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あれから9年。311から今日までを振り返った。 [2019]

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あれから9年。311から今日までを振り返った。

2011年の3月11日。僕の2作目の監督作「青い青い空」の東京公開が始まり、ホッとして過労で倒れ、半年に及ぶ自宅入院生活が始まった頃だった。起き上がることができず、ベッドに寝た切りのままのところに、地震! 棚から物がいくつか落ちて、

「ああ、このアパートが崩壊して、潰されて、死んでしまうのかな...」

と考えていた。逃げる元気もなく、ベットに寝たまま。地震が収まってからテレビをつけた。襲いくる黒い津波、まるで映画の1場面のようだ。それが9年前の3月11日。その時、テレビ画面にふいに映された大きな建物。波が襲いかかっていた。

「あれって、原発じゃないか? 大丈夫なの?」

と思ったが、番組ではそれに触れず、画面は切り替わった。そして原発事故報道が始まるのだが、福島第一原発の爆発映像が報じられてもコメンターターが

「ああ、あれは水素爆発ですね〜。放射能は含まれていません」

と気楽にいうので、安易に「じゃあ、大丈夫だなあ」と思った。その頃はまだ、報道を信じていた。その後、ツイッターでは原発事故のいろんな情報が流れ、デマなのか? 真実なのか? まだツイッターの存在もしっかりと分かっていなかったので、ピンと来なかった。

少し元気になり、外出できるようになると、新宿の街で原発反対デモが行われていた。ツイッターでは有名アニメ作品を演出した人が実名のアカウントで批判していた。

もともと、原発には興味があった。と言いながら何も勉強していない。高校時代に見た「チャイナシンドローム」で原発というものを知り、実際にスリーマイルズ島で事故があったということしか知らない。日本の技術は優秀。ウクライナやアメリカのようなことに福島はならなかったとさえ思っていた。が、この機会に!と、リハビリを兼ねて図書館に通った。

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もちろん、映画にしようとか、取材しようという思いはない。それが近所の図書館で、この数ヶ月の大手新聞を読んだだけで戦慄した。さらに雑誌を読み漁り、まるでパニック映画のような事態になっていることを初めて知った。福島第一原発はメルトダウンしているかもしれないという。

政府もマスコミを必死に否定していたが、少なくても放射能が漏れていることは、もう確かだった。新聞と雑誌だけではダメ。本を読もう!と、最初に手にしたのは上杉隆さんの「報道災害」という新書本。

「嘘だろう!?」

そんな事実が書かれていた。そして小出裕章さんの本。さらに色々読み漁り、日本は大変なことになっていることに気づく。遅すぎ! でも、この時点でも僕の周りでは「原発事故!」というと「大袈裟な!」と言われた。ほとんどの友人は危機感を持っていなかった。一方で、デモはどんどん拡大。官邸前の抗議行動もスタートした。

山本太郎さんはデモの先頭に立ち、上杉隆さんは「デマ野郎」と言われながら情報を発信。小出裕章さんは「たねまきジャーナル」で放射能について語った。デモの取材には何度も行った。ネットでは「プロ市民」という聞き慣れない言葉で批判する人も多かったが、現場に行くと普通の人たちが反対の声を上げていた。

何度か山本太郎さんとすれ違った。俳優として映像では知っていたが、実物を見たのは初めて。色々言われているが、凄く澄んだ目をした青年という印象が残った。しかし、多くのマスコミは次第に原発事故を報道しなくなり、デモでこんなに人が集まっているのに、それを伝えない。ようやく「報道ステーション」が別の切り口で取り上げた。

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その年の紅白歌合戦。震災については哀悼の意を述べるが、原発事故という言葉は一切使わなかった。唯一、それに触れたのはベルリンから生中継で歌った長渕剛だけ。紅白では原発事故は存在しなかったような空気だった。調べれば調べるほど、酷い。こんな劇画のようなことが、映画のようなことが現実に起こるなんて.....。

でも、野ブタ、いや、野田総理が事故収束宣言。ありえないでしょう? その頃から「事故は終わった」「収束した」「被災者は家に帰った」という声が広がり、マスコミ報道も減った。原発事故の真実が広まると困る人たちがいる。物凄い圧力が各界にかかっているようだ。その成果が上がり、僕の周りでも原発の話をすると眉をひそめ、新興宗教にはまっているかのような目で見られた。

「メルトダウンなんてしていない。事故は収束した!」

そんな訳はない! チェリノブリだって30年経っても収束していない。皆、事実を知らないんだ。実際はメルトダウンしていたこと。数年後に政府も東電も認めた。だが、当時は「何、不謹慎なこと言ってるの?」という風潮だった。

何かしなくては....でも、僕は上杉さんのようなジャーナリストではない。太郎さんのような知名度もない。小出裕章さんのような知識もない。何もできない......いや、出来る。僕は映画を作る仕事をしている。映画で原発事故を伝えられないだろうか? それが「朝日のあたる家」となる。


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いろいろあったが、デモで何度か見かけた山本太郎さんが出演してくれ、多くの人の支援で映画は完成する。そのクランクアップが6年前の今日。2013年3月11日だった。2年前の今日は渋谷でジャクソン・ブラウンのコンサート見た。彼もNO NUKES 原発に反対するアーティストだ。ライブでも311について触れた。

そして今日、あれから8年。僕は「沖縄戦」ドキュメンタリーの編集をしている。あの時に調べた原発の構図とほとんど同じものが、沖縄戦にも当てはまる。東京の電力を賄うために福島に建てたれた原発。それが事故。福島の人たちが大きな被害を受けた。なのに東京ではこういう。

「福島。大変だね」

沖縄戦も同じだ。本土決戦の準備のために捨て石となった沖縄。大勢の人が死んだ。本土ではいう。

「沖縄は戦争で大変だったそうだね?」

全く同じ。犠牲をそれぞれに押し付けて、それを他人事のように思う。原発事故も、沖縄戦も。だから、その現実を映画で伝えたい。原発事故と同様、沖縄戦も多くの人が知らず、知ろうとしない。そして、ただ単に、被害や悲しみを知るだけではなく、それらを見つめることで日本が、日本の未来が見えてくる。他人事ではない。僕らの問題であることが分かる。

そんなことを、あれから9年。考え続けている。




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