戦争反対!と叫ぶだけで戦争は止まらない。では、何が必要か? [ウクライナ]
戦争反対!と叫ぶだけで戦争は止まらない。では、何が必要か?
平和学習をするグループがあり、参加させてもらったことがある。皆、戦争を止め、平和を守ることを願う真面目な人たちだ。彼らはいう。
「戦争はいけない!!!」
だから過去の戦争被害を学ぶ。ただ「なぜ、戦争が起こったか?」には誰も触れない。誰が起こしたか? 誰が徳をしたのか? 誰が仕組んだのか?という話もしない。
だが「戦争はいけない」「戦争は反対」「戦争はやめろ」と力強く主張。何か大切なものを見過ごし、熱くなっている人が多い。戦争を止めたいなら「反対!」と叫ぶだけでなく、その原因となることを知り、それを阻止、修正、防ぐことが大事のはず。だが、その会ではそんな話はされなかった。
そのグループに関わらず、ひたすら「戦争反対!」と唱えるばかりの人が多い。「戦争は無くならない。人間の本能だ」という人もいるが、何も理由なしに戦争は始まらない。原因を究明せずし、理由や状況を把握、両方の国の主張や事情を吟味し理解。それでこそ戦争を止める方法が見つかる。
「戦争反対」と叫ぶのなら、まずその辺を考えることから始めるべきではないか? 過去の戦争。始まった経緯を見れば、すぐに答えば出るのだから。
依頼人向けの試写。昨日、無事終了。 [2022]
依頼人向けの試写。昨日、無事終了。
まだ、完全に編集が終わっていない状態なので、少し心配ではあったが、かなりの好評。このまま進めることになる。先方もドキュメンタリーの仕事を何本もやっているので、作業途中でも分かってもらえた。
テレビのドキュメンタリーを見ていてよく思うのが、楽してできる編集法で済ませていること。毎週放送するために時間のかからない方法を選んでいる。時間がかからない分だけ、当然クオリティが下がる。だが、テレビの場合はそれより、納期に間に合い、予算内で、トラブルを起こさないことが大事とされる。
僕は若い頃にメイキングの編集を3ヶ月以上かけてやった。当然、3ヶ月間暮らせるだけでギャラではない。それでもクオリティの高いものを作りたい。見る人が「へーーー凄いなあ」と映画制作の現場を興味深く感じる作品にしたい。特にメイキングは手を抜こうと思ったらいくらでも手を抜ける。DVD特典についているものを見ると分かるが、数時間で編集できるものが多い。
多くの作家が「1ヶ月も編集していたらギャラが合わなくなる!」と計算するからだ。「どーせ、メイキングなんて真剣に見ないしよ」と思ってしまう。だから、日本映画のメイキングには酷いものが多い。そもそも、製作サイドが十分なギャラを払わないのが問題ではあるが、編集する側も目先の生活だけを考えるべきではない。若手の頃はギャラをもらってやる編集実習と僕は思ってやっ。
僕が監督になってから若い作家にメイキングを頼んだが、どれも酷すぎ。大切な場面を撮影できていないこともあり、何より編集が酷い。
2日で作業しました!みたいなものばかり。理由は先と同じ「あのギャラで1ヶ月かけて作業はできませんよ」と言うもの。見る人のことを考えていない。自分の都合だ。「借金してでもやれ!」とは言わないが、メイキングはいろんな編集ができる。勉強になる。自分の作った作品を多くの人に見てもらえる。彼らは監督志望なのに、そのチャンスを生かそうとせず、安易な編集で早く終わろうとした。
1ヶ月暮らすのに十分なギャラではないが、金をもらって実習をするのがメイキング監督と言う仕事。それをみすみす楽して終わらせてしまう。その姿勢も問題。と言って別の人に頼む予算はない。だから、僕がギャラなしで編集する。「向日葵の丘」も「明日にかける橋」も自身で編集した。
できれば若手が編集したバージョンも数録して、比較できるようにしたいくらいだ。手を抜き時間をかけずに作業した編集と、必要な時間をかけた編集がどれだけ違うものか?分かるような形にしたいところだが、若手の作品は人様に見せられるレベルではないので、それもできない。
編集はとても大切だし、こだわらねばならないもの。今回も編集料は出ていない。が、僕が取材したもの。内容も一番把握している。安いギャラで他の人がやれば余計に時間がかかる上に、楽して作業するだろう。クオリティも下がる。そんな仕事に1ヶ月以上もかけるバカもいない。
でも、今回も多くの人が見るであろう作品。個人の都合や生活で測り、作業してはいけない。何より編集はとても重要な仕事。手抜きをするくらいなら、やらないほうがいい。さあ、「詰め編集」②のスタートだ。
あの枠。成分は何だろう? [コロナウイルス]
詰め編集①が終了。だが、まだ完成ではない。 [2022]
詰め編集①が終了。だが、まだ完成ではない。
とは言え、一番大変で全集中が必要な作業は終わり。この後は「詰め編集②」前者は題材の世界に入り込んで作業するが、こちらは逆で客観的になり、第三者的視点で作業する。
既に本編には4人分のインタビューを入れている。あと、3人分をこれから吟味して、本編のどの部分に入れるか?を考える。このことで、より題材を多面的に深く伝えることができるはずだ。
明日。いよいよ、製作会社側に見せる。信頼の上で依頼してくれたので、あーだこーだいう人たちではない。編集に関しても命懸けで、神経が切れるほどの作業をしている。これで文句を言うなら「最初から別の人に頼め!」ここまで丁寧に時間をかけて編集料もなしに作業する奴がいるなら会ってみたい!と考えたり。それより問題はドラマパートとの釣り合いや繋がり方だ。その上で、さらに編集を進める。
詰め編集①を終えると、悪夢の世界から帰還したようなホッとした気分になる。暗闇の世界で迷いながら、息もできない状態で彷徨い続けたのが、やっと出口に辿り着いた気分だ。ま、いい形のエンディングなので気分爽快だが、それが見つからなければ今も不満を抱えて暗黒世界を彷徨っていただろう。
詰め編集は1週間くらいか? その後、ナレーション原稿を作る。そして俳優を呼び、ナレーション録り。SEも入れなくてはならない。音楽費がないとのこと。フリー音源から探して入れてほしいと言われているが、ちょっと調べたが、いいものはなかなか見つからない。ミスマッチな曲を使えば全てが台無しになる。まだ、あれこれ作業が続きそうだ。
原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」上映イベント!監督のトークも! [2022]
原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」上映イベント!
2月27日(日)3月3日(木)9日(水)@江古田映画祭
3月27日(日)シアターセブン@大阪
3月3日は太田監督の生トーク。3月27日はオンライン舞台挨拶。
あれから11年。もう一度考えたい。今も事故は続いている!!
江古田映画祭 https://www.facebook.com/ekodaeigasai/
大阪シアターセブン https://www.theater-seven.com/ev/ev_s220304.html
詰め編集パート1が終了。 [2022]
詰め編集パート1が終了。
滅多に食べないお菓子を食べていると、口の中がグジャグジャする。ケミカルを大量に使っているからだろう。それに毎日食べていると(と言っても数日)「体に悪い!」感が増してきて、お菓子控えめで飲み物を多めにした。
編集作業で汗をかくわけでもないのに水分が欲しくなる。甘い物が食べたくなるのは、脳のエネルギーが炭水化物なので分かる。が、水分は何なのか?ま、甘いものだけでなく脳も水が欲しいのだろう。静岡県で映画を撮って以来、朝はコーヒーではなく日本茶にしている。が、日本茶ばかり飲んでいると単調になるので、コーヒーも淹れる。
その二種類ばかりでも飽きてくるので、以前にもらったマニアックな「モンゴリアン・ティー」?も飲む。体に良さそうだが、飲みづらい。ま、編集作業の時はいいかも?体に刺激!ただ、最近は、運動しない。お菓子食べる。甘い物ほしい。確実に減量生活がストップ。すでに2キロ戻った。
編集を進めるためにドラッグやヒロポンを使うよりはいいか? そんな悪魔の誘惑に負けそうなくらい、自分を追い込むことは難しい。ミュージシャンが新曲を書けなくて、ドラッグやってしまう気持ちも分からないでもない。クリエーターは自分の体を壊してでも、命を削ってでもより良き作品を作りたいと思うもの。ヒース・レジャーもジョーカーという役を演じ切るために、ドラッグに手を染め、命を落としたのだろう。
こちとらお菓子とコーヒーのドーピングで、編集作業をパワーアップ。昨夜、とうとう詰め編集パート1が終了。と言っても完成ではない。振り返ると最初に素材を並べる。その段階で3時間(それでも別にまだ素材がある)それを詰め編集。目標は1時間半。バッサリは切れない。数秒ずつ切って行く。
昨日の段階で1時間40分。あと10分ー頑張れば切れる。1秒ずつ各カットを切れば60カットで1分。600カットで10分だ。その切り方をすると観客はどこをカットしたか分からない。10分の場面をバッサリ切りのは簡単だが、それでは作品の世界が狭くなってしまう。
ラストシーン。最初から考えていた形にした。「凄くいい!」泣きそうになる。「自画自賛?」いや、編集でも、シナリオでも、自分で作業していて感動するときは、非常に出来が良く観客も感動する。作業している本人が感動しないようでは、感受性が貧しいか?編集という仕事に向いていないということだ。冷静さも必要だが、感じる力もないと編集はできない。
その点が一番、理解されにくいところだろう。編集は映像を継ぎ接ぎする仕事と思われがちだが、「感性」が重要なのだ。余韻を1秒にする。3秒にする。5秒にする。それだけで泣けたり、泣けなかったり。退屈したり、ハラハラしたり。下手な役者もアカデミー賞級の芝居になる。ハリウッドでは「名優は編集室で作られる!」と言われるが、その通りだ。
まだ、あれこれ作業を進める。というのも、さらに別の素材があり、それを切り出して本編に入れる作業が残っている。そのことで、さらに世界観が広がるはず。もう一息。頑張ろう。ただ、もうお菓子は食べたくないなあ。