「踊る!大捜査線」映画版が伝える今、一番大切なこと=567も五輪も同様。自分で考え判断すること [日本人の問題]
「踊る!大捜査線」映画版が伝える今、一番大切なこと=567も五輪も同様。自分で考え判断すること
「踊る大捜査線」というと、もうすっかり昔に流行った刑事ドラマという認識になっている。が、確か映画版の「レイボーブリッジを封鎖せよ」だったと思うのだが、今の時代に大切なテーマが描かれていた。
テレビドラマは面白おかしく、ハラハラドキドキの恋愛を描いているだけと思われがちだが、90年代のドラマはそれだけではない。大切なことを伝えていた。脚本は君塚良一。「チーム」もそうだったが、忘れかけている大切なことが謳われている。「踊る」は大ヒットしたので、織田裕二主演のライトコメディ風刑事物。という軽い印象があるが、あの映画版は凄かった。
警察というのはピラミッド型組織で、下は何も考えなくていい。上が考え決定したことに従い、動けばいいという組織。ローラー作戦を展開しても現場の刑事は、肝心なことを教えられていない。一流大学を出たエリート管理官が全てを仕切る。そんな従来の刑事物とは違う現実を取り入れたのが「踊る」である。まさに日本社会。会社も政治の世界も同じ。支配者層ともいうべき上層部だけが全てを把握し、情報を持ち、下の人たちは何も考えずに従うだけ。
実際、そのために戦後教育は行われてきた。与えられたことを確実にこなすものが優秀とされ、成績で子供たちを分けた。一流大学を出た者が、一流企業に入る。警察で言えば国家試験の第1種に合格したものは警部補からスタート(本来は巡査、巡査長、巡査部長、警部補、警部と昇進していく)40歳前には署長にまでなるコース。キャリアと呼ばれるそんな人たちの指示で現場は動く。
企業も政治も同じ構図。日本は経済大国になりえた。ただ、それはバブル崩壊まで。その後はアメリカの後追いをしているだけではダメな時代になる。そんな頃に放送されたのが「踊る」である。君塚良一という人はそれを映画にしたのだと思うが、以前と同じことをしているので日本の企業はダメになり、電化製品でも韓国に追い抜かれた。SONYの広告はもうNYのタイムズスクエアにはない、
映画の中で起こる組織犯罪。犯罪とてボスがいて、その指示に従い犯罪を遂行するのだが、その組織はそれぞれが考えて犯罪を行うので、これまでのような捜査では対応できない。上層部の指示通りに現場が動くと裏をかかれ犯罪を止められない。主人公が所属する湾岸署は大混乱となる。そこで織田裕二扮する青島刑事と、彼を理解する室井管理官はいつものように、上から指示を出し、捜査させるのではなく、「上の指示を聞くな。現場の警察官がそれぞれの考えで行動しろ!」と連絡する。
言われることをするだけだった現場の刑事たちが、自分たちで考えたことがなかった戸惑い。だが、彼らが必死に考える。結果、次々に起こるテロを止める。この展開に血が逆流した。そう、今の日本人が、日本が、失った大切なこと。言われることをするだけではなく、自分自身で情報を取り、分析し、考え、行動する。物語はその大切さを観客に訴えていた。そうしないと新しい時代を切り抜けられないと訴えているのだ。
映画からもう20年ほどが経つが、今の日本人に必要なのはまさにそれだ。なのにオリンピックに踊らせる国民。犠牲を考えず強行しても「感動した!」と喜ぶ。どうすべきか?まず、与えられたことをそのまま受け入れない。自分で情報を取る。マスコミ情報を鵜呑みにしない。
それを自分で考えて、分析して、行動する。それができてないから567で慌てふためき、危険だと言われているのに湧く点を打ってしまう。今、多くの日本人に大切なのは「自分で考えて判断すること」「踊る」映画版はまさにそれを伝えていたことを思い出す。
大手企業の企み。国民の健康や命は関係ない=儲かるためなら何でもやる! [社会政治]
大手企業の企み。国民の健康や命は関係ない=儲かるためなら何でもやる!
1980年代前半。S社のCMは本当に凄かった。今でも細部まで覚えている。ガウディ、ランボウのシリーズ。山下達郎の「I LOVW YOU」を使ったもの。「ラブランド アイランド」の缶ビール。大原麗子の「レッド」は市川崑が演出だった。下手な映画よりカッコ良く感動的。だが、実は同社。当時の商品の品質はあまり良くなくて、広告宣伝費に莫大な費用をかけていた。
僕らは味や品質が分からず、イメージでだけで「S社は凄い」と思い、飲んでいた。そのことを暴露した本も出版されたが、全て同社に買い取られて店頭には1冊も並ばないと言う事件もあった。ネットもない時代。そんな話は闇から闇へ。当時、事情通の人から聞かされて驚愕。そうやって大企業と言うのは都合が悪ことを葬り去るのだ。
その後の薬害エンズ事件も同じ。製薬メーカーは非加熱製剤にHIVウイルスが混入していることを知りながら、日本での発売を続けた。そのために多くが感染。にも関わらず厚労省は当初「エイズはゲイの病気」とし、本質を知りながら別方向に国民を誘導。コンドームを使うキャンペーン等を行った。国民の健康を守るより、企業の利益を守ろうとしたのだ。その製薬メーカーが厚労省の天下り先だったから。
こうして厚生省の天下り先を守り、メーカーの利益を優先するために、多くの血友病患者がエイズウイルスに感染したのである。そのために死んで行った人たちもいる。国も企業も個人の命より利権なのだ。時々「国がそんな酷いことしないわよ」とか「国民の命を奪うことを国がする訳ない」とか言う人がいるが、先の2つを見るだけでも、企業というのは利益のためなら何でもする。
では、今、話題の枠てんはどうか? 臨床実験もされていない。これまでとは違う新しいタイプ。当然、実績もない。すでに1000人以上が接種直後に亡くなっている。インフルエンザ枠てんでそんなことはかつてなかった。その上、接種しても感染する。今、三回目が必要だと言われている。接種は無料だが、自治体が製薬メーカーに代金を払っている。莫大な儲けとなる。
実はインフルエンザ枠てんも同様で効果ゼロ。それが証明されたので子供たちへの接種は今、強制ではなく任意になっている。効かないものを金儲けのために強要していたのだ。
以前に書いたので簡単に説明するが、WHOには製薬メーカーから莫大な寄付が送られている。そのお礼か? 見返りか? WHOは毎年のように、血圧の安全値を下げていく。その度に患者予備軍が増え、薬がガンガン売れる。そこまで下げなくてもいい値にしてしまう。薬の後遺症ー老後に痴呆症になりがち。
いずれも、国民の健康を食い物にしている構図が見て取れる。恐怖で脅して、国民を追い込み。薬を買わせる。打たせる。本来は必要ないもの。むしろ健康を損ねる。副作用が出る。死ぬこともある。でも、儲けを優先する。
先の酒メーカーの話と同じ。それをマスコミは絶対に伝えない。裏事情は闇に葬られる。枠てんも限りなく同じ手法だと思えてくる。
今、自分が生きている時代がどんな時代なのか?=理解するのは難しい。 [日本人の問題]
今、自分が生きている時代がどんな時代なのか?=理解するのは難しい。
江戸時代は300年足らずだが、当時の人は「昔から江戸時代は続いていて、これからもずっと続くものだ」と思っていたらしい。その後、1867年に大政奉還があり、翌1868年からは明治時代になるのだが、ずっと続いて来た時代の上にいると、それが崩壊し別の時代になるとは想像しづらいものなのだ。
僕は昭和生まれだが、経済成長が続く日本。それがずっと続くであろうと思っていたら、バブル崩壊、リーマンショックで、まさかの不況が20年以上も続く時代になろうとは想像もしなかった。江戸の人と大差なし。やがて韓国や中国に追い抜かれるであろうことは、経済の流れの中で致し方ないとは思っていたが、ここまでジリ貧の国になるとは考えなかった。
つまり人は自分が歩んで来た30年40年。という短い年月を基本にしてしまい、それが続いて行くと思い込みやすい生き物なのだろう。僕が生きている内に東西ドイツが一つになる。ソ連が崩壊する。なんてことが起きようとも思わなかった。ずっと未来。僕らが死んで何十年も経ってから、戦争のない世界になる。その時にはベルリンの壁も無くなっているかも?と想像するだけだった。
だから、ソ連とアメリカが冷戦を続けている70年代に、「ソ連はやがてなくなる」と予言しても、「そんなことある訳ないだろう!」と誰にも理解されなかったはずだ。それはマゼランが船で世界一周を果たすまで、地球が丸いことさえ、誰も信じようとしなかったのと同じ。今では誰も知ることを当時は重力のことも分からず「地球が丸いと下にいる人は宇宙に落ちる! だから、あり得ない」と思っていたのだ。
その意味で言うと、数年で中国共産党が無くなっても不思議ではない。アメリカ合衆国が亡くなってもおかしくないのだ。ソ連も設立から70年ほどで崩壊している。中国共産党もそろそろ、それくらい。だが、多くの人は「そんな訳ないだろう?」と言うが何ら根拠はなく、「自分が生まれてからずっとあるのだから、これからもなくならないだろう」と言うだけの理由で言っているはずだ。
歴史に学ぶことは大切だが、同じ繰り返しばかりではない。「567が終わったら戦争が来る」と言う人を時々見かけるが、根拠はほとんどないだろう。「悪いことは続く」と言うネガティブな思いが、そう感じさせているだけのことが多い。多分、今が戦争中なのだ。ミサイルを使って攻撃するのではなく、ウイルスという武器を使った新しい形の戦争。だが、経験したことのないことを多くは理解しない。
戦車や戦闘機が攻撃して来なければ「戦争」と言う実感が持てない。だから、不自由だが、今の生活を平気で続けているのではないか?ただ、気づいても個人にはどうすることもできないが、その新しい形の戦争は何のために行われているのか?を考えれば違ってくる。昔の戦争は植民地化すること。今は? 言われているように人類削減? 収束後に倒産寸前の店や会社を中国が買いたたくための計画?
ウイルスで脅かし、枠てんに飛びつかせる流れ。マスコミの煽りを見ていると、誘導があり、何かの計画が進んでいてもおかしくない。が、それを指摘しようものなら「陰謀論だ」「映画の見過ぎだ」と批判を受ける。江戸時代に「侍の支配は終わる」と言った時の反応も同じようなものだったろう。あるいは昭和40年代にソ連が崩壊すると予言するようなもの。戦前に原爆の破壊力は理解できないようなものかもしれない。
誰もが「そんなのあり得ない。夢みたいなことを言うな!」と言うレベルなのだ。が、それら歴史を振り返れば、過去になかったことが現実に登場し、時代を大きく変えることが何度もあった。人は、後になってから理解、把握することになる。その意味で、今、何が起こっているのか?は歴史に学びながらも、過去に縛られない発想がなければ理解することはできないのだろう。