ズレてしまった友人たち=古い価値観でしか世の中を見れない。誘導されても気づかない? [my opinion]
ズレてしまった友人たち=古い価値観でしか世の中を見れない。誘導されても気づかない?
この1〜2年特に感じること。同世代の友人たちが鋭さをなくしている。凄くズレたことを堂々と発言する。いつの時代の話?ということを持ち出す。誘導されていることに全く気付いていない。論理性のないことを信じてしまう。過去の価値観で判断する。ついこの間まで、原発事故の時は電力会社やマスコミのフェイクを見破って批判していたのに、今ではコロッと騙されて、乗せられて、利用されている。自分の意識で批判しているようで、誘導されていることに気づかない。
もしかしたら、彼らが正常で僕がズレているのかも?とも考えた。が、似たような思いを綴るFacebook記事を見つけた。同じことを感じている。僕の周りだけではないようだ。同世代たちは新しい情報を積極的に取り入れようとはしていない。テレビ新聞の情報しか知らない。ネットもやるが新しい情報はスルーしているようだ。いや、アンテナに引っかからないようだ。だから、気づかない。そして過去の価値観で考えてしまう。
ただ、考えてみると僕の世代は間も無く60代。すでに50代。高校時代は50歳というともうジジイと思えていた。あの頃の親の世代が40代。教師でも30代。その辺でさえ「ズレてる」「分かってない」「バカか?」と思えていた。まさに「大人は判ってくれない」と感じていたのだが、それはやはり年齢が大きく影響していた。
若い内は感性のアンテナが鋭く、新しいもの、時代の流れを敏感に感じ取ることができる。が、歳を取ると錆び付いて、新しい動きを理解できなくなる。友人たちも30歳を過ぎた頃から「もう流行を追うのはやめた」などと言い出した。「流行を追う」のではなく「時代の流れ」を感じることが大切。それを勘違い。時代についていけなくなる自分を嘆くのではなく、時代についていく=流行を追う=そんなことはもうしない=俺は大人なのだ。という理屈でアンテナを閉じてしまう奴が増えていった。
40代になると、その兆候はさらにひどくなり、「俺は流されない」「流行を追う奴はバカだ」「新しいものをありがたがるのは愚か」と時代の新しい流れを拒否するようになって来た。そこからさらに10年。ズレてしまうのは当然であり、僕らが10代の時、バカだ。愚かだ。ズレていると思った大人を超えた年齢に同世代が到達したということなのだ。考えると、それは当然のことであり、仕方のないことかもしれない。ただ、話をしていたり、その人のFacebookきじやツイートを読んでいて、悲しい思いをするだけだ。
では、私はどうか? 偉そうなことを言いながらも、間も無く60代突入。アンテナが錆び付いていないはずがない。若い人から見ると「時代遅れのジジイ」に思えるはずだ。ただ、映画屋という仕事をしているので、どうしても時代を見つめ感じなくてはならない。これも流行を追うのではない。時代の流れを感じる。そこからズレたものを作っても観客には受け入れらない。が、他の業界は70年代。80年代の方法論で、当時の価値観であっても通用する仕事もある。そのことでアンテナが錆び付いても困らない環境にいるのだ。
その意味で倒産の心配がない公務員、大手企業に勤める人たちは時代に置き去りにされやすい。それは分かる。が、見ていると原発反対を訴えていた若者、ミュージシャン、アーティスト、芸能人等さえも大きな力に誘導されて、利用され、本質を見抜けていないことが多い。これはアンテナとは別の問題かもしれないが、時代の流れを理解できていれば誘導されたり、騙されたりしない。
思い出すのは地方に住み、昔ながらの仕事をするお年寄り。自民に誘導され「やっぱ自民でないと〜」といい「安倍さんはよく頑張っている!」と応援してしまう。高度経済成長の時代は自民でも良かったが、今は国民を食い物にして私腹を肥やす人たちの集まりに過ぎない。時代と共に政党も変わるのに、それに気づかない地方のお年寄り。その構図に似ている。
原発反対の友人たちも、もう50歳前後。安倍という巨大な敵がいなくなったことで、次は何を目標にすればいいか?という喪失感もある。今は仕方なく菅を批判しているが、誰も分かるダメさ加減。力が入らない。その力を間違った方向に向けている人がいる。そっちを叩いてどうするの? 政治中毒のネトサヨはそれが生きがいだが、心ある行動力ある人たちまでもが、大きな力に誘導され、見えていないことが多い。原発事故で日本人は目が覚め、もう騙されない。誘導されない!と思ったのが、こんな僅かな期間で戦中と同じ状態にまで、引き戻されているのに驚きと悲しみを感じる。
「いやいや、ズレているのはお前だよ!」ーと言われそうだし「最近、監督、言ってることがおかしい」と実際に言われた。が、その友人は仕事が忙しく世の中の進展をまるで把握していない。過去の常識でしか思考できていない。同時に、世の中の価値観が急激に変化している。ついていくのも大変。この100年で最大の変化が進んでいるかもしれない。
これまで「白」と言われていたものが「黒」と呼ばれるようになりそう。「その変化を見つめよう!」という気がなければ気づかない。「世の中、簡単には変わらないよ」と思っていたら置き去りされる。いずれ答えは見えてくる。今は巨大なフェイクをいかに見抜き、何を価値観として掲げるか?それを考える時期だと思えている。
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