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「私は神だ」も「小沢一郎は悪人だ」も実は同じ背景?=思い込みの怖さからその病を説明する。 [精神病&精神障害]

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「私は神だ」も「小沢一郎は悪人だ」も実は同じ背景?=思い込みの怖さからその病を説明する。

精神病というと自分とは関係のないものと思いがちだが調べるほどの、病気でなくても同じ症状を持つ人が多くいるということ。僕自身にも当てはまることが多いことに驚いた。

例えば統合失調症患者の症状の一つだが、「私は神だ」と言い出したり、「俺はヨーロッパのさる高貴な一族の末裔だ」と主張したりするものがある。さらに「電話を盗聴されている...」「家族が皆、入れ替わっている。顔は似ているが全部別人だ!」とかスパイ映画かSFドラマのような発言をしたりする。しかし「私は神だ」と言われても、それはあり得ない。「盗聴されている」と主張されても、なぜ平凡なサラリーマン男性の電話が盗聴されるのか?という疑問を持つ。

普通は「アホちゃうか?」で終わりだが、それは症状の一つ。なぜ、そんな非常識な発言をするのか? 頭が悪いということではない。そんな発言をしても患者の多くは問題なく、会社で働き、日常生活を送っている。原因を簡単にいうと「情報処理能力の欠如」なのだ。繰り返すが頭が悪いということではない。では何か?

例えば「電話が盗聴されている」の場合。患者は電話するときノイズが聞こえるのに気づく。普通なら混線しているのかな?で終わりだ。が、患者はこう考える。

「きっと盗聴だ」「でも、なぜ、僕の電話を盗聴するのか?」「平凡な会社員なのに?」「特別な機密も扱っていないし」「いや、何か特別な何かがあるんだ」「でなければ盗聴なんてしない」「きっと僕は僕自身も知らない何か特別な存在なのだろう」「だから国家が僕を監視しているんだ」「きっとヨーロッパの高貴な一族の末裔で...」と考えてしまう。

「それって単なる馬鹿だよ」という人もいるだろう。では、安倍総理を支持している庶民はどうだ?自分たちが散々踏みつけられているのに応援を続ける。逆に小沢一郎は悪人だ。と今だに言い続ける人も多い。まともに見ればどちらもおかかしい。根拠がない。彼ら彼女らの多くは、どんなに説明しても「安倍さんしかいない!」「小沢は信用できない」と言い張る。それは論理ではなくマスコミ等に刷り込まれた思い込みでしかない。

その種の思い込みが病的なレベルになれば、ヨーロッパの高貴な一族にだってすぐなれてしまう。一流ブラドを身につけるだけで「私はハイソ」と思う女性も多い。根拠のない思い込みが暴走したのがある種の精神病だと考えると理解しやすい。ここからが面白いのだが、続きはまた。


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「からくりハウス」の障害者パフォーマンスで感じたこと?=隠すことで偏見が助長する。 [精神病&精神障害]

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「からくりハウス」の障害者パフォーマンスで感じたこと?=隠すことで偏見が助長する。

精神病のことを書くと、すぐに批判コメントが来る。「偏見を助長する!」だが、何も伝えないことで偏見が助長されるのだ。だから、正確な情報を伝えるため勉強し、専門の医師からも話を聞き記事を書いている。なのに正体が分からない人から「差別だ」「偏見だ」と批判。精神病の知識を持った上での指摘ではないだろう。

先日、拝見した「月夜のからくりハウス」での障害者のパフォーマンスでも同じことを感じた。僕らが子供の頃は障害者の方々の演舞が存在。小人プロレスもついこの間まであった。が、「差別だ」「酷い」「かわいそうだ」という批判で出来なくなってしまった。その結果、障害者の方々は職場を奪われた。彼らのことを考えて批判したであろう人たちは、このことをどう思うのか?

プロデュースした東ちづるさんはこんなことを言っていた。人目に付かないところに隠してしまうから差別や偏見が生まれる。身の回りに彼らがいることでそれは当然のことになるはず。その通りだと思う。隠すから差別や偏見が生まれる。なのに人々は良識のあるような顔して、同情するような振りをして「かわいそうだ」「差別だ」と批判し。障害者の人たちの職場を奪った。

精神病も似た構図だ。症状を紹介する記事を書いただけで「差別だ」「偏見だ」「だからと言って精神病とは限らない」そう言って批判する。では、その人はどこまで精神病をご存知なのか? 詳しく知ることで偏見がなくなり、差別を止めることができる。ありもしない中傷が起こらない。それが分からず、とにかく触れるな!という感じだ。

というのは今の時代。とても精神病や精神障害が多い。自分が患者であることに気づいていない人もいる。周りも気づかない。症状が出て周りを振り回す。と言っても暴れたりする訳ではない、ギリギリ常識内。友人、知人、同僚はそれが症状だとは気づかずに「嫌な奴だ」「許せない」という嫌悪感を持つ。患者に悪意はない。彼から見れば周囲が自分をいじめている。攻撃されていると感じたりする。

そのために争いが起こり、いがみ合いが続く。会社で、近所で、組織内で、何年も続く。多くが心傷つき、心労を重ねる。誰も悪くない。患者は症状で、奇異な発言をしたり、攻撃的になっているだけ。でも、誰も病気と気づかない。知識があれば治療を勧められる。

今はいい薬がある。周囲も病気だと分かれば理解できる。トラブルを収拾できる。そのためにも知識を持つことが大事なのだが、それを書くと「偏見だ」「差別だ」という批判が来る。だから、マスコミは精神病に触れない。視聴者は情報を得られず病気に対する偏見が続くことになる。


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面白い映画を見た。マクドナルドの創業者物語=マックは乗っ取られて急成長した企業? [映画感想]

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面白い映画を見た。マクドナルドの創業者物語=マックは乗っ取られて急成長した企業?

こんな映画があったんだ。「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」というマクドナルドの創業者物語。どこだったかのマック店舗壁に掛かっていた白黒写真。アメリカのマック1号店。まだ、ゴールデンアーチと呼ばれる店舗屋根のMマークがなかった時代。そのころの物語。

だが、主人公は創業者ではなく、ファランチャイズを持ちかけたセールスマン(マイケルキートン)だ。結果、彼は品質本位、健全で美味しいものを提供したいと考える創業者マクドナルド兄弟を追放。薄利多売で急成長させ、大金持ちになるという物語。マックのイメージ丸つぶれ。でも、まさに現在のマックはそんな会社となり、市民の健康を食いつぶして繁栄している。

同時にいかにもアメリカ的な現実。美味しさ、品質にこだわる良心的な創業者が権利を奪われ、利潤追求しかしない親父が権利を持ち、品室の悪い食品で荒稼ぎ、大金持ちとなる。これ映画の世界にも通用する話なのだ。人気原作、人気タレント、有名アーティストに主題歌歌わせて、文句を言わないテレビデレクターが演出。物語に対する愛がまるでない退屈極まりない映画が完成。

それを宣伝でヒットさせる。観客も、愛情を込めて作った低予算映画ではなく、テレビで宣伝されている中身のない映画を選ぶ。マクドナルドの論理だ。そして、中身のない映画を作る監督の方が儲かり、愛を込めて努力する監督は貧乏暮し。その映画を見ていて他人事ではなかった。

しかし、マックを初めとする薄利多売の不健康食品も、今の時代決して安泰ではない。市民の健康志向は強い。映画でも中身のないものはかなり宣伝してもヒットしないことが増えている。ただ、中身があるからと口コミで大ヒットする映画が増えているか?というと、そんな事実はない。(シネコン・システムが口コミを広めない環境を作っている)

とはいえ、ミニシアター系では「主戦場」がヒット。数年前には「野火」もヒット。昨年は「沖縄スパイ戦史」「カメジロー」も話題になった。少しずつだが、思いある作家が作った作品の評価は高まっている。マクドナルドを食べるより、マイナーだが良質で健康にいいドーナッツが大事なこと。気づく人が増えているのだと思う。

2016年12月16日 (アメリカ合衆国)
監督: ジョン・リー・ハンコック
映画脚本: ロバート・シーゲル
音楽: カーター・バーウェル
プロデューサー: ジェレミー・レナー、 ドン・ハンドフィールド、 アーロン・ライダー、 カレン・ランダー

キャスト
マイケル・キートン (レイ・クロック)



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今の時代は企業経営も映画監督業も同じ発想が必要 [映画監督のお仕事]

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今の時代は企業経営も映画監督業も同じ発想が必要

「モーニングショー」を見ていて感じたのだが、ITが把握できていない社長の会社がダメになるという話。映画も同じだということ。企業の社長と映画監督は共通するものが多いこと感じた。もちろん、50ー100人しかスタッフのいない撮影チームと、何万人も社員を抱える企業では規模が違うが、構図は同じなのだ。

社長が新しいシステムを導入する。そのことで経営が合理化され、無駄がなくなる。映画も同じ。フィルム撮影からデジタルに移行して現像代やフィルム代が節約。パソコン編集が可能になり、編集室レンタルも必要なくなった。そのため、映画制作費はかなりの低予算でも可能となっている(そのための悪影響も多大ですが!)

いい話ではないが、僕は自分で編集する。そのために編集者を別に雇う必要はない。だが、同世代の監督でデジタル編集できる人はあまりいない。パソコンにソフトを入れて、少し勉強すれば誰でもできるのに皆、やろうとしない。だから、技術ある者を雇い、指示して編集させる。完全に編集を任せ、直しだけを指示するならそれでいいが、ずっと立ち会うなら、自分でやった方が早いし、経済的だ。

デジタルだけではない。特に太田組は新しいアイディアを取り入れる。思いついたら実践する。年配のスタッフがいると猛反対を食うが、今のチーム(決して若い人ばかりではないが!)面白がってくれる。これは企業経営と同じではないか? 新しい挑戦をすぐにできるか? 古くからの伝統を止められるか? 組織が大きくなるほどに難しくなる。

が、映画の場合。監督が言い出せば理解されることが多い。企業映画の場合。古い製作会社の場合は上から文句が来ることがあるが、監督に信頼があればそれができる。ただ、監督も古い監督に長年師事して来た人はその古い方法論から離れられないことが多い。反対に僕のように自主映画出身で、アメリカで勉強した輩はあれこれ、変なことを思いつきスタッフを振り回しがち?

伊丹十三監督が数々のヒット作が撮れたのも、監督になるために修行した人ではなく、俳優であり、エッセイストであり、翻訳家、タレント、デザイナーと様々な経験があるから、従来の映画にない方法論で撮影したからだと思える。メイキングを本格的に導入したのも彼。映画日記を出版したのも伊丹さん。僕はそれに学び、映画制作時には必ず日記を書く。それがまた宣伝にもなる。

今の時代は企業経営も映画監督業も同じ発想が必要なのだろう。意外だ。


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