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「ドキュメンタリー沖縄戦 」監督舞台挨拶@厚木 10/17(土)14:20の回上映終了後 [2020]

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【厚木で太田監督舞台挨拶決定!】

#あつぎのえいがかんkiki
10/17(土)14:20の回上映終了後、

#太田隆文 監督の舞台挨拶を行います。

#ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

上映時期が10/17(土)~10/30(金)の2週間上映に変更になりました。
atsuginoeigakan-kiki.com



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映画『ドキュメンタリー沖縄戦 』太田監督のリモートライブ!10月18日(日)15:40〜@沖縄シアタードーナツ [沖縄戦]

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映画『沖縄戦』監督:太田 隆文さんによる
リモートトークライブを開催します!この機会にぜひ!

【日時】2020年10月18日(日)15:40〜
上映後の17:30頃からリモートトーク開始。(20分程度)
MC:宮島真一(シアタードーナツ)

【料金】
1,320円(一般)
1,100円(中高大生)
700円(小学生)

【予告編】
https://www.youtube.com/watch?v=CJ9WATBmC18

【場所】シアタードーナツ・オキナワ
沖縄市中央1-3-17(胡屋バス停まえ)
映画『ドキュメンタリー 沖縄戦』上映@シアタードーナツ !
知られざる悲しみの記憶
ジャパンフィルムフェスティバルLAで最優秀賞を受賞!
https://mirtomo.com/okinawasen-award/...

【上映期間】
10/1(木)〜10/21(水)①15:40~
10/22(木)〜11/11(水)①10:50~

【内容】
日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、75年の年月が経つ。本土への疎開のため多くの子どもたちが乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈され1482人が死亡。嘉数高地の戦いでは多くの日本兵とアメリカ兵が戦死。陸軍司令部のあった首里城の攻防。牛島司令官の自決。だが、戦闘はそこで終わっていない、、、。沖縄戦体験者12人の証言と専門家8人による解説。そして米軍が撮影した記録映像を駆使して紹介する。戦闘はどのように始まり、住民が見つめたものは何だったのか?

ドキュメンタリー(105分)/ 2020年 / 日本

監督:太田 隆文
シアド最新情報は公式HPから▼
https://www.theater-donut.okinawa/
※新型コロナ感染拡大防止のため、来館の際はマスク着用のご協力をお願いします。
ーーーーーーーーーーーーー
シアタードーナツ近隣の駐車場情報等はHPをご覧下さい
https://www.theater-donut.okinawa/


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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意! [映画監督のお仕事]

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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意!

映画監督の多くは変人である!という話を書いた。が、僕の場合はただ変人というだけでなく「捻くれ者」でもある。人が「右」と言えば、「左」に進みたくなる。NHKでは絶対に仕事はできないだろう。高校時代も角川映画がテレビでガンガン宣伝。日頃、映画を見に行かない同級生まで「人間の証明」や「野生の証明」を見に行った。が、映画をよく見る僕だが、当時から捻くれ者で両作品とも映画館では見ていない。

特に「読んでから見るか? 見てから読むか?」なんてキャッチコピーのCMをされると「読まないし、見ない!」と思った。角川に恨みはなく、むしろ他のメジャー社より斬新で、型破り、かなり注目していたのだが、捻くれ者なので大ヒット作のどちらも見ていない。そんな性格だから、皆が「いいー!」というものは「いやーーー」と思う。何かが流行すると、それだけは絶対に追いかけない!という徹底ぶりだった。

大人になっても歪んだ性格は変わらない。オウム地下鉄サリン事件の時も、多くの人が「麻原は死刑だ!」「絶対に許せない!」とか被害に遭ってない人までがテレビの前で怒りをぶつけていた。が、まだ、オウム幹部が強制捜査で逮捕された段階。裁判も受けていない、取り調べもまだ、幹部の村井は殺害。そんな状態でオウムがまだサリン事件の犯人かどうか?決まっていないのに「死刑だ!」というのはおかしいと感じた。

が、ほとんどの友人は「オウムに間違いない!」「やりそうだ!」「あいつらに決まっている!」「麻原を殴りたい!」とさえ言っていた。なぜ、治安国家で、裁判を経ずに市民が「死刑だ」なんていう必要があるのか? 事件の真相解明も終わっていない。裏に別の組織がありオウムは利用されたのかもしれない。そして麻原の言動や行動を見ていると、そんな大それた犯罪をするだけの人物ではないと思えた。

なのに友人たちは家族が被害に遭ったかのように「許せない!」「破防法適用だ!」「全員死刑だ!」と憎しみをぶつけた。僕が疑問を投げかけると彼らは「お前はオウムの味方か?」「だったら入信しろ!」「サリン事件の被害者の気持ちを考えろ!」といわれた。戦時中と同じ。誰もが「戦争だ!」という時に「戦争は必要だろうか?」と疑問を呈すると「非国民!」「許せない!」「共産主義化!」と罵倒されたのと同じ構図?

いや、戦時中なら分かる。そのための洗脳教育。世論の誘導が行われていた。が、オウムはテレビが報道するだけ、その情報だけで「オウム憎し」「麻原許せない!」と多くの人が憎しみをぶつけたのだ。これって危険。麻原に会った訳でもなし、信者と知り合いでもなく、テレビの報道を鵜呑みにして「許せねー」と盛り上がる。で、気づいたのは常識ある普通の人たち、カタギの友人たちの方が、捻くれ者の僕より「非常識」で冷静さを失っていたと思える。

その頃から「捻くれ者」の方が真実に気づくことが多いのではないか?と考えた。それでも小沢一郎が検察の標的にされた「陸山会事件」では検察が正しい。小沢は悪代官だと感じていた。多くの人が同様に小沢一郎の逮捕、有罪を信じ、願っただろう。しかし、無罪。「許せねー」「逃すな!」「あいつが悪の権化だ〜」という声が上がった。が、あれこれ小沢一郎を勉強していくと、言われているような人ではないと思えてきた。

やはり、本人をナマで見ないと!と彼の講演会にも参加。どのような人か?確かめた。その少し前に山本太郎が自由党に参加したこともあり、確信を得た。彼は嵌められたんだ。事情通の知人から小沢に対する数百億円のネガティブキャンペーンが行われたことも聞いた。マスコミも協力。印象操作と誘導が行われた。捻くれ者の僕もそれにハマっていたのだ。

その後に突然、オウム事件関係者の処刑が行われ、麻原は何も自白せぬままこの世から姿を消す。やはり、喋られてはまずいことがあったのではないか? サリン事件の実行犯は彼らだとしても、その背景に別の団体がいたのではないか? 石原慎太郎との関わりもテレビ新聞は一切報じないし。そんな頃から「捻くれ者」であることの大切さを感じた。

が、捻くれ者の僕でもマスコミによって印象操作され、小沢一郎の本質を見抜けなかった。やはり、テレビで見ているだけでは誘導される。編集、切り取り、脚色。自分が仕事でやっていることなのに、印象操作されていた。それ以降、何事も疑ってかかる。皆が批判する人物を一緒になって批判しない。むしろ「何かある!」と考える。トランプはまさにそれだった。そう考えると「捻くれ者」であること「右と言えば、左」という性格であることは大事だと思えてきた。少なくても映画作りには必要だと思えている。


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「新幹線をわが町に通します」市民に媚びるばかりの議員たち=欲しがるばかりの市民 [社会政治]

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「新幹線をわが町に通します」市民に媚びるばかりの議員たち?=彼らはサンタクロースか?

石破本を読むと「なるほど、そういう人なのね?」と分かって来る。が、それ以外の部分で興味深い部分もある。石破の父と田中角栄の関係。そして石破と角栄のやり取り。その辺から「なるほど、田中角栄とはこういう人物だったのだなあ」と痛感する。単に金と権力を握りだけではない、角栄の人心把握術が分かる。

もう一つ、石破が選挙に出た話で地方の選挙というものが伝わってくる。僕も仕事柄、いろんな地方でいろんな政治家と会う。知事、市長、町長、地方議員、国会議員、優秀な人もいるし、お飾りもいた。話は逸れるが、コロナ対策で注目された和歌山県の仁坂知事、世田谷区の保坂区長には両方、お会いしたことがある。あのお2人は本当に鋭い。テレビで見ていると、どこの知事も市長も大差ないように思えるが、実際にお会いしてお話しすると違いがよく分かる。

同じようにお会いした政治家。印象がよかった人はあれこれ活躍している。「この人が市長〜?」という人はマスコミも注目しない。噂も聞かない。話を戻す。選挙の時。石破はこう思った。彼は農水族で多くの農家を相手する。先輩たちを見ていると「外国からは一粒たりとも米は輸入させません」とか「必ず米の値上げを勝ち取って見せます」とか演説する。とにかく農家が喜ぶことばかり言う。そんな候補者に票が入る。「本当は農家に対して厳しいことをいうのが、政治家ではないか?」と考える話がある。

確かにそうだ。「新幹線をわが町に通します!」「国の補助金をもらいます!」「***社の工場を誘致します!」だが、彼らの多くは市民に県民に努力を求めない。有権者たちも「我々のために何をしてくれるのか?」ばかり主張している。田舎に行くほど顕著で、自分たちは何もせず、政治家にあれこれ求めるばかり。政治家はマイナスには触れず、市民がやるべきことを指摘しない。この関係って何? 

安倍辞任が決まり、万歳!というのもつかの間。多くが菅の批判を始めた。もちろん、菅は問題だらけだ。が、先の田舎町の構図を思い出す。政治家に何かをしてもらうことのみを求める。国民は美味しいことを言うとへつらう。厳しいと離れる。安倍も当初は「アベノミクス」で人気があったが、うまく行かず。それをマスコミを使って隠し続けた。それに騙される人。見破る人。

が、その安倍が辞任した今、単に政治家たちを批判しているだけでいいのか? と書くと「だったら菅をほめろというのか?」「お前は菅の支持者か!」と極端なことをいう輩が出てくるが、そうではない。都民も、国民も、田舎の有権者と変わらない発想だと感じる。何かを求めるばかり。それがないと批判する。政治家はサンタクロースか!? この辺はまた別の機会に詳しく。


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