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「乙女たちの沖縄戦」への批判コメント③  古臭い手法を要求する人? でも、大切なのは観客が見やすいこと [乙女たちの沖縄戦]

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「乙女たちの沖縄戦」への批判コメント。新しい表現を理解できず古い手法を要求する人? 大切なのは観客が見やすいこと?③

あれこれ批判コメントを読むと、事実を知らないのに、その真偽を調べもしないで「違う!」「おかしい」と指摘する人をよく見る。また、映画的な表現を理解せず、トンチンカンな批判をする人もいる。今回紹介するのは次のコメントだ。

感想「インタビュアーの映像はモノクロで字幕つき、証言者がカラーというのも理解に苦しむ。証言と質問者の部分は別撮りしたのだろうと思われるが自然な形のインタビューにした方がよかったのではないだろうか。インタビュワーの部分の下に字幕が入る意味もわからない」

要はテレビのインタビューと違うので違和感を持ったということだろう。ただ、違和感を感じるがその理由を把握できておらず、その映像表現を理解もできなかったようだ。その辺を解説する。インタビュアーは若い女優。日頃からその種の仕事をしている訳ではない。

「えー」とか「あのー」とかいう言葉をどーしても連発する。アナウンサーのように明快な質問はできない。また、戦争体験者から辛い話を聞くので、相手を思い、失礼のないように遠回りな表現もしがち。そんな様子を延々と撮影し、観客に見せるとどうだろう?

「気遣いは分かるが、もっとストレートに聞けよ!」と観客は思うに違いない。だが、撮影現場にいれば分かるが、そんなストレートに質問はできない。友人が死んでいった辛い話を「で、どう感じたんですか?」なんて質問ができる訳が無い。質問が言葉にならない。言い淀む。そんな連続を映像で見せられても観客は苛立つばかり。肝心なのは証言者の言葉。どんな体験をし、どんな思いを持ったか?を観客は知りたいのだ。

だからこそ、インタビュアーの質問部分はスチールにした。モノクロにすることで強い印象を持たないようにした。そのことで観客には証言者の話に集中してもらう。聞き手がどんな顔で質問したか?どんな言葉で聞いたか? どんな声質でリアクションしたか? そんなことに観客は関心ない。だから簡略化した映像表現を用いた。が、これは決して斬新な手法ではない。

新聞、雑誌のインタビューでは「問い」の部分はこんな風に表現することが多い。「ーーーその事件で一番、辛かったことは何ですか?」だが、実際のインタビューでは記者が「いろいろとお辛いことがおありだったと思うのですが、その中で特に辛かった経験は何でしょうか? できる限りでいいので、教えていただけますか?」と最大限、相手を気遣いながら質問する。

でも、紙面に掲載されるときは先のような短く端的なものなる。なぜなら、記者が気遣い、丁寧に質問したという事実を長い文字数を割いて活字にする必要はないからだ。読者が知りたいのは聞かれた側が何を答えたか?である。それと同じ手法を今回は映像表現で使用したのである。

テレビでは昔でいえば久米、古舘。今なら小川、金平というキャスターが直接インタビューすることがある。この場合はインタビューというより対談に近い。久米さんがどんな顔で聞いたか? 小川さんがどんなリアクションを示したか?に興味を持つ多くの視聴者がいるからだ。

だが、同じニュース番組でも、記者やデレクターが街角で質問することもある。その際に彼らの顔は映し出さない。カメラの横にいて、写るのは証言する人だけ。質問もテロップで「そのとき見たものを教えてください」とか出るだけ。つまり、視聴者の興味は事件の証言者が何を見たか?であり、記者の声やリアクションではないからだ。

同じように今回の映画で大切なのは体験者の体験談。インタビューするのが初めての女優が辿々しく質問する姿を伝えることではない。その様子に10秒、20秒と時間を使うのなら、少しでも体験者の言葉を紹介することの方が大切。

テレビでの証言だと多くは15秒ほど。対して映画は長く紹介できる。とは言え、3時間のインタビューでは観客が疲れてしまう。なら2時間の映画で少しでも体験者の言葉を紹介したい。なのに延々と女優の不慣れたな質問を見せる意味はあるだろうか?

それよりも少しでも多く体験者の言葉を紹介。質問する女優の存在が邪魔にならないように白黒スチールにした。さらに質問をテロップにすれば4〜5秒で内容を伝えられる。肉声で質問すれば短くても10〜15秒かかる。遠慮しながら気遣いながら質問すればもっと長くなる。映画のリズムも壊してしまう。

そんな手法をある文芸評論家の方は絶賛してくれた。これは嬉しいもの。つまり多くの観客はその手法に気づかず、女優の不慣れなインタビューを気にすることなく体験者の言葉に聞き入るから、そんな手法であることにさえ気づかない。

その意味で感想の人はそこに気づいたのは鋭いと言えるかもしれないが、その意味を理解できなかった。だから「インタビュアーの映像はモノクロで字幕つき、証言者がカラーというのも理解に苦しむ」と疑問と批判を始めた。

「証言と質問者の部分は別撮りしたのだろうと思われるが」という想像をし、「自然な形のインタビューにした方がよかったのではないだろうか」と古い手法を使うことを提案している。さらに「インタビュワーの部分の下に字幕が入る意味もわからない」とまとめる。

多くの人はそれがよくある表現でなくても、見やすさ、分かりやすさの表現を受け入れ作品世界に入って行く。が、この方は報道番組の先に紹介したようなパターンに慣れきっていたのか?それと違うスタイルということで拒否感を持ったのかもしれない。

別の例でいえば、エアコンがタイマーで切れるのは便利。それを「何でタイマーが付いているのか分からない!?」というような批判と同じようなものに思えてしまう。多くのは便利なので、あれこれ邪推せずに受け入れるのだ。観客が余計なことに阻害されず、証言者の言葉に集中できる表現。ドキュメンタリーでは大切。

報道番組での証言はほんの僅かしか放送されないので、映画の特徴を活かし少しでも長く、そして多くの証言を紹介したかった。だから報道番組スタイルではなく、新聞等の活字インタビューの表現を持ち込んだのである。


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