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俳優とはプライベートで会わない。連絡も取らない=全ては最高の作品を作るため? [映画業界物語]

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俳優とはプライベートで会わない。連絡も取らない=全ては最高の作品を作るため?

よく聞かれること「女優さんと飲みに行ったりすることあるんですか?」ー答え。「ない!」映画監督というと、女優にモテて、一緒に飲みに行ったり、あれこれおしゃべりしたりするのかな〜。いいな〜。と想像するのだろう。

もちろん。そんな監督もいる。女優の卵には「監督が飲み会をする」と聞けば馳せ参じる人もいる。監督のお眼鏡に叶えば映画出演ということもあるからだ。あるいは親しい女優さんと飲みに行って次回作の打ち合わせをしたり......と想像するのだろうが、僕はしない!女優だけではない。俳優とは基本、連絡も取らない。

だから、ダイレクトに連絡が取れるFacebookでは基本、俳優からの「友達申請」は承認しないことにしている。俳優とは知らなかった。あるいはかなり以前に「友達」になっている人は別にして、俳優とは距離を置く。すでに「友達」でも仕事についての問い合わせには答えない。

連絡を取り合える環境にいると、俳優は「監督。次の作品にもぜひ、よろしく。。。と挨拶をせねば!」と思ってしまう。あるいは「次の作品に役ないですか?」と聞きたくなる。また、監督も「**さん。次の作品に出てほしいなあ。最近人気だしな」と人気目当てにオファーしたい。事務所を通すと「スケジュールがない」と言われるかも?「だから本人に!」と考えてしまうかもしれない。

しがらみは映画をダメにする。親しいから出演させる。友達だから依頼する。それは「仲良しクラブ」だ。毎回、出演してもらっている俳優でも、次の作品は依頼しないこともある。その人に相応しい役がなければ頼まない。無理に出すのはいけない。親しいと「なんで、次は俺の役ないの?」と言われる。こちらも気遣って「すみません。次は依頼しませんが、プライベートではよろしく」というのも変だ。

また、プライベートで揉めたことでしこりが残り、現場に響くのも良くない。だから、俳優とは個人的に付き合わないし、交流を持たない。その人が必要な時だけ事務所を通して依頼する。現場で撮影。終われば、打ち上げで一緒に酒は飲むが、そのあとは会わない。次に会うのは撮影現場だ。もちろん、舞台やライブであれば、楽屋に挨拶に行く。が、そこで終わり。

全ては俳優たちに素敵な芝居をしてもらうため。そして妥協したり、忖度したりして欲しくないから。「監督と仲良くしておくと仕事もらえる」とか、僕も「仲良くしておくと、また出てもらえるかも?」と考えたくない。真剣勝負したい。だから、プライベートでは会わない。連絡もしない。連絡先も聞かない。全ては最高の作品を作るためだ。


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映画製作を混乱させる人たち?=利用したい人たち。悪意はないのに混乱させる人たち。なぜ、そうなるのか? [映画業界物語]

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映画製作を混乱させる人たち?=利用したい人たち。悪意はないのに混乱させる人たち。なぜ、そうなるのか?

映画製作を混乱させる人たち?=利用したい人たち。悪意はないのに混乱させる人たち。なぜ、そうなるのか?

黒澤組、木下組、深作組と監督の名前で組(チーム)が呼ばれるように、僕のチームは太田組と呼ばれる。今は素晴らしいスタッフ、キャストが集まっており、予算以上のクオリティ高い作品を毎回作ることができている。監督1人の力ではない。スタッフ、キャストのおかげである。

だが、映画を作ると必ず良からぬ輩が寄って来て、入り込もうとする。当初は「僕のような監督のために、応援したい!参加したい!と言ってくれるのはありがたい!」と一般の人も受け入れていた。が、中には映画に関わることで利益を得ようとする者。有名俳優に近づきたいだけの人。工作員のような輩も出て来た。その辺は見つけ次第「小池!」ではなく「排除」する。

逆に悪意はない。むしろ好意的。見返りは求めない。あれこれ応援してくれる。ありがたい存在もいる。だが、その手の人も問題が出て来た。映画についてよく知らないのに、次第にあれこれ意見するようになる。いつしか気分はベテランスタッフ!?採用しないと「だったら、勝手にしろ!親切で言ってんだ」と言い出し、アンチになってしまう。

あちこちで批判を始める。というより悪口を言っているだけ。注意すると「あれは苦言だ」と言う。だったら直接本人に言え。なぜツイッターで発信必要がある? 彼らは映画に対して監督に対して独自のイメージを作り上げ、それから外れると「裏切られた!」「許せない!」「騙された!」と憤慨、批判する。

映画製作を知らない一般の人が、ハマりやすいところ。悪意はない。むしろ純粋で、まっすぐな人たち。でも、熱く、思い込みも強い。「こうだ!」と思ったら突き進んでしまう。別の世界の価値観を持ち込んで「違う」と言ったりする。こんな人もいた。「この映画のテーマ。おかしいですよ」と言う。彼が言うのは「俺ならこう言うテーマにします」ということ。「監督は優しい人だから、俺のアイデアを受け入れてくれるはず」と思った。

が、それは出来ない。何年も考え抜いたテーマ。思いつきで言わて変えることは出来ない。「監督はいい人だと思ったのに失望した! 俺のテーマの方がいいのに!」と以降、批判して回るようになった。ただ、彼にも悪意はない。むしろ勘違いさせてしまった僕に、責任がある。監督は「いい人」でいてはいけない。勘違いさせてしまってはいけない。ある時期から一線を引くことにした。

映画の世界は一般の世界と価値観が違う。分かりやすく言うと映画作りは民主主義ではなく独裁政治。1人のクリエーターの思いをプロフェッショナルが形にする世界。それを知らない人たちは「身勝手だ!」「みんなの意見を聞け!」「多数決で決めよう!」「会議を公開しろ」と言い出すことがある。それでアートはできない。そこが分からない人には、悲しいが外れてもらうしかない。

ここしばらくバッシングされているあの人。同じ構図ではないか? それぞれが、それぞれの価値観を掲げて「違う!」「変わった」「それではダメだ」と批判している。悪意はないのに愛しさ余って憎さ百倍。その「怒り」を「苦言」と称している人がいるのも同じ。先に上げた「利用しようとする人たち」と同様の存在も多数、見え隠れ。余計に混乱。さらに「この期に彼を潰そう!」と企む団体の思いも交差....多くが踊らされている。そんなことを感じてしまう。

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