21世紀を生き延びるのに必要なこと。健康だけではない。新しいことを受け入れられるか?そこが大事。 [再掲載]
若い頃。友人がいいことを言った。
「20代までは新しいことをすぐに受け入れる。
30代になると努力が必要になる。
40代になると拒否し始める。
50代になると怒り出す」
これ名言だと思う。脳が次第に老化していく様を表している。記憶力もそうだが、新しい習慣、新しい機械、新しい価値観を受け入れらるか?をそれぞれの世代がどう反応するか?も分かる。
CDが登場した時に、僕は20代後半。友人にはCDを嫌い。レコードに固執する友人がいた。早くも新しいものに対する拒否感を持ったのだろう。90年代に入りパソコンが普及。この時も会社のベテランたちが「あんなものはなくても、仕事はできる!」と反発した話をよく聞いた。
Eメールができず、50代の社員が20代に教えてもらうと言う風景もよく見た。僕が30代の頃。シナリオを書き売り込みに行くと、40代以上のPは「詰まらない!」と言うより「よく分からない」と言った。バカではない。映画界で働く第1線のPだ。今なら理由は分かる。
僕のシナリオはSF。当時、日本ではSFはマイナー。子供向けだと思われていた。アメリカでは「スターウォーズ」「ターミネーター」「マッドマックス」と言う映画が大ヒット。SFが主流だったが、日本の40代以上は受け入れることができなかった。もちろん、新しいものを脳が受け付けないのだ。実践したのは大林宣彦監督くらい。
30代前半の若手は理解してくれたが、上が理解できない。「日本でSFは無理ですよ」とさえ言われた。それから30年。今や日本でもSFは主流。タイムスリップもオーケー。「シグナル」だってSFだ。ようやく、そんな時代が来たが、僕も50代。先の格言で言うと「新しいものと出会うと怒り出す」世代。かなりやばい。
編集ソフトを使うのはかなり苦労している。若者のようにすぐに覚えられない。カメラもそう。若いスタッフに教えてもらう。PCもどうにか使っている程度。どのソフトも完全に使いこなせてはいない。
昔は、20代までで覚えたことが、定年まで活用できた。年上の人は若者より知識があった。が、今は違う。年取るほどのダメ。新しいツールを使えない。機械だけでなく、価値観や生活スタイルも変わっているのに、同世代は未だにテレビを見て、新聞を読んで世間を理解した気分になっている。
YouTubeで動画を見る者は少ない。レコードが売れてると聞くと「やはり、いいものは変わらない」と懐古趣味に浸る。NetflixやAmazonプライムを見る同級生はほとんどいない。今もTSUTAYAに行くらしい。なるほど、新しいものが受け入れられないだけでなく、怒りすら感じるのだろう。僕は仕事柄、無理して受け入れるが、次第に同世代とは話が合わなくなってきた。
健康や体力が大切と言うことでジョギングをする年配者は多い。が、頭の方を気にする人はまだまだ少ない。特に男性はアウト。21世紀を生き延びるために必要なのは、体力だけでなく、新しいものを受け入れ、理解する力も大事。そう考えると、日本の政治家。多くがアウトであることも分かる。不況になると公共工事ーいつの時代の話と思える。
カテゴリー分けしたがる日本人=なぜ、自分の目で見て判断しないのか? [再掲載]
カテゴリー分けしたがる日本人=なぜ、自分の目で見て判断しないのか?
ある地方のラジオ番組に出た時、こう聞かれた。「監督はどちらの出身ですか?」「その質問、絶対に盛りませんよ」捻くれ者の僕はそう答えた。でも、DJは聞きたがるので「和歌山県です」と答えた。すると和歌山について質問を始めるのが「よく知りません...」と答えるしかない。そうなんだ。幼い頃に数年住んでいただけで、他の街の方が長い...。「ほら、盛り上がらないでしょう?」というとDJさん困っていた。なんと意地悪なゲストだ〜!
人は生まれた街で育つ、思い出を作ると、彼は思ったのだろう。だから、故郷について訊いた。が、僕は例外。和歌山生まれだが、親の仕事の都合で関西を転々とした。そして、どこの街に住んでも「お前は変わっている!」と言われた。その後、横浜の映画学校に進学。クラスメートに言われた。「関西人は変わっている」
その後、LA留学。こういうアメリカ人がいた。「日本人は変わっているなあ」結局、どこへ行っても変わり者(ただ、アメリカ人はカテゴリー分けする人は少ない。人は皆、違うと思っている)それを皆、「関西人だ」「日本人だ」というカテゴリー分けしたがるが、どの街でもどの国でも「変わり者」と言われた。関西人だから日本人だから変わっている訳ではない。そもそもが「変人」なのだ。
なぜ、人はカテゴリー分けしたがるのか?政権を批判したら「左翼」、アニメが好きなら「オタク」、何で分けたがるのか?「ブルーカラー」「ホワイトカラー」「落ちこぼれ」「反日」「アベガー」本当に下らない。昨年の夏、れいわ 新選組が2議席を獲得。話題になった時も、ある雑誌がこんな見出しをつけた
「左派ポピュリズムの台頭」ーはあ?何それ? 何でそんな分け方するの?「山本太郎のれいわ が2議席獲得」でいいだろう?あんたは昆虫学者か!その理由。あることで気づいた。多くの日本人は「考える力」が弱い。分類してあげないと分からない。自分の目で見て、その人を理解し把握することができない。
昔のドラマでいえば「正義の味方」「悪い奴」という分け方。時代劇なら「正義の侍」と「悪代官」ー今の時代、もうそんなドラマは存在しない。なのに現実社会では未だにカテゴリー分けしている。従来の分け方では分類できない人物や事象が次々に出てくるのに、分けたがる。「考える力」を育てる教育をしていないこの国では、そうやって分類してあげないと理解できない人が多いのだろう。
それをレッテル化して悪用する人たちもいる。アニメーションを見ていたら「オタク」。政権を批判したら「左翼」「反日」。少し前は原発に反対すると「プロ市民」とも言われた。戦時中の「非国民」「売国奴」と同じ。レッテルを貼って貶めたいのだ。「一流大学卒」=「賢い」「関西人」=「面白い人」というのも同じ。関西人でも面白くない人もいる。一流卒でもバカがいる。
そんな分類をしている人は「考える力」がない人だということにも気づく。理解力があればカテゴリー分けせずに、自分の目で見て判断できる。それができない人がマスコミ、政府等に誘導されてやすい。現実を把握できないことが多い。今、日本人に一番必要なのはやはり「考える力」なのではないか? ところで最近は「映画監督」という肩書があるので、こう言われる「映画監督って変わってるな」ーはい。それは正解。常識あると出来ない仕事なので!
同調圧力について =日本人の十八番? [再掲載]
同調圧力について
日本という国は「皆と同じでなければならない!」という同調圧力が強い。学校でも同じだ。僕は高校時代に日本の教育に疑問を持った。「将来、役立たないことをなぜ、授業で教えるのか?」「10年勉強しても英語を話せないのは、教育が間違っているのでは?」そういうと、教師にも同級生にもこう言われた。
「そんなに勉強が嫌なら学校を辞めろ」「お前は勉強をしたくないだけの怠け者だ!」
どちらも答えになっていない。戦時中も同じだ。「この戦争に意味があるのか?」と疑問を持とうものなら「非国民。売国奴!」とバッシングされた。
「お前は戦争に行くのが怖いから、そんな言い訳をしている。臆病者だ!」
これも答えになっていない。この両者の共通点は何か?というと、目的や意味は置き去りにされ、決めたその目標を貫徹することになっている。そしてどちらも国策。意味や目的ではなく「戦争する」個人にプラスか?意味があるか?ではなく「勉強する」「大学へ行く」になっていることだ。そして多くの人がそれに対して疑問を持たず従う。疑問を持つとバッシングされる。その国策の推進力となったのが同調圧力なのだ。
時代が変わっても、日本人は同じ意見を持ち、同じ方向に進まないと同調圧力に攻撃される。皆、同じで関係性を乱してはいけない。空気を読み、「違う」と思っても同調する。そんなところが今も日本人にはある。
2021年の記事。再掲載