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高級寿司や天麩羅が好きでも、頻繁に会食はマイナス?=映画の世界も同じ! [映画監督のお仕事]

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高級寿司や天麩羅が好きでも、頻繁に総理に会うのはマイナス?=映画の世界も同じ!

プロデュサーの仕事の一つはトラブル解決だ。揉め事や事件が起こらないように気を配る。問題が起これば大きな騒ぎにならないように対処する仕事だ。そんなPの1人に風変わりな男がいる。ちゃんと仕事はするが、人を寄せ付けない雰囲気を持っているのだ。聞いてみると、こう言われた。

「僕は結構、気がつく方で事前にトラブルを見抜いて対処してしまうんですよ。若手のスタッフでも、あーこの子は何か悩んでいるなあとか察ししてしまう。昔は、何かあったの? と声をかけたり、相談に乗ったりしていたんです。

けど、その内に大したこともないのに相談に来られたり、それ仕事じゃないだろ?ということまで頼って来られたりして、時間を取られるばかり。それ以降、声をかけ辛い、相談し辛い、態度を取るようにしているんです」

面白い。

僕も昔はお節介で、俳優を目指す若い子たちの面倒を見ていた。熱血青春ものの教師のように、何かあると呼び出して説教していた。意外に嫌われることなく、相談を受けたり、アドバイスしたりしていた。ところが親切にし面倒をみると、Pの状況と同じように、若い連中が親しみを持ち、いつしか兄貴や父親的な存在になってしまう。

何をしても監督は許してくれる。

遅刻しても大丈夫、飯奢ってもらっても平気、勉強のために貸したビデオテープも何ヶ月も見ない。返さない。言われてから返せばオーケー。

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これは彼ら彼女が「人との距離の取り方」を勘違いしているからだ。分かりやすく今風に言うとFacebookだ。「友達申請」をする。「承認される。「友達」になる。でも、それはFacebookの世界内での話。本当の友達ではない。なのに「承認」された途端に本物の友人気分になる。承認早々にこんなコメントが入る。

「このお調子者! 何バカ言ってんだ?!」

お前は誰?って感じ。勘違い甚だしい。それに近い感覚。監督と俳優の卵という関係を勝手に、親子や兄弟、友達に置き換えてしまう。電話しても、メールしても、返事がなかなか来ない。そもそも、仕事関係以外では連絡はしないのだが、

「オーディションあるけど、行ってみる?」

とか知らせても、2日後に「その日、バイトなんすよね」と言ってくる。次のエピソードも別件で書いたが、僕はダチじゃない。同じことは地方で映画を作ってもある。地元の人があれこれ撮影協力をしてくれた。それはありがたいし、感謝している。でも、地元のルールを押し付けらえても困る。

「世話になったんだから、正月に挨拶に来るのが当然だろう?」

と怒られる。僕はその街の住人ではない。そもそも、地元の皆さんは街のために映画を作ったのに、なぜ、僕が地元に感謝することを求める? 低予算なのに評価される、街をアピールする映画ができたんだから、僕が感謝されてもいいんだけど(監督料も水準以下だし)逆に感謝を求めてくる人がいる。本来、映画というのは

「撮ってくれてありがとう[黒ハート]撮らせてくれてありがとう[黒ハート]

という気持ちが大事。地元もプロも一緒に頑張った。それを一方的に感謝を求めてくる人たちもいる。当然、正月に東京からその街まで行く余裕もない。すると

「俺たちは利用された。騙された。酷いやつだ....挨拶もない!」

その辺の話は何度か書いた。先のプロデュサーだ。彼は問題に気づいても、自分から対応しない。問題が起こって誰かが言い出すまで動かない。率先して動くと「Pがやってくれるよね?」と当たり前になってしまうのだという。

その意味でいうと、僕は先の俳優の卵たちにも、街の人たちにも頻繁に接して、親しみを持ってもらえた。そのために監督ではなく「友達」モードになり「ご近所さん」モードになってしまったのだろう。それを逆に利用しているのが今の官邸だ。テレビ局の社長や会長と首相が頻繁に会食する。そのことで「友達」モードにしてしまい、厳しい政権批判がし辛い環境を作っているのだ。

ということは監督業も、いくら応援や感謝の気持ちがあっても、俳優や地元の方々とはあまり仲良くしてはいけないのだ。同じくマスコミのトップもいくら寿司や天麩羅が好きでも、首相と頻繁に飯を食うのは大きなマイナス。ということなのだろう。


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