SSブログ

JAL123便墜落事件の謎?ー「Nスペ」の納得できない結論 [123便事件]

catch51-1024x683.jpg

JAL123便墜落事件の謎?ーある報道番組。納得できない結論

体調悪いので、amazonプライムやNetflixを見ているが、ドラマや映画はやなり集中力が必要。どうしても仕事モードになるので、録り貯めたテレビの録画を見る。

「日航123便墜落事故」のNHKスペシャルを見た。事故から30年。NHKが総力を挙げて取材。初めて分かった事実というオープニング。さすが国営放送(?)だ!と思ったが、結果、機体の発見が事故後16時間かかったという理由は...

①「目撃情報が上に上がらなかった」

②「自衛隊ヘリのパイロットの勘違い」

③「警察上層部の思い込み」

この3点だと結論つける。それを当時の資料、関係者の証言で見せていくのでリアリティと重みはあるのだが、文章にしてみると上の3つ。そんなことで16時間も無駄にして、事故直後なら助かった人が助からなかったという理由なのか?

あまりにも初歩的なミスであり、そんなことで事故機発見が遅れたのか? 警察や自衛隊はそんなに愚かな組織なのか?と感じる。もちろん、当時はGPSもなく、大きな組織でも驚くようなヘマを犯すことはある。三億円犯人が捕まらなかったのも警視庁と神奈川県警の確執が原因と言われる。しかし、上の3つはおかしい。

①「目撃情報が上に上がらなかった」この目撃者には番組がインタビュー。明快に事故現場を指摘している。警察に電話したが、その情報が上にあげられなかったというが、その理由は番組で検証されていない。

③「警察上層部の思い込み」これは事故現場と言われる山を捜索しても期待が見つからないと現場から報告しても、上層部が「そんなはずはない」と捜索を続行させたというもの。現場の報告に対してそんな風に対応するのだろうか?

②「自衛隊ヘリのパイロットの勘違い」これはそのパイロットにインタビューしている。事故現場上空の自衛隊ヘリから、近所の山にいるパトカーの赤いサイレンの方向を確認。それによって事故現場を三角法で割り出すというもの。

それをパイロットは別の山にいるパトカーの光をそれだと確認。間違った場所を導き出したというもの。そのパイロットの証言もおかしい。「別の山にパトカーがたくさんいて、確認のしようがなかった」という。後悔や罪の意識の発言はない。そして彼は何の処分もされていない。

大きな事故なので、日頃の訓練では対応できず、詰まらぬミスをすることもあり得る。だが、上記のミスは少し変だ。①はなぜ、正確な墜落位置が連絡されているのに、それが上に報告されていないか? 番組でも追求していない。②の上層部が取り上げないというのも「上はそう思い込みから抜けられなかった」というだけの説明。

もし、意図的に発見を遅らせたいということがあったとしたら、この2つは上層部が時間稼ぎのために握りつぶしたという解釈もできてしまう。また、番組は「オレンジ色の物体が123便を追っていた」という証言を一切取り上げていない。アメリカ軍に協力要請をしなかったことを取り上げてはいるが、理由は明かさない。機長の残した謎の言葉にも触れない。それらはいろんなメディアがすでに取り上げているが、その番組では紹介しない。

実際、123便墜落にはいろんな説がある。撃墜され、乗せていた重要な物資が回収され、墜落後に生き残った乗客が殺されたという指摘が多くある。が、NHKスペシャルはそれに触れず、否定もしない。ドキュメンタリー作品を作ったばかりなので、特に気になるが、この局の番組は嘘八百ではないが、巧妙に真実を避けて、上辺だけを描くことが多いように思える。

現実感。重厚さがあるので、それが事実と思いがちだが、今回のような検証をすると、追求の甘い構成になっている。問題がありそうなところは深く描かず、それなりの結論にうまく誘導している感が強い。それがこの局の体質なのかもしれない。123便に関しては元日航職員が事件を詳細に調べた本がある。先日からそちらを読み始めているので、また紹介する。

続き=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-04-19-1

asahi _edited-1.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

明日にかける橋ーある映画祭で招待作品に!この夏、上映。 [2019]

DkeMfMKUwAA-edD.jpg

明日にかける橋ーある映画祭で招待作品に!この夏、上映。

映画祭上映というのは通常、映画館公開前だが、ある種のイベントとして話題の映画を上映するという形もある。そんなある映画祭から僕が監督した映画「明日にかける橋」の上映依頼があった。僕とある俳優さんも2人ゲストで来て欲しいという話もある。

これは嬉しい! その町の近辺では「明日」の映画館公開がなかったので、その地区の皆様には初お披露目でもある。テレビドラマは1度放送したら終わりだが、映画はこのようにあとあとまで、いろんな形で見てもらえるので、ありがたい。

映画を観てもらえると同時にロケ地である静岡県の袋井、磐田、森という素敵な町を映画祭が行われる町の方々に知ってもらえる機会でもある。映画を作った市民の皆さんの思い、まだまだ広がっている。映画祭は夏とのこと。場所や日時は情報解禁になったらお伝えする。


 dvd   pakeage.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

(今夜放送の作品ー劇場公開時の感想)宮崎駿監督はなぜ「風立ちぬ」を引退作に選んだのかー原子力ムラとの決別? [【再掲載】]

1234333_506970069377302_1905460680_n.jpg

今までのようなファンタジーではなかった「風立ちぬ」

なぜ、そんな作品を宮崎監督は引退作にしたのか? だいぶん前にそれを書こうとしたが、なかなかチャンスがなかった。編集も落ち着いたので、それを書いてみる。これはあくまでも僕の推理であり、ご本人に訊いた訳ではないので、そのつもりで読んで頂きたい。

まず、なぜ、今回はファンタジーではなく。戦中に飛行機を作る現実的な物語を選んだのか? 宮崎監督はいう「この時代。ファンタジーはもう通用しない」それは凄く納得する意見だった。

13059_727634873977486_1376154400755328155_n.jpg


つまり、平和な時代でこそ、

荒唐無稽なファンタジーの世界でドキドキして、夢想することができるが、今の時代。特に311以降は現実がファンタジーを超える困難が続出している。悪夢のような時代。その中でファンタジーを観ることは無意味であるというのだろう。

ファンタジーは現実逃避のジャンル。2時間の間。その世界に浸り、現実の嫌なことを忘れる。映画が終わると平和な現実に戻り。また平凡な生活を送る。だが、映画以上の悪夢が現実の中で続いている。そんな時代に映画館で現実逃避をしていてどうする? 今こそ、厳しい現実を見つめ。どう生きるか?を考えなければならない、映画はその助けとなるべき存在ではないか? 僕は宮崎監督の台詞をそう解釈した。

今は現実を見つめる時代。

劇中では関東大震災から太平洋戦争までが描かれる、まさに今の日本ではないか? 東日本大震災があり、今また戦争に向かって秘密保護法や集団的自衛権を持ち出し「戦争の出来る国」になろうとしている。

そこで「風立ちぬ」とはどういう物語か? 思いだそう。簡単にいうと、飛行機が大好きな設計士の主人公が、大嫌いな戦争が勃発したことで、夢が叶い飛行機が作れるようになる。という物語だ。もう、分かったと思う。物語背景が現実を反映しているように、主人公にも反映がある。

IMG_3947.jpg


映画というのは基本、主人公は監督の分身である。監督の思いが主人公を通して観客に伝えられる。その意味でこれまでの宮崎作品は女の子が主人公だったが、「風立ちぬ」では男性なので、宮崎監督自身がダイレクトに投影されていると思える。そうすると、答えが見えてくる。

宮崎監督の発言を思い出そう。

「原発でない電気で映画を作りたい」

と発言したのを始め、彼は反原発を訴えていることで有名だ。そんな彼と「風立ちぬ」の主人公は大きな共通点がある。主人公は飛行機が好きだが、戦争は嫌い。けれど、その戦争のおかげで飛行機が作れる。宮崎監督はアニメーションは大好き。でも、原発は嫌い。けれど、、、、、、、、、そう、スポンサーの多くは原発推進企業なのだ。

あのテレビ局も、あの広告代理店も、皆、推進派。そんな企業からお金を出してもらい、自然の大切さ、子供たちへの思いを語り続けて来た宮崎監督は、まさに「風立ちぬ」の主人公そのもの。この作品を引退作に選んだのも。その思いを描くためではないか? そして引退宣言も。体力的なことより。そんな企業から金を出してもらって映画を作ること自体を止めたかったのではないか? 本当はこういいたかったのではないか? 

「原発推進企業でない会社のお金で映画を作りたい」

だから、映画を見ている間中。宮崎監督の思いを感じ、涙が何度も溢れた。人殺しのための戦争のお陰で飛行機を作れる主人公。原発推進企業のお陰で映画を作れる宮崎監督。本人にとって、こんな苦しいことはないだろう。

だからこそ、終わらせよう。

最後にその思いを伝えよう。それが「風立ちぬ」という作品だったのではないか?






asahi _edited-1.jpg
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「思い込み」の強さは表現者に必要。だが、同時に「思い込み」で人生を失うこともある。 [映画業界物語]

56608929_2590744574333164_7750076449054261248_n.jpg

「思い込み」の強さは表現者に必要。だが、同時に「思い込み」で人生を失うこともある。

上から目線で偉そうに言う人は「思慮深くない。単純発想。いろんな角度から考えない。テレビ報道を鵜呑みにするタイプが多いと先に書いた。が、プラスして「思い込み」が強いタイプでもある。思い込みは芸術活動。クリエーターには武器になると以前に書いた。俳優なら

「自分は殺人犯だ」「恋人は目の前にいる女優だ!」

と思い込むことで、役になり切れる。が、それは諸刃の剣。役の上ではなく、以前の記事で書いた新人俳優のようにテレビディレクターにちょっと褒められただけで、

「俺は認められた! 未来は明るい!」

と思い込み、有名俳優でも言わないような横暴な発言をするようになることがある。その構図と、上から目線が非常に近いものに思える。どちらも、大したことのないことを拡大解釈して、身の丈に合わない言動や態度を取ってしまう。そんな「思い込み」の強さは俳優を始めてとする表現者には大切だが、一つ間違うと命取りにもなる。

俳優だけではない。例えば、あなたが若い頃。飛行機に乗り、もし、墜落しても「私だけは助かる!」と言う根拠のない自信を持ってはいなかったか? 中学時代に「真剣に勉強すれば東大にだって行ける!」と考えてはいなかったか? それも「思い込み」の一種だ。

「この女の子は僕のことが好きなんだ....」

そう思ってアタックしたら、全然その気が無かったとか? そんな経験は誰しもあるだろう。その構図を解説するならこうだ。人が物事を認知し考える行程。

①その子は僕に親切だ。
②よく話しかけられる。
③僕を好きなのかもしれない。
④可愛い子だ。彼女にしても恥ずかしくない。
⑤彼女は僕が好き。でも、女から言い出せない。
⑥よし、僕から「付き合って!」と言おう!
⑦「勘違いしないで!そんな気ない」ビシ!と振られる。

本来なら、①②の段階で考えるべきだ。その子は男子とも平気で話をするタイプかもしれない。趣味が共通するだけかもしれない。それなら、いつもどんな話題になるか?を考えてみる。趣味か?勉強か?テレビの話か?

勉強のことなら、自分の成績がいいから分からないことを教えて欲しいだけかもしれない。趣味の話だとしても、女の子でその手の話ができる相手がいないとか、新しい情報が欲しいかもしれない。

それを「よく話しかけられる」=>「僕が好き?」と解釈するのが「思い込み」だ。根拠なく、勝手な憶測や想像で都合のいい結論を導いてしまう。もちろん、だからこそ、俳優は自分が政治家ではないのに「政治家だ!」と思い込み役を演じることができる。でも、それを日常生活でしてしまうと問題が生じてくる。

その想像力が常識を超えてしまうのが、精神病。例えば統合失調症の患者には「俺は神だ!」と言い出すことことがある。そのメカニズムを説明すると、ある時、街で車を走らせていると、目の前の車。ナンバープレートが「06ー30」だった。

「6月30日? 僕の誕生日だ....」

普通なら「偶然だなあ」で終わる。が、統合失調症は一言で言うと情報処理能力の欠如。狂うと言うことではない。情報処理ができない。と言って知能が下がると言うことではない。日常生活は送れる。でも、ナンバープレートを見る。

「なぜ、俺の誕生日なんだ? もしかしたら、これはお告げかも?」

そんな風に勝手な想像をしてしまう。さらに、

「神様からのメッセージ。何で、俺に? 平凡な会社員なのに?」

「そうだ。今は会社員だが、本当は特別な存在なのかもしれない!」

「だから、神様がメッセージしてきた。いや、俺自身が神かもしれない....」

そうやって「私は神だ」と主張するようになる。そう聞くと「バカじゃないの?」と思うだろう。では、若い頃に飛行機事故でも死なない。頑張って勉強したら東大でも行けると思ったのはどうだろう? 何の根拠もない。どちらも似た構図だ。経験値のないことを想像(あるいは妄想)で補足して結論つけているのだ。

それが「思い込み」のある意味で正体なのだ。以前紹介した新人俳優も同じ。撮影でディレクターに褒められた。

「俺は才能あるんだ!」

と思い込んだのも同じ。彼は病気ではないだろう。でも、俳優は「思い込み」の力が強い。そのディレクターがお世辞で褒めたかもしれず。「素人にしてはうまい」と思ったかもしれない。そして別の仕事を頼まれたわけでもないのに

「俺は認められた!」

とあちこちで触れ回り、身の丈を超えた発言を始める。これも「褒められた」=>「認められた」の間を勝手な想像と妄想で埋めて結論を導き出しただけ。俳優でなくても、歌手志望、画家志望、作家志望、映画監督志望の人たちに時々いるのだが、

「私には才能がある。プロになれば成功するはず!」

と言う何の根拠もない自信。だが、それも先と同じで、妄想と想像で繋げただけの結論。「見る人が見れば認められる」とか「チャンスがあればブレイクできる」と思い込み、肝心な表現力をつける事をしない。努力して技術を磨くことをしない。

「だって、私は才能ある。ないのはチャンスだけ...」

しかし、その多くは勘違い。思い込み。その種の病気でなければ、1年、2年、3年やって目が出ないことで、現実に気づくはずだ。何が間違っているのか? 第1線で活躍する人に会えばすぐに分かる。彼ら彼女らは物凄い努力をしている。

「俺は才能あるからね〜」

と思っているアーティストなどいない。だが、それを知る機会は少なく、若者はマスコミが紹介するカッコイイ部分だけに憧れて、何の努力もせずに、あるいは出会いだけを求めて努力をしない。そして数年後に現実に気づく。

知り合いの女優の卵でも表現力を磨くより、監督やPの集まる飲み会にばかり顔を出して売り込む子がいるが、もう40代のはず。はっきり言って実力はない。全然、努力していないから。なのに

「チャンスさえあれば、私もブレイクする....」

と思い込んでいるようだ。その意味で「思い込み」は恐ろしい。表現者に必要な資質だが、同時にそれはその人を滅ぼすことになる。大事なのは現実を知ること。どんな努力をするべきか?考えることだ。



asahi _edited-1.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「令和」は総理VS皇室の戦い。その裏舞台を推理した! [社会政治]

C2MkbJTUAAAJsPN.jpg


「令和」は官邸VS皇室の戦いだった。その舞台裏を推理した!

「令和」決定について、いろいろな推測が流れているが、先日、アップした記事のものが一番正解だと思えている。僕の推理もそれに近いものだったので納得。大きく分けると推理は「皇室側の意思が反映されたか?」「総理の思いが通ったか?」という2つになる。

総理の考えだという人は=>命「令」する「和」(団結)することをーと解釈した。「一億、火の玉となれ」と国民に命じている。いかにもあの人が命名した元号だというのだ。だが、発表のかなり前から「安倍」の「安」の文字が入るという情報が流れた。もし、総理指導であれば、なぜ「安」を入れなかったのか?

それと元号を「命令、団結」することにどんなプラスがあるのか? すでに政府は「一億総活躍」とかキャッチフレーズを打ち出しているし、集団的自衛権の強行採決等で日本を戦争ができる国にしてしまった。徴兵制も考えているだろう。


42743401_2187333761340916_1923200421443141632_o.jpg

そこまで進んでいるのに今更「団結命令」という意味の元号を発するメリットはあるのか? 古賀茂明さんの指摘によると、安倍総理という人は少しでも長く日本のトップに居座り、おじいちゃんが勝てなかった中国ともう一度、戦争して勝つことが悲願だという。そのために9条の改憲まで考えている。つまり「歴史に残りたい!」「尊敬するお爺ちゃんを超えたい」そんな思いが強い人だ。

そんなタイプが元号を考えるとすると、国民へのメッセージより、未来永劫に残る元号に自分の名前を組み入れたいのではないか? すでに戦争ができる国にした。マスコミも支配下にある。戦争を推進する子分たちも大勢いる。元号を通じて国民に命じる必要はない。それより100年、千年先にも残る元号に「自分の名前を残したい!」という方が彼らしいと思える。

そのためにマスコミを通じて「安久」等の元号案を流した。事前に国民に浸透させ、反発をなくすためだ。よく選挙の時「自民圧勝、確実」とマスコミが報道するのも同じ戦略で「どーせ自民が勝つのか? 投票はやめよう...」と思わせるため。「安久」アピールも同じ方法論だ。

「モーニングショー」では街で調査して多かったものと10個の元号をあげていたが、その内の7個に「安」の文字が入っていた。なのに司会者もコメンテーターも「安倍の安」と誰も言わないことに違和感を感じた。そう。事前に「安」が国民に人気ということを多くに認識するため。番組が利用されていたのだろう。

51350047_2438132496261040_6746350310035292160_n.jpg


当然「安倍の安」とは言うなと言う指示が出ていたはず。そうして世間にアピールしておけば、「自民圧勝」と同じで、多くが反対せず諦めてしまう。他の局でも「安」がやたら多い。とても国民が選んだ言葉とは思えない。やはりコメンテーターは誰も「安倍の安」と言わない。見事に指摘しない。「安」をアピール、浸透、認知させるための工作だったのだ。

「これで私の名前が未来永劫、記憶される!歴史に残る!」

それを阻止できる者は誰もいない。事前にマスコミを通じて浸透させたとは言わずに「国民に人気です!」と陛下に「安久」で行くことを伝える。が、拒否された。思惑を見抜かれていた。それでなくても陛下は安倍嫌いで有名。その上「明治天皇」「昭和天皇」と呼ばれるように「安久天皇」と呼ばれるようになる。毛嫌いしている男の名前で呼ばれることを受け入れるはずもない。

官邸側もそれを強行して「安久」で行く!とは言えない。だから、総理は2回に渡って皇室を訪ね。帰りの車で苦虫を噛み潰している写真を撮られた。「安久」は受け入れられなかった。そこで「安」の入っていない元号を急遽考える。そのために新たな選考委員も入れる。その人こそが皇室の事情を把握した、皇室からの使者である。あとは記事に詳しく書かれている。

その記事を読んだ時。なるほどと思えた。ここまでは僕の推理だが、新たな選考委員の話は知らなかった。そこから「令和」となった経緯(日刊ゲンダイ)=>実は万葉集ではなく中国の「帰田賦」から選ばれた。その内容は中国の6代皇帝の安帝(!)その時代は宮廷官僚の宦官が幅を利かせ、忖度や賄賂の横行を招い。嫁の閻后も、側室の子を殺したり、縁故政治を増長させるなど、やりたい放題だった人物。政府の腐敗に我慢できなかった張衡は順帝(8代皇帝)の時代に朝廷を辞し「帰田賦」を書いた。

まさに安倍を皮肉った元号をつけたのである。それを知らず、別の意味に理解した安倍は発表の日に自らが説明していたが、意味不明の解説。中国ではなく日本の古典である「万葉集」から取ったことを自慢し、中国嫌いがよく分かる発言。自らが決めたものではなく、皇室の意向で決まったものなので意味すら理解していなかったということ。そう考えると全てに筋が通る。

決め手はあの人の性格。元号に分からないように「ア」「べ」とか入れて満足するような人ではない。元号を使って国民に命令するより、しっかりと「安」の字を入れて、歴史に残りたい欲望を持つタイプ。それが分かれば答えも分かる。

詳しくはこの記事で=>https://critic20.exblog.jp/30211907/?fbclid=IwAR3w9TAoscWmhzZi-jRW8pkdhh0MHrhyK8gdSmfBnN62fY1IR_DRPo0e_V8


asahi _edited-1.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

静岡県の袋井市、磐田市、森町を舞台にした感動映画 「明日にかける橋 1989年の想い出」DVD好評発売中。 [2019]

IMG_3581.jpeg

静岡県の袋井市、磐田市、森町を舞台にした感動映画
「明日にかける橋 1989年の想い出」

鈴木杏、板尾創路、田中美里、藤田朋子、宝田明、豪華俳優陣が出演!

DVD好評発売中。amazon、楽天等で!レンタルは全国のTSUTAYAで!





asahi _edited-1.jpg

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「1987、ある闘いの真実」ー昨年のベストワン映画。今の日本と同じ。同じ結末が日本でも起こってほしい作品。 [2019]

56563274_2582699981804290_5065180164829216768_n.jpg


昨年のベストワン映画。

舞台は韓国だが、今の日本と同じ。

同じ結末が日本でもあってほしい作品。

心が震える。DVDで見れます。


asahi _edited-1.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

山本太郎さんのドキュメンタリー上映会にゲストで出演! [2019]

IMG_0708.jpg


3月31日「明日にかける橋」のロケ地でもある磐田市で山本太郎さんのドキュメンタリー上映会。そのゲストに呼ばれた。多くの方が来場。

中には市民俳優さんも!半数近くが「明日にかける橋」を映画館で見てくれたとのこと。有り難い。1時間近く、太郎さんの話、「朝日のあたる家」の裏話させていただいた。終了後にロケ地を久々に訪ねたいとも思ったが、次の街へ。残念。




DzE_IftVsAILqoG.jpg
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

本当に春なんだなあ。 [2019]

56242810_2580293348711620_831210041611649024_n.jpg


本当に春なんだなあ。




asahi _edited-1.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

駅ホームで広告を見ながら考えたこと?「東大、京大、医学部に行けば将来はバラ色である」という世間の思い [日本の教育]

IMG_0642.jpg

駅ホームで広告を見ながら考えたこと?

この手の広告。「東大、京大、医学部に行けば将来はバラ色である」という世間の思いを背景で作られている。また、この手の施設に行けば「それらの一流大学に行けるかも?」という親の思い込みで成立している。

しかし、そこで学んだからと簡単にそれら大学に行ける訳はない。なのに広告は「なんで私が」というキャッチ・コピーで本人の努力ではなく、

「ここで学べば一流大学に行ける!」

と誤解させるあざといものだ。だが、問題は広告ではない。

未だに一流大学に行けば「人生バラ色」という過去の方程式を信じている親が多いからこそ、この手の広告が成立する。これからの時代。「与えられることを確実にする能力」を育てるだけの教育を受けていては、生き残ることはできない。学校教育で教えてくれない大切なことを実践せねば生き残ることはできない。と思う。

今、父や母である、あなたたちが10代であった時代とは違う。

同じ価値観を子供達に押し付けることは悲劇。この施設に行き、本当に一流大学に入れれば、いいだろう。が、ほとんどはそうは行かない。

「与えられたこと確実にこなす」

そんな能力が秀でているのは一部の子供だけ。それ以外の能力も育てることこそ、それ以外の子供たちの幸せに繋がる。野球が得意でない子に野球スクールに押し込む。絵が得意でない子に美術学校に通わせるのと同じ。

むしろ「与えられたことを確実にこなす」能力はこれから必要とされない。

まずは、両親が子供たちの特性を見極めること。それを無視して過去の価値観を押し付け、この手の施設に押し込んでも、子供たちを不幸にするだけではないか?と

ホームに立ち考えてしまう....。



asahi _edited-1.jpg
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:映画