この2日。激動の日々。深夜まで熱く語り合ったりも! [2021]
この2日。激動の日々。深夜まで熱く語り合ったりも!
10月から続いたイベント等もこれで終了。ワークショップ。選挙。映画祭。YouTube番組製作。選挙応援動画製作。そこに地震で部屋の中がめちゃめちゃ。地震対策のために耐震グッズを用意。パソコンが壊れ、バイクが動かなくなる。さらに、別のトラブルが2つも重なり、体力も心もヘトヘト。
また、映画を作るほどの苦労ではないが、本日は声も枯れ、朝ごはんを作る気力もない。外に食べに出る元気もない。お礼メールを出さなねばならない方もいるが、午後から出すのでご容赦頂きたい。そもそもが不器用な上に、秘書もアシスタントもいない。
何を始めると余裕がなくなる。そして終わるとバタンQ。そう考えると、太郎さんも今頃、バタンQしているのだろうか?あれだけの街宣をこなすだけで、心身ともに疲労困憊のはず。いや、バタンQではなく、メロリンQしているのだろうか? イヤイヤ、彼はすでに次の行動を始めているはず。僕も早めに復活する。
まずはパソコンとバイクの修理だ。どうしたものか?
昨日、「ドキュメンタリー沖縄戦」最後の上映。 [沖縄戦]
昨日、「ドキュメンタリー沖縄戦」最後の上映。
ねりま沖縄映画祭にて上映。場内は観客でいっぱい。大盛況。ラストには拍手も起こる。多くが涙ぐみならがら席を立たずにいた。ただ、この作品が他で上映される予定はもうない。今年夏のアンコール公開。昨年に続いて全国の映画館で1週間以上も上映された。そして、イオンのネット配信。そして昨日。これで全て終了。
残念ながらDVD発売、テレビ、ケーブルでの放送はない。見るとすると、イベント上映のためにレンタルするしかない。あとは製作元のお寺にお願いして見せてもらうか?まだまだ「見たい!」という声はあるが、そこが残念なところだ。そして「この作品は多くに見て欲しくない」という団体や人たちもいる。戦争の悲劇を伝えたくないということ。その目的が何なのかは、すぐにお分かりになるだろう。
だからこそ、沖縄戦だけでなく、戦争を伝えることは大切。最近作られる戦争映画は悲しみを伝えるより「日本人はいかに勇敢に戦ったか?」を描くものが増えている。それは危険。戦争を知らない世代は、兵士たちは勇敢であり、優しかったと誤解する。「日本を守った行為だったのだ」と思い込む。
しかし、そもそもは日本が始めた戦争。その目的が何であったか?を考えれば、印象操作があることが分かる。「守る」行為は戦争の終盤であり、そのために沖縄を捨て石にした。沖縄県民の犠牲の上に本土決戦の準備をしたのだ。それを描いたのが「ドキュメンタリー沖縄戦」沖縄を見捨て犠牲にして「日本を守る戦い」にはならない。
だからこそ、悲しすぎる沖縄の悲劇を描き伝えることが必要なのだ。ドキュメンタリーだけではなく、劇映画「沖縄戦」を作ることが大切なのだ。が、戦争ものは費用もかかる。戦争をしたい政治家たちが多い中で、それを支援する企業はない。原発映画と同じ構図だ。そこが悔しくてならない。