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子供好きの大らかなオジさん。故郷を出たのは大学の4年だけ=その結果? [心理を分析]

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子供好きの大らかなオジさん。故郷を出たのは大学の4年だけ=その結果?

僕は家庭の事情であちこちと転々としているので、都会にも田舎にも住んだことがある。映画は地方でよく撮影するが、都会育ちなので、田舎に憧れているというのではない。地方の問題点も理解しているつもりだ。

子供の頃に住んだある田舎。近所の子供好きのオジさん。大らかで、親切で、あれこれ面倒を見てくれた。だが、大人になって再会すると、いろんなことを感じた。酷いことを言うが、考え方が狭い。目先のことしか考えない。頭が固い。すぐ騙される。皆にいい顔をしたがる。ま、歳を取れば多くがそうなりがちだが、そのオジさんは特に酷い。もっと言えばNHKしか見ない。自民党支持、山本太郎を知らない。消費税は福祉のために必要。日本は経済大国。トランプは嫌いと言う感じ。

そんな彼もまた東京にコンプレックスがある。一度、NHKのアナウンサーにインタビューされた時は、舞い上がり、どれだけ自慢して回ったか?「NHKは凄い!標準語で喋る」とか意味不明なことで喜んでいた。そのくせ都会に対する反感もあって、東京や大阪に出て行って帰ってこない地元の若者に憤りを感じている。「故郷愛がない」「地元を捨てた」とよくいう。昔は気づかなかったが、彼にはこんなことがあった。都会の大学には行ったが、長男で家業を継がねばならずUターンして地元へ。何か夢があったようだが、諦めたと聞く。

家業は小さな会社だが、若い頃から「若社長」と呼ばれて、おだてられ、持ち上げられた。人から説教されたり、注意されたりすることもない。夢は諦めているが、挫折したわけではない。付き合いは全て町の人たち。外からの情報は読売新聞とNHKだけ。

「真面目に勉強して、大学に行き。将来は故郷に戻って働くことが大事」

という。都会に憧れる若者にはすぐ説教。ただ、それは自分の生き方を押し付けているだけ。自分がやりたくても、できなかった生き方を否定しているだけ。自分の行き方を「故郷愛がある」とかいう言葉で正当化しているだけだ。

しかし、多くの若者は街を出て行き、そのまま帰ってこない。帰ってきてもおじさんがあれこれうるさくいうから、若い人は寄り付かない。昔は子供好きで人気のおじさんだったのに、今は若者に嫌われている。それは70年以上も狭い街で暮らし、他で生活したのは大学時代の4年だけ。そのために田舎の古い価値観に縛られてしまった。ま、このタイプが政権支持の中心層になるのだろう。

もちろん田舎暮らしをしていても、いろんな形で情報を得ていれば違っただろう。だが、彼の場合は挫折したこともなく、いろいろ気付く機会もなかった。地方にありがちな、皆にいい顔をしたいだけの人を演じた。すでに始まっている変革の時代をどう受け止めるのだろう?と考えてしまう。

ただ、多くの人にも同じことは言える。日本でしか生活したことない人が、日本人以外と接することがない人が、これからの世界スタンダードを受け入れられるのか? ずっと、その街で暮らしたオジさんと、ずっと日本で生活する日本人は同じ構図ではないか?と感じてしまう。



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映画祭に招待された監督たち。それを敢えて無視する田舎の映画祭?=「東京者には舐められたくない」 [心理を分析]

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映画祭に招待された監督たち。それを敢えて無視する田舎の映画祭?=「東京者には舐められたくない」

先日書いた記事。故郷で映画を撮った後輩監督に町の大人たちが嫌がらせをする話。反響があった。思い出した話があるので紹介。

ある地方の小さな映画祭。いろんな映画が上映されるが、とにかく客が少ない。150人のホールに10数人。そして映画祭のパーティとかはなく、上映が終わったら関係者数人で近所の居酒屋に飲みに行くだけ。主催者が中心となり、映画祭の常連客7人くらいのグループになり僕も誘われた。だが、飲み会が始まっても、自己紹介がない。皆顔見知りだから? さらに映画祭で上映される作品の話は出ず

「最近のヨーロッパ映画はどうだ?」「***は面白かった」

というような話題が続く。主催者は黙って飲むばかり。ゲスト監督はその場に2人いたが紹介なし。何だか、地方の映画サークルに間違って参加してしまったような違和感。その内にようやく質問を受けた。

「太田監督はどんな映画を撮っているのですか?」

ま、僕は誰もが知る有名監督ではない。でも、映画祭のゲストで呼んでおいて、その常連客が「あんた誰?」と聞くようなものだ。その日、会場で配られたパンフレットには僕のプロフィールが載っている。読めばいいのに、と思ったが説明した。「朝日のあたる家」というのが最新作だと詳しく話すと

「その手の社会派映画ばかりを撮っているんですか?」

と質問。そもそも映画祭に毎回参加する常連なら、事前にHPでゲスト監督を調べ、プロフィールや作品くらいチェックするのではないか?僕のように無名の監督でも、その作品に出た有名俳優。撮影現場の話。最近の映画界。相手がどんな監督だろうと、映画ファンなら聞きたい話がたくさんあるだろう。僕だけではない。もう一人の監督も同じ扱い。結局、それ以上の質問は出ず、また最近見た映画に話題が戻る。

「あなたたちには興味ありませんから!」

と言いたいかのようだ。翌日も上映後には飲み会があった。同じ展開。全て地元の話。僕は2時間黙ったまま、ひたすら酒を飲んでいた。

「映画祭のオープニングから参加、3日間滞在してほしい」

と言われて行った。ギャラはなし。それでも映画ファンたちとの交流を望んでいるのだと考えて了解した。が、主催者も常連客も自分たちで盛り上がるだけ。あとで、同県出身の友人から聞いた。

「うちの地方では他県から来た人をあえて無視する、という市民性があるんです。特に東京もんには舐められたくない。だから、飲み会でも皆、あえて無視してかかるんですよ」

やはりそうか...誘っておいて敢えて無視。なら、最初から映画祭に招待しなければいいのだ。他の監督たちは打ち上げには参加せず、自作の上映が終わるとすぐに帰京。彼らも屈辱的な思いをしたのだろう。映画祭は映画を上映するだけでなく、町の宣伝、他県の人にも来てもらうと効果がある。なのにゲストに嫌がらせ、彼らは2度とその町に行かないだろう。

それより他の映画祭の話を聞いて、より自分たちのイベントをよくすることに繋げるべき。自分で自分の首を締めるだけ。それもまた地方の現実。ただ、それは日本という大きな田舎に住む、日本人にも言えることでもある。



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「ブログに愚痴を書くな!」と言う勘違いな先輩=なぜ、人は自分の価値観であれこれ批判したがるのか? [心理を分析]

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「ブログに愚痴を書くな!」と言う勘違いな先輩=なぜ、人は自分の価値観であれこれ批判したがるのか?

ここしばらく「思い込み」が原因の悲しい事件やその背景を記事にしている。もう、かなり前になるが、その手の記事を読んだ業界の先輩が怒りの電話をしてきた。

「お前、ブログに愚痴ばかり書くんじゃない。恥ずかしいぞ」

はあ? 何が愚痴?と思ったのだが、悲しい話、やりきれない話、辛い話を読み先輩は「愚痴」だと解釈したのだ。そもそも、間違っているのは「愚痴」の意味。辞書を引くと書いてあるが

「どうすることもできないことを、あーだこーだと繰り返し嘆くこと」

僕が書いているのはそれではない。なぜ悲しい事件が起きたか? なぜ、その人はそんなことをしたのか? その動機、背景、理由を探る。分析する。その上でその事件を把握し、今の時代を照らし合わせて考えると言うのが僕の記事。「あーだ。こーだと繰り返し嘆いている」訳ではない。

だが、先輩は辛いことを人に伝えること自体が「愚痴」と思っているようだった。さらに古い人なので「男はグダグダ能書き垂れずに、行動しろ!」と言う。なので意図を本人に説明したら「文句を言うな!」とまた怒られた。

いつも気にかけてくれる先輩であり「文句を言うな」と言うときは、反論できず納得した時、照れ隠しでいう台詞なので分かってくれたとは思う。ただ、同じ映画界で働く先輩ではあるが、現場の人なので監督業、脚本家業というものを理解できていない側面も感じる。特に脚本家業は「喜び」「悲しみ」「憤り」「嫉妬」「絶望」「希望」そんなものを見つめる仕事。

人の感情。行動。対応。それはどのようにして決まり、どのように展開するのか? 心理学にも共通するものであり「嫌なことは忘れて前向きで行こう!」で済ませてはいけない。ことあるごとに、それらを把握することで、物語が書ける。「嫌なことは忘れて」ではなく、あれこれ考える。相手の立場になり、第三者になり、アメリカならどうだ? 江戸時代ならどうだ? と考える。

そのことで悲しみとは何か? 喜びとは何か?が見えてきて、物語が書ける。脚本家だけでなく、監督も同様。俳優が悲しみの演技をした時に、日頃から悲しみについて考えていないと、形だけでしか判断できない。同じ業界の先輩なら、監督や脚本がそんな仕事であることは分かりそうなのに、あれこれ言ってくる。

「そんなことを多くの人が読むブログに書くな! 恥ずかしいぞ。ノートに書け!」

と怒るが、名前を挙げて個人攻撃をしているのではない。仮名だったり、設定を変えてモデルが誰かわからなくして書く。記事を読んでもらうことで読者の反応も分かる。今はこんな事件に共感するのか? こんな言動が嫌われるのだ。と、リサーチにもなる。まあ、先輩は「男は黙ってサッポロビール」のタイプなのと、ネットを全くしない人なので、分からないと言うこともある。

業界の先輩が理解できないのだから、僕の行動、言動がカタギの人に誤解されたり、理解されないのも当然かもしれない。やはり、理解されることを求めてはいけない。それが大事な点なのだろう。


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「スターウォーズ」の新作から考える。思い込みの心理=あなたは過去の刷り込みから逃れられるか? [心理を分析]

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「スターウォーズ」の新作から考える。思い込みの心理=あなたは過去の刷り込みから逃れられるか?

「スターウォーズ」の新三部作。製作舞台裏を紹介しよう。旧三部作はエピソード4「新しい希望」〜6「ジェダイの帰還」と同じスタイル、カラー、テイストにしてある。と言うのは、前三部作エピソード1〜3はヒットしたが、批判も多かったからだ。

なぜ、評判が悪かったか?と言うと、観客の多くがエピソード4〜6の物語の延長戦(正確には前日譚だが)を期待していたのに、かなり違うスタイル、テイストだったから。違和感があり、何か「スターウォーズ」らしくない。と言う失望を感じたからだ。

その背景にあるのはジョージ・ルーカスの思い。元々、彼は「フラッシュゴードン」が好きなSF少年ではあったが、映画作家としては実験映画思考が強かった。新しいことにチャレンジしたい。そのためにエピソード1〜3は先のシリーズとは違う挑戦をしたのだ。大ヒットはしたが、旧三部作からのファンには違和感を持った人も多かった。ルーカスのチャレンジは素晴らしい。が、それにファンがついて来れていない。

ここにも「思い込み」の心理が働いている。「スターウォーズは旧三部作のカラーであるべき」とファンは思い込んでしまった。そこから外れて欲しくないと言う思いがある。「寅さん」シリーズがまさにそうであるように、ファンは同じ繰り返しを求める。それを察知したディズニーは、ルーカスが書いた新三部作の物語を捨て、ファンの希望に沿った昔ながらのものを新たに書いたのである。

それが新三部作だ。よく見れば分かるが、エピソード7は「新しい希望」の焼き直し。エピソード8は「帝国の逆襲」と「ジェダイの復讐」の焼き直し。しかし、古くからのファンはその焼き直し、繰り返しこそが「スターウォーズ」だと感じ、喜んだ。そんな風に人は一度、思い込んでしまうと、そこから離れなれなくなる。

僕の友人でもどんなに説明しても「トランプは悪い人」「消費税は福祉で必要だから仕方ない」「山本太郎は単なる目立ちたがり」「原発は必要悪」なんて言う連中がいる。理路整然と説明し、彼らが反論できなくなっても、納得しない。

最後は逆上し「俺はトランプが嫌いなんだよ!」と怒り出す。理屈では理解しても、それを受け入れたくなくて感情的になる。問題は「好きか嫌いか」ではなく、トランプが本当にしようとしていることを把握しているかどうか?なのに激昂する。

友人だけではない。多くの人が思い込みで間違った情報を信じ込み。そこから離れられないでいる。歳をとるほどにそれは顕著になり、若い頃に刷り込まれたものはなかなか書き換えることができない。しかし、戦後以来の革新が起ころうとしているこの時代。それを書き換えられない人。いや、その世代は、恐竜のように消えていくしかないように思える。


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人はなぜ「思い込み」に左右されるのか?=誘導されやすい人たち。もちろん、あなたも! [心理を分析]

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人はなぜ「思い込み」に左右されるのか?=誘導されやすい人たち。もちろん、あなたも!

先に、映画の世界を知らなくて、批判してくる人の話を書いた。そして「思い込みが強くて」事実ではないことを批判してくる兄ちゃんのことも書いた。読んだ人は思う。

「困った人たちだなあ。ちゃんと理解してから批判しなきゃ」

では、これはどうだろう?山本太郎さんを批判する人の多くは、彼の演説を聞いたことがない。それ以前に太郎さんが何をしたいか?を知らない。元俳優。気発な行動。それらを聞きかじっただけで「目立ちたがり!」と批判する。

どこかの御用評論家が「れいわの政策はすべてデタラメ」と言うと「山本太郎はいい加減な奴」と鵜呑みにした意見を持つ。デマ。フェイクニュース。あるいは情報の一部分だけを拡大。それらを検証することなしに受け入れてしまう。実は先の人たちだけでなく、多くの人が陥っていることだ。

「俺は違うよ!」

と言う人もいるだろう。そんな人でも「トランプはとんでもない!」と思っていることが多い。これも以前に記事にしたが、トランプの真実を伝える日本のマスコミはない。日本どころかアメリカでも存在しない。CNNだけでなく、三大ネットワーク(ABC CBS NBC)そしてニューヨークタイムズも、ワシントンポストもすべて反トランプであり、彼を引きずり下ろすためにフェイクニュースを流し続けている。その勢力からの情報だけ受け入れていると「トランプはトンデモない」になるのは当然なのだ。

「でも、それは仕方ないだろう? 先の思い込みの強さとは関係ないよ」

と言うかもしれないが、同じだ。「テレビが言うことは真実である」と言う思い込みがあるから信じてしまう。今が1980年代ならいい。しかし、311以降。テレビが真実を伝えるメディアでないことはバレている。未だにテレビを信頼すると言うのは、「テレビ=嘘をつかない」と言う思い込みなのだ。そう考えると、以前に紹介した「映画界を知らずに火傷する人」は「映画の世界は一般とは違う」と気づきそうなのに、一般の価値観で近づく。映画界は華やか、映画監督は女優と飲み歩くと言う妄想を信じてしまう人たちと同様。

親切だった兄ちゃんが僕のツイッターを勘違いして批判して来たのも同じ。多くの人が思い込みに囚われている。政権支持率が本当に正しければ40%の支持者は皆、フェイクニュースを盲目に信じ込んでいるだけであり、思い込みが強い人たちとなる。

人はなぜ「思いこむ」のか? まあ、恋愛は究極の思い込みと言われるが、その通りだろ。「この子を守るのが俺の使命だ!」みたいに感じて結婚して、あとで「あれ〜」と思ったと言う話はよく聞く。人はなぜ、思い込むのか?どう言うメカニズムなのか? 興味がある。


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思い込みの激しい兄ちゃん。事実でないことを批判してくる!=その背景にあるものとは? [心理を分析]

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思い込みの激しい兄ちゃん。思い込みで批判=その背景にあるものとは?

以前、ある街でお世話になった方。30代の兄ちゃん。とても真面目でいい人だった。1日だけだったが、仕事を手伝ってもらった。お礼に夕飯をご馳走し、ビールで乾杯した。「また、この町に来たら連絡してくださいね!」と言ってくれた。

東京に戻り、数ヶ月。ツイッターである意見を発信した。口は悪いが面白い発言をする人の言葉を引用してツイートした。それに先の兄ちゃんが噛み付いて来た。

「監督はいい人だと思っていたのに、こんな酷いことを言うのですね!見損ないました!」

兄ちゃんが指摘するのは、僕の言葉ではなく、口が悪いが面白い発言をする人の言葉だ。確かに表現は荒くれているが、真意をついている。何に激怒しているのか? 考えて彼は二重に間違っていることに気づく。

①引用した発言を、僕の発言だと思い込んでいる。

②引用した言葉も最後まで読めば、決して酷いものではない。

つまり、ツイートを最後まで読まず、途中で激怒し、最後まで読んでいないのだろう。二重の勘違いをしてすぐに、僕に抗議して来たのだ。この手の勘違いは時々ある。内容を理解せず批判して来たり。ブログの場合はタイトルだけ見て反論してくる人もいる。何れにしても、早とちり、理解力のなさ、思い込みが原因だ。

兄ちゃんはまさにそれ。本来、言ってもないことを批判してくるツイートは無視するのだが、地元でお世話になった方。いい人であることも知っている。誤解されたままでは良くない。と、詳しく説明した返事を出した。が、反応なし!そこで彼を紹介してくれた共通の友人に連絡した。こう言われた。

「ああ、彼ねえ。いい人なんだけど思い込みが激しいところがあり、意味ないことで激怒したりすることがよくあるんですよ。その辺、考えながら付き合った方がいいですよ」

そう言うタイプなのだ。そこでもう一度、連絡した。が、返事なし。しばらくするとフォローが外された。何だか悲しい。苦い思いが残る。あの時、地元で彼は本当に頑張ってくれた。その時は何の誤解も意思疎通の問題もなかった。

が、たった1通のツイートで誤解し、内容を取り違えて激怒。もし、誤解されても仕方ないことなら分かる。彼に出したメールで激怒されたのならまだ理解できる。でも、単なる意見をツイートしただけ。彼にあてたものではない。最後まで読めば誰でも分かる内容。それを途中までしか読まず。引用した言葉を僕の意見と思い込み激怒。

何か方法はなかったか?と思うが、事実ではないことを思い込まれ、説明の機会も持てないのではどうすることも出来ない。が、それでも苦い思いが残る。彼は今、どうしているのだろうか?



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映画作り面白そう!と興味本位で近づていてくる人。火傷して批判して去って行く。「鬼太郎」と同じ構図? [心理を分析]

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映画作り面白そう!と興味本位で近づていてくる人。火傷して批判して去って行く。「鬼太郎」と同じ構図?

このところ詰まらないことで悩んだり、風邪をひきそうになったりする。体調が思わしくないのが両方の原因のようだ。体の機能が低下しているから風邪に対する免疫が下がり、病原菌が体の中で暴れまわる。関節が痛み、体力がなくなる。気力も当然衰え、詰まらないことで悩んでしまう。病気になると弱気になり、思考がネガティブになる。背景を考えてみた。

早朝、寒さで目が覚める。体を冷やしているということ。これがいけないのだろう。冷房も暖房もなるべく使わないようにしているが、数日前からヒーターを弱めにつけて寝ることにした。さらに食生活。いつもは朝夕は自炊。昼だけ近所でランチ。だが、どうしても野菜不足。この数日、ランチはサラダバーの店。夜は一人で鍋。野菜が摂れた上に、体を温めるものにした。そのせいか? 少しずつ前向きになり、元気が出て来た。

映画監督という商売はなかなか理解されないもの。あれこれ勘違いをの批判を受けることがある。誤解されて嘘八百を言い触れ回る人。会ったこともない人が、ネットで悪口を言ってることもある。だが、その1人1人に弁明してまわる余裕もなく、説明しても理解してもらえないことが多い。

新シリーズの「ゲゲゲの鬼太郎」で、こんなエピソードがあった。「妖怪。面白そう〜!」と興味本位で近づき、酷い目に遭う。なのに鬼太郎に「悪い妖怪だ。やっつけてくれ!」と主張。鬼太郎はいう「妖怪と人間は分かり合えない」「距離を置かないといけないんだ....」

それは映画人(芸能人)とカタギの人たちにも言える。理解し合えない。よく言われることだが「映画監督は女優さんと飲み歩いているんだろ?」「華やかな生活をしているよね」「何もせずに遊んでばかりいる」どれも事実ではない。実生活はむしろ逆。会社員より長く働き、ブラック企業より過酷で、倒れるまで作業し、その割には収入が少ない。

それでもいい作品を作ろう!感動を届けよう!という思いだけで映画人は作品を作り続けている。だが、それらは理解されない。「映画の世界。面白そう!」と興味本位に近づいて来て火傷し、嫌な思いをし「騙された!」「利用された!」「許せない!」と批判する人もいる。「ボランティアで働いたのにお金くれない!と言い出す。それに釣られて「本当だ、酷い」という人も。「鬼太郎」と同じ構図。彼らは悪い人ではない。が、映画の世界に自分たちの世界の価値観を持ち込んで憤る。説明しても理解できない。

だから、近づいて来たら避ける。距離を取るということが、その人たちを傷つけないために大切なのだ。ただ、体調が悪く、ネガティブになると、そんな人たちを守れなかったことが自己嫌悪になり、考え込んでしまったりもする。先日放送された「鬼太郎」の「手の目」のエピソードを見ながら、そんなことを考えた。


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