病人に同情する気持ち。ウクライナを応援する思い。同じ?!=国民の誘導は簡単。すぐ戦争に賛同する? [my opinion]
病人に同情する気持ち。ウクライナを応援する思い。同じ?!=国民の誘導は簡単。すぐ戦争に賛同する?
2日前の、深夜の発作は3時間に及び、寝付いたのは午前4時。このままでは体力が持たず、回復できない。ポイントは咳はなぜ出るか?だ。日中は出ない。夜も出ない。寝るときに出る。埃かとも思ったが、咳が出始めた取材中、ホテルを変えたがダメ。自宅に戻ってもダメ。つまり、埃とか洗剤とかが原因ではない。
咳が止まらなくなったとき、ホテルの窓を開けた。しばらくすると咳が止まる。体が温まると咳が出るのだ。布団に入り暖かくなるとダメ。もう一つは横になると咳が出る。そこでベットに座り、壁にもたれて、布団ではなく毛布のみで寝ることにする。難点は座ったままだと、なかなか寝られないということ。また、暖かくしないと体が冷えて風邪をひく可能性がある。そのギリギリに挑戦。この2日は発作が出ずに済んだ。
いろんな方が心配してコメントをくれるが、多くが誤解している。風邪ではなく喘息。コロナやインフルエンザでもない。「暖かくして寝てください」というアドバイスは真逆。一番してはいけないこと。「しっかりと寝てくださいね」はムカつく、しっかりと寝れなくて苦悩しているのだ。風邪の経験を語られても役には立たない。喘息を経験してない人にはこの苦しさは理解できないだろう。無理してアドバイスしてくれなくていい。
原発事故の時「福島に寄り添いたい!」という人たちがいた。基地問題を考えるとき「沖縄に寄り添いたい」という人たちがいる。だが、病気と同じで自分が苦しんでないことを実感するのは難しい。本人に悪意はなくても上から目線で語っていることが多い。ここしばらく体調不良で寝込んでいるときにもらったコメントを見て、つくづくそう思った。事情も知らず、調べようともせず、僕の記事もまともに読まないで、聞き齧った知識で、あれこれ言っている。
ウクライナxロシア問題も同じ。ウクライナに行ったこともない。ウクライナについて何も知らない。ウクライナ人と話したこともない。
歴史も知らない。調べようともしない。なのに「ウクライナに平和を!」「ロシアは許せない」と声を上げている。その背景にあるのは「ウクライナ、かわいそう」という同情。病気の人がいる。同じく同情。「可愛そう」「寄り添いたい」その病気の経緯を綴った記事も読まずに「病院に行ったほうがいいですよ」(すでに行ってる)「***した方がいいですよ」(それは一番やってはいけない)というアドバイスをする。
どちらも事情を知らずに「可愛そう!」と何も調べず、何も知らないのに、あれこれ声を上げる。全く無意味。いや、無意味ではない。本人は自己確認ができる。「私は病人と聞くと、放っておけない親切な人なんですよ」と思える。「戦争と聞くと放っておけない。私は平和主義者なんです」と確認できる。一時期、こんなツイートをよく見た。
「いかなる戦争も私は許さない」
それは「私は平和主義者です。良識ある人間です」と自慢したいだけのように思えた。NHKのキャスターもニュース番組の中でドヤ顔で同じことを言った。話はそれるが、彼らはイラク戦争でも、湾岸戦争でも、そんなことは一度も言っていない。まさに公共放送らしい偽善だ。
人は自分で意識していないが、「私は優しい人間」「俺は平和主義者だ」「私は差別を許さない」そんな素晴らしい人間なんだ!と自己確認したいという思いがある。その思いを満たしたくて人助けをする。それが本当の意味で人助けならいいが、ろくに事情も調べずに、美しい言葉を掲げるだけで「私はいかなる戦争も許しません」と叫ぶのは、楽して私は善人と思いたいだけだろう。
そして、その種の人たちが一番誘導されやすく、印象操作されてしまう。政府や企業は人のそんな心理。「自己確認」や「自分は良き人である。戦争に反対する平和主義者であること」という願望を満たすもの。それらに簡単に飛びついてしまう。そして「平和」どころか「戦争」推進に声を上げてしまうのだろう。病気を経験すると、いろんなことが見えてくる。実に面白い。
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