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村社会ルールが日本をダメにしている=では、どうすればいいのか? F作戦! [ムラ社会ルール]

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村社会ルールが日本をダメにしている=では、どうすればいいのか? F作戦!

子供の頃から同じ街に長く住んだことがない。ただ、どこも都会とも田舎とも言えない新興住宅地が多い。都会に通う人たちが寝に帰るような街。少し行くと田んぼや畑はあるが、新しいファミレス(当時はそう呼ばなかったが)もあり、国道沿いに大きな本屋もあった。高校は大阪。都会のど真ん中。卒業後は横浜へ行き、映画の勉強を始めた。

映画監督業を始めてから、地方に行くことが多くなる。ロケする街の人たちと親しくなる。応援してもらう。支援してもらう。ただ、個人的なメリットを求めて近づいてくる人たちもいた。最初は愛想よく「監督の情熱に感動した。何でも手伝うよ」と言ってくれるが、実は魂胆がある。

儲かるんじゃないか? 自分の店でロケすれば宣伝になる。俳優と親しくなれる。「俺があの映画、応援したやったんだよ!」と取り巻きに自慢できる。いろんな思いで近づいてくる人がいた。その種の人。マイナスになる。だが、断ると掌返し、抵抗勢力になることがある。

「応援してやったのに、酷い目に遭った」「あいつは感謝というものを知らない」「あの監督はこの街を利用してるだけだよ」「協力すると損するぞ」

そう言いふらす本人こそが自身のメリットを求めて近づいてきたにも関わらず。そのために寄付金が集めにくくなる。協力してくれる人がデマを信じて、手を引いてしまう。一緒になって悪口を言って回るという人も出て来る。そんな時、地元の人が

「それは違うよ」「あの監督はこの街の歴史まで勉強して、この街の魅力を伝える映画を作ろうとしている」「デマなんて信じちゃいけない」「あいつは自分の店でロケされないから、デマを言い回っているだけだよ」

とか説明してくれれば、「そういうことか〜」と誤解が解けるのだが、なかなか言ってくれない。特定の街ではない。どの街でも多かれ少なかれあった。地元をアピールする映画を作るのに、地元の人が邪魔をする。それを止めようとしない。最初は意味が分からなかった。が、ある時、こう言われた。

「監督さんは撮影が終われば、この街から出て行くからいい。でも、わしらはこの街で生きて行かないとならん。デマを言ってる連中とも付き合う必要がある。彼らを注意すれば、そのことで10年、20年と恨まれるかもしれない。仕返しされたり、デマを流されたりするかもしれん。だから、ムカついても我慢して、何事もなかった顔をしなきゃいけないんだよ」

なるほど背景は分かった。地元で揉めないことが大切ということ。僕は子供時代から街を転々としてきたので、その種のしがらみや問題を抱えることがなかった。おまけに性格が真っ直ぐ(破滅型?)で、自分の主張を曲げない。「正しいこと」「間違ったこと」はハッキリさせたい。映画製作でもPが癒着している俳優をねじ込もうとすることがある。絶対に断る。

そのために恨まれ、2度と仕事をくれない。でも、役に合わない俳優を起用すれば作品クオリティが下がる。僕は映画を作る仕事をしている。クオリティが下がってもPの言いなりになれば、また仕事をもらえる。ギャラがもらえる。

それなら会社員になる。理不尽な仕事でもやらねばならないのが会社員。だが、映画監督は「観客が感動する映画」を作るのが仕事。周りのご機嫌を取り、癒着や横槍を受け入れることではない。そこで気づいた。子供の頃から地方で暮らしていれば、僕の知らない村社会ルールを自然理解して行ったのだろう。

大人たちを見ていて、人を批判したり喧嘩しちゃいけない。トラブルが起こっても見て見ぬふりをしなきゃいけない。周りの人たちと仲良く、やることが大事だ。嫌な思いも我慢。でないと10年20年恨まれる。と学ぶのだ。生きていくためにはPがねじ込む俳優も受け入れ、仲良くやらねばならないと理解しただろう。

僕はそれを学んでいない。経験していない。むしろ、そんな習慣を憎んでいる。要は「我慢しろ」「諦めろ」「争うな」「長いものに巻かれろ」ということ。いつもいう「村社会ルール」なのだ。それは地方だけではなく、都会では会社や団体でも根付いていている。いや、日本社会を覆っていると言える。

その反映が国会だ。何もできないくせに、村の付き合いだけで選ばれた者が政治家になり、自民党という村の中で、長い物に巻かれて何もしない。そこで行われる大企業を優遇した政治。でも、国民は不満を言いながらも何もしない。

それどころか緊急事態宣言下にオリンピック開催する暴挙をしても、「アスリートに励まされた!」「五輪、やって良かった」という人たちまでいる。その影でどのくらいの人が入院できずに、自宅療養で苦しみ、営業できない飲食店があったことか? 収入が激減して首をくくるとこまで来ている人も多いだろう。

その中で「金メダル。がんばりました」という言葉に感動する人たちまでいる。まさに奴隷。皆が賛成するものを反対できない。昔からの伝統やしきたりを否定してはいけないのだ。これもまた村社会ルールなのだ。

それを上手に利用してきたのが自民党。それを組織内で生かして大動員するのが公明党なのだ。日本が変わるには、その村社会ルールを破り、旧体制の目を気にせずに飛び出すことなのだろう。それができない。最近の代表ー枠てん。

「皆が打っているから」「皆に迷惑かけたくないから」

と「2年で死ぬかも?」と言われているものを打ってしまう。村社会ルールの力だ。別の言い方をするなら同調圧力。皆がやれば従う。意味や目的が分からなくても従う。戦時中も同じ。「米英鬼畜」と教えられれば、アメリカ人に会ったこともないのに嫌い憎む。本当に従順な国民なのだ。

そんな国民を育てるために「誰ともでも仲良くできる子供になってほしい」と教える。そのためには村社会ルールに従い、長いものに巻かれ、揉めていても見ないふりする必要が出て来る。そう考えるとこれからの時代に必要なのは、古い日本の価値観やルールを否定することなのだろう。

みんなと仲良くする必要はない。揉めても知らんぷりしないで見つめる。誰が悪いのか?確かめる。10年争うことも躊躇しない。みんなで一緒にではなく、分かり合えるものだけが一緒に頑張ればいい。あこれ言って来る人たちは無視する。意見が違っても構わない。人は皆、違うのだから。と思えば、揉めない。

「こうでなければならない」という発想が対立を生み、憎しみを生む。違うのが当然なら批判したり中傷したりする必要はない。「ま、頑張れば!」で済んでしまう。そこに村社会ルールがあるから、あれこれ言いたくなり、トラブルとなる。だから、見て見ぬふりをする。全ての元凶はそこにあると思える。

人の目を気にするな。大きなお世話は聞かなくていい。つべこべ言って来る人とは付き合う必要がない。ということだ。あれ、これってFacebookと同じじゃないか? 批判して来るやつと議論の必要はないブロックすればいいということだ。何だか、おかしな結論になってしまったな。



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