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国策の恐ろしさ。国民の思想操作なんて簡単?=ほんまかいな! [日本の教育]

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国策の恐ろしさ。国民の思想操作なんて簡単?=ほんまかいな!

高校時代。「勉強して何の意味がある?」と言うと教師にも、同級生にも

「勉強が嫌だから、言い訳をしているんだろ!」

と厳しく言われた。答えになっていない。その上、どんな意味があるか?どれだけ将来、役に立つか?を説明できた大人は1人もいない。そして僕も50年以上生きてきて、高校時代の教育はほとんど役に立っていないことを痛感している。また、友人知人で

「いやいや、勉強しておいてよかったよ」

と言う者も1人知らない。先にも書いたが、同じ構図がある。戦時中に「戦争は意味がない」と言うと

「非国民」「身勝手」「死ぬのが怖いんだろ!」

と答えにならない罵倒を受けたと言う。ただ、面白いのが僕の中学時代だったかに「東大不要論」とか言う本が出て話題になった。なぜ、話題になったか?と言うと、著者が東大を出ていたからだ。

「東大出た人が言うののだから言い訳じゃないし、一理あるかもね?」

と思ったのが背景だろう。もし、これが名も無い三流大学卒なら、

「東大に行けなくて、悔しいから言ってんだ!」

と批判されただろう。これらから見えてくるのは、当時(多分、今も)一流大学に合格することは憧れであり、凄いこと。そして、それは物凄く大事なことなのだ!!と言う強迫観念があるということ。「凄い」「憧れ」と言うだけなら、オリンピック選手だって同じ。努力だけではなれない。憧れであり、凄い!でも、

「オリンピック選手になるのが、全てではない!」

と言っても大きな批判は受けない。同意する人も多いだろう。なのに

「東大が全てじゃない!」

と言うと

「あの人、勉強ができなくて悔しいから言っているのよ...」

と言われる。そのくらいに「勉強して、一流大学に行く」と言うことは日本人が「やらねばならない!」と思い込んでいるのだ。

「大人になったら兵隊さんになって、アメリカ軍をやっつける!」

と子供が真剣に思っていた戦時中と同じ構図だ。ここから分かること。どちらも国策。その恐ろしさ、凄さ。そして、国民とは簡単に誘導されてしまうということ。例えば、改憲問題を国民投票することになった時、Y興行やJ系のタレントがCMに出て、朝から晩まで流され

「わしらも改憲賛成でっせー!」「僕らも改憲。賛成です!」

と呼びかけたらどうだろう? タレントが憲法に詳しい訳ないのが分かるのに「だったら、私も〜」と賛成してしまう人がゴマンと出るだろう。国が総力を上げれば思想操作は簡単。覚えておかねばならない。




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ドキュメンタリー映画「主戦場」超オススメ!=今、そこにある日本の危機を叫ぶ力作! [映画感想]

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ドキュメンタリー映画「主戦場」超オススメ!
=今、そこにある日本の危機を叫ぶ力作!

従軍慰安婦問題。僕は詳しくない。日本軍が関与していたのか? そうではないのか? その責任を韓国は日本政府に突きつけている。ということしか知らない。この映画を見れば勉強になるだろうと考えた。かなり話題になっているようで、東京では初日からしばらく満員御礼。1日7回上映だがチケットが取れないとの噂。「エンドゲームか?」と思えたが、先日映画館に向かった。

聞いていた通り、軍の関与を否定する側と日本の責任を問う側、それぞれの論客のインタビューを交互に見せて行く。ケント・ギルバート、杉田水脈、櫻井よしこ等、いろんな意味で話題の人たちも登場する。この種のドキュメンタリーだけでなく、ニュース報道もそうだが、僕は両者を共に疑ってかかる。胡散臭い人物でも、有名キャスターでも、まず疑う。特に最近はテレビ報道を一番疑う!

「真実は別のところにあるのではないか?」

「なぜ、その意見に至ったのか?」「そのことでどんな得をするのか?」「どういう背景の人なのか?」「どういう立場の人なのか?」徹底して疑う。「従軍慰安婦だった女性が可哀想だし!」という感情論で見てはいけない。「世界まるごとHow Much」時代よりケントの顔付きが悪くなったからと、最初から色眼鏡で見てはいけない。


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以前、記事にもしたが、最近は「被害者商法」というのが多い。誰もが哀れに思う被害者こそが実は加害者であったり、実は裏で儲けていたりということがある。正義を掲げているようでも、実はある種の団体の利益のために動いていることもある。そんな視点で見て行くと、この作品は最初の部分。慰安婦否定派の意見の方が理にかなっているように思える。

作品も、そのことをアメリカの大学生たちに問う。「証言に一貫性がない」「証拠書類がない」その事実に「信じるのが難しい」と多くの若者が発言する。実際、僕もある筋から聞いたが、国や軍が関与した証拠のとなる書類は存在しないという。どんなに疑わしくても、物証がないと裁判では勝てない。「どうするのだろう?」と考えながら見る。

僕も「ドキュメンタリー沖縄戦」に取り組んだ

ので「見せ方」というのをかなり考えた。(年内に公開予定)マイケル・ムーア監督は「うまい」が「あざとい」ギリギリのところで成立している。一つ間違えば「電波少年」の松村邦洋と変わらない。と言って作品は裁判ではない。物的証拠がなければ推定無罪ということでもない。作品は否定派論客たち(ケントたち)の、些細な部分を追求する。

「警察が取り締まったという新聞記事が残っている」「アメリカの調査報告書でも否定された」等の発言を調査。拡大解釈をしていたり、実は調書では触れられていなかったり。フェイクであることを立証して行く。「**新聞に」「調査報告書に」「法律に記載されている」と言われると「そうなんだ...」と納得しがちだが、実はそうではないことがある。100%の嘘ではなく、ある種の事実を捻じ曲げたもの、知らないと押し切られてしまう。

そんなトリックを刑事コロンボか、古畑任三郎

のように指摘、追求して行く。つまり、物証はない。訴える女性たちの話は一貫しない。でも、だから作り話ということにはならない。「実際に従軍慰安婦は存在した」にはならないのだが、この作品は次にこんな疑問を投げかける。

「では、なぜ否定派はフェイクを使ってまで否定するのか?」

ここからが凄い。慰安婦問題に終わらず、別の構図が見えてくる。もしかしたら、監督はそのことを描きたくて、作品を作ったのではないか?と思える展開。ある程度のネタばらし(?)はいいだろう。否定派=歴史修正主義者たちの背後にいる団体が「日本会議」であることが解明されて行く。

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そこに連なる人たち。安倍晋三、麻生太郎ら多くの自民党議員。閣僚の約70%は日本会議である。そこに関係するのが映画に登場し、インタビューを受けた否定派の人たちだ。彼ら彼女らが何を目指しているか? それを描き出して行く。よくぞ、そこまで描いた!という超力作ドキュメンタリーだ。日系2世のアメリカ人だからこそ出来た作品でもあるだろう。

詳しいことはぜひ、映画館で確かめてほしい。

従軍慰安婦問題に終わらない、日本の「今そこにある危機」を描き、見つめるのがこの「主戦場」である。日本人必見というのを超えて、アジアの人間必見の作品となっている。超オススメ!

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国策に洗脳されていた大人、教師たち =今、その時代が終わる。子供達をどう育てればいいのか? [my opinion]

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国策に洗脳されていた大人、教師たち
=今、その時代が終わる。子供達をどう育てればいいのか?

中学時代は真面目に勉強していた。クラスでも上位だった。高校は進学校だ。99%が大学に進学する。でも、そこで教師を見て、同級生を見て、授業を受けて疑問が出て来た。

「こんな勉強をして将来、役に立つのか?」

英会話のできない英語教師。将来的にも役に立たないであろう因数分解。読むことはないであろう漢文。歴史の流れを無視して年号を暗記するだけの日本史。太平洋戦争前に三学期は終わる。一流大学を出て大手テレビ局に勤める大人に聞いた。そんな授業が大人になり、会社に入り役に立ったか?

「とりあえず今は勉強して、大学に入ったら好きなこと思いっきりするといいよ」

答えになっていない。その大人は僕が「勉強が嫌で遊びたい」と言っていると解釈したのか? それとも「授業で教わったことは役に立たない」と現役の高校生に伝えても「やる気」をなくすだけだから、大学では楽しく過ごせると言いたかったのか?

結局、僕は大学進学はせず(のちにアメリカの大学には行ったが)映画界で仕事をすべく進路を取った。絶対に会社員にはならない。いや、なれない。きっと最後は暴れて上司を殴ってクビになると思える。「十階のモスキート」の内田裕也のようになると感じた。今、考えると、日本の教育方針である「与えられたことを疑わずに確実にこなす」という作業に全く向かなかったのだろう。

すぐに疑問を持つ。必ず疑う。なぜ、そんなことをするのか? なぜ、そんなことをさせるのか? 考えてしまう。教師にも聞いた。

「この勉強が将来何の役に立つのですか?」

と、しかし、教師たちはこう答えた。

「将来のために頭の訓練をしているんだ」

だったら、記憶力のいい10代の内に将来使うことのない数式や文法より、もっと大事なことを覚えた方が良くないか? そういうと教師は必ず怒り出す。

「そんなに嫌なら学校を辞めて、好きなことをしろ!」

勉強の意味を問うと「嫌なら辞めろ」という人が多かった。答えになっていない。戦時中に「戦争に意味があるのか?」と問うと

「お前は非国民だ!」「死ぬのが怖いのか? 身勝手な奴だ」

と言われたという。同じ構図。やはり、国策というのは国民から冷静さや客観性を奪うものなのだ。無意味であることに気づかず突き進む。その国策教育がもう意味をなさなくなって来た。今は与えられてないことが出来る人材が求められている。日本没落が続いている。そろそろ、気づく時期ではないか?



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トランプ来日を考える。日本をどうしたいと思っているの? [トランプ問題]

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トランプ来日を考える。日本をどうしたいと思っているの?

実に興味深い大統領だ。あれだけ評判が悪いということは何かあるということ。さらに日本でも「嫌い」という人が多い。理由を聞くと、ほとんどが当て外れな答えばかり。「差別主義者」「戦争屋」両方ともハズレ。小沢一郎もそうだが、多くに嫌われていて、でも、その理由をほとんど誰も言えないはイメージ操作が行われている場合が多い。

もし、戦争屋の手先なら北朝鮮と開戦すればよかったのだ。それにしないのはやはりアメリカ・ファーストに専念するためにアジアの火種を解決したかったのだろう。世界の警察を辞めるためにも。

アメリカ国内でも戦争屋と呼ばれる勢力と対立し、その抑え込みにかかっている。その勢力がトランプに反撃するためにマスコミを使ってイメージダウンを遂行していると言われるが、それだと先の件も理解できる。日本では政府がマスコミを使って頑張っていることをアピールするが、アメリカは敵対勢力が大統領のイメージダウンのためにマスコミを利用している。

そしてトランプはルックスが良くない。悪徳企業の社長のようだ。オバマの方がはるかに印象がいい。が、他国への空爆はオバマの方が遥かに多い。イメージで騙されてはいけない。また、テレビやネットで聞きかじるだけでなく、その道に詳しい人に聞いても、トランプはこれまでの大統領とは違う。アメリカを大きな方向転換させようと大掃除をしているという。

「戦争屋の一掃」

それが目的だと言われるが、まだ確信は持てない。そんなトランプなら、アジアで2番目に危険。いや、今や1番危険なのはあの国の首相であること、把握しているはず。戦争できる国にしてしまったあの人を見逃すはずはない。早くクビにしてくれるといいのだが、行動に移さない。その辺を考えてみた。

トランプが金正恩と会ったとき、他国のトップと会ったときと、先日あの首相と会った時の態度はかなり違う。日本人をバカにしているから? いや、そのあとに皇室の人たちと会った時は礼儀正しい振る舞いに見えた。ということは、あの人を嫌っている。バカにしているはず。彼の素振りや言葉からそれを強く感じる。

あれだけ歓待しても日本側の要求は呑まない。無理難題ばかり押し付けてくる。だったら、クビにすればいい。歴代の総理でも暴走すればアメリカから首を切られている。なのになぜ? 一つには何を言っても

「完全に一致しています」

と、いうこと何でも聞く存在であること。膨大な額を貢いでくれること。そして、戦争を始める危険性はあるが、アメリカが簡単に止められること。もし、クビにして次にしっかり者が総理になったら(そんな人いないけど)マズイ。害はないので、絞れ取れるだけ取ろうという思惑ではないか? 

そして、トランプはアメリカを立て直したいだけで、日本なんてどちらでもいいはず。でも、完全に崩壊することを望んでもいないだろう。これからも現金引き出し機として利用したい。それなら、今のままでは日本は崩壊への道を突き進む。

そうなればポイ!なのか? 

しかし、孫正義が莫大な予算でアメリカに貢献するプランもある。日本は利用価値あり。。。のはず。ということは当面、あの人を使うだけ使い、使い捨てという魂胆? まあ、それなら早く使い捨てにしてほしいのだが、まだ分からないことが多い。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190528/k10011931901000.html


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僕が最近、ブログ記事を毎日、たくさん書く理由? [2019]

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僕が最近、ブログ記事を毎日、たくさん書く理由?

「監督、ヒマなのかなあ?」「寂しいんじゃないの?」

と思われると残念。趣味でFacebookやTwitterをやっている訳ではない。基本は宣伝だ。今月15日は北海道・稚内の映画祭で「明日にかける橋」が招待上映されるし「ドキュメンタリー沖縄戦」の上映も控えている。映画や社会に対する記事を書き

「この監督の映画。観てみたいなあ〜」

と思ってもらうアピールをすることはとても大事。映画公開の直前にCMでバンバン宣伝できる予算があればいいが、それができるのは大手企業だけ。それならマイナーリーグは日頃からタダでできるアピールをすべきである。なのに、映画人の多くはそれをしないので理解できない。

「それって監督の仕事じゃないから!」

という人がいるが、大した宣伝費もないのに気分だけ映画黄金期では通用しない。監督こそが先頭に立ち宣伝せねば、今のように情報が飛び交う時代に映画を伝えることはできない。

宣伝ばかりではない。この3年間、休みなし。

祝日も、クリスマスも、大晦日〜正月も仕事をしていた。Xマス・ケーキも、おせち料理もなし。そして時間さえあれば映画の資料を読み込み、完成すれば宣伝で自分の時間もなかった。

「あの本を読みたいなあ」

と思っても、作品関連の本を読むのが先。それどころか、常に作品のことを考えているので、それ以外のことを考える余裕すらなかった。

という訳で過労でダウンして、リハビリしている今こそ、体力が保つ範囲内で読みたかった本を読み、DVDを見て、amazonプライムを観ている。そして、Facebookとブログ。あれこれ自分の思いを書くことで考えが整理される。ここしばらく自分がどんな年月を送って来て、何を得て、何を失ったか? 映画作りは単なる生産ではない。そこでいろんなことを学び、発見する。

時間がある今は一度立ち止まり考える。

振り返って間違いがなかったか?考える。以前からの疑問は解決されたか?自問自答する。そして、これからは何を主張し、掲げるのか?考える。自分は何をすべきなのか?考える。忙しい日々の中でそれを考えることはできない。そのために感じていることを記事にする。それによって自分の思いが明確になる。

感じることだけではなく、沖縄のこと。映画のこと。俳優のこと。音楽のこと。「友達」や「読書」が興味を持ってくれることも書く。そこから気づかなかったことに気づくこともある。人は思いを話たり、書いたりすることで、自身の気づかなかったことに気づく。だから、大切な時期だと思える。興味ある記事があればぜひ、読んで頂きたい。


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サラリーマン・ロボット製造教育②=与えられなければ何も出来ない若者たち? [日本の教育]

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サラリーマン・ロボット製造教育②
=与えられなければ何も出来ない若者たち?

大手企業社員の友人。何年も前から入社試験の面接担当をしている。彼が言うには、

「マークシート方式が導入されてから大卒のレベルが急激に下がった。言われることしか出来ない若者ばかり。自分で何も考えない!」

と言う。その辺りで「与えられたことを疑わずにを確実にこなす」人材を育てる教育システムが完成したのだろう。(詳しくは「日本人は考える力がない」シリーズ参照)別の会社で面接官をする友人も怒っている。

「最近の若い奴は何がやりたい!ではなく、会社が自分の長所を見つけて伸ばしてほしい。と言う奴が多くてムカつく。会社は啓発セミナーじゃない。自分の能力を発揮する場所だろ!」

それも教育システムの成果だ。自分から何がやりたいか?考えない。与えてやらないと出来ない。友人は怒るが、完成された教育成果を感じる。芸能関係の友人。タレント事務所のマネージャーもいう。

「俳優になりたい。歌手になりたい。タレントになりたい。何も希望がない。何でもいいから有名になりたい。事務所に入れば、手取り足取り、レッスンも全部やってデビューさせて、テレビ局に売り込んでくれると思い込んでいる子が、90%! それでは芸能界は生き残れないのよね」

こちらも成果。もともと、芸能界に進みたいのは個性が強く、はみ出しがちで、融通の効かないような型破りなタイプが多かったのだけど、そんな「はみ出し者」のカテゴリーの若者たちさえ教育が行き届き、自分の考えを持たない。与えられないと何も出来ない。成績がよくない子が目指すのが芸能。「与えられたことを確実にこなす」当然、その子らはその能力が低い。最悪のパターンになっていると言う。

ある意味で犠牲者。訓練すれば伸びる才覚や素質があったかもしれないが、学校教育ではそれを探さないし、伸ばさない。別の言い方をすれば、野球ばかり教えられた。バレーボールなら選手になれる素質があったのに、野球しか認めないというのが日本の教育なのだ。「与えられたことを確実にこなす能力」のみを鍛え、優劣を付け、選別する。

そこから漏れたら落伍者、落ちこぼれ、負け組と呼ばれ、3流、4流の会社に振り分けられる。今もそんな教育が続いている。それで日本がもう一度、経済大国になるならいいが、無理。これから必要なのは与えなくても自分で考え行動する人材だ。

でも、今までの教育ではそんな逸材は育たない。新しい教育を初めても、人材が育つのは20年後30年後だ。日本はそこまで衰退し続けるしかないのだろうか?


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サラリーマン・ロボット製造教育①=洗脳が解けない大人たち? [日本の教育]

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サラリーマン・ロボット製造教育①
=洗脳が解けない大人たち?

長々と連載してきたが、日本人は「考える力」が育てられていないこと。背景と理由が分かってもらえたと思う。ただ、ここまで克明に説明し検証しても、すでに「考えない教育」が浸透し、血となり肉となった大人たちは

「関係ないんじゃない? 私はちゃんと考えているし、意見も言うし、今でも学生時代にもっと勉強しておけばなあ〜と後悔するくらいだから!」

と言うだろう。同じことを言う元日本軍兵士がいた。

「あれは侵略戦争ではない。日本を守る戦いだった。俺たちは捨て駒ではなかった。今の日本があるのは俺たちが戦ったからだ...」

どちらの自分の人生を振り返った時、それが無意味なものではなかったと思いたい意識が働いてはいないか? 無意味だと認めると自分の存在が否定されるからではないか? 人は過去を肯定したい。「俺は頑張った」と思いたい。

解釈で意味ある人生にすることは自由だ。(自衛権で戦争ができると解釈する国もあるくらいだ)が、どちらも国策に乗せられ利用されたことには変わりない。そんな大人たちはもういい。大事なのは子供達だ。これまでと同じ「サラリーマン・ロボット製造教育」で育ててしまっていいのか? もちろん、僕の時代に比べれば教育内容は変化している。が、大筋では同じ。

「与えられたことを確実にこなす」能力を育てるもの。

だから、僕の時代以上に意見を持たない。考える力が弱い若者が増えている。多分、僕らの頃はまだ教育システムが完成されてなかったのだろう。僕みたいなはみ出し者もいるし、文句の多い連中もいる。僕らより上の世代はもっといる。それこそ全協徒世代。国にも学校にも逆らっていた。逆にあとの世代になると、どんどんおとなしくなる。システムが完成されたのだろう。

そんな教育で育てられた子たちがどうなったか? 次回、紹介する。(つづく)


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報道の中立公正なんてあり得ない! 偏った報道こそ意味がある?(改訂版) [my opinion]

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報道の中立公正なんてあり得ない! 偏った報道こそ意味がある?(改訂版)

報道するときは客観的に、冷静に、伝えることが大事。偏った見方をしたり、一方的な伝え方をするべきではない。といわれる。が、果たしてそうだろうか? Facebookを読んでいても「客観的報道をしろ」とか「報道で意見はいりません」とか書く人がよくいる。

そもそも、客観的な報道なんて出来るのか? 例えば昔、公害問題を記事にするとき、記者が子供の頃に公害で苦しんでいたら、どーしても批判的な記事を書く。だが、公害問題に悩まされたことがなく、日本のためには経済こそが大事と願う記者であれば「必要悪」と考えるかもしれない。

その時点でもう公正中立ではない。全ての事柄に利害関係や思想を持ち込まず、客観的に見ることなんて出来ない。何より日本という国に住み育つだけで、日本的な価値観を持ってしまう。そんな記者が価値観の違う他国のことを客観的に見れるのだろうか? では、どうすればいいのか?

記者が意見を書くこと。日本の新聞は記者名を明記しないことが多いが、署名で記事を書くこと。自分が見た事件、現実をどう思ったのか?を伝える。自分の視点で伝える。酷いのか? 許せないのか? 悲しいのか? 感動したのか? 笑ったのか? 泣いたのか? 何が問題だと感じたのか? 自分が見たことを自分の考えてと共に伝える。

「そんなことをすると感情的になり事実が歪められ、真実が伝わらない」

という人もいるだろう。だが、今の時代。報道メディアは1社ではない。いくつもある。テレビ、新聞、雑誌、ネット。それを読み比べることで、真実はどこにあるか? 自分で考えることができる。実際、リテラシーのある人はすでに、報道をそういう形で受け取っている。

「A新聞は政府よりだから、政府に都合のいい意見をいうだろう」

「Bテレビは反米だから、アメリカ批判が入っているな」

という理解の仕方をしている。だが、多くの人は今も

「テレビが言っているから正しい。新聞に書いてあるから真実だ」

という捉え方をしてしまう。そして意見をいう報道機関があれば

「偏向報道だ」「公正中立にやれ」

と怒るが、そもそも、中立公正なんてあり得ない。日本人のいうそれは、外面だけを伝えるもの、NHKと同じ。それでは真実は見えて来ない。アメリカのニュースキャスター。多くは自分の意見をいう。が、日本はキャスターシステムを取り入れたのに、意見をいうと

「私見を挟むな!」

と批判する視聴者がいる。意見を言わないのはアナウンサーであり、キャスターは意見をいう存在。「公正中立」をあれこれいう人の多くは、その辺も分かっていないことが多い。

これからの時代。大切なのはそれぞれが意見を持つこと。発言すること。意見が違えば、そこから比較し考えることができる。実際的にありえない中立公正を叫ぶと、それが真実だと思い込み。意見が出て来ない。つまり、客観的報道というのは、視聴者や読者に考える機会を与えない危険性がある。なのに視聴者自身が「公正中立」と叫ぶのは、誰かの思う壷ではないか?(2015年5月28日)



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稚内の映画祭で上映される「明日にかける橋 1989年の想い出」予告編 [「朝日」予告編]



「明日にかける橋」予告篇!

6月15日


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日本人は考える力がない!(完結編)=教育はいかにして国民に浸透したのか? 受験戦争=太平洋戦争。同じ構図? [日本の教育]

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日本人は考える力がない!(完結編)
=教育はいかにして国民に浸透したのか? 受験戦争=太平洋戦争。同じ構図?

日本人は自分の意見を持たない。言えない。上に対して不満を言えない。上(会社、テレビ、新聞)からの言葉は疑わない。そして「与えられたことを確実にこなす」能力のみがとても優れていること。多くの方が「確かになあ〜」と感じてくれたと思う。

詳しくは=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-05-27-1

それは日本人の特性ではなく、すべて教育によって刷り込まれ、訓練された結果である。子供の頃から野球ばかりをやっていたら、野球しかできない大人になってしまうのと同じだ。しかし、教育はそこまで大きな効果があるのだろうか? 僕が高校の頃。こう感じた。

「こんな勉強をやって何になるんだろう? 英語教師だって英語話せない。因数分解や連立方程式が社会に出て役立つとは思えない。漢文を学ぶことが会社で必要になるのか? もっと意味のある勉強をすべきではないか?」

しかし、同級生はいう。

「そんなことを言ってもムダ。教育が変わるはずがない」

教師はいう。

「お前は勉強が嫌だからそんなことを言ってるんだろ? 嫌なら学校を辞めろ」

どちらも答えにはなっていない。今、思うと同級生たちはすでにシステムにハマってしまい「不満があってもおとなしく従う」という対応をしており、教師は質問に答えていない。「勉強に意味がない」という問いに対して「嫌なら辞めろ」と答えている。大人の対応とは思えない。

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が、その教師も考えれば当時、大学を出て数年の20代くらいと思え、生徒に教える意味、生徒たちの将来、を考えることもなく、与えられた仕事として科目を教えるだけ。システムにはめ込まれた大人だったのだろう。

注目すべきは勉強の意味を問い出す生徒を「勉強が嫌だ」というカテゴリーに押し込めていること。彼らの中で「勉強」=「意味がある」=「やらなければならないこと」という疑いようのない認識が根付いていたのだろう。これは親や大人たちも同じで、

「勉強しない」=「怠け者」

「勉強は無意味だ」=>「言い訳するな」「勉強が嫌なだけだろ?」

「成績が悪い」=「頭が悪い」

「成績がいい」=「立派な人」

とさえ思い込んでいた。そして、当時の大人(いや、今の大人も!)教育の目的が「与えられたことを確実にこなす」逆らわないサラリーマンを育てることであると、ほとんどが気づいていない。

いい成績を取り、よりいい大学に行き、一流企業に入ることこそが人生で大切なこと。その意味や意義を深く考えずに、親たちは受験戦争に我が子を送り込んだのである。

この構図。何かと似ていないだろうか? そう戦時中の日本だ。兵隊になり戦争に行くことこそが大切。その意味や意義を深く考えることなく、親たちは息子を戦争に送り込んだ。同じではないか?

そう、どちらも国策なのだ。つまり、国がその気になり教育に力を入れれば、国民はそれに従い、意味を考えずに、鵜呑みにしてしまう。そして、

「勉強しても無意味だ」=>「落ちこぼれ」

「戦争は無意味」=>「非国民」

批判する者は落伍者としか思われない。国に強制されるまでもなく、国民の1人1人が「受験戦争」=「戦争」に対して前向きに努力して、参加する。

そう考えれば、ほとんどの日本人が無意味な教育(無意味な戦争)を積極的に受け入れ、国の求める方向に進んだことも理解できる。そして戦争時は「勝って日本の領土を広げ、資源を獲得する」ことが目的であり、受験戦争は「優秀なサラリーマンを量産し経済大国になる」という目的で推進された。

しかし、太平洋戦争は負け、バブル崩壊で日本経済は破綻。これまでの方法ではもう立ちいかなくなった。ここでも共通するのは、戦争に勝てないことが確実となった段階でも、国民に対して命を賭けた戦闘を強要。多くの犠牲の上に支配者階級だけは生き残ろうとした。

今の日本も金持ちと支配者階級だけが裕福になる税制を実施して国民を切り捨てにかかっている。大きな力に操られ扇動され、不満も言わず、踏みつけられた日本人。「教育」による洗脳が原因と言える。



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