SSブログ

なぜ、人は自分が住む世界の常識や価値観を相手に押し付けてしまうのか?=変人たちの世界。そこにある別の価値観? [2018]

42748032_2188963914511234_3578087780569317376_n.jpg


なぜ、人は自分が住む世界の常識や価値観を相手に押し付けてしまうのか?=変人たちの世界。そこにある別の価値観?

作家、演出家、音楽家、シンガーソングライター、とかいうと、世間の人たちは芸術家、アーティストと呼び、一目置くこと多い。売れていないとクソミソに言われるが、名が売れた人たちは尊敬さえ受ける。

だが、その手の職業の人にはひねくれ者が多い。おまけに世の中を斜めに見て、頑固で思い込みが激しく、付き合うととても大変な人種だ。正常とは思えない人、狂っているとしか思えない者もいる。(ただ、すぐには本性を見せない?)

それを知らない人たちが多く、尊敬や興味を持ち、チャンスがあると近づいて行く。が、親しくなると、トラブったり、揉めたりしがち。最初は腫れ物に触るように扱うが、付き合いが長くなると、通常の接し方をしてしまうからだ。

アーティストはもともと変人。どうでもいいことに拘ったり、意味不明なことで怒り出したりする。結局、多くの人は「失望した!」「裏切られた!」と離れて行く。だが、もとも彼らは変り者。間違った期待をしただけ、裏切られたのではなく、最初からヘンな人たちなのだ。

確かにこの業界。先輩や後輩を見ても変人が多い。一般常識では計れない人たちがいる。ただ、おかしい人ほど素晴らしい作品を撮っているところがあり、常識的で無い人ほど能力があることが多い。

そして変人というばかりでなく、この業界、歌でも、芝居でも、映画でも、小説でもそうだが、一般の社会とそれら業界の価値観やルールが違うというのも大きい。そんな世界の人たちに、一般社会の価値観やルールを押し付けるとトラブルになるのは必至。

映画学校に行くと生徒から「監督業は食えますか  月給に直すといくらになりますか?」などと聞かれる。それこそ時給50円のときさえある。でも、月給に換算したり、食える食えないというのは一般社会での価値観。そんなことで「監督になる」「ならない」を判断するのはおかしい。

このところの戦場ジャーナリストバッシングも同じ。一般の価値観で批判している。あるお笑い芸人は登山家に例えて「その意味では失敗だった」と発言していたが、ジャーナリストを登山家に例えること自体が無意味。

金をもらわなくても、安いギャラでも手抜きをせず、やらねばならないー命がけの仕事というのも存在する。が、それが多くの人には分からない。「危険なところに行くのはバカだ!」という発想でしか見れない。

俳優の松田優作さんは、「ブラックレイン」の出演が決まったとき、膀胱ガンにかかっていた。手術をすれば下半身不随。映画には出れない。出演すれば症状が悪化、死亡すると言われた。が、出演を選び、亡くなった。

一般の人には理解できないかもしれないが、役者には命がけで演じている人が少なからずいる。戦場ジャーナリストも同じだ。それを外野から一般の論理で批判するのは無意味だ。

親が危篤になれば、多くのサラリーマンは仕事を休み、病院に駆け付ける。が、芸能人は「親の死に目に会えない」と言われる。舞台公演を休んで病院にはいけない。そのために公演ができず、多くのお客が迷惑するからだ、映画撮影でも同じ。1人の俳優が来ないだけでも、その日の撮影はできない。それが芸能の世界。

他にも映画スタッフは最初、無給で見習いをすることがある。現場で技術を学ぶ。それを「ただ働き!」「若者を利用している」「せめて時給を払え」と批判する人がいる。でも、職人や調理師の世界にも同じ習慣がある。そしてタダで働くのではなく、授業料を払わずに学べるのだ。それに気付かない人がいる。

高い授業料を払い役に立たない知識を教える映画学校が多い。現場のベテランスタッフから直接、授業料なしで学べる見習い。どちらに意味があるのか? 学校を批判しないで、見習い制度をなじるのは違うように思える。

人は知らない内に、自分のいる世界の価値観や常識に縛られてしまい、当然のようにそれを相手に押し付ける。受け入れないと「おかしい!」「失礼だ!」「常識がない!」と批判。自分は正しい。相手が非常識なのだと考える。

アーティストたちも世間の常識から見ると変人なのだが、実は彼らなりの価値観やルールが存在する。でも、それが分からない。カタギの世界から見ると意味不明。だから、変人だと思ってしまう。

だが、東京と大阪でも価値観が違うし、日本とアメリカも違う。宗教によって、世代によって、男女によっても違う。業界だって、それぞれの価値観やルールがある。違うということからスタートすること。大事なことだと思える。


asahi _edited-1.jpg
nice!(4)  コメント(0) 

マイケル・ムーアの新作「華氏119」何かヘン?どうしたんだろう [映画感想]

45491570_2263081857099439_1639910215459536896_o.jpg

マイケル・ムーアの新作「華氏119」何かヘン?どうしたんだろう

「ボーリング・フォー・コロンバイン」以来、どの作品も素晴らしい。社会問題を分かりやすく解説、批判、ラストは感動さえ覚える。そんなドキュメンタリーがあるとは思わなかった。「華氏911」ではブッシュ大統領を敵にまわしす作品。そのムーア監督が今回はトランプ批判の映画を作った。

が、引っかかる。トランプ大統領は非常に評判が悪い。ただ、彼を支持する人たちの声に「え?」というものもある。実はムーアと同じように、アメリカの恥部を描き続けるオリバー・ストーン監督はトランプを支持している。なぜだろう?

また、これまでのムーア作品は多くの人が気付かない、少なくても日本人が知らなかった事件や問題を取り上げ、鋭く斬り込むことが多かった。が、すでに多くのマスコミが彼を批判している。それを今さら批判することの意味とは、何か決定的な事実を掴んだのか? いくつも気になる点がありながら映画を観た。

お馴染みのスタイルで映画は始まり、ヒラリーではなく、トランプが大統領になったことを当選発表の日の映像を使い見せて行く。が、すぐに話題はトランプ以外に進む。フリント市の水道問題だ。「トランプも同じことをしている」と展開すると思いきや、延々と水道問題。確かに酷い話。福島と同じ構図。鉛が入った水道水を飲んで、多くが病気になっているのに、市政は「基準値には達していません」と対応を拒む。

だが、その話題はいつまで経ってもトランプに結び着かない。やっとトランプ登場。その町の水道局に遊説中のトランプが訪れたことを紹介。でも、それだけ。話はその後、銃乱射事件に進み、生徒たちが反対運動を起こす話を紹介する。「ボーリング・フォー・コロンバイン」を彷彿とする。

その後、ようやくトランプの話題になるが、先の2つの話とは繋がらない。ヒットラーがいかにしてトップに立ったか?をトランプの言動に重ねて見せて行く。が、これはトランプの問題を描いたものではなく、危険なトランプに権力を持たせてはいけないという表現。でも、なぜ、トランプが危険なのか?が描かれていない。

途中で「トランプは人種差別主義者だ」というよく言われることは描かれる。彼を会場で批判した女性たちが係員に連れ出される映像を紹介。数々の問題発言も見せる。が、それだけだ。移民の親子を別々に収容した。親子を引き離した。酷い。という話も紹介されるが、それはトランプ以前から行なわれていたことで、その後解消されたというニュースを聞いている。

とすると、この映画で描かれたトランプの悪業は、差別主義者であること。問題発言をしたということだけ。おまけに水道問題の方が圧倒的に長く描かれている。銃乱射事件もトランプとは直接関係ない。なんじゃこれは? 今までのムーア作品とかなり違う。

ドキュメンタリーでも、ドラマでもそうだが、映像というのは演出次第で、取材対象を悪くも、良くも描くことができる。その一番安易な方法は誰もが「悪人!」と思う過去の人物を重ねることだ。よく使われるのがヒットラー。ムーア監督はその手法を今回の作品で使い、

「トランプは差別主義者だ。だから、ユダヤ人を虐殺したヒットラーと同じようなことをするだろう。危険だ!」

と警告する。が、過去の作品のように、細かな行為に切り込み、その被害を描いてはいない。つまり「危険だと思うよ。ヒットラーになるかも?」という予想でしかない。

思い出すことがある。検察が小沢一郎の事務所を捜査。有罪に持ち込もうとしたのに結局何ら問題は発見されず、無罪になった。イメージとして悪徳政治家だと思う人が多いが、実際は問題なかった。特捜部が何ヶ月もかけて調べて証拠がでないということは何もなかったということだ。「ロス疑惑」の三浦一義もあれだけマスコミに「怪しい」とバッシングされながら、結局、無罪。

怪しい=悪人と攻撃するのはアウト。イメージだけで決めてはダメ。同じようにトランプが大統領になり、2年も経つ。その間に彼が行なった悪業をムーア監督は批判すべき。それが描かれていないというのは、何ら発見できなかったということ? 

だから、直接関係のない水道問題と銃乱射問題を延々と描いた? あるいは、その2つこそがムーア監督が本当に描きたかったことで、そのネタだけで弱いので、今回はトランプ批判という看板を着けた?何だかそんな感じさえする。もし、トランプを批判するなら

「ヒラリーが大統領になっていれば...アメリカはこうなった」

という展開もありだ。「ボーリング...」でも銃社会アメリカと、お隣の銃のない社会カナダを比較したように。だがヒラリーの話は冒頭しか出て来ない。そしてヒラリーを描くと、もっとどす黒い事実が出てくることも予想できる。

ただ、おもしろいのはオバマ批判は出てくる。平和主義者のイメージ。良識ある人気の大統領と思われがちだが、そうではない!とムーア監督は斬り込む。先の水道問題。その町にオバマがやってきてスピーチをするが、その問題を隠蔽しようとする市長を庇い、問題を矮小化するような発言。彼に期待した市民は大いに失望する。

また、オバマは記録的な空爆を許可しており、多くの犠牲者が出ている。さらに、これまた記録的な数の移民を追い返している。これらの事実は説得力あり、オバマの正体を暴くものだ。トランプに対しても問題発言があるとかではなく、こんな酷いことをやっている!という事実を暴けばいいのに、それがない。だから、ヒットラーと重ねることしかできないのだろう。

あと、ヒラリー問題も少しあった。本来、全米で勝ち抜いたのはバーニー・サンダースだったのに、それをすり替えヒラリーが勝利したことになったという指摘もある。が、深く追及せずに別の話題に行く。そしてトランプが不正選挙をしたという指摘はない。「なぜ彼が大統領に成りえたか?」についても追及せず、「そこに不正がなかったのか?」も触れない。ということは不正選挙はなく、正式に国民が選んだということだ。

では、なんでこんな映画を作ったのか? トランプの政敵から金をもらった? でも大した違反材料が見つからずこうなった? 或は先に上げたように本当にやりたかったのは水道問題? いずれにしても、これまでの彼の作品とは違い。納得も、驚きも、感動もなかった。

確かにトランプは問題発言が多い。見かけも悪の大ボス風。口も悪い。そもそもビフ(?)のモデルだし。イメージはとても悪い。が、それだけで悪人 ! と決めつけることはできない。ムーア監督であれば、その先に斬り込むべきなのに、描いていることは、ネガティブキャンペーンと同様のものばかり。なぜ、トランプは北朝鮮を攻撃しなかったか?も描かれていない。

そこが一番のポイント。ブッシュのようにありもしない大量破壊兵器があるといちゃもんつけて戦争すればいいのに、していない。でも、そこにトランプの目的があると思え、それを追及すると、映画が成立しないからだと思える。まだまだ、真実は分からないが、トランプの動向は注目したい。



asahi _edited-1.jpg
nice!(2)  コメント(0) 

「見えてる世界が全てじゃない...」が今の時代に大切なこと。 [my opinion]

44924727_2243967455677546_1977542035594280960_n.jpg


「見えてる世界が全てじゃない...」が今の時代に大切なこと。

これは新シリーズの「ゲゲゲの鬼太郎」のキャッチコピー。アニメと思って侮るなかれ、今回のシリーズはかなり社会派。ブラック企業、食品問題、移民問題、と社会問題をテーマにしたエピソードが多い。そして先の「見えてる世界が全てじゃない..」は今の時代にとても必要な発想だ。

映画製作のときに、一般の人が自分たちの価値観や習慣を押し付けることでトラブルが起きること。何度も書いた。自分たちの知らない映画の世界を理解せず、自分たちの価値観しか分からないことで問題が起こる。戦場ジャーナリストが誰に迷惑をかけた訳でもないのに、批判する人々。お笑い芸人が登山家に例えて非難したり。皆、自分の価値観や習慣を、まるで正義のように掲げ、自分たちが知らない業界の人たちを糾弾する。

まさに彼らに見えている世界が全てだと思っているのだろう。自分の知らない世界。見えないから分からない。なのに知ろうとしない。自分たちの価値観で判断。押し付ける。そんなことをいろんなところで感じる。俳優になりたい人たちへの記事も、このところ続けて書いたが、夢破れる人の多くは一般の価値観、大学=>就職=>会社員という流れ、それを芸能世界に当てはめて考えてしまう。

アルバイトと同じように、1時間いくら?で判断する。会社員のように固定給があって生活が安定する。それと同じものを映画監督業に求める若い人もいる。皆、一般社会の理屈やシステム。価値観が芸能界も同じと思い込んでいて失敗している。

芸能界に一般の常識は通用しない。が、似たような世界でも音楽と映画の世界は違う。テレビと映画も違う。CMもまた違う。それぞれに別の価値観がある。当然、国と国とは全然違う習慣やルールがある。そこは分かりそうだが、分からない。

留学時。LAに遊びに来た友人たち。危険ということが分からない。財布にいっぱい札を入れて買い物する。危ない地域に行きたがる。フードコートでテーブルにバッグを置いて、買いに行く。LAでは絶対にやってはいけないことだ。が、安全な日本に住んでいると分からなくなる。そこは仕方ないかもしれないが、アメリカは違うということを考えもしない。

いろんなことが「見えてる世界が全てじゃない...」という同じキーワードで納得できる。つまり、当たり前と思うことを疑うことだ。見えてない世界が存在する。そこには別の価値観がある。だから、まず、疑うことだ。


asahi _edited-1.jpg
nice!(0)  コメント(0)