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戦争が終わって16年後。僕は生まれた。わずか16年であること今更気づく。戦争は遠い昔のことではない。 [沖縄戦]

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戦争が終わって16年後。僕は生まれた。わずか16年であること今更気づいた。

「この世界の片隅に」を観ながら考えた。太平洋戦争が始まったのが1941年。昭和16年。終戦というか敗戦が1945年。昭和20年。そのことは前から知っている。計算してみた。僕が生まれたのは1961年。昭和36年。つまり、戦争が終わってから16年しか経っていない。昔は16年といえば長い長い年月だったが、30歳過ぎた頃からは5年10年があっという間。

昨年夏、オウム真理教の地下鉄サリン事件の本を読んだのだけど、Facebookに書くと「子供の頃なので、よく覚えていないですけど、確かにあの頃.....」とのコメントが入った。そうか、サリン事件はそんな昔? 忘れもしない1995年だ。計算すると今から25年前!敗戦は僕が生まれる16年前。サリン事件は25年前?

つまり、今の時点から、振り返ってみると、戦争が終わって僕が生まれるまでの時間より、サリン事件があってから今までの年月の方が長いということだ!それは阪神大震災にも言える。サリン事件と同じ1995年。その3ヶ月後に神戸の街を訪ねた。まだ、廃墟のビルが残っており、水を配るポンプ車が回っていた。まるで戦争の後のようだったこと。鮮明に覚えている。

それも25年前。つまり、僕がサリン事件や阪神大震災をしっかりと覚えているように、僕が生まれた当時の大人たちは、それよりも短い16年前の戦争を覚えていないはずがない。そして、自身の記憶を手繰れば5歳頃。幼稚園に入った頃の記憶はある。その頃でさえ敗戦から21年。まだ震災よりも時間が経っていない。

当時に見た風景こそが戦争で焼け野原となったところから復興しつつあった日本の姿。まだ、傷痍軍人はいて、商店街で手や足のない人が白い服を着てアコディオンを演奏していた。子供心に怖かった印象があるが、彼らこそ戦争で傷つき帰国した兵士たちだったのだ。しかし、僕はその人たちが太平洋戦争で傷つたことを想像できていなかった。今の若い人が「オウム事件当時は子供だったので」というのと同じ。

敗戦からわずか16年....戦争は遠い遠い昔だと思えていたが、わずか16年なのだ。子供の頃、出会った大人の女性たちこそが「この世界の」すずさんだ。そう、僕らはすずさんに会っている。話している。言葉を交わしている。でも、戦争の話はほとんど聞いていない。

それをリアルに伝えるのが映画でありドラマなのだろう。歴史を知らない子供たちは、戦争を実感できない。そして永遠に戦争を放棄と誓ったこの国が、わずか70年ほどで戦争のできる国に戻ってしまった。狂った指導者はいつまた戦争を始めるか?分からない。それを止めるのはデモや選挙だけではない。「この世界の」のような作品を作り続けること。大事なのだと自らに問いかけた。


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「フォードVSフェラーリ」はまさにゴーン事件の日産を思わす。=大企業の上層部は腐りやすく、優秀な外部人材を排除? [映画感想]

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「フォードVSフェラーリ」はまさにゴーン事件の日産を思わす。=大企業の上層部は腐りやすく、優秀な外部人材を排除?

予告編を見ると「プロジェクトX」的な事実を描いたノンフィクション・ドラマ。ル・マンの耐久レースであのフェラーリを負かしたフォードのプロジェクトチームの汗と努力の物語だと感じ興味を持った。もともと、車やレースには興味ないが不可能に挑む人たちの生き様には強い共感がある。

が、映画を見ると少々違った。名門フェラーリに挑む、量産型自動車を作るアメリカチームの戦いではあるが、物語はフォード2世からの依頼を受けて頑張る外部プロジェクトチームを、フォード上層部がどれだけ邪魔をして、足を引っ張り、ルマンで勝てないようにしたか?の物語である。

僕もほぼ同じ経験がある。ある団体が素晴らしい目的を掲げる。が、自社ではできない。外部に依頼。僕らが参加したチームが様々な困難を超えて前へ進む。が、次第に組織上層部が邪魔を始める。踏みつけてくる。「依頼したのはお前たちだろ!」まさにそれを経験した。この映画の場合はフォード側はまず、外部委託したチームの上に数百人の委員会を設置。そこが精査、計画したものを押し付ける。

そもそも、フォード内部では勝てる車が作れないので、優秀な外部チームを雇ったのに、その上に無能な上層部の委員会を置くなんて本末転倒。彼らが考え計画したことは、良かれと思ってしても、マイナスばかり。また、発想自体が「勝つこと」「優秀なエンジンを作ること」より、フォードのイメージ。評判を損なわないことを優先。勘違い甚だしい。

会社内には仲良しクラブも派閥もある。それらを差し置き外部チームが優遇、賞賛されることを彼らは好まない。まるでゴーン事件の日産だ。社の業績が上がることより、手柄を外部の者に持っていかれることが許せない。映画でもフォードがすることはそんなことの連続。それに耐え、戦いながら外部チームはル・マンに出場。見事に優勝するのだが.....と言う物語。

もう、他人事とは思えず、イライラの連続。ヘンリーフォード2世に諛う取り巻きたち。小賢しく、取り入ることしかできない。そんな連中にチヤホヤされ載せられる2世。映画製作でもそんな光景を何度も経験した。そんな体制でいいものはできない。実際、この映画の後日談として、外部チームが抜けた後フォードは1度も優秀していない。そして、80年代に入ると日本車に追い越されて行く。

大組織ではトップに諛うだけの取り巻きばかりが集まり、ご機嫌取りを始め、社の方針を間違い、崩壊して行く。組織も政府も同じ末路を辿ること痛感する。


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