”The House of Rising Sun" (2013)coming soon! to the theaters [2022]
編集作業。今になってスピードアップ。霊は本当に降りてきたのか? [2022]
編集作業。今になってスピードアップ。霊は本当に降りてきたのか?
締め切りまであと少しなって、ようやく作業がスピードアップ。「さっさと始めればよかったんだよ〜」とか言われそうだが、スタートしたのは1ヶ月以上前。作業に集中しスピードを上げるまでには、何週間もかかる。1週間の時もあるが、4週間の時もある。そこまで自分を追い込み、環境を整えて、全集中できるように持って行かねばならない。
格闘家。特にボクサーも、同じような努力をしているのではないか?だから、試合前になるとジムに泊まり込み、自宅には帰らない。家にいると日常モードになってしまい、闘争心が掻き立てられないからだろう。テレビ見たり、新聞読んだり、親兄弟と話していると、試合モードが阻害されるのだ。
机の上にある恋人の写真とか見ると「どうしてるかな〜?」とか考えてしまう。「次の誕生日は何をプレゼントしようか?」とか思っていると闘争心が萎えてしまう。だから、試合に集中するためにジムに籠り、一日中練習する。編集作業も同じ。人に会わない。テレビを見ない。世間に関心を持たない。編集素材が描く世界に集中する。
それが今回は2回も寸断。それぞれに5日づつ別の作業をせねばならなかった。それらを終えてから再開。完全に別モードになっている。その期間が本当に苦しい。作業はパソコンするのだが、そこに頭の痛いメールが来ると、血が逆流。編集より怒りに駆られてしまう。先にも説明したアホなPは「どうですか?」などと、進行を探ろうと電話して来たが、それほど邪魔なものはない。
いろいろあったが、締め切りを目前にしてスピードアップ。霊は来ているのか?と疑いながら作業。粗編で3時間になったものを、昨日で2時間半まで縮めた。ただ、切ればいいというものではない。その世界を小さくするのではなく、圧縮する。そのためには数秒ずつ切って行かないとならない。10分ドカッと切ると世界の空気が急激に減って、見る人に伝わらなくなる。
目標は1時間半。あと1時間切らねばならないが、最後の方はまだ詰め編集が終わっていない。その辺でかなり稼げるはず。問題はその後だ。2時間まで縮めても、あと30分。この30分がボクシングの減量と同じで本当に苦しい。
今回のインタビュー映像は、体験者が魂を込めて吐き出した言葉。その全てを伝えたい。ただ、それだと見るものが混乱する。ある程度、整理し短くする必要はある。が、その先は大切な言葉も削らなければならなくなることが多い。上映時間の問題だけでなく、観客が耐えられる時間も必要。ドキュメンタリーには3時間、4時間というものもある。記録として必要だからだ。しかし、そのことで見る気を無くす観客もいる。そのせめぎ合いも存在する。
締め切りまでに完成させる必要はない。が、今回は僕の企画でも製作でもない。依頼を受けた仕事。その会社の関係者が見て分かるレベルの詰め編集は必要。せめて1時間40分くらいにすることは大事。残念ながら編集料が出ない低予算作だが、そんな問題ではない。ここ数日が戦いだ。
(270)劇場再上映記念ー原発事故を描く映画「朝日のあたる家」=山本太郎さんに映画出演をお願いした頃(再配信) [YouTube]
日本人はこの映画を見るべき!医療の恐ろしさが分かる。マイケルムーア「シッコ」 [2022]
日本人はこの映画を見るべき!医療の恐ろしさが分かる。
薬は健康のためではなく、金儲けのために作られる!
製薬メーカーが政治家を金で抱き込み、
どれだけ阿漕なことをやっているか?
どれだけ人の健康や命を弄んでいるか?
そして貧乏人から金を搾り取っているか?痛感。
ポスター見ると笑えるけど、映画見ると悔しくて涙が出る。
amazon プライムでも見れます!ぜひ。
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オリジナル1961年版「ウエストサイド物語」やはり圧倒された。 [映画感想]
オリジナル1961年版「ウエストサイド物語」やはり圧倒された。
この作品の前にはスピルバーグ版も霞む。
王者の貫禄。名作の気品。歴史に残る金字塔。
映画館で見なくては、その魅力は体感できない。DVDだと無意味。
今、東京で1館のみ上映@立川。明日最終日。
極音上映。時間ある人はぜひ。
表現者なら絶対に一度は見てほしい。
何度見ても打ちのめされる。
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脅して仕事を急がせるプロデュサー=だが、映画人への脅しは逆効果なのだ! [再掲載]
3年前の今日。編集作業について同じことを書いてた!(再掲載)
【脅し仕事を急がせるプロデュサー=が、映画人への脅しは逆効果?】
編集作業は真剣勝負だ。いつも書いているように日本刀を作るような(時代劇でよく出てくる深夜に森の小屋でトッチンカッチンするあれ)もの。物凄い集中力で作業する。イタコの霊を呼び出すような作業だ。
人と話をすると霊は去ってしまう。と書くと「頭おかしい?」と思われそうだが、その表現がいちばん近い、たぶん「編集」と「言葉による会話」は脳の使う部分が違うのだろう。昔のパソコンは動画を見ながら、メールをすると、どちらかの機能が遅くなったり、止まったりすることがある。それと同じなのだろう。
霊を呼び出すまでに1週間以上。でも、去るのは早い。もう一度呼ぶのにまた1週間。今回もそんな感じ。その編集をしていると思い出すことがある。以前はよく作業中に電話があった。
「調子はどうですか? 今、どんな感じですか?」
たいていはPだ。当時は僕も「話す」といけないことを明確に認識はしておらず、Pということもあって、いやいや電話にでる。
「いい感じですか? 早目にできそうですか? 泣ける作品になりますか?」
次第に怒りがこみ上げる。そんなことを聞いて何になる? 要は心配なのだ。不安解消のために編集中の監督に聞く、何より邪魔になることが想像できないのか?
「どの辺ですか? 後半ですか? え、まだ前半? それで間に合いますか? 間に合わないと困ったことになりますよ〜」
血が逆流する。嫌がらせか? 編集は山登りと同じ。前半に2ヶ月かかっても、後半は1ヶ月ということもある。調子が出ればガンガン進むが、何日も低調なこともある。それを編集期間で計算して、
「もう半分過ぎたから後半の作業だろう。え、まだ、前半?」
というのだ。そうしたら脅し。
「困ったことになりますよ〜」
そんなことを言われて「じゃあ、がんばろう!」とか思わない。ストレスになるだけ。なのに、よくバカなPは脅しをかける。
「次の仕事がなくなるかもなあ?」「訴えられますよ〜」「遅れたらギャラを払えませんよー」
だが、それでがんばる映画人はいない。多くは反感を持つだけ。皆、全身全霊で作業している。「訴えるのなら訴えろ!」と逆効果にしかならない。結果、作業が中断。完成が遅れる。何度かそんなバカPから連絡があった。当時はまだ我慢していたが、また数日後に電話。
「どこまで進みました? え、まだ前半。あれから1週間ですよ〜遅いなあ〜」
要は自分が安心したいだけ。おまけに編集のなんたるかも分かっていない。素人ではないPが何、毎週電話してきてんの? 怒り爆発。
「お前の電話がどれだけ足引っ張っているのか? 分かってんのか!」
僕はめったに怒鳴ったりしない。でも、編集モード。バカPの毎週の電話を止めないと、作業が進まない。それから電話はなかった。完成した作品は関係者から高い評価を受けたが、そのPとは二度と仕事をすることはなかった。編集時の気持ちが分からず、邪魔していることにも気付かない。
彼の背景はこうだった。上司から「どうなっている?」と訊かれて報告するために、作業の邪魔になるのを承知で連絡してきた。上の人間に「順調です!」といいたいだけ。それが言えないと脅して急がせる。そんなことではいい作品はできない。その後、編集の際は連絡厳禁と関係者に伝えることにした。
「できたところまで見せてほしい」
それも応じない。電話以上に作業を止められる。その上、完成系を想像できず「ちょっとこれじゃなあ〜」と文句を言い出す。映画関係者でもそんな輩が多い。しかし、完成したものを見ると、みな「おーーーいい出来だ〜」という。それもあって、電話連絡禁止。途中で見せないというのをルールにしてきた。
ある映画関係でないスポンサーの仕事のとき、さすがに全く見せないと不安だろうと、ある程度のところで見せようとしたら、「信頼しているので完成してから見る」と返事。凄い。そんな言葉こそ、やる気が起きる。がんばろうと思う。「困ったことになりますよ」「訴えますよ」というPに聞かせたかった。
映画人は脅しには屈しない。そんなことをすれば反感を買い、やる気をなくすだけ。役人なら「出世に関わるぞ」と言われて従う人もいるかもしれないが、映画人は金や名誉で動かない人が多い。
今では編集中に連絡してくる関係者はいない。友人関係も気を使い、メールも来ない。とてもありがたい。編集は戦い。死闘だ。映像をつなぐだけの作業ではない。作品に命を与える大切な作業なのだ。(2019年2月18日 )
編集作業。いよいよ、後がなくなってきた。 [2022]
編集作業。いよいよ、後がなくなってきた。
3月にはスポンサー試写。つまり、今月中には編集を終わらさねばならない。延期された締め切りは来週。だが、それにも間に合わない。あと何日あればできるか?がまだ見えないので、製作会社に連絡もできない。それに電話連絡すると「編集モード」が解除され余計に作業が遅れる。
「何甘えたこと言ってんだ。連絡は仕事の基本だろ!」と思う人もいるだろう。が、一般社会の正論を映画制作には通用しない。役所や会社での仕事とは違う。大事なのは素晴らしい作品を作ること。その種のステレオ・タイプの常識を振り回す奴は映画界にもいるが、足を引っ張るだけの存在になりがち。
幸い今回の依頼人はドキュメンタリー編集の難しさを熟知した人。うるさく言って来ないので、本当にありがたい。ここで、あれこれ言われると血が逆流して「だったら、誰か他にやらせろ!」となってしまう。良いものを作ろうとするから苦労し、集中し、時間をかけているのだ。
さて、現在の状況。素材は展開順に並べ終わったが、なんと3時間ある!当初は「40分ほどに」と言われていたが、1時間前後でも大乗夫という。つまりあと2時間は切らねばならない。と言ってバッサリと1時間づつ、2ヶ所切ってはアウト。数秒ずつ。それぞれのカット切って(何百箇所となる)テンポを上げる。発言内容を分かり 安くまとめる。そういう作業だ。ここからは、さらに集中力が必要。
また、企画書段階の流れとは変えてある。素材を並べると、そのままでは見づらい展開。紙の上に書いたものと、撮影した映像は同じにならない。企画書を下回り困ることがあるが、今回はかなり上回る内容。余計に大切に編集したい。
にも関わらず今回の編集は作業中に、すでに決まっていた仕事で関西に5日も行ったり(それで編集モード解除。帰京したらまたゼロから!)申告時期にぶつかり、これまた5日間。領収書整理。申告準備。(また、モード0から再スタート)ということもあり。さらに、今しか見れない映画が何本も公開。(あの作品は本日が最終日だが、流石に行けない)てなこともあり、何度も何度も神経が切れそうになった。
その辺の精神状態は説明しても分からないし、的外れなコメントをされても苛立つだけなので書かない。それぞれの業種にはそれぞれのやり方があり、外部からは理解できないことも多いのだ。さて、いよいよ、全集中。水の呼吸で、詰め作業を本格的に進める。