前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する。それがムラ社会ルール。学ばなくても村社会で育つと、それをマスターしている。それが日本人。そのことで個人が間違っている、違うと思っても一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になるとアジアの国々に追い抜かれた。新しいことをすると潰される環境では新しい時代に乗れない。それが今、日本をダメにしている背景ではないか?



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(352)山本太郎を分析。次は何をする?=お笑い、盆踊り、甲子園!その背景。 [れいわ新選組応援]



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日本人はなぜテレビを見なくなったのか?=局の怠慢、慢心。没落するのが当然の背景? [再掲載]

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テレビは長らく大きな力を持って来たが、やはり、その立場にあぐらをかき努力を怠った。その間に時代は変わり、視聴者のニーズも変わる。にも関わらず今も昔と同じスタイルを変えようとしない。終焉を迎えるのも当然のだ。昔はその番組見たさに学校が終わったら飛んで帰る!と言うことがあった。が、仕事でどうしても帰れないと言うこともある。登場したのはビデオデッキ。タイマー録画できる。

これは視聴者側の努力。「その番組が見たい!」と言う強い思いがあった。しかし、テレビ局は安易な番組作りを始める。人気タレントを並べるだけ。似たようなドラマを繰り返し放送する。また、テレビというのは最大公約数的な番組が多い。多くの人が楽しめるもの=視聴率が取れる。が、2000年代に入り趣味嗜好の多様化が進む。

例えばスポーツ。昔は野球だけで皆、喜んだ。それがサッカーがブームになる。プロレスも多様化し、全日本と新日本だけではなくなった。誰もが喜ぶ番組というのがなくなり、小さなサークルがたくさん出来て行った。ドラマでも昔は木村拓哉や中山美穂が出れば視聴率が取れたが、今は誰が出たからと番組を見るということが減っている。

そんな趣味の多様化にテレビというメディは対応出来なくなって行く。それにも関わらず人気俳優に依存するドラマ。人気タレントにお任せのバラエティ。クオリティはどんどん下がって行く。趣味の多様化にも対応できない。多くが見たい!と思うもの自体が存在しなくなる。高視聴率が取れないのも当然。

そのことで細分化に対応できるCATVや衛星放送が登場する。時代劇専門、日本映画専門、スポーツ専門、科学番組専門、どれも昔のテレビのような視聴率は取れない。が、様々な趣味の人たち、小さなグループには支持された。こうして従来の番組から離れて行く。

そして視聴者はタイマー録画するほどの番組がないことに気づく。また、オンタイムで見れない番組を録画して見れること。80年代は便利!と感じたが、次第に面倒になる。新聞で見たい番組を探し、日時をセットする。あとで気づいても、もう見れない。

昔なら「仕方ない」だったが、現代人は忙しい。朝から晩まで安い賃金で働く。土日も仕事ということがある。新聞を読む暇もない。テレビガイドを買うのももったいない。そんな人たちに「番組を見たければ毎日、新聞をチェックして、タイマー録画しな!」というのがテレビ局側の姿勢。しかし、町では買い物したい時に買い物ができる真夜中も営業するスーパーやコンビニがある。銀行のATMだって今は24時間引き出せる。なぜ、テレビだけが視聴者が局の姿勢に合わせて、努力せねばならないのか?

局の怠慢。何を放送しても高視聴率を取っていた頃のスタイルを変えず、努力を怠っているということ。その上、番組レベルも下がっている。そんな時に登場したのがamazonやNETFelixだ。見たい時に、見たい番組が、どこでも見れる。スマホやiPadでもOK。電車の中でも見れる。様々なジャンルの番組がある。テレビでは放送されていない面白いドラマ。現代の日本人事情に対応。金を払っても見たいと思う。

こうして地上波のテレビは無料でも見たくない。録画してまで見ないということになる。シンプルにテレビ局の怠慢、慢心だ。この20年の生活スタイルの変化にも対応せず、番組レベルの向上にも努めず。タレントに頼り、大きな圧力には屈して、視聴者よりスポンサーにばかり顔が向いていたこと。それが不要のメディアにしてしまったのだ。

さらにYouTubeの台頭。「報道ステ」よりユーチューバーNEWSの方が面白い。そして、視聴者は何が事実で何がデマなのか?を考えながら見るようなる。その意味でもテレビはもう見る価値がないと言える。いつの時代も努力しない者は淘汰される。



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れいわ盆ダンス・パーティ①=これも街宣!?西みゆか登場! [れいわ新選組応援]



れいわ盆ダンス・パーティ①=これも街宣!?西みゆか登場!


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ドキュメンタリー映画「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」夏・東京公開! [乙女たちの沖縄戦]

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「乙女たちの沖縄戦〜白梅学徒の記録〜」夏・東京公開!

太田隆文監督「ドキュメンタリー沖縄戦」に続く第二弾!




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