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自分のスタイルを持つ大切さ。久米宏も、ジャッキーチェンも、矢沢永吉も、俳優も、映画監督も同じ? [社会政治]

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自分のスタイルを持つ大切さ。俳優も、映画監督も同じ?

久米宏の本を読み。彼もまた司会者としての自分のスタイルを悩み、葛藤して作り上げたことを知る。司会者だけでなく、歌手、タレント、俳優、ミュージシャン、作家、画家、お笑い芸人、表現の仕事をする人なら必ず考えねばならないことだ。

ジャッキーチェンは最初、先輩ブルースリーのスタイルを真似ていたが人気出ず。自分に出来てリーに出来ないことを考えて、笑えるカンフー・スタイルを考案した。あのスタイルは真似ができない。真似ても「ジャッキーだ」と言われてしまう。スタイルがあるから支持され必要とされる。

矢沢永吉はキャロル時代はリーゼントに皮のツナギ。ソロになってからはバスタオルを肩からかけて、白いテープで巻いたスタンドマイク。もう、ギターは持たずに歌う。でも、ソロデビュー直後、中野サンプラザでのコンサート時の衣裳はラメのツナギにコード付きのマイク。今見ると笑ってしまう。が、あれこれ葛藤しながら自分のスタイルにたどり着いたのだ。

僕はよくワークショップで言うのだが、そこそこ演技力がある俳優はいる。が、個性がない。可愛いだけの女優、真面目なだけの男の子。オーディションでは選ばれない。芸能界は美男美女が集まる。イケメンに巨乳は当たり前。捨てるほどいる。だから、俳優はデブ、チビ、メガネの方が需要がある。体系でなければ、何か自分らしさを見つけることが大事。悪役やらしたら絶品とか、関西弁できるとか、見るからに怪しいとか、個性がないと生き残れない。

映画監督でも自分の映画スタイルがある人が作家、巨匠と呼ばれる。黒澤明は望遠レンズを使いパンフォーカスの圧縮されたような画面。市川崑は和の様式美。リドリースコットは光と影の世界。それら映画を見ながら僕自身が監督になった時は?と考えたものだ。が、5本の監督作品を見て見ると、自分らしさが出ていることに気づく。

多くが女子高生が主人公。田舎が舞台。美しい風景。古い日本家屋に住む登場人物。音楽を多用。感動し泣ける物語。テーマはいつも「親子に伝える大切なこと」あれこれ考えてはいたが、気づくと自分らしさが出ていた。そんな風に古き良き日本の原風景を描いているのだがハリウッド映画風(製作費は低予算だが)。テンポが早くドラマティックな展開をする。

それとは別に監督の個性というのも昔から考えていた。サングラスがトレードマークの黒澤明。市川崑はいつもタバコを加えている。大林宣彦はサングラスにヒゲ面。山本晋也はサングラスに野球帽。大島渚は黒縁メガネで、テレビ出演時は着物。僕はどうあるべきか? それはまた別の話なので、いずれ書かせてもらう。


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