SSブログ

サラリーマン・ロボット製造教育②=与えられなければ何も出来ない若者たち? [日本の教育]

10614252_716399628434344_4341808076062053210_n.jpg

サラリーマン・ロボット製造教育②
=与えられなければ何も出来ない若者たち?

大手企業社員の友人。何年も前から入社試験の面接担当をしている。彼が言うには、

「マークシート方式が導入されてから大卒のレベルが急激に下がった。言われることしか出来ない若者ばかり。自分で何も考えない!」

と言う。その辺りで「与えられたことを疑わずにを確実にこなす」人材を育てる教育システムが完成したのだろう。(詳しくは「日本人は考える力がない」シリーズ参照)別の会社で面接官をする友人も怒っている。

「最近の若い奴は何がやりたい!ではなく、会社が自分の長所を見つけて伸ばしてほしい。と言う奴が多くてムカつく。会社は啓発セミナーじゃない。自分の能力を発揮する場所だろ!」

それも教育システムの成果だ。自分から何がやりたいか?考えない。与えてやらないと出来ない。友人は怒るが、完成された教育成果を感じる。芸能関係の友人。タレント事務所のマネージャーもいう。

「俳優になりたい。歌手になりたい。タレントになりたい。何も希望がない。何でもいいから有名になりたい。事務所に入れば、手取り足取り、レッスンも全部やってデビューさせて、テレビ局に売り込んでくれると思い込んでいる子が、90%! それでは芸能界は生き残れないのよね」

こちらも成果。もともと、芸能界に進みたいのは個性が強く、はみ出しがちで、融通の効かないような型破りなタイプが多かったのだけど、そんな「はみ出し者」のカテゴリーの若者たちさえ教育が行き届き、自分の考えを持たない。与えられないと何も出来ない。成績がよくない子が目指すのが芸能。「与えられたことを確実にこなす」当然、その子らはその能力が低い。最悪のパターンになっていると言う。

ある意味で犠牲者。訓練すれば伸びる才覚や素質があったかもしれないが、学校教育ではそれを探さないし、伸ばさない。別の言い方をすれば、野球ばかり教えられた。バレーボールなら選手になれる素質があったのに、野球しか認めないというのが日本の教育なのだ。「与えられたことを確実にこなす能力」のみを鍛え、優劣を付け、選別する。

そこから漏れたら落伍者、落ちこぼれ、負け組と呼ばれ、3流、4流の会社に振り分けられる。今もそんな教育が続いている。それで日本がもう一度、経済大国になるならいいが、無理。これから必要なのは与えなくても自分で考え行動する人材だ。

でも、今までの教育ではそんな逸材は育たない。新しい教育を初めても、人材が育つのは20年後30年後だ。日本はそこまで衰退し続けるしかないのだろうか?


57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

サラリーマン・ロボット製造教育①=洗脳が解けない大人たち? [日本の教育]

10338267_799430026797970_1712892917865326678_n.jpg

サラリーマン・ロボット製造教育①
=洗脳が解けない大人たち?

長々と連載してきたが、日本人は「考える力」が育てられていないこと。背景と理由が分かってもらえたと思う。ただ、ここまで克明に説明し検証しても、すでに「考えない教育」が浸透し、血となり肉となった大人たちは

「関係ないんじゃない? 私はちゃんと考えているし、意見も言うし、今でも学生時代にもっと勉強しておけばなあ〜と後悔するくらいだから!」

と言うだろう。同じことを言う元日本軍兵士がいた。

「あれは侵略戦争ではない。日本を守る戦いだった。俺たちは捨て駒ではなかった。今の日本があるのは俺たちが戦ったからだ...」

どちらの自分の人生を振り返った時、それが無意味なものではなかったと思いたい意識が働いてはいないか? 無意味だと認めると自分の存在が否定されるからではないか? 人は過去を肯定したい。「俺は頑張った」と思いたい。

解釈で意味ある人生にすることは自由だ。(自衛権で戦争ができると解釈する国もあるくらいだ)が、どちらも国策に乗せられ利用されたことには変わりない。そんな大人たちはもういい。大事なのは子供達だ。これまでと同じ「サラリーマン・ロボット製造教育」で育ててしまっていいのか? もちろん、僕の時代に比べれば教育内容は変化している。が、大筋では同じ。

「与えられたことを確実にこなす」能力を育てるもの。

だから、僕の時代以上に意見を持たない。考える力が弱い若者が増えている。多分、僕らの頃はまだ教育システムが完成されてなかったのだろう。僕みたいなはみ出し者もいるし、文句の多い連中もいる。僕らより上の世代はもっといる。それこそ全協徒世代。国にも学校にも逆らっていた。逆にあとの世代になると、どんどんおとなしくなる。システムが完成されたのだろう。

そんな教育で育てられた子たちがどうなったか? 次回、紹介する。(つづく)


57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

報道の中立公正なんてあり得ない! 偏った報道こそ意味がある?(改訂版) [my opinion]

10338267_799430026797970_1712892917865326678_n.jpg


報道の中立公正なんてあり得ない! 偏った報道こそ意味がある?(改訂版)

報道するときは客観的に、冷静に、伝えることが大事。偏った見方をしたり、一方的な伝え方をするべきではない。といわれる。が、果たしてそうだろうか? Facebookを読んでいても「客観的報道をしろ」とか「報道で意見はいりません」とか書く人がよくいる。

そもそも、客観的な報道なんて出来るのか? 例えば昔、公害問題を記事にするとき、記者が子供の頃に公害で苦しんでいたら、どーしても批判的な記事を書く。だが、公害問題に悩まされたことがなく、日本のためには経済こそが大事と願う記者であれば「必要悪」と考えるかもしれない。

その時点でもう公正中立ではない。全ての事柄に利害関係や思想を持ち込まず、客観的に見ることなんて出来ない。何より日本という国に住み育つだけで、日本的な価値観を持ってしまう。そんな記者が価値観の違う他国のことを客観的に見れるのだろうか? では、どうすればいいのか?

記者が意見を書くこと。日本の新聞は記者名を明記しないことが多いが、署名で記事を書くこと。自分が見た事件、現実をどう思ったのか?を伝える。自分の視点で伝える。酷いのか? 許せないのか? 悲しいのか? 感動したのか? 笑ったのか? 泣いたのか? 何が問題だと感じたのか? 自分が見たことを自分の考えてと共に伝える。

「そんなことをすると感情的になり事実が歪められ、真実が伝わらない」

という人もいるだろう。だが、今の時代。報道メディアは1社ではない。いくつもある。テレビ、新聞、雑誌、ネット。それを読み比べることで、真実はどこにあるか? 自分で考えることができる。実際、リテラシーのある人はすでに、報道をそういう形で受け取っている。

「A新聞は政府よりだから、政府に都合のいい意見をいうだろう」

「Bテレビは反米だから、アメリカ批判が入っているな」

という理解の仕方をしている。だが、多くの人は今も

「テレビが言っているから正しい。新聞に書いてあるから真実だ」

という捉え方をしてしまう。そして意見をいう報道機関があれば

「偏向報道だ」「公正中立にやれ」

と怒るが、そもそも、中立公正なんてあり得ない。日本人のいうそれは、外面だけを伝えるもの、NHKと同じ。それでは真実は見えて来ない。アメリカのニュースキャスター。多くは自分の意見をいう。が、日本はキャスターシステムを取り入れたのに、意見をいうと

「私見を挟むな!」

と批判する視聴者がいる。意見を言わないのはアナウンサーであり、キャスターは意見をいう存在。「公正中立」をあれこれいう人の多くは、その辺も分かっていないことが多い。

これからの時代。大切なのはそれぞれが意見を持つこと。発言すること。意見が違えば、そこから比較し考えることができる。実際的にありえない中立公正を叫ぶと、それが真実だと思い込み。意見が出て来ない。つまり、客観的報道というのは、視聴者や読者に考える機会を与えない危険性がある。なのに視聴者自身が「公正中立」と叫ぶのは、誰かの思う壷ではないか?(2015年5月28日)



57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

稚内の映画祭で上映される「明日にかける橋 1989年の想い出」予告編 [「朝日」予告編]



「明日にかける橋」予告篇!

6月15日


53050749_2506866409387648_171574876799238144_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本人は考える力がない!(完結編)=教育はいかにして国民に浸透したのか? 受験戦争=太平洋戦争。同じ構図? [日本の教育]

61295978_2705989072808713_8929303318384082944_n.jpg

日本人は考える力がない!(完結編)
=教育はいかにして国民に浸透したのか? 受験戦争=太平洋戦争。同じ構図?

日本人は自分の意見を持たない。言えない。上に対して不満を言えない。上(会社、テレビ、新聞)からの言葉は疑わない。そして「与えられたことを確実にこなす」能力のみがとても優れていること。多くの方が「確かになあ〜」と感じてくれたと思う。

詳しくは=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-05-27-1

それは日本人の特性ではなく、すべて教育によって刷り込まれ、訓練された結果である。子供の頃から野球ばかりをやっていたら、野球しかできない大人になってしまうのと同じだ。しかし、教育はそこまで大きな効果があるのだろうか? 僕が高校の頃。こう感じた。

「こんな勉強をやって何になるんだろう? 英語教師だって英語話せない。因数分解や連立方程式が社会に出て役立つとは思えない。漢文を学ぶことが会社で必要になるのか? もっと意味のある勉強をすべきではないか?」

しかし、同級生はいう。

「そんなことを言ってもムダ。教育が変わるはずがない」

教師はいう。

「お前は勉強が嫌だからそんなことを言ってるんだろ? 嫌なら学校を辞めろ」

どちらも答えにはなっていない。今、思うと同級生たちはすでにシステムにハマってしまい「不満があってもおとなしく従う」という対応をしており、教師は質問に答えていない。「勉強に意味がない」という問いに対して「嫌なら辞めろ」と答えている。大人の対応とは思えない。

43172433_2198164496924509_3540851079832928256_n.jpg

が、その教師も考えれば当時、大学を出て数年の20代くらいと思え、生徒に教える意味、生徒たちの将来、を考えることもなく、与えられた仕事として科目を教えるだけ。システムにはめ込まれた大人だったのだろう。

注目すべきは勉強の意味を問い出す生徒を「勉強が嫌だ」というカテゴリーに押し込めていること。彼らの中で「勉強」=「意味がある」=「やらなければならないこと」という疑いようのない認識が根付いていたのだろう。これは親や大人たちも同じで、

「勉強しない」=「怠け者」

「勉強は無意味だ」=>「言い訳するな」「勉強が嫌なだけだろ?」

「成績が悪い」=「頭が悪い」

「成績がいい」=「立派な人」

とさえ思い込んでいた。そして、当時の大人(いや、今の大人も!)教育の目的が「与えられたことを確実にこなす」逆らわないサラリーマンを育てることであると、ほとんどが気づいていない。

いい成績を取り、よりいい大学に行き、一流企業に入ることこそが人生で大切なこと。その意味や意義を深く考えずに、親たちは受験戦争に我が子を送り込んだのである。

この構図。何かと似ていないだろうか? そう戦時中の日本だ。兵隊になり戦争に行くことこそが大切。その意味や意義を深く考えることなく、親たちは息子を戦争に送り込んだ。同じではないか?

そう、どちらも国策なのだ。つまり、国がその気になり教育に力を入れれば、国民はそれに従い、意味を考えずに、鵜呑みにしてしまう。そして、

「勉強しても無意味だ」=>「落ちこぼれ」

「戦争は無意味」=>「非国民」

批判する者は落伍者としか思われない。国に強制されるまでもなく、国民の1人1人が「受験戦争」=「戦争」に対して前向きに努力して、参加する。

そう考えれば、ほとんどの日本人が無意味な教育(無意味な戦争)を積極的に受け入れ、国の求める方向に進んだことも理解できる。そして戦争時は「勝って日本の領土を広げ、資源を獲得する」ことが目的であり、受験戦争は「優秀なサラリーマンを量産し経済大国になる」という目的で推進された。

しかし、太平洋戦争は負け、バブル崩壊で日本経済は破綻。これまでの方法ではもう立ちいかなくなった。ここでも共通するのは、戦争に勝てないことが確実となった段階でも、国民に対して命を賭けた戦闘を強要。多くの犠牲の上に支配者階級だけは生き残ろうとした。

今の日本も金持ちと支配者階級だけが裕福になる税制を実施して国民を切り捨てにかかっている。大きな力に操られ扇動され、不満も言わず、踏みつけられた日本人。「教育」による洗脳が原因と言える。



57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:映画