SSブログ

国策の恐ろしさ。国民の思想操作なんて簡単?=ほんまかいな! [日本の教育]

61654713_2708964762511144_8870839184168845312_n.jpg

国策の恐ろしさ。国民の思想操作なんて簡単?=ほんまかいな!

高校時代。「勉強して何の意味がある?」と言うと教師にも、同級生にも

「勉強が嫌だから、言い訳をしているんだろ!」

と厳しく言われた。答えになっていない。その上、どんな意味があるか?どれだけ将来、役に立つか?を説明できた大人は1人もいない。そして僕も50年以上生きてきて、高校時代の教育はほとんど役に立っていないことを痛感している。また、友人知人で

「いやいや、勉強しておいてよかったよ」

と言う者も1人知らない。先にも書いたが、同じ構図がある。戦時中に「戦争は意味がない」と言うと

「非国民」「身勝手」「死ぬのが怖いんだろ!」

と答えにならない罵倒を受けたと言う。ただ、面白いのが僕の中学時代だったかに「東大不要論」とか言う本が出て話題になった。なぜ、話題になったか?と言うと、著者が東大を出ていたからだ。

「東大出た人が言うののだから言い訳じゃないし、一理あるかもね?」

と思ったのが背景だろう。もし、これが名も無い三流大学卒なら、

「東大に行けなくて、悔しいから言ってんだ!」

と批判されただろう。これらから見えてくるのは、当時(多分、今も)一流大学に合格することは憧れであり、凄いこと。そして、それは物凄く大事なことなのだ!!と言う強迫観念があるということ。「凄い」「憧れ」と言うだけなら、オリンピック選手だって同じ。努力だけではなれない。憧れであり、凄い!でも、

「オリンピック選手になるのが、全てではない!」

と言っても大きな批判は受けない。同意する人も多いだろう。なのに

「東大が全てじゃない!」

と言うと

「あの人、勉強ができなくて悔しいから言っているのよ...」

と言われる。そのくらいに「勉強して、一流大学に行く」と言うことは日本人が「やらねばならない!」と思い込んでいるのだ。

「大人になったら兵隊さんになって、アメリカ軍をやっつける!」

と子供が真剣に思っていた戦時中と同じ構図だ。ここから分かること。どちらも国策。その恐ろしさ、凄さ。そして、国民とは簡単に誘導されてしまうということ。例えば、改憲問題を国民投票することになった時、Y興行やJ系のタレントがCMに出て、朝から晩まで流され

「わしらも改憲賛成でっせー!」「僕らも改憲。賛成です!」

と呼びかけたらどうだろう? タレントが憲法に詳しい訳ないのが分かるのに「だったら、私も〜」と賛成してしまう人がゴマンと出るだろう。国が総力を上げれば思想操作は簡単。覚えておかねばならない。




57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

ドキュメンタリー映画「主戦場」超オススメ!=今、そこにある日本の危機を叫ぶ力作! [映画感想]

60238212_2674035786004042_3513065901307985920_n.jpg

ドキュメンタリー映画「主戦場」超オススメ!
=今、そこにある日本の危機を叫ぶ力作!

従軍慰安婦問題。僕は詳しくない。日本軍が関与していたのか? そうではないのか? その責任を韓国は日本政府に突きつけている。ということしか知らない。この映画を見れば勉強になるだろうと考えた。かなり話題になっているようで、東京では初日からしばらく満員御礼。1日7回上映だがチケットが取れないとの噂。「エンドゲームか?」と思えたが、先日映画館に向かった。

聞いていた通り、軍の関与を否定する側と日本の責任を問う側、それぞれの論客のインタビューを交互に見せて行く。ケント・ギルバート、杉田水脈、櫻井よしこ等、いろんな意味で話題の人たちも登場する。この種のドキュメンタリーだけでなく、ニュース報道もそうだが、僕は両者を共に疑ってかかる。胡散臭い人物でも、有名キャスターでも、まず疑う。特に最近はテレビ報道を一番疑う!

「真実は別のところにあるのではないか?」

「なぜ、その意見に至ったのか?」「そのことでどんな得をするのか?」「どういう背景の人なのか?」「どういう立場の人なのか?」徹底して疑う。「従軍慰安婦だった女性が可哀想だし!」という感情論で見てはいけない。「世界まるごとHow Much」時代よりケントの顔付きが悪くなったからと、最初から色眼鏡で見てはいけない。


60359057_2683404458400508_1708785470659362816_n.jpg


以前、記事にもしたが、最近は「被害者商法」というのが多い。誰もが哀れに思う被害者こそが実は加害者であったり、実は裏で儲けていたりということがある。正義を掲げているようでも、実はある種の団体の利益のために動いていることもある。そんな視点で見て行くと、この作品は最初の部分。慰安婦否定派の意見の方が理にかなっているように思える。

作品も、そのことをアメリカの大学生たちに問う。「証言に一貫性がない」「証拠書類がない」その事実に「信じるのが難しい」と多くの若者が発言する。実際、僕もある筋から聞いたが、国や軍が関与した証拠のとなる書類は存在しないという。どんなに疑わしくても、物証がないと裁判では勝てない。「どうするのだろう?」と考えながら見る。

僕も「ドキュメンタリー沖縄戦」に取り組んだ

ので「見せ方」というのをかなり考えた。(年内に公開予定)マイケル・ムーア監督は「うまい」が「あざとい」ギリギリのところで成立している。一つ間違えば「電波少年」の松村邦洋と変わらない。と言って作品は裁判ではない。物的証拠がなければ推定無罪ということでもない。作品は否定派論客たち(ケントたち)の、些細な部分を追求する。

「警察が取り締まったという新聞記事が残っている」「アメリカの調査報告書でも否定された」等の発言を調査。拡大解釈をしていたり、実は調書では触れられていなかったり。フェイクであることを立証して行く。「**新聞に」「調査報告書に」「法律に記載されている」と言われると「そうなんだ...」と納得しがちだが、実はそうではないことがある。100%の嘘ではなく、ある種の事実を捻じ曲げたもの、知らないと押し切られてしまう。

そんなトリックを刑事コロンボか、古畑任三郎

のように指摘、追求して行く。つまり、物証はない。訴える女性たちの話は一貫しない。でも、だから作り話ということにはならない。「実際に従軍慰安婦は存在した」にはならないのだが、この作品は次にこんな疑問を投げかける。

「では、なぜ否定派はフェイクを使ってまで否定するのか?」

ここからが凄い。慰安婦問題に終わらず、別の構図が見えてくる。もしかしたら、監督はそのことを描きたくて、作品を作ったのではないか?と思える展開。ある程度のネタばらし(?)はいいだろう。否定派=歴史修正主義者たちの背後にいる団体が「日本会議」であることが解明されて行く。

60340660_2683402071734080_7252312150587211776_n.jpg


そこに連なる人たち。安倍晋三、麻生太郎ら多くの自民党議員。閣僚の約70%は日本会議である。そこに関係するのが映画に登場し、インタビューを受けた否定派の人たちだ。彼ら彼女らが何を目指しているか? それを描き出して行く。よくぞ、そこまで描いた!という超力作ドキュメンタリーだ。日系2世のアメリカ人だからこそ出来た作品でもあるだろう。

詳しいことはぜひ、映画館で確かめてほしい。

従軍慰安婦問題に終わらない、日本の「今そこにある危機」を描き、見つめるのがこの「主戦場」である。日本人必見というのを超えて、アジアの人間必見の作品となっている。超オススメ!

asahi _edited-1.jpg
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

国策に洗脳されていた大人、教師たち =今、その時代が終わる。子供達をどう育てればいいのか? [my opinion]

42748032_2188963914511234_3578087780569317376_n.jpg


国策に洗脳されていた大人、教師たち
=今、その時代が終わる。子供達をどう育てればいいのか?

中学時代は真面目に勉強していた。クラスでも上位だった。高校は進学校だ。99%が大学に進学する。でも、そこで教師を見て、同級生を見て、授業を受けて疑問が出て来た。

「こんな勉強をして将来、役に立つのか?」

英会話のできない英語教師。将来的にも役に立たないであろう因数分解。読むことはないであろう漢文。歴史の流れを無視して年号を暗記するだけの日本史。太平洋戦争前に三学期は終わる。一流大学を出て大手テレビ局に勤める大人に聞いた。そんな授業が大人になり、会社に入り役に立ったか?

「とりあえず今は勉強して、大学に入ったら好きなこと思いっきりするといいよ」

答えになっていない。その大人は僕が「勉強が嫌で遊びたい」と言っていると解釈したのか? それとも「授業で教わったことは役に立たない」と現役の高校生に伝えても「やる気」をなくすだけだから、大学では楽しく過ごせると言いたかったのか?

結局、僕は大学進学はせず(のちにアメリカの大学には行ったが)映画界で仕事をすべく進路を取った。絶対に会社員にはならない。いや、なれない。きっと最後は暴れて上司を殴ってクビになると思える。「十階のモスキート」の内田裕也のようになると感じた。今、考えると、日本の教育方針である「与えられたことを疑わずに確実にこなす」という作業に全く向かなかったのだろう。

すぐに疑問を持つ。必ず疑う。なぜ、そんなことをするのか? なぜ、そんなことをさせるのか? 考えてしまう。教師にも聞いた。

「この勉強が将来何の役に立つのですか?」

と、しかし、教師たちはこう答えた。

「将来のために頭の訓練をしているんだ」

だったら、記憶力のいい10代の内に将来使うことのない数式や文法より、もっと大事なことを覚えた方が良くないか? そういうと教師は必ず怒り出す。

「そんなに嫌なら学校を辞めて、好きなことをしろ!」

勉強の意味を問うと「嫌なら辞めろ」という人が多かった。答えになっていない。戦時中に「戦争に意味があるのか?」と問うと

「お前は非国民だ!」「死ぬのが怖いのか? 身勝手な奴だ」

と言われたという。同じ構図。やはり、国策というのは国民から冷静さや客観性を奪うものなのだ。無意味であることに気づかず突き進む。その国策教育がもう意味をなさなくなって来た。今は与えられてないことが出来る人材が求められている。日本没落が続いている。そろそろ、気づく時期ではないか?



57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画