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感情的批判をする人は誘導されやすい? [my opinion]

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感情的批判をする人は誘導されやすい?

FBでもTwitterでも石原慎太郎批判が数多く見られる。それに反論するつもりはない。それ以前に石原のことを詳しくは知らない。作家で、議員で、問題発言を多く、裕次郎の兄ということくらい。あと、先に選挙で落ちた息子がいること。もう一人はお天気お兄さんだということしか知らない。が、多くの人のコメントを見ていて気になることがあった。

ヘイトスピーチ、人権侵害、差別主義者。その種の発言を指摘する声が多い。批判というより「嫌い!」「許せない!」「悼む気にならない」「虫唾が走る」というものばかり。石原の議員時代、都政の政策について批判するものはほとんど見られない。つまり政治家としてより、人間として許せないというものなのだろう。そして、その種の差別発言をする人間を現代人はとても嫌う、憤りを感じるものなのだと痛感。

もちろん、差別や人権侵害は許されない。が、それは政治家以前の問題。では、政治家としての石原はどうだったのか? 新銀行問題に触れる意見が少しあったが、その他の政策について批判する声は非常に少ない。つまり、政治家としての手腕より、差別する奴は許せん!という人として容認できない「怒り」を持つ人が多いということだろう。

これは以前にも書いたが「憎しみ」「怒り」に駆られる人たちは誘導されやすい。「恐怖」や「不安」と同じく、コントロールしやすい感情なのだ。真珠湾攻撃の後、アメリカは「卑怯者のジャップを許すな」「リメンバーパールハーバー」と声を上げ国民を誘導した。ベトナムでも、湾岸戦争でも同じ手法で戦争を始めた。

カダフィやフセインを悪の枢軸として批判し、世界の敵に仕立て上げた。アメリカが正義となり、彼らを悪とした。そうして戦争の口実を作った。同じようにマスコミが揃って「差別主義者」「民主主義を破壊した」と糾弾した政治家がアメリカにいた。が、調べると、そんな事実はない。別の話を捻じ曲げ、脚色して差別主義者に祭り上げていた。そんなマスコミに誘導され、多くの日本人もバッシングを続けた。

その時に誘導されなかった人が僕のFB友達には多い。原発推進の誘導に乗らず、先のアメリカ人政治家の話にも惑わされず、567疑惑にも引っ掛からなかった人たち。でも、石原慎太郎を感情的に批判している。ただ、今回の場合、彼が差別発言をしたことは事実。先のアメリカ人とは違う。にしても政治家としての問題ではなく、差別、人権の部分のみを感情的に批判するのは危ういものを感じる。

567、枠てんの罠にかからなかったとしても、また「彼は差別主義者だ!」と誰かが叫べば乗せられてしまう可能性がないとは言えない。最近、その手法を使いイメージダウンを計ったのが維新。菅直人の批判に「ヘイトスピーチだ」などと因縁をつけた。が、あっさり返り討ちに合った。でも、ヘイトスピーチ、差別主義者というレッテルを貼り、印象操作をする輩はこれからも出てくるのだろう。

そんな中、リテラシーある人たちが石原を感情的に批判するだけという光景を見ていると、なんだか引っかかってしまう。批判というより憎しみを感じる。誘導されやすいタイプだと思える。などと書くと「お前は石原信者か!」とか言ってくる困ったちゃんが必ず出るので面倒。多くの人が批判した場合。一緒に批判しないと、その人をも敵視して攻撃する。これも同調圧力。村社会ルールだ。

この種の意見は発言が難しい。が、大切なのは冷静に、客観的に、物事を見ること。好き嫌いで見ないこと。何より感情的にならないこと。それを忘れないようにしたい。


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